夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京郊外は、遅ればせながら初雪となり・・♪

2009-02-27 14:13:45 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外の調布市に住む私は、
今朝、地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時は4度、昼下りは3度前後、夜の6時過ぎは2度となり、
朝の9時前後は、霙(みぞれ)が予測され、雨の降る寒い1日となります、
と報じられていた・・。

ここ一週間は、一日は冬晴れとなったが、
あとは曇ったり、雨が降ることが多く、肌寒い日々が続いたりしていたので、
おかしな早春の菜種梅雨かしら、と戸惑ったりしていたのである。

私はぼんやりと何気なしに庭を眺めていたら、
小雨は止み、ひとひらふたひらと雪が舞い降りてきて、
私は小躍りしたのであるが、まもなく霙(みぞれ)となり、
大いに落胆したのである。

東京の郊外は、昨年の晩秋より温暖に恵まれていたが、
やはりこの2月の時節は、雪の降る日が数日は・・、
と秘かに願っていたのであるが、
天上の気候の神々から見放されたせいか、今日まで雪の降る日がなく、
侘(わび)しい思いで過ごしていたのである・・。


昨年の12月の下旬に、家内と2人で札幌で、
『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観るため市内の格安ビジネスホテルに4泊5日で滞在したりした。
この時の札幌市内は、例年よりも積雪が少なかったが、
郊外の中島公園の付近にある『北海道文学館』を訪ねた時、
冬木立の中、積雪15センチばかりの清々しい景観に私は心が充たされたのである。

その後、1月下旬に奈良の『若草山 山焼き』を観る為に、
家内と2人で奈良に1泊2日した折、
『西大寺』の境内を歩き廻ったした時、小雪の舞う中を歩き、
そして、しばらく土塀を眺めたりしていた。

翌日に観光バスが『長谷寺』に向った折、
奈良市内の郊外の里で、車窓からは田畑の積雪数センチの情景を眺めたりしたのである。


このような雪の想いでを私は煎茶、家内はコーヒーを飲むながら、
話していたのである。
そして居間の食卓テーブルで庭の霙(みぞれ)降る情景を眺めていた時、
まもなく霙から雪に変わったのである・・。

『やっと・・雪が降ったね・・
今年・・初めて・・』
と私は微笑みながら家内に云ったりしたのである。


この後、私はいつものように足袋と下駄の足元で、
主庭のテラスの外れで初雪の舞い降る情景を誉(ほ)めたりしたのである。
白梅、しだれ紅梅は満開の中、藪椿(ヤブ・ツバキ)の濃紅色の花はわずかに揺れ、
白玉椿(シラタマ・ツバキ)は凛とした清冽な純白の花、
そして群生させた日本水仙の花を眺めたりしていたのである。

そして、このような想いを主庭の情景を眺め、
このサイトに綴りはじめた時、雪は止み、小雨に変わったのである。

たった2時間ばかりの初雪の饗宴であり、
結果として積雪はなかったが、私の心は浄化されたのである。


私は雪の舞い降る情景は、幼年期より想いでが重なっているので、
この時節は秘かに待ち焦(こ)がれているひとりである。

このような思いは、
【 東京の郊外、雪の想いで・・♪ 】と題して、
このサイトに2008年1月20日に投稿しているが、あえて再掲載をする。

【・・
東京の郊外は、今宵の深夜に初雪が降る、
と報じられているが、
薄日のおだやかな陽射しが射しこんで折、
深夜に雪が舞い降りるのかしら、と空を見つめたりしている・・。

私は東京の郊外の調布市に住む身であり、
結婚の5年間前後は、川崎の登戸、千葉県の市川市に仮住まいをしたが、
ほぼ60年近く、この地の調布市の一角で住んでいる。

私の住む処は世田谷区と狛江市に隣接しているが、
昭和30年前後で大きく変貌したのである。


私は昭和19年に農家の三男坊と生を受け、
祖父と父が中心となって、程々広い田畑を小作人などの手助けもあって
農業を営(いとな)んでいた。

この頃は、京王線の最寄駅までは
殆ど田畑が広がり、雑木林、竹林なども観られた田園風景であった。

私の幼年期は、毎年、冬の時節になると
雪が30センチ前後が数回降ったのである。


昭和26年の春に私は小学校に入学したが、
初めての冬に雪が降り、登校した時が想いだされる・・。

ゴムの長靴の中に、母か叔母の手助けで藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、
番傘を差して、家を出た。

家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪が絶えず舞い降り、
長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。

駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、
この時は無視し、畑は雪に埋もれていたので、
この中を吹雪いていたが一直線で登校したのである。

小学校は木造の二階建てであり、教室の片隅に正方形の1間幅の暖炉があった。
コークスはむろん、石炭も使用される前の時代であったので、
薪(まき)が燃やされていたのである。

私達は衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、
子供心にお互いに健闘し合ったりした。
そして、学級で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と悪口を言い合っていたりした。

下校のひととき、番傘でチャンバラの真似事をし、
番傘の数箇所が破れ、帰宅後に母に怒られたりした。

このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もったのである。


その後、都会の人達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した昭和32年であるが、この頃になるまで大きく変貌したのである。

東京オリンピックを過ぎた時代になると、数年に一回程度、15センチぐらいが降るが、
この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。


私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると雪恋しい心情か、
北の地域に旅行し、雪の情景を享受している。
・・】


このように心情で綴ったりしているので、
積雪が多く、単なる雪害ばかり、雪で悩まされている方々には、
私の根底をご了解を願いたいのである。



ブログランキング・にほんブログ村へ









コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ぐうだら小父さん、ただいま... | トップ | 遅ればせながら、『歳寒三友(... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

小庭の情景を眺めながら」カテゴリの最新記事