私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
いつものように午前中のひとときに買物に行って、
帰宅し、洗面所で顔を洗った後、居間のエアコンの冷風の下で、着替えて、
冷やした煎茶を飲んだりしている。
この夏の時節は、原則として日中は冷やした煎茶、
夜はビール、ときおり冷やした純米酒を呑んだりしている。
たまたま私は小学生の夏に、ラムネ、サイダーを飲んだ頃の話を、
家内に微笑みながら私は話しかけたりした・・。
1951(昭和26)年の春、小学校に入学して、初めての夏、
父の妹の二十歳過ぎの叔母に連れられて、付近の雑貨屋に行った。
叔母が、ラムネひとつ、と店の主人に言った。
店の主人が、栓を開け、ポーンと音がし、瓶の中からあわ立ちながらあふれてきたのを、
私に手渡された・・。
私は不思議な形の瓶もさることながら、
刺激のある飲み物であったが、喉越しに甘さが残る飲みと感じたりし、
3分過ぎて、お腹の満腹感を感じた頃、飲み終えた。
そして、瓶の中にビー玉のような玉に気付き、
瓶を少し振ると、不思議な音がした。
叔母は私を少しみつめながら、微笑(ほほえ)んでいた。
そして、叔母は購入したアイス・キャンディをかじっていた。
その後、夏休みになると、独りでこの雑貨屋に行き、
おじさん、ラムネ頂戴、と言って飲んだりした。
そして飲んだ後、いつもビー玉のような玉はどのように入れているのか、
不思議な思いでいた。
私はこの頃、家にあったB29(アメリカの爆撃機)の鉄製のおもちゃがあり、
どうして空に飛べるの、と同様に、
ラムネの中にある玉、どうして入れて作れるの、
と母や叔母を困らせた。
小学5年の夏休みになると、私はサイダーに変った。
三ツ矢サイダー、と明示されたサイダーをやっと飲み終えると、満腹となり、
これ以上の幸せはない、と子供心に充たされていた。
20数年前、家内と旅先で、ラムネを見つけた時、
私達は飲んだ後、こんな味だったかしら、とお互いに笑ったりした。
そして、瓶を振ると、かすかな音がし、
もう一度、手を振り、音色を楽しんだ。
昨今、スーパーで偶然にラムネを見かけたりすると、
お洒落(しゃれ)な瓶だったかしら、
私の幼年期のラムネの瓶は、蒼く素朴な色合いをしていた、
と思ったりしたが、少なくとも60年近くの歳月が過ぎ去っているので、
少しボケたのかしら、と微苦笑したりしている。
このような他愛のない話を、ときおり私は家内と話したりしている。
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いつものように午前中のひとときに買物に行って、
帰宅し、洗面所で顔を洗った後、居間のエアコンの冷風の下で、着替えて、
冷やした煎茶を飲んだりしている。
この夏の時節は、原則として日中は冷やした煎茶、
夜はビール、ときおり冷やした純米酒を呑んだりしている。
たまたま私は小学生の夏に、ラムネ、サイダーを飲んだ頃の話を、
家内に微笑みながら私は話しかけたりした・・。
1951(昭和26)年の春、小学校に入学して、初めての夏、
父の妹の二十歳過ぎの叔母に連れられて、付近の雑貨屋に行った。
叔母が、ラムネひとつ、と店の主人に言った。
店の主人が、栓を開け、ポーンと音がし、瓶の中からあわ立ちながらあふれてきたのを、
私に手渡された・・。
私は不思議な形の瓶もさることながら、
刺激のある飲み物であったが、喉越しに甘さが残る飲みと感じたりし、
3分過ぎて、お腹の満腹感を感じた頃、飲み終えた。
そして、瓶の中にビー玉のような玉に気付き、
瓶を少し振ると、不思議な音がした。
叔母は私を少しみつめながら、微笑(ほほえ)んでいた。
そして、叔母は購入したアイス・キャンディをかじっていた。
その後、夏休みになると、独りでこの雑貨屋に行き、
おじさん、ラムネ頂戴、と言って飲んだりした。
そして飲んだ後、いつもビー玉のような玉はどのように入れているのか、
不思議な思いでいた。
私はこの頃、家にあったB29(アメリカの爆撃機)の鉄製のおもちゃがあり、
どうして空に飛べるの、と同様に、
ラムネの中にある玉、どうして入れて作れるの、
と母や叔母を困らせた。
小学5年の夏休みになると、私はサイダーに変った。
三ツ矢サイダー、と明示されたサイダーをやっと飲み終えると、満腹となり、
これ以上の幸せはない、と子供心に充たされていた。
20数年前、家内と旅先で、ラムネを見つけた時、
私達は飲んだ後、こんな味だったかしら、とお互いに笑ったりした。
そして、瓶を振ると、かすかな音がし、
もう一度、手を振り、音色を楽しんだ。
昨今、スーパーで偶然にラムネを見かけたりすると、
お洒落(しゃれ)な瓶だったかしら、
私の幼年期のラムネの瓶は、蒼く素朴な色合いをしていた、
と思ったりしたが、少なくとも60年近くの歳月が過ぎ去っているので、
少しボケたのかしら、と微苦笑したりしている。
このような他愛のない話を、ときおり私は家内と話したりしている。
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