夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私がブログを愛読している方たち、生きた教科書と思い深めて、感謝・・。

2015-08-04 14:14:07 | ささやかな古稀からの思い
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。

そしてネットの世界は殆ど無知な癖に、この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
             
           
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれのお方が自由に私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、
雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。
          
        
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。

しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
       
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸10年が過ぎて、早や11年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                      
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          
        
たまたま今朝、私の【gooブログ】に於いて、『訪問者数(IP)は1、111,739』と表示され、
訪問者数(IP)は111万が超えたのか、と微苦笑したりした・・。

もとより人気のあるブログは、ウサギのように素早く短期に達成され、通過されているが、
つたない半生を歩んできた私は、カメのようにゆっくりと達成できた為、苦笑したりした。
          


私は自身の投稿文も大切であるが、ここ10年数多くの方の投稿文を読ませて頂いたりした。

そして日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を感じながら、年金生活を過ごしたりしている。

或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。

そして言霊を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。
                                                                  

こうして過ごしてきた間、私の投稿文にコメントを頂いたり、
或いはあるお方の投稿文を読ませて頂き、瞬時に圧倒的に魅せられて、そのお方にコメントをしたりしている。

しかしながら数多くのサイトに関しては、一部のお方とのコメント上で交流を除き、
隠れキリシタンのように秘かに私は、愛読者のひとりとなっている。

こうした理由の一つとして、私は気楽にコメントを書くことはできない身で、
コメントを書き込んで下さった方のプロフィールはもとより、
最近のその方の心情まで配慮して返信するタイプのひとりである。

こうした事情により時間が要するので、日常生活の肝要の読書、散策の時間まで影響し、
原則としてコメントの交信は取りやめて、お互いに投稿文を読んで頂ければ、と変貌した時代もあったりした。

ここ5年前の頃からは、来訪しコメントを残して下さった方には、原則として返信を認(したた)めている。
或いは数多くの方の投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、そのお方にコメントをしたりしている。
          

或いはそれぞれのお方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、私の投稿文をこのように解釈されたのかしら微苦笑したりし、
返信を認(したた)めたりしている。

こうした中で望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない数名の方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。

そしてブログの投稿文を10年半ばかりしている中、ブログ上で出逢い、
やがてコメント上で心の交流を盛んに重ねても、ふとしたことで疎遠になり、別れとなる場合もある。
          

私がブログを初めてまもない2004年〈平成16年〉の12月の時、
ブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】に加入している中、
確か一カ月後に、九州の北部にお住まいの60歳前後と思われる奥方と投稿文に於いてコメントをお互いにし、
その後、2年ぐらい高校生の交換日記のように、この当時も私は日々投稿文を綴っていたせいもあり、
殆ど毎日コメント欄で心の交流を重ねた。

こうした中で、この奥方が一枚の写真を添付し、散策する時何かと魅せられている小花のひとつです、
と投稿文に掲載されていた。

私は恥ずかしながら無知であったので、ネットで検索したら、
『オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)』と明記されていたので、植物学者は文学性の感性が余りにも欠落している、
と思い苦笑した。

そして『瑠璃唐草』、『天人唐草』、『星の瞳』とも名づけられていたので、
この奥方に、『星の瞳』に瞬時魅せられました、と私はコメントしたりした。
           
           ☆2008年3月、私が近くに流れている野川の川べりで、偶然に『星の瞳』にめぐり逢い撮った一葉☆
   

こうした淡き心の交流を2年半していたが、ご主人様がご病気となり、入退院をされる中、
奥方の投稿文も途絶え、やがて私たちの交流も途絶えがちとなり、
まもなく加入している小さなある簡易なブログサイト自体が閉鎖となり、そして交流も終えてしまった。

このような私にとっては、貴重な思いを秘めているので、
『星の瞳』を通して、この奥方は、私の年金生活を始めて不安な心情の中、心おだやかに過ごせたので、
女神のような人と私は思っている・・。

そして、その後に私は春先に散策したりする時、『星の瞳』を見かけたりすると、
あの奥方はどのように過ごされているのかしら、と思ったりし早や6年半が過ぎている。
          

これまで私の人生のリアルの世界でも、たとえば現役サラリーマン時代に於いても、
盛んに交流していた友に於いて、人事異動で地方に転勤となったりして、
やがて疎遠となったりしてきた。

年金生活をしている中でも、私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味であるので、
ときには観光ホテルなどに滞在プランで共にしたメンバーの人たち、
或いは団体周遊観光で旅路を共にした人たち、
こうした旅先で知り得た人たちと、宿泊している館内の食事処、大浴場、ロビー、
或いは私たち夫婦が街中を散策している時に、お逢いしたりし、お互いに談笑したりした。

          
もとより旅先で知り得た人たちは、それぞれ生を受けた環境も違い、
その後に育った状況、学歴、その後の社会人として職業、結婚生活・・、
やがてシニア世代となり、それぞれの生活をしていて、誰ひとり同じ人生航路を歩んできた人はいないのである。

その上、人それぞれ思考、信条、性格、趣味なども違うし、この広い世界で同じ人はいないが、
私たち夫婦は旅路で交流して、人生のひとときを共にし、
旅の終わりに近づくと、私たち夫婦は『また、いつ日にか旅先で、お逢いしたいですねぇ』
とそれぞれのご夫妻に愛惜の挨拶をしたりすることもある。

しかしながら、その後にお逢いしたことは殆どないのが実情であった。
                                                  

過ぎゆく人生は、出逢いと別れを幾たびか体験すると古来から伝えられているが、
ネットのブログで、私が投稿文、コメント上で交流してきた方たちも、
歓び悲しみを共にしてきたので、同じかしら、と思い深めたりしている。
   

そして現代の私は、私がブックマークに掲げた人を中核に、
毎日のように数多くの方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学んだりしている・・。

そしてこうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、とご教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々ご教示を受けている。

そしてこうした中で、感きわまってコメントをしたりする時もある。

このように私は、多くのお方がブログのコメントを活用しているのは、
それぞれのお方の秘めたる心の発露の交流かしら、と感じたりしている。

このように私は、ブログの投稿文を重ねて11年生となっている。
          

そして感じ深めていることは、この広い空の下で、未知のそれぞれのお方に投稿文、
或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
私にとっては心の宝物、と感謝したりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 猛暑の中、老ボーイの70歳... | トップ | 東京の片隅に住む私、6日連... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ささやかな古稀からの思い」カテゴリの最新記事