夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

初夢は、浜美枝〈はま・みえ〉さんに、お逢いでき・・!?

2014-01-03 08:36:12 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活69歳の身であり、
何かと夜の眠っている時に夢をみることが多いひとりである。

この年始の時も夢をみることもあり、目覚めた朝方に薄らと汗ばんたりしていることが多い。

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職するまでの半生は、
何かと屈折と卑屈感を秘めてきたので、ときには昨日の続きの連続ドラマのようなことがあれば、
或いは映画館で観た三本立てのようにみることがある。

そして、総天然色(カラー)の時もあれば、白黒(モノクロ)だったりし、
目覚めた朝、ぼんやりと微苦笑することもある・・。
          
私は小学生の後半期、地元の映画館などで3作品を一挙に上映した三本立てを
数多く観たりしていた映画少年だったので、
この習性の余情かしら、と思ったりしている。
          

私は1960年(昭和35年)の中学3年の終りの頃、
私は職員室で担任の女の先生から呼ばれ、
『XXくん・・あなた眼・・悪いわね・・0.3って・・』
と先生は、健康診断書を見ながら、私に言った・・。

『・・どうして・・今まで黙っていたの・・
メガネを掛けないと・・黒板の字も見えないでしょう・・』
と先生は言った。

私は教室の指定された後部に座って、黒板の字もかすれていたが、
同級生もこのような状態と思い、信じていたのである。
こうした根底には兄ふたり、妹ふたりもメガネをしていないので、それなりに思い込んでいたりした。

このようなことがあり、特に算数の基礎である因数分解など理解できず、
高校生になっても微分、積分などの授業には、理解できず逃げ回っていたグループのひとりであった。

このような結果として、もとより期末試験などは惨澹たる結果であり、
ときおり今でも、悪夢となり呻(うな)されたりすることもある。
                         

サラリーマン現役時代だった頃の夢みる時は、どうしてなのか、業務の成功例より、
遥かに失敗したことを多く、目覚めた時に苦笑したりしている。
たとえば、上司、同僚、後輩がいる中、突然に中学時代の悪友が出てきたり、
どうしてお前がいるの、 と私は戸惑ったりしている。

ときには秘かに思い続けた小学校時代の初恋の同級生に見つめられたりし、
貴女はどうしているのょ、とありえない時代の落差に戸惑ったりし、冷や汗をかくこともある。

或いは幼年期は私は農家の児であったので、
田畑、雑木林など景観を観たり、湧き水、竹林の筍(タケノコ)、野菜の収穫時などの情景をみることもある。

夢はもとより貧富に関係なく、その人なりの日頃の思い、言動の余韻、余情、
そして感性の賜物〈たまもの〉と私は確信を深めて、微苦笑したりしている。
                          

私の理想的な夢のひとときは、恥ずかしながら告白すれば、
齢ばかり重ねた今でも、女性への煩悩を捨て切れない拙(つたな)い身として、
秘かに思いながら、眠りにつくこともある・・。

街中、駅前などで、たまたまワンピース、ツーピースが似合う50、60代の人を見かけ、
たまたま謙虚な会話が聴こえたり、魅了されるしぐさを感じた時、
或いは紬(つむぎ)が似合いそうな臈長(ろうた)けた人を見かけた時などある。

ときにはブログの世界で、シニア層と称せられる女性の方の投稿文に於いて、
読ませて頂だく中で、瞬時に魅了されたりすると、
どのような顔立ち、しぐさ、言葉を平素の生活の中で重ねる方かしら、
と思わず想像してしまい、微笑んだりすることが多い・・。

私はこうした方と語り合い、散策した後、無念ながらお別れねぇ、と握手する、
このようなことを私なりに夢で願望したりしている。

私はこのようなことを思えば、思い込みが強い性格であるので、
ほとんど日頃から夢の中で叶(かな)えられるひとりである。
          

昨夜は初夢とこの世で定められているが、たまたま夢の中でお逢いできた人は、
かって女優だった浜美枝〈はま・みえ〉さんだった・・。

私が東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)年の当時、
映画青年の真似事をしていた時代に、成城学園に近い砧(きぬた)にある東宝撮影所に出入りしていて、
たまたま数分ぐらい言葉を交わした人である。

この当時にお逢いした数多くの若手の女優さんの中で、
このお方は、与えられた言葉でなく、ご自身の言葉で語れる人で、
私は瞬時に魅了された方でもあった。

何よりも魅せられるのは、女優引退後の人生の歩みである。
周知の通り結婚されて、子育てをされる情況に好感し、その後に農業等に興味、行動に圧倒的に魅了され、
やがて環境・農・食問題について研究するライフコーディネーターとしても活躍される中、
エッセイ集も数多く出されている人である。

こうした私の思いは今でも、変わることなく、
昨日の日中に、たまたま浜美枝さんのエッセイのひとつ『正直な作り手の味』(集英社be文庫)を再読したので、
初夢の中で、お逢いできた、と目覚めた後ぼんやりと微笑んだりした。

もとよりお逢いできる人ではなく、あくまで私にとっては高嶺の人なので、
せめて夢の中でお逢いできたのである。
                          

私の現(うつつ)の日常生活に於いては、
近所の奥様、ときには主人と自治会の回覧、買物、散策の時などで、
私は立ち話をしたりすることが多い。

昨年の年末に於いて、日常の買物専任者の私は、いつものように独りでスーパーに行った。

そして家内から依頼された品を買い求めた後、
レジ袋を両手に提(さ)げた上、12ロール入った1ケースのトイレット・ペーパーも提(さ)げて、
重くてかさばるよなぁ、と歩きながら帰宅に向っていた。

こうした時、近所の好感している奥様と出会ってしまい、大変ですわねぇ、と言葉をかけられて、
私は赤面したりした。

このように私は、夢のひととき、現(うつつ)の日常生活では、落差がありすぎる、
と苦笑することもある。

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コメント (2)
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