夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

若き40歳頃の夢のひとつは、はかなくも・・。

2010-07-18 15:50:44 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身の私であるが、
私達夫婦は子供に恵まれず、築後33年の古惚けた一軒屋に住んでいる。
住宅街のはずれで、小庭は雑木の多く、草花は和花が多くなっている・・。

私が若き40歳の頃は、ひとつの夢を見たことがあった。
この頃の私は、数多くのサラリーマンと同様に、
中小業の民間会社に勤めていた私は、満員電車に揺られて会社に出勤し、
終電まぎわまで奮闘していた。
そして、ときには深夜の2時過ぎ、或いは徹夜となったり、休日出勤をしたりしていた。

私の勤め先は、あるレコード会社で、この当時は情報畑であり、
他社にコンピュータの処理、運営を委託していたが、
管理全般の見直し、省力化、経費の削減の一環として、
自社処理として、開発業務に私達一同は、それぞれ奮戦していた・・。

9ヶ月過ぎた頃、何とか軌道に乗り、運営も3ヶ月過ぎれば安定した頃、
解放感のある地方の山里に、と漠然に思いを馳せたりした。

たとえば八ヶ岳の別荘地の分譲地などで、
のんびりと生活することを夢想したのである。
しかし私はサラリーマンの身であるし、住んでいる一戸建ての住宅ローンがあったので、
収入を別途に挙(あ)げる自信はなく、断念した。

50代の後半になると、山里に300坪前後の土地を求め、
雑木林の中、平屋建ての30坪ほどに住むことも考えたりした。
この当時となれば、何とか住宅ローン等の返済は終わり、負債も無く、
定年退職後の年金生活でも、何とか生活出来ると思ったりした。

都心の外れに住む私達は、
日常生活の買い物、交通・病院などの利便性で家内から反対された。
『貴方の好きな本屋さんだって、今は歩いて行ける範囲よ・・
まして、買い物だって・・』
と言われた。

もとより読書好きな私は、何かと本屋に寄ったり、
或いは好きな音楽CDとか、映画のDVDを購入する店など、
店内を見て周り、興味を持ったのに手を取ったりして、購入したりしている。
こうした空気が私は好きなのである。
そして、洒落た居酒屋もときおり、欠かせない・・。

『貴方、60代の元気なうちは良いけれど、
70代頃からの体が弱ってきた時の事も考えて・・』
と家内に言われたりした。

確かに山里に住めば、自動車は必須事項だし、
買い物も一週間まとめて購入し、大型冷蔵庫に保管し・・と思ってきたが、
体の弱った時と都心の外れの文化と利便性には勝てない、
と断念した。

こうして私のあさはかな夢も消え、
私達夫婦の共通趣味は若き新婚時代から国内旅行であり、
定年退職後は少し長い日数で各地を訪れたりしている。
そして、その地方の風土、文化を考えたり、
或いはその地のお住まいの人と何気なしに談笑を重ねたりして、
街中、郊外、そして山里を散策することが圧倒的に多い。


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『2000円札』、私なりの想いは・・。

2010-07-18 08:24:14 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、ニュースをネットで見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、
時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】から配信された記事をを見て、
思わず苦笑させられたのである。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
    二千円札、普及進まず丸10年=薄れる存在感、健闘は沖縄のみ

2000年の九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)開催に合わせて導入された二千円札が、
19日で発行から丸10年を迎える。

流通量は2004年8月末のピーク時に5.1億枚を記録し、
五千円札を上回ったが、その後は低迷。

2009年度末には1.1億枚と紙幣全体の0.3%まで落ち込んだ。

二千円札に描かれた首里城「守礼門」がある沖縄県では健闘しているものの、
高額紙幣が使いやすいという日本特有の事情や、
旧来のお札に比べたなじみの薄さから普及は進んでいない。

「2」のつく紙幣は海外では一般的だ。
2008年末のデータによると、米国では20ドル札の流通シェアが100ドル札と同じ23.1%。

欧州でも20ユーロ札が20%あり、
英国に至っては20ポンド札が半分以上を占める。

日銀発券局の清水紀男局長は欧米の状況について
「偽造対象になりにくい中・小額紙幣が好まれるのでは」と指摘する。

ところが、紙幣の偽造防止技術が高い日本では、
海外に比べ偽札事件も少なく、高額紙幣が安心して使える。
「一万円札と千円札で事足りてしまう」と、
清水局長は二千円札の需要が伸びない理由を解説する。

また、金融機関の現金自動預払機(ATM)では、
沖縄など一部の地域を除き、預け入れはできても払い出しの対象になっていない場合が多い。
大半の自動販売機で使えないことも普及を阻む要因となっているようだ。 

7月17日14時8分配信 時事通信
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/bank_of_japan/?1279353204
☆【時事ドットコム】 二千円札、普及進まず丸10年=薄れる存在感、健闘は沖縄のみ ☆


私は2004(平成16)年の秋に定年退職後、日常の買物担当となり、
殆ど毎日、スーパーに行ったり、ときには郵便局で健康保険、市民税、固定資産税などの振込みを窓口で依頼する。

こうした時、郵便局のお釣銭は『2000円札』が混じることが多く、
『2000円札』かょ、と感じることが多い。
この後、スーパーか煙草を買い求めにする時は、
『2000円札が入っていますょ・・』
と私はひと言、言葉を重ねた支払ったりしている。

私は受け取る人の1000円札と2000円札と瞬時に間違う誤解を避けるために、
余計なひと言を云ったりしている・・。

しかし、この後の私は少し反省をすることが多い・・。
私は何故かしら、この2000円札を見ると、
亡くなわれた小渕恵三・元首相の真摯な顔立ちを思い浮かべてしまうのである。

小渕恵三氏の生涯を余すことなく深淵まで描ききった佐野眞一・著の『凡宰伝』(文春文庫)を、
私は読んだりし、小渕恵三氏への評価を改めたのである。

小渕恵三氏は学生時代の頃から沖縄問題に強い思いを寄せ、
政界の要職の時から沖縄への手厚い振興策を実施、
そして総理の時にあえて沖縄サミット開催の決断に私は好感してしまうのである。
氏は無念ながら、開催前に志半ばにして急逝し、
憎めなかった総理だった、という思いがある。

私は太平洋戦争の末期、沖縄は日本本土の防衛の防波堤となり、
民衆まで巻き込んだ過酷な地上戦を行われたことに熱い涙を流すひとりなので、
私なりに沖縄には深い思いがある。


こうした心情であるので、『2000円札』が見かけなると寂しく感じる時ある。
そして、首里城「守礼門」の絵柄を見たりすると、
この『2000円札』は、少なくとも沖縄県では永久的に流通させ、
本土の日本人は、沖縄列島の悲惨な功績を忘れない為に、ときおり見かけ、
感謝の心をささげるひとつ意味合いの『2000円札』と思ったりしている。


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