夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

瀬戸内寂聴さんの御著作から、教示された人生の格言のひとつには・・。

2012-07-10 06:30:37 | 読書、小説・随筆
私は遅ればせながら読書に目覚めたのは、高校に入学してまもない時期であり、
1960〈昭和35〉年の春であった。

創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力であった。

これ以来、小説、随筆、ノンフィクション、近代史、歴史書など乱読をしているので、
早や50数年過ぎている読書好きのひとりである。

年金生活をしている私は、過ぎし2008〈平成20〉年の初夏の頃、
たまたま石原慎太郎、瀬戸内寂聴の両氏に寄る『人生への恋文~往復随筆~』(文春文庫)を読み、
両氏から人生の哲学のようなことを数多く学んだりした。

この中で、特に瀬戸内寂聴さんの一節が深く心に残り、
温かみのある助言を頂ただけた、と私は今でも心の片隅に残り、感謝している。


私は瀬戸内寂聴さんとは、未知の人であり、
東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の頃には、
この当時は瀬戸内晴美さんの名で綴られた初期短編集を読み終えた後、
この後の『夏の終り』の作品は、友人、知人に絶賛したひとりである。

その後、1970〈昭和45)年に大手の民間会社に中途入社する時までは、
ある程度このお方の作品を読んでいたが、
その後は私なりに企業戦士の一員となり、このお方の作品から離れていた。

2004〈平成16〉年の秋に定年退職した後、
水上 勉さんとの共著の『文章修業』(岩波書店)で、
両氏の純文学の熱く深い思いを改めて学んだりしたのである。

このように決して愛読者とはいえない立場の私であるが、
『人生への恋文~往復随筆~』を読んでいる一節に深く考えさせられ、
限りない人生の助言を頂けた、と思っている。

無断であるが、この『人生への恋文~往復随筆~』の中からの一節には、
《・・
人間はひとりひとりがこの世に自分ひとりしか持っていない、
かけ替えのない個性と資質に、誇りを持って、世俗の常識に巻きこまれず、
わが道を独りでも行くという気概を失わないことが大切だと、
わたしもかねがね思っていました。

お釈迦さまの教えの中にも
「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
というのがあります。
わたしはの大好きなことばです。
・・》
注)「心に光を」ページ224から引用。原文よりあえて改行を多くした。

私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
この一節の文章から、つたない身ながら、
残された人生の日々に陽光を頂いた、と思ったりしたのである。

そして、私は高校生の初め、読書に熱中し始めた頃、
古文の先生が授業の合間で、どのような本でも必ず学ぶ一行はあり、読書は心の栄養である、
と私たち生徒に明言されたことを思い馳せながら、
確かにそうですよねぇ、と齢を重ねた私は、心の中で呟(つぶや)いたりしている。

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コメント (2)
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