夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

いつから東電の首脳部は謙虚さを失い、傲慢と慢心になり、世界の原発の利用者の人々に震撼させたのか・・。

2011-03-27 22:22:25 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、ネットでニュースを見ようと、
時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開き、

《 大津波再来の恐れ、09年に指摘=東電、津波想定に反映せず-審議会で 》

と題いされた記事を読んだりした。

この後、しばらく思考させられた後、
いつの日から東京電力の首脳部の方たちは、謙虚さを失い、傲慢と慢心に陥ったのか、
と電力にも無知な私さえも、改めて感じたのである。

無断であるが、今回の記事を転載させて頂く。

《・・
        大津波再来の恐れ、09年に指摘=東電、津波想定に反映せず-審議会で

想定を大幅に上回る津波に襲われた東京電力福島第1原発について、
津波の専門家が2009年、原発の耐震安全性を検討する経済産業省の審議会の席上、
東北地方に大津波をもたらした869年の「貞観地震」(マグニチュード8.4と推定)に触れ、
同規模以上の津波再来の可能性について指摘していたことが27日、分かった。

東電側は「歴史上の地震で、耐震設計上考慮する地震にならない」と述べ、指摘は反映されなかった。

指摘したのは、産業技術総合研究所の岡村行信活断層研究センター長(地質学)。
岡村さんは、史料に津波被害の記録が残る貞観地震について研究。

福島第1、第2原発の敷地付近を含め、内陸部に津波で運ばれた砂が堆積していることや、
450~800年周期で津波が起きたことなどを明らかにしてきた。

岡村さんは、2009年6月に開かれた経産省の審議会で、
福島原発について貞観地震の知見から
「津波に関しては(東電の想定する地震と)比べものにならない非常にでかいものがくる」と指摘。
「まったく触れられていないのはおかしい」と再検討を求めた。

しかし、東電側は
「被害がそれほど見当たらない。
歴史上の地震であり、研究では課題として捉えるべきだが、設計上考慮する地震にならない」
と答え、消極的な姿勢を示した。


翌7月の審議会でも、岡村さんは2004年のスマトラ沖地震などに触れ、
今回の地震のように複数の震源域が同時に動く連動型地震の危険性を指摘したが、
東電側は「引き続き検討を進める」と述べるにとどまった。

(2011/03/27-18:00)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は現役時代は、中小業の音楽業界のある会社に35年ばかり勤めた身であり、
恥ずかしながら、電力はどうして出来るのかも無知な高齢者の男である。

しかしながら、電力は、戦後の日本経済の大躍進の産業基盤を、確かに支え、
私たちが豊かな生活をめざし、それぞれが奮闘した成果のひとつの形として、
家庭の中で、洗濯機、テレビ、掃除機、冷蔵庫、クーラーなどで、
実感し享受してきたことは、
まぎれない事実であることは、知っているつもりである。


過日、日本の原子力発電所のひとつの福島発電所が、東日本大震災に伴い、事故が発生、
その後も相次ぐ事故、やがては農作物、水の汚染などの大被害となっている。

人は誰しも真実を知りたがる良悪を持った動物なので、
つたない私なりに、どうしてこのような相次ぐ事故に波及したのか、
そして原子力発電所を活用した主要国の多くの専門家、利用者に震撼させ、
今後の原子力発電所に疑惑さえも波及させたことなどを素朴に思いながら、
新聞、ネットのニュースを読んだり、NHKのニュースを視聴したりしてきた。

こうした中で、総合ビジネス情報誌として名高いダイヤモンド社の情報サイト【ダイヤモンド オンライン】で、
この中のひとつ記事を、たまたま読み、多々教示されながら、動顚させられた。

『Close Up Enterprise』の『第49回』2011年3月25日に於いて、
週刊ダイヤモンド編集部の片田江康男、小島健志、柴田むつみ3氏が綴られた、
《 世界が震撼!原発ショック 悠長な初動が呼んだ危機的事態 国主導で進む東電解体への序章
と題された記事である。

序文として、
《・・
東京電力の福島第1原子力発電所で起きた事故は、峠を越える手前にまできた。
原発は一民間企業の負うリスクを超えたものだと明らかになった。
それでも東電はすぐにはつぶれない。
あまりに悠長な体質がもたらした初動ミスが東電解体への序章となるだろう。
・・》
と書かれていたので、私は読み込んだのである・・。

無断であるが、この記事の前半部分を長く引用させて頂く。

《・・
福島第1原子力発電所は、東京電力初の原発で“聖地”ともいえる場所だっただけに、
無残な姿が原子力関係者に与えるショックは大きい。
ある政府関係者は東京電力の対応に怒りをあらわにする。

「(3月14日に)2号機の燃料棒が露出したとき、
東電側は『全員撤退したい』と伝えてきた
。撤退したら終わりだった。
絶対に止めなければならなかった」

あの時点で撤退とは、無責任極まりない。
この政府関係者は、事故の初動から東電の対応に不信感を抱いていた。


地震発生時の11日、福島第1原子力発電所1~3号機は自動的に止まったものの、
津波により外部の設備が使えなくなった。
予備の電源も失われ原子炉内を冷やすシステムも動かなくなった。

炉内を冷やさなければ、燃料棒が溶け深刻な事態を招く。
東電はまず電源を復旧しようと電源車を送った。
しかしそれをつなぐ部分が水没しており結果的に失敗した。


そのうちに1号機では炉内の熱で水蒸気が発生し、圧力が高まっていった。
破裂しないうちに放射性物質を含む水蒸気ごと逃がし、圧力を下げる必要があった。
これをベント(排気)という。
「ベントをやらなければならなかったが、本店は非常に消極的」(政府関係者)という状況だった。

福島第1原発の現場責任者は、吉田昌郎・執行役員発電所長である。
その陣頭指揮は光っていたようだ。
「吉田所長は勇敢で現実的だった」と政府関係者は言う。
「しかし、本店を経由してしか現地に連絡できなかった。
だから12日朝、菅直人総理がヘリで現地に飛び『ベントしろ』と言った。
吉田所長の背中を押しに行ったんだ」(政府関係者)。


はたして12日午後、ベントが行われたものの、
格納容器内で発生した水素が建屋に漏れ、水素爆発が起こった。
14日には3号機でも水素爆発が起き、安定的だった2号機でも炉心の水位が下がり、
燃料棒が露出して空炊きという非常に危険な事態となった。
水を入れる必要があった。


冒頭の「全員撤退」という話が飛び込んできたのは、そのときである。
政府側はあわてた。

政府側が現地に連絡すると、吉田所長らが、懸命に注水作業をしているところだった。
そして、「水が入った」と言っているのに、東電はいっこうに発表しない。

「とにかく、本店と現地に温度差があった。
そもそも予備電源が切れたときの想定がなくて驚愕した。
最初から自衛隊でも警察でも使えと言っていたのに、本店はあまりにも悠長だった」
と、政府関係者は言う。

プラントメーカーの東芝首脳も唇をかむ。

「最も原発を知っている技術者たち専門家集団は、
地震直後からスタンバイしていた。
東電の本店の廊下にもいた。
しかし部屋に入れてもらえなかった。
東電とメーカー、官邸が仲間になれたのは、地震発生の3日後だった。
もっと早く手を打てたはずだ」

それに対して、東電の武藤栄副社長は
「全員撤退については言っていない。
プラントや通信の状況が悪いなかで、ともかく人身の安全が重要だという判断で、
プラントの保守や保安に必要な人間だけを現場に残し、
それ以外の人を一時的に避難させた」と言う。

初動についても「状況を見ながら適切に判断してきた。最大限の努力はした」と話す。


福島第1原発3号機では3月18日に自衛隊が放水を行った。
使用済み核燃料プールの水位が下がり、放射性物質の拡散が心配されたからだが、
現場判断が奏功したようだ。

いずれにせよ、当初は東電内で事をすませようとしたことは、間違いないようだ。
政府は15日朝、東電と一体となって危機対応に当たるべく統合対策本部を設置した。


事態を好転させたのも本店ではなく現地の英断だった。
18日にはプラントの電源を復旧させるため、送電線から回路を引き下ろす作業が行われた。
そのさなか、自衛隊によって3号機の原子炉内を冷やすための放水作業も続いた。

東電関係者は興奮気味に語る。

「放水作業のなか電線工事をすることは、作業員の安全を確保できるものではなかった。
何が起こるかわからないからだ。
本店と現地は何時間も議論した。
本店は『自衛隊の放水は止めてもらえ』とまでなった。
だが吉田所長が『やる』と判断した」

ぎりぎりの選択だったが、この工事は成功。
現場でも本店でも拍手が起きた。
「本店がいろいろと言っても吉田所長は、『評論家はいらない』と取り合わなかった。
彼がいなければ現場も本店もパニックだったろう」(東電関係者)。


本稿執筆の22日時点、電線の工事は進みプラントに電源がつながった。
電源の復旧は、原子炉を制御するうえで大きな意味を持つ。

現在も、詳細は(略)予断を許さない。
放射性物質をまき散らしており、健康被害や農作物、水産物への影響も計り知れない。
だが、状況が改善に向かっているのは確かだ。

(略)

・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

今回の大惨事に波及させた《・・あまりに悠長な体質がもたらした初動ミス・・》
に私は動顚させられたのである。


この後、この記事に基づいて、ブログの投稿文を綴ろうと思ったのであるが、
ある面、一方側からの記事で綴るのは、ある面は危険なことであるので、
複眼的な視線が必要と思い、投稿は断念した。


今回、地質学を専門とされる産業技術総合研究所の岡村行信・活断層研究センター長の度(たび)重なる警告を、
東電側は、あたかも無視したかのような記事を読んだりした・・。


東電のホームページの中に、『2020経営ビジョン』として、社長のメッセージがあり、
《・・
平成19年7月16日、多くの被害をもたらした新潟県中越沖地震により、
柏崎刈羽原子力発電所の全号機が停止し、当社は、安定供給、収支および環境対応等の面で、
創業以来の危機的な状況に直面しました。

私たちは、このような事態に際し、危機克服に全力で取り組むとともに、
災害に強い原子力発電所づくり、立地地域のみなさまとの信頼関係の強化、
さらには徹底した業務改善を定着させること等により、
一層強靭な事業基盤の構築に努めてきました。
困難な道を乗り越える過程で学んだ多くの知見を貴重な財産として、
これからの経営に活かしていきたいと考えています。
・・』
と明言されている。

しかしながら、この柏崎刈羽原子力発電所の全号機が停止の教訓を謙虚に学び、
改めて立地の地盤強化、そして危機対策を真摯に対策をしておれば、と思ったりしている。

更に岡村行信・活断層研究センター長の度(たび)重なる警告を再度検討し、対策をしておれば、
今回の大災害の波及も防止できたのではないだろうか、と強く私は感じたのである。


東京電力は、電力全般に関して日本の指定された多地域を独占した巨大企業であるが、
たえず電力は増加の一途となりながらも、技術革新など安定した供給、
程ほどの価格で提供してきた公共民間企業としての責務を果たしてきた電力会社である。

しかし2つの記事を読み、その後も思考させられ後、私は大きくため息をさせられたのである。
そして私は初めて複眼性の視点から、
いつの日から東京電力の首脳部の方たちは、
公共民間企業として、たえず利益も求められ経営基盤の責務も配慮した上であるが、
あたかも利益優先で、肝要の電力安定基盤の責務に対して、
謙虚さを失い、傲慢と慢心に陥(おちい)ったのか、
と心の中で呟(つぶや)きながら、この投稿文を認(したた)めている。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村



コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 巨大地震後、東京郊外の調布... | トップ | 震災後、東京郊外に住む齢ば... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます。 (ロッキータイガー)
2011-03-28 09:44:46
お父さん
あるスポーツ紙によると建屋が吹き飛んで
中の燃料を冷やし続けなくてはいけない状態
でその間原子炉の燃料が溶け出していてその間
漏れ続けることになる冷やす作業はその間最低
でも2~3年はかかるらしい。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

時事【社会】」カテゴリの最新記事