夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『節分の豆』のひとつには、思わず鬼も退散・・!?

2010-02-03 15:28:08 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
歯の治療を10時に駅前の歯科医院に予約していたので、
9時を少し過ぎた頃に出かける前、家内にから、
節分用の『恵方巻』と『豆』を買い求めるように依頼されたのである。

晴れ時々曇りと予測されていたが、私が川べりの遊歩道を歩いた時は、
曇り空で6度前後であったので、少し寒く感じられていたが、
残り雪も見られて、凛とした情景にふさわしい、と私は微笑んだりしていた。

歯の治療を終えた後、駅前のスーパーに行ったのであるが、
店内は『節分の日』にふさわしく、「福 節分豆」はもとより、
「福 恵方巻」が五種類ぐらい、「福 いわし」、「福 節分そば」などもあり、
そして「鬼ごし」の日本酒の銘柄も販売されて、私は苦笑したりした。

節分の豆を買い求める為に、コーナーに寄ったが、少なくとも10種類以上が置いてあり、
私は迷ったりしたのである。
そして右側を何気なしに見ていたら、ひとつの品を手に取り、
《 出羽三山
    羽黒山伏祈願
           今年も まめで幸せに 》
そして左下には、
《 小袋ごとまいて かたづけ簡単!! 》
と明記されていたので、プラスチックの小袋が数多く入っていて、
それぞれの小袋の中には可愛らしく10何粒が入っている・・。

http://www.denroku.co.jp/trivia/setsu_goods.htm
☆ でん六 節分企画商品 出羽三山 羽黒山伏祈願 ☆


この小袋福豆で我が家の居間の板の間、和室の畳の上などに蒔(ま)いても、
食べる時は小袋を破れば頂けるので、衛生的である。

その上、お手玉代わりに遊べるし、日頃から苦手な方がいたら、鬼はそ~と、と叫びながら、
5袋ぐらいの小袋を投げつければ、それなりの迫力があり、
鬼だって思わず降参となり退散するに違いない、と私は確信し購入したのである。

そして、平素の一合枡に入れた豆まきより、百倍楽しいと思いながら、帰宅したのである。


このように戯(たわむ)れの多い年金生活の私でも、
幼年期、多忙なサラリーマンの時代には、それなりの深い思いである。


農家の三男坊と育った幼年期の頃は、
【 『節分の日』豆まきの想いで・・♪ 】
と題して、2008年2月3日に於いて、あるサイトに投稿している。

【・・
私は昭和19年に東京の郊外で農家の子として生を受けたが、
私の幼年時代の頃は、『節分の日』には最寄の神社の高台で、豆まきをしていた。

神社といっても、村の住民で維持管理されている小さな神社で、
この時節も殆ど人影のないところであった。

それぞれの家長が一升枡の中で半紙敷いて、自宅にある大豆を軽く炒った豆を三割方入れ、
夕暮れになると、大声で、
『ふくわう~ち!!・・おにはそ~と!!・・』
と叫んでいた。

私の住んでいた家から、少なくとも300メートルは離れていたが、
家の中で居ても充分に聴こえたのである。

『お父さん・・あの声・・XXさんの小父さんだね・・』
と私は父に確認したりした。

『だけど・・あの小父さん・・去年より・・豆まきをはじめる時間・・少し早いね・・』
と私は得意げで父に云ったりしていた。

我家でも、祖父が神社に行き、豆まきをして帰宅する頃は戸締りが終わっていた。

夜の7時頃には、雨戸、廊下づたいにある和室の障子などをすべて開け放ち、
『福はう~ち! 鬼はそ~と!』
と父は平素より遥かに大きい声で、外に向かって叫んでいた。

この後は、雨戸、障子などをすべて閉め終わった後、
私は次兄と妹たちとで、部屋の畳の上、縁側の廊下にまかれた豆を拾い集めたりしていた。

そして、五合枡に入れた豆を、
『齢の数だけ・・食べてもいいわよ・・』
と叔母が私達に云った。

私は、7つだけか、と云いながら、
兄達の手には私より多くあったので、
おまけと云いながら、こっそりと二粒ばかり余計にとった。

このような祖父、父達に囲まれて、楽しげな年であったが、
翌年の早春に父、晩春に祖父に死去され、我家は没落をしはじめた・・。

・・】


そして、サラリーマンの現役時代には、
【 真夜中の豆まき・・。 】
と題して、あるサイトに2005年2月3日に於き投稿している。

【・・
今から10数年前の頃であるが、私はサラリーマンで数多く人と同様に多忙な身であり、
帰宅できたのは、夜の11時30分過ぎだった。

洗面所で顔を洗い、パジャマ姿になると、12時近かった。

家内が
『深夜ですので、年の数だけ豆を、頂きましょうね』
と云った。

私ももっともだ、と思ったが、仕事で遅くなったんだから、
と素直に納得出来なかった。

『今からでも、遅くないょ・・』
と私は云いながら雨戸を開けた。

『福はう~ち! 鬼はそ~と!』
と私は真摯に大きな声で庭に向って連呼した。

周りの一軒が台所の窓が開き、
そして、まもなくもう一軒のお宅では、ベランダのガラス戸が開いた。

XXさんの所、今頃何をやっているんだ、いうような仕草が遠くからも解かった。

しかし、良きことの行事に対しては、
ご近所の皆様からは、クレームがなかったと、後日に家内から聞いたりした。

・・】


このような私なりの思いでがあったが、
心の隅に残って折、この時節になると、思い出しながら苦笑したりしている。


尚、上記に添付した『でん六』の会社とは、
我が家の親族、親戚を含めて関係がないが、微笑みを頂いた節分豆なので、あえて掲載した次第である。




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我が家は残り雪、そして白梅は七分咲き・・。

2010-02-03 07:58:10 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の6年生の65歳の身であるが、
まばゆい朝の陽射しを受けて、ぼんやりと玄関の軒下で煙草を喫いながら、
玄関庭にある白梅の七分咲きを見惚(みと)れたりしていた。

主庭は隣家のマンション影響で、この時節は半日ほど陽影となっているので、
白梅は膨らんだ莟(つぼみ)であり、紅梅は固い莟の状況である。

昨日の朝、わずか5センチばかりの積雪があり、
雪かきをしたりした後、昼下がりには大半解けだして黒土となっているが、
主庭の半分ぐらいは雪が3センチぐらいの残っているのである。

家内は、ご近所は雪が解けてしまっているのに、
と今朝も私に云ったしていると、
『これほど贅沢な景観はないよ・・庭の半分ほど雪があり、半分は黒土だし・・』
と私は微苦笑しながら、云ったりしていた。

この後、玄関庭に下り立ち、
朝の陽射しを受けた白梅の花が、ときおり微風が吹くと、
かすかに花びらが揺れて、まぎれない美を私は感じたりしている。

朝方は清麗を感じ、昼下りの陽射しの中では早春の訪れを実感し、
夜の薄闇の中に白き花が浮かんだりした情景を眺めると妖艶さも感じさせる
多彩な花であるが、
私は四季折々の花木の中で、特に魅了される花のひとつである。


このような思いになると、私は俳句を詠(よ)む素養はないが、
昨年の今頃はたわむれに一句を脳裏に浮かべたりし、詠んだりしたのである。

凛(りん)として ほのかに匂ふ 梅の花

恥ずかしながら詠んだが、拙(つたな)さがあり、
やはり私は散文で綴る方がよい、と微苦笑したことを思いだしたりしている。
そして、煙草を喫いながら、早春の陽射しを受けた花びらを眺め、心酔しているのである・・。

この後、主庭のテラスに下り立ち、残り雪に朝の陽射しを受けた美景に、
はかなさを感じながら、まぎれない美かしら、と見惚れたりしている。




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