夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

勤労感謝の日、私のサラリーマン時代の思いで、そして年金生活の今は・・。

2013-11-23 08:59:09 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、『勤労感謝の日』と朱記されて、
勤労感謝の日で祭日なのか、と昨今は恥ずかしながらも曜日の感覚が衰えている我が身に、
苦笑したりした。

そして小庭にあるテラスに下り立ち、まばゆい朝の陽射しの中、
落葉樹は紅色、朱紅色、淡い黄色、黄色に彩られる錦繍(きんしゅう)の情景となり、
私はぼんやり眺めながら、秋日和の清々しい日中を迎えるなぁ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

やがて私は、現役サラリーマンだった時の『勤労感謝の日』の時は・・と思い馳せたりした。
          
私は民間会社の中小業のある会社に勤め、30代の頃は情報畑のコンピュータの専任者であった。
会社の販売締切日がたまたま20日であり、この後の4日前後は特に多忙な日々であった・・。
この当時は本社でオンラインの前の時代で、本社で一括処理をしていたので、
私は月次処理、月次更新作業などで、こうした中で『勤労感謝の日』の祭日の日も、休日出勤務をしていた。

そして経理の決算の担当メンバーも出勤されていたので、
私は同僚の人たちに、
『働けるうちに・・こうしていられるのも・・幸せかも知れない・・』
と私は言いながら、疲れ切っていたが、元気良く社内で奮戦したりした。

40代になると、システムの開発と運営の併行業務となり、
たえず身体も張り、ときには週一回休めれば良い方で、土日、祭日の休日もなくなった時期が多かった。
そして、ときおり徹夜となり、早朝を迎えると、
『今・・働らなくて・・いつ働くのよ・・』
と心の中で呟(つぶや)きながら、自身を叱咤激励して奮闘していた。

そして50代は情報畑から他部門に異動したり、後半は業界のリストラ烈風の中で出向となったりしたが、
相変わらず心も身もギリギリまで業務に専念したりし、
特に勤務地の遠い出向先に於いては、
『50代後半でも体力勝負は・・勘弁してほしい』
と心の中で呟(つぶや)くことが多く、やがて定年退職を2004〈平成16〉年の秋に向え、
サラリーマン生活を卒業したのである。
          
そして私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。

年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。

こうしたささやかな生活をしているが、もとより社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えているのである。

こうした現状を思考すれば、私は現役世代の働いて下さる諸兄諸姉に感謝をしながら、
思わず11月23日は、年金生活をしている私にとっては、
年金生活を始めて『勤労感謝の日』を初めて迎えた時、『年金感謝の日』と実感を深めながら命名したりした。

そして経済はアベノミクスと高揚感ただよう中で、
サラリーマンの諸兄諸姉は、たえず短期に成果を問われる過酷な時代となっているが、
せめて祭日の『勤労感謝の日』と日曜日の連休の方は多いと思われるので、
愛する妻と可愛い子供と共に、ご家族でのんびりと過ごされれば・・と無力の私は願ったりしている。

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