年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

陽光あるも寒い日

2015-10-31 19:41:02 | Weblog
 余裕のある生活をしているとは思えない妹の家庭である。時間的にも経済的にでも。その妹が定番韓国海苔とくるみ饅頭を土産にやって来た。サンキュウサンキュウ・・・ところで今回は何しに行ってきたんや?と聞くと、食い意地旺盛なところが若い時と一向に改まらないのか。美味しいもの食べに行っただけよ・・という。

一昨日はSUWON(水原)で焼き肉を食べたけど美味しかった・・ニイチャンも食べに行ったらいいのに、一人分でもテーブル一杯に野菜やら肉など並べられるとそれはもう食べきれないほど・・などとのんきなことを言っておる。SEOULから特急電車に乗って30分のところ、もちろん一人で食べてきた・・などとうまそうな話をしておる。一体何回行ってるのか?と聞くと30回は超えてるやろ・・母親を24歳の引き揚げ時まで住んでいたINCHEONに連れて行ったのをスタートにして以来、家族と一緒に行ったりしたが、あとほとんど で一人で遊びに行っているような按排である。簡単な韓国語や英語以外は日本語で会話しながら一人で地下鉄に乗ったりバスに乗ったりして食べまくりツアーをしてるなどと聞くと呆れてしまった。明日からの日中韓首脳会談につき、なんだかソウルの空気も少し違ってたヨ・・とか。勘違いしたらアカン、うちらは日本人だからなぁ、韓流などと流されてはアカンと云ってはみたが。学生時代から全国どこにでも一人で飛び歩く習性は一向に収まらず、さぞかし妹家族も怒り心頭であろう…と思うも旦那や息子娘から、オカァさんが生き生きと旅行をしてる方が安心するから、皆で行っといで、ゆっくりしておいで・・などと送り出される・・らしい。コマッタ不良オバハンである。

 ハロウィンとか、昔はなかった行事ごと、近頃仮装して楽しむことに理解が届かない。何が面白いんだろうか、とも思うが仮装を見てると確かに日常を脱してるからこそ愉快なんだろう。それよりも今日は寒い。羽毛服ジャージを羽織って過ごす。

喋りっぱなし

2015-10-30 20:34:56 | Weblog
 明日の予定は?などと布団の中で考えてたのが昨夜・・、アレアレ確か明日はお喋りの日ではなかったかと、スマホのカレンダーをチェックする。と、やっぱり明日は、講演会と記されているではないか。時間は夜の9時過ぎ。風呂に入るのも面倒くさくなり布団に寝転んで、やっとやっと文春文庫から出された平岩弓枝「新御宿かわせみ」を開く。
 読みながら明日のことが気にかかり調べたワケ。どうしようか・・と一瞬考える。エ~イあしたあした。朝早く起きて考えようか・・と今朝6時起きで考えた案・・は考えたところでいつものパターン。それでいいのである。聞く人が毎回異なるので同じ話でもいいのである。

 昨夜の日本シリーズをラジオで聞いていればソフトバンクが勝った。ウン、じゃこれでいったろか、王会長の話を絡めて最初失敗したけれど努力により一本足打法を完成させた。のサクセスストーリーありきたりの内容で勘弁してもらおうと・・・。ジツハ今まで王選手に2回お会いしたことがある。最初は当地で、現役時代の王選手自身の打席に立った時の相手投手からの球筋を記録するために個人的に雇っていたスコアラーが知人にいて、その関係で、2回目は倉吉市で。だから記憶しているものを吐き出そうと頑張った。

 60分のおしゃべり会が終わると、至急昼飯抜きで協力雇用事業所へ挨拶のために訪問。刑務所所長に主席に統括さんの4人で。とにかく現在官をあげて就労の支援をやっている。私もそのお手伝いをやらねばならない。よって「仕掛けていく作業」がこのところ続いている。
 平岩弓枝「御宿かわせみ」「新御宿かわせみ」シリーズを愛読して数年が経過する。この文庫本を読む目的に、自分の集中力涵養なるものがある。それで、改めて思うのに全く集中力がないことが分かった。眼は活字を追い頭の中は別のことが住み着いておる。もしかして老いに至るバロメーターかもしれない。

ドライブに連れ出す

2015-10-29 19:10:24 | Weblog
 良い天気が続く。しかし母親の部屋に入るとカーテンが閉まったまま。ベッドに横たわっているだけ。朝の11時、私の顔を見るなり、どっかへ連れてってくれ・・と云う。上天気が続くものの1日中ベッドに横たわり何か用事がある時だけベッドから離れるのみの繰り返しにつきストレスが溜まりにたまってるんだろう。お出かけは、東西南北今日はどちらがエエの?と。で、北の方向に・・・とのこと。

 車で海岸線に沿って走ることにした。瀬戸内海を見ながら、気持ちがいいねェ…の連発。

 北条の道の駅にて昼食。鯛ごはんや卵焼き、豆やサラダなどゆっくり口に入れている。美味しいねェ…の連発。次いで3男や4男がよく試合をしていたサッカー場を見ると、そう・・二人ともここで試合をしてたのかと(@_@;)…の一言。

 造船所の町を横にして、来た時の海岸線から帰り道は山際を通り、そして満水の石手川ダム湖を眺めて帰ることに。
 今夜はぐっすりと眠れそう・・・などと云って喜んでくれたようだが、果たして疲労度はいかがなものかと心配。94歳の母親のドライブ日和であった。
 ○○子は帰ってきたのかと・・尋ねられてもワカラナイ。妹に電話をすると、アララこの呼び出し音は韓国だワ、まだ帰ってない様子。切ると向こうから国際電話が入ってきた。なんか用事?今ソウル、電話料金高いから切るよ・・とすぐにプッツン。奥さんは10時過ぎには義母の病室にいるよ、と義母の携帯から電話あり。私の携帯自宅に忘れた・・などと。みんな何やっとんじゃい!などと怒り心頭・・となるほど私も若くはないようだ。3人ともにそうかそうかの聞き役ばかり。

こみいった相談

2015-10-28 00:00:00 | Weblog

 相談室に入って来るなりメモ用紙を私に見せた。読むと走り書きにした「生きて死にたい」と書かれてあった。そのメモ紙をバッグに入れて持ってきたのは、それを書きなぐった子供さんの母親である。慌てた表情でどうすればよいか・・・と。

 このような相談者に共通してるなぁ、と思うことの一つに子に依存する親の姿が浮かぶ。常に子は自分の思うような子でなければならないなどのビリーフを持つ。よってこの問題よりそのことで動揺する親の方に焦点を中てて聴くことになる。

 …すると「私」が育てられた背景の方に質問を集めることへ移動。そして、その「私」と私の「子」の関わり合いへと・・・。もちろんこちらからアドバイスを送ることはない。事象が具体的に一つのことであっても受け取り方や感じ方、解釈は人それぞれ無数にある。あることに限定されるとチトしんどくなる。

 水曜日は私の「こころ塾」出勤日につき、スタッフが強引に私の方へこみいった相談事がある人を回してくるから難儀なことだ。次は若い女性だから是非に・・と云って回ってきた人。大学を休学すること2年、通学していたのはたったの半年。
 DAIGO語風に対象者から喋ってもらうことにハマっておる。
 どうも近頃、聴く自分は椅子に座って聴くより立って白板に書き込みながらまとめる作業の方がやりやすくなった。ワケはたんに腰が痛くないから。でも10分も立ちっぱなしでいると今度は足が痺れ始める。困ったもんだ。
 夜のフェリーで妻が再び入院中の義母の病院へ付添いのために出発する。出かける前にフェイスタオルにバスタオルをリュックに詰め込んでいる。どうした?と尋ねると船の銭湯が気持ちよかったから入るんだとか・・。
 港まで送って帰ると10時も過ぎていた。なかなか寝付かれないようだ。布団でごろんと横になっているとメールが何通も入ってきた。Aさんからだ。う~んう~ん・・・でも柔らかな内容にいい夢を見ることが出来そう・・。

いっ時の滞在

2015-10-27 00:00:00 | Weblog
 義母の付き添いをしている妻が所用のために一時病院を離れることになった。といっても数日の予定。所用とは次月予定している弟の1周忌法要のことでその段取りやら、本人の役所関係手続の必要があるために2~3日帰宅することに。早朝フェリー乗り場に迎えに行く。

 6時入港につき朝早く5時に家を出る。

 普段の日だからであろうか、下船する人は少なく、トラックなど車は一杯であった。

 今日の相談室に連行された人は、二人とも年齢40歳の障害者手帳を持っていた。いずれも精神的疾患を持ち投薬治療を受けていた実績がある。一人に眠れるか?と訊くと、「ハイ」とうなづいた。もう一人の人は、「それは若い時のことですから」と話した。今、再犯者の中にいるいわゆる累犯障害者が隠れた問題であると思う。

 午前の温かくいいお天気が午後になると急に崩れ、黒い雲が覆いかぶさってきた。風雨が襲ってきた。でも時間がないことを理由に、傘をさしてお墓の掃除に行く。風が強く傘をさすことができない。さっさと30分ほど雑草を抜いたりして終了。

 ツワブキの黄色い花が精いっぱい至る所に咲いておる。


新聞を読むと

2015-10-26 19:39:16 | Weblog
 全国紙や地方紙、経済新聞に流通新聞や産業新聞の5紙を取っていた時期もあった。当時どのような読み方をしていたのか思い出すことができない。産業新聞や流通新聞は当時週に数回の発行だったから毎日5紙というわけではなかった。ところが現在取っている新聞は0。何も取っていない、妻の事故時に1紙のみ取っていたがそれも止めた。理由は現場の記者の取材力の疑問と評論家風の記事と社の人より外部原稿買入れ記事増加のエエ加減さが面白くなくなった・・などと理由をつけたいところであるが、単に読む時間と読む心のゆとりが無くなったことにつきる。ところが・・ご近所のHさんがいつものガゼボで地方新聞を読んでいるのをまわし読みをさせてもらったところ、懐かしい名前の歌人が紹介されていた。彼女の名前を「道浦母都子」という。反戦歌人である。このブログにも数年前に書いたことがあったがいつ頃かは忘れた。代表作に  がある。
 哀しみの裏の一直線の孤独を感じる歌が続いている。
 この本どこへやったかとしばらく探すも、不明。かわりに今まで探していたけれど見つからなかった本が見つかった。
妻が移動図書館で借りた本は、さだまさしの「風に立つライオン」。
 歌手さだまさしの歌。
♬ ♬ ♬

♬ ♬ ♬
 これは4男が学ぶ大学で、モデルとなった柴田先生、上記の「僕」から講義を受けたとか。自分はなぜ医療の現場を目指したのか、これからの医療はどうあるべきか・・・のインタビュー集。その本はこちらの「風に立つライオン」。この本を本箱の隅で見つけた。
 さだまさしの唄の主人公「僕」も辛さの裏の一直線の強さと孤独さを思う。

 朝5時過ぎの東の空は、暁を超えて東雲。

 吉兆草が咲いてる。何か良い知らせの前触れだろうか・・。

 夕刻確かに美味しい報せがあった。知人のシローさんが自宅裏で栽培しているヒラタケを持ってきてくれたのである。さっそく茸をオーブンでマーガリン焼きにして、やんごとなき一人晩飯をかきこむ。今夜10時の船便で帰ると妻からの連絡あり。帰っても数日でまた奈良に舞い戻る予定。義母はまあまぁ落ち着いているとのこと。

ウヌ・・動かない

2015-10-25 20:34:05 | Weblog

 フジバカマの小さい白い花が咲いている。
 日曜日の午後はいつものように久谷の坂を上がって久万高原町へ行く。行く途中、農作業に精を出すご婦人に出会った、休みの日もよく働く方々である。

 草刈り機で畔の草を払う人、奥の方には奥さんだろうか、鎌で草を刈っている。

 道路脇にも畑作業をするご婦人がいる。

 男の人はガードレールに寄りかかってお店の人と雑談をし、

 道路脇から畑作業を見下ろしているご婦人もいる。

 水車がゆっくりと回り、のどかな農村風景。


 そして帰り道、アレレこれはこれは・・・さっきと動きの姿がおんなじではないか。。。?ハテハテ
 車を降りて確認すると・・・ナンジャイな、これは、うまく作ってるなぁ、とやられた感じ。
 ここは過疎化が進む奥久谷地区である。

いつの頃から

2015-10-24 21:21:30 | Weblog
 確か3男が中3の時に校内の合唱コンクールがあって、その時に聞いた音楽に、♪ナイル川のカヌーに乗って~♬
と二部合唱で歌っていたことを思い出した。

 カヌーは流れに沿って静かに下るのがいい。
 介護疲れと呼ばれる事件が時々ニュースになる。振り返れば私も介護する側に立って何年になるんだろうかと指を折ってみた。弟が亡くなる昨年までは、母親も足が動いていたし少しは力を出すことができていたので、母親が中心となって私がサブに回り、私のサブに妻が回るような態勢であったものが、弟が亡くなる前年に母親が大腿骨を骨折し手術入院リハビリとなった。妻が母親の手術したその前年に交通事故入院手術リハビリをしていたことで、つまり私の周りで次々と入院生活を送ることになり、妹の手を借りながら私が中心となって、介護施設の直接介護支援を受けながらの対応となっている。そのような環境になる前までも弟については、1日おきの透析のために朝夕の病院送迎や買い物や話し相手をするくらいで自分自身の身体を使っての介護は少なかったが私自身の時間を大きく取られた。そして2年前からは妻の独り歩きができるよういつもそばに立っての見守り支援が必要になったのでこれまた自分の時間が削られた。
 そして今月から奈良の義母にも対応することが必要になってきた。近くに義兄がいるものの、過大に頼りにするわけにもいかず、義母にとってみれば息子より遠く離れていても娘の方が何かと便利なものらしい。それは私にとっても母親が私に話しかける内容と私の妹に対する態度との違いがあることからもよくわかる。でも義母にとってみればわが娘は障害者となっている。にも関わらず要求は健常者と同じ質のもので、妻にもできることの半分くらいを目指してやればいいものの被介護者側からの要求は、低くはない。被介護者を介護する人がもともと被介護者の対象であり、介護者が適宜必要となる。その最終介護者が私となるような構図。被介護者も身体の自由を奪われている一方で介護者は身体は自由であるが時間が奪われることで不自由の身となる。
 今夜は妻は下市口の病院に泊まりらしい。娘が食事介助をすれば完食、お薬も全部飲むんだとか、義母は看護師さんの言うことは聞かないらしい。
 日常の難儀さが少しずつ厚みを増しているようだ。こんな時はゆったりと時間の流れに身を任せるほかないのかもしれない。

 暇を持て余す近所のハラちゃんやシンちゃんが、用事をする私に容赦なく オ~イと声をかけてくる。つまり、あそぼ~と。で、いつものガゼボのなかで初老の3人のお喋りタイムとなった午後。話の内容はいつの間にか衣服のことに。
 娘さんと同居するハラちゃんが話している。嫁と娘がうるさいのだそうだ。毎日着ているものすべて着替えることを要求されているんだとか。老臭がするから肌着からズボンやシャツすべて毎年新調したものを着るんだという。傍らにいるシンちゃんも言う。家内がスーパーの衣服売場に勤めているので、いつもバーゲン商品を買ってくるから着せ替え人形のように上から下まで新品を春夏秋冬穿いてるよ・・などと。で、疑問が残った。それでは前に着ていたものはどうするの?と。すると二人とも少しでもほころびが出たもの、色が褪せたものは即捨てるよ,との返事。そうかそうか捨てるのか・・・。我が身を振り返るとこの夏箪笥に入っていたシャツなど引き出しの中にあるの物の内9割は身に付けることなく秋冬物にかわった。2~3日着ては洗濯をする、そして1日で乾くからまたそれを着る穿く。となると2~3着もあればローテーションが回る。いちいち面倒くさくないか、着るものを考えるなんて・・と聞くと、だからお前さんはだらしない格好をしてるんだ・・などと云われる始末。自分はそれほどだらしない格好をしているつもりは全くない。しかし毎日シャツやズボンをトッカエひっかえ着替えることはまずなかった。汚れれば着替える程度。そこんとこ二人は汚れてなくとも毎日肌着は言うに及ばず、上下すべて着替えることに、エ~そうなのかとびっくり。そのびっくりしたというのは、着るものに注意をはらっていること自体にびっくりしたワケ。私の場合、外に出る仕事時のみが戦いの場となるからそれなりの格好をすれば十分であって、オフの時くらい薄汚れようが色があせていようが何を着ても気にならない性格につき、みんな年を重ねることの中にだらしない格好をしない・・などの不文律を守っていることに仰天レベルであった。そうかそうか自分も格好をきちんとしなければならないのか・・ア~アそれだけ考えなければならないことにストレスを抱えそうだ。

秋晴れが続く

2015-10-23 00:00:00 | Weblog

 どうも一人生活に慣れるに従い、あらゆることが面倒くさくなってくる。掃除洗濯ご飯のことで云えば、掃除・・はパス。しかし朝の横から入る陽の光が、容赦なくホコリを浮かび上がらせる。ついつい目を背けることとなる。洗濯などは、汚れ物を洗濯機の中に放り込むも、洗濯槽がほどほどいっぱいになれば回せばよい・・と思うとスイッチを入れることもない。そして食べることとなればあれほど食にこだわりがあった自分でも、まぁ1回くらいパスしてもエエやろ、などと判断してドリップで淹れるのも面倒くさくなりネスカフェコーヒーとあいなる。おやつの缶を引っ張り出して黒糖かりんとうをむせぼればそれだけで1回のご飯を強制終了となる。当然お風呂ともなればボイラーのスイッチを入れてからお湯を入れることを考えると、まぁエエかとパスをして車を走らせて温泉へ行く。そちらの方が手間時間がかかるだろうが・・。

 さくらの湯へ久しぶりに入浴。夜も遅い入浴ともなれば湯客も様々。私が上がろうとすると入れ替わりに背胸脚腕の全身に文身の入った30歳くらいの青年が5歳くらいの子供を連れて入ってきた。子供が楽しそうに父親と話をしながらお湯に浸かろうとしていた。普通の何気ない親と子のあり様である。きれいに彫った文身をみて、これは費用をいくらほどかけて彫ってるのか、などと値踏みをする自分に気がついた時、サッと湯から上がる。

 奈良の義母も思ったより調子がいいと、連絡がある。でも、車いすを使いリハに行くのに、車酔いをして吐いた・・とか。退院後どうしようか、の相談のことで云えば、体調さえ許せば、こちらに連れて帰りなさい、と私は云っている。もうこの際、妻の母も私の母も多くの人の手を借りながらでも、一緒に面倒を見ようかと考えてる。ただし、義母については橿原に住む義兄が退院後は介護施設に入れたいと考えているらしい。生身の人間をいとも簡単にバレーボールのボールの様にトスを上げて打ち合う構図だけはしたくないと思うが・・。

 近頃路傍の何気なく咲く小さな花が気にかかる。庭園に咲く高価な大きい外国産の花よりも、気がつかないような場所で小さく花びらを拡げて咲く雑草の方が気になる。

青い秋空が続く

2015-10-22 21:11:52 | Weblog

 自分を客観視するテストがある。MJSCTとよばれ臨床心理の先生方が利用している。一つの文章を自由に書いて完成させるものである。内容は 対象者が書きこんだその表を見る時に私が最も気にかかることに、自分はその内容よりも、字の強さであったり大きさであったりする。  今日の刑余者相談室に連行されてきた人は、予習をしていたのであらかじめのイメージは持っていたが、予想を超えて背は高くて頑強な身体であった。身長190cm、体重は痩せましたと申告をしているものの100kg近くはある。その対象者Aが書いている表を見るのに、字は薄く小さく乱雑に書きなぐっている印象を受けた。話を聞くと高校3年生の県大会までやっていたレスリングに負けて以来、学校に行く気にならず3年生で中退したとか。以後、仕事は造船工であったり、土木作業員であったりして糊口をしのいでいたらしい。昔看護師さんと結婚をするもさっさと離婚している。  Aがそのテストに書いている自分のことについて私も考えた。 子供の頃、私は仮面ライダーになりたかった。私が知りたいのは、生きる意味についてです。友達は私を友だちだと思っているのか?。私の好きなことは食べること。職場が面白くないのは、金が少ないこと。この頃私は、不安に思うことが多い。近所の人は、育ちが良い。嫌いなことは暴力。私の得意なのは、大食い。女の人は、可愛い。一番幸福なときは、子どもと遊んでいるとき。私が自信が持てないのは、自分に自信がないから・・・などと身体は大きく字は小さく短く、態度もデカく気は小さい印象を受けた。  元スポーツ選手に会うことが増えた。挫折してどうしようかと迷い道に踏み込んでいる印象である。勝つことだけを目標に頑張ってきたが挫折してしまった。以後の自分を作ること、展望が見えない。  Aの犯罪は、深夜アパートのベランダに忍び込んでの・・・破廉恥な内容であった。