夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

初夏の頃に彩(いろど)る木槿(ムクゲ)の花、齢ばかり重ねた私のささやかな想いは・・。

2012-07-02 12:03:46 | 定年後の思い
東京郊外の調布市の片隅みに住む私は、
昨日が小雨が降ったり止んだりして、今朝の9時過ぎに雨は上がり、
まもなく空が明るさを増してきた。

そして私は玄関の軒下に下り立ち、玄関庭の片隅で、
たわわに莟(つぼみ)を付けている木槿(ムクゲ)の樹を眺めて、微苦笑したりしている。

梅雨の時節の終る頃から、50日前後、
紫紅色の花が彩(いろど)ってくれる高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)がある。

私は初夏から真夏に咲く花の中で、特に木槿(ムクゲ)には魅了させられている。
私の住む周辺は、底紅で花びらは紫紅色した高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)、
もうひとつは底紅であるが、花びらは純白の色合いの宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が多い。

独断と偏見が許されるならば、
高砂木槿の紫紅色は洋室、ホテルなどのロビーに相応しく、
宗旦木槿の純白の色合いは和室に相応しい、と確信を深めている。

どちらも茶花に愛用される花のひとつであるが、
私は独りたたずんで、毎年この時節で心を慰めてくれる花のひとつである。

朝の冷気が残る頃、ひとつの花びらは秘かに開き、日中の熱い陽射しを受けながら凛として美麗を見せて、
夕暮れの時に閉じ、花の命(いのち)は終わりを告げ、
余りにも儚(はかな)さを感じさせるので、
古来より『槿花(きんか)一朝の夢』と伝をえられている。

こうした一輪が花びらは、わずか一日で命を果てるが、
たわわな莟(つぼみ)からは、競演するように初夏から盛夏に向けて彩りとなり、
この時節にときおり私は眺めたりしている。

私は2004(平成16)年の秋に定年退職後、
年金生活を始めて、自主的に日常の買物担当となり、殆ど毎日のように独りでスーパーなどに行ったりしている。
こうした時に、住宅街の中の道を歩いたりし、
その後は川沿いの遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

一昨日、いつもりように買物に行った時、住宅街を歩いていると、
あるお宅の庭先で宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が咲きはじめていた・・。

私は宗旦木槿の底紅で白い花で、
心澄んだ気品を秘めたような花と感じながら、少なくとも16年は過ぎている。

私が50歳の頃までは、公園、ご近所のお宅にも咲いていたと思われるが、
意識させられたのは、一冊の文庫本であった・・。

今は亡き作家・山口 瞳(やまぐち・ひとみ)さんの作品を
確か1985〈昭和60〉年の頃から愛読してきた私は、
たまたま1994(平成6)年の夏、氏の『男性自身 木槿の花』(新潮文庫)を読み、
亡くなわれた作家・向田邦子(むこうだ・くにこ)さんへの鎮魂曲のように綴られた随筆を読んだりしていた。

この随筆を読み終わった後、白の花の木槿、と綴られていたのであるが、
向田邦子さんの作品であったなら、宗旦木槿が相応しい、と私は勝手に思い重ねたりした。

この時以来、私は宗旦木槿を見るたびに、山口 瞳さんの随筆に導かれて、
向田邦子さんの顔立ちを思い浮かべながら、
向田邦子さんの数多くの遺(の)こされた作品を甦(よみがえ)ったりした。

いつの日だっか、都立公園で丹精込められた五種類ばかりの彩(いろど)り豊かな木槿を観たが、
近くのお宅で、さりげなく咲いている宗旦木槿の方に、遥かに魅了される。

このような思いを私なりに秘めているので、
山口 瞳さんの数多くの遺(の)こされた小説、随筆の作品、
そして向田邦子さんの数多くの遺(の)こされた小説、随筆、テレビドラマ・脚本の作品、
散策をした時などで、不意に私の心の片隅みから蘇(よみが)ってくることがある。


このような心情のある私は、いつの日にか我家では宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)を植えよう、
と思っていた時、
2007(平成19)年の夏に、伊勢神宮に近い鳥羽の観光旅館で、
滞在型の団体観光ツアーの旅の帰路、
道の駅のドライブ・インの売店の外れで、偶然に木槿(ムクゲ)の幼い樹を見かけたのである。

簡素なビニール鉢に入り、樹高が20センチ足らずで、花芽は5つ前後付いていた・・。
値段は確か200円程度であったと記憶している。

そして売店の販売員のお方に
『宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)は、ありませんか?・・』
と私は尋(たず)ねたのであるが、
無念ながら、販売員のお方は花木に全く無知の方である上、観光バスの出発も迫ってきたので、
妥協して購入したのが、高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)であった。

帰宅後、地植えにしたが、かぼそい樹形であったが、
夏の終りの頃まで、10数輪咲いてくれた。

そして毎年成長して、3年過ぎた初夏に、
樹高は2メートルを超えて、100輪ぐらい花を咲かせ、私は悦んだのである。

私はここ20数年、樹木・花木・草花は、
太陽の恵みの陽差し、そして雨、その地の土に馴染んで成長しなさい、
と身勝手な主(あるじ)の私であるが、
この高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)は、孤軍奮闘し私の期待に応(こた)え、勢い良く成長してくれた。

私は木槿(ムクゲ)に関して、底紅で、花びらは純白の色合いの宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)に、
気品ある美を感じて魅了されているが、
缶ビール1本に満たない価格で、成長している高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)が意地(いじ)らしく、
愛着を深めたりしている。

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