東京の郊外は、雲ひとつない快晴の朝を迎えている。
日中は昨日と同様に31度前後の真夏日となる。
この時節、我が家では、簾を各部屋に掛けている。
洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸、そしてカーテンを外して簾とする。
和室も同様に、雨戸、網戸、障子、簾としている。
朝涼(あさすず)が残る9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾にして、風を通したりしている。
私は居間で机の上に置いているパソコンに向かったり、
ソファーに座り庭を眺めたりする時、ほのかな暗さがあり、
樹木、草花が涼しげに見えるのである。
先程、朝の庭を眺めていた時、ひとつの句が甦(よみがえ)ってきた・・。
世の中を 美しと見し 簾かな
作者・上野 泰
この句は、長谷川 櫂・氏に導かれて知ったひとつである。
氏の解説に寄れば、下記のように綴られている。
陽はさえぎるが風を通す簾は、蒸し暑い日本の夏には重宝なもの。
王朝の昔、高貴な女性の中には、そのかげで一生を送る人もいた。
簾を透(とお)すと何もかも涼しげに見える。
古き世も人も過ぎ去り、今は簾だけが風に揺れている。
詠(よ)まれた俳人は、大正7年に生を受け、
昭和48年に亡くなわれた人であるが、
私は昭和のよき情感をとおして、
遥か彼方の古人の人たちへの愛惜を感じたりしている。
私は庭の樹木、初夏の草花を眺めながら、
とりとめなく千年前の女人のしぐさに思いを馳(は)せたりしている。
日中は昨日と同様に31度前後の真夏日となる。
この時節、我が家では、簾を各部屋に掛けている。
洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸、そしてカーテンを外して簾とする。
和室も同様に、雨戸、網戸、障子、簾としている。
朝涼(あさすず)が残る9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾にして、風を通したりしている。
私は居間で机の上に置いているパソコンに向かったり、
ソファーに座り庭を眺めたりする時、ほのかな暗さがあり、
樹木、草花が涼しげに見えるのである。
先程、朝の庭を眺めていた時、ひとつの句が甦(よみがえ)ってきた・・。
世の中を 美しと見し 簾かな
作者・上野 泰
この句は、長谷川 櫂・氏に導かれて知ったひとつである。
氏の解説に寄れば、下記のように綴られている。
陽はさえぎるが風を通す簾は、蒸し暑い日本の夏には重宝なもの。
王朝の昔、高貴な女性の中には、そのかげで一生を送る人もいた。
簾を透(とお)すと何もかも涼しげに見える。
古き世も人も過ぎ去り、今は簾だけが風に揺れている。
詠(よ)まれた俳人は、大正7年に生を受け、
昭和48年に亡くなわれた人であるが、
私は昭和のよき情感をとおして、
遥か彼方の古人の人たちへの愛惜を感じたりしている。
私は庭の樹木、初夏の草花を眺めながら、
とりとめなく千年前の女人のしぐさに思いを馳(は)せたりしている。