年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

ささゆりの香り

2017-06-30 00:00:00 | Weblog

 久万高原町からIさんがやって来た。お土産はご自分の山に自生するささゆり。

 香りが部屋中に突き抜ける。

  ロープウェイ街のいつもの松山検番「乙鳥」の玄関先。2週間毎に活け替えるお花を今日目の前のお花屋さんのご夫婦が活け替えていた。奥さんがはさみを持ちご主人が車椅子に乗って指図をしている。

 60年前から営んでいる花屋さん、そのお二人とすっかり変わったロープウェイ街の街並みのこと、そして観光客のこと、また東雲中高等学校の門前につき、学生の変化のことなど行き交う通行人の横で雑談してると・・・
 オ~トットト・・・「こころ塾」では四半期会議の真っ最中やないか・・と慌てて遅れて参加することに。

 相談支援部門、福祉部門、企業部門、管理部門から3/12を経過したそれぞれの計画・目標・到達達成状況報告の発表を聞くことに。
 
 皆さん方のそれぞれの発表や意見を聞いたうえで、多くの企業や団体またグループを見たり聞いたりする中での自分が想うことや感じることを私の感想として最後に云わせてもらうことにする。

 日本産業分類の中で中分類にある8559番その他の障害者福祉事業の属すると思うわれわれの仕事。それらの事業者の話を聴くにつけ、福祉は儲からないとか、ブラック事業所だとかのあまり芳しいとは思わない内容の話がよく耳に入ってくる。素人集団が福祉の分野に企業=金儲けの対象として福祉の分野に参入している。だからこそではあるが、われわれ「こころ塾」はプロフェッショナル軍団として各自目指そうではないか。ではプロとは何か?一流を目指すことが当たり前、では一流とは何か?一流と比べる二流との決定的な違いは何か?そこそこの努力をして高い報酬や評価を望むのが2流だとすれば1流は、目に見えない過酷な努力をして、そしてより高い評価が手に入るものではないか、そうではないだろうか。
 たまに今この業界にいれば耳に入ってくるものは愚痴であったりブラックであったりするような2流ともいえないような3流以下のごとくのこと。今がチャンス、「こころ塾」を一流に作りあげようではないか・・・などとまともに四半期会議に出席していない自分が新しい理事さんや新しいスタッフさんがいる席で喋ることに。


 自宅に帰るとブラックといわれる事業所を入社して2ヶ月10日で今日辞めた奥さんとソフトクリームでお祝い。
 仕事を辞めるのにこんなに嬉しかったことは初めてよ~ だと。
 何が最もつらかったの?と訊ねると。社風のこと、スタッフのマナーのこと、非人間的な入所者の扱い方のことに我慢ならん・・あんなところサイテイよ・・だと。

野菜畑の仲間

2017-06-29 19:21:56 | Weblog
 山口県・綾羅木出身のTさんは遺跡発掘の仕事をする財団に勤務している。そのTさんは仕事を終えるやいなや、雨の時期につき病気発生のことなどが気になるのか、インゲン豆やスイカやトウガラシを植えているうちの自宅前にある畑に毎日出勤のごとくにまだ明るい夕方やって来る。

 Tさんは大学での遺跡発掘の勉強をして、それの延長に同じ仕事を選んで間もなく定年を迎える年台。その仕事にも少し飽きが来たようで畑を耕し野菜を作る喜びに今を見つけている。土に関することはお手の物、地味(ちみ)に関してはひとかどの見識を持っているが、人柄、性格は地味(じみ)そのもの。

 夕方、インゲン豆を引っこ抜きたいが、もらってくれないか・・と云われたので、遠慮なく頂いた。しかも袋いっぱいに。
 Tさんは遺跡調査の仕事と畑の間を一年中行ったり来たりの生活をしている。きっとうつ病などにはならないだろうと話しかけると、先日ラッキョウを4㎏漬けた。しかも漬け込む酢を求めて愛南町の工場まで買いに行った・・などと楽しそうに話してくれた。また、ナスのからし漬けを作ったところ、あまりにも辛くて奥さんから叱られてしまったなどのことも愉快に話してくれる。

 道路工事や建設工事が始まる前に遺跡調査があるらしい。それによると今愛媛県はかなりの数を調査中若しくは調査終了しているらしくこれから県内は建設ラッシュとなりますよ~とのこと。徳島県や香川県に比べて工事前の遺跡調査件数が圧倒的に多いとか。

 受刑者との相談を終え、その後身柄の行先を担当者と長い打合せをするとすでに時間は2時半が過ぎていた。契約時間を1時間オーバーしている。さっさと帰らねば。。。駐車場に戻ると車内からスマホの着信音が聞こえてきた。塀の中に持ち込むことができないものにタバコや通信機器があるために私はいつもスマホを車内に置いている。あわててドアを開けスマホに出るとこころ塾塾長からであった。緊急のようで・・・先ほどEAP契約先の〇〇社の△△さんがメンタル不調の社員を連れてやって来られた。ついては、どうも話を聴いていると・・生きる意味が解らなくなった・・とか、仕事する意味が解らなくなった・・とか言ってる。このような相談者です。スミマセンがあなたを相談相手として指名してきましたが・・いつの日の何時頃であればよろしいか・・だと オ~オ。しかし塾長も経営者らしくなってきた。一言、これは有料の相談になります・・だと。

二つのイベントのこと

2017-06-28 20:21:29 | Weblog
 「こころ塾」ができてこの6月で10年目を迎える。それで10周年記念行事をしようと、先日市内のホテルに予約を入れた。100人程度入ることができる部屋を取ってもらった。

 その実行員会を立ち上げた。そのための準備段階として理事のNさんに出席していただき事務局長と3人で大雑把な記念行事のつかみを共有することに。つまり大々的に外向けにするのか、あるいは内向けにスタッフと利用者を中心としてやるのか・・などの方向性の確認をする。あとは次月実行委員さんが10人ほど集まって打ち合わせをすることに。
 関係する機関や団体、病院関係、事業所、医師など外向けにやるのか、あるいは内向けに利用者さんや卒業され復職された方々、スタッフや少しの外側の人を招き入れてやるのか・・のことがある。そのようなことを3人で話していると理事のNさんが過去・現在を振り返り現状を分析し、その歩みを俯瞰した上で将来の希望を語り合えるような10周年にしたい・・と骨太の意見があったり・・。次月に実行委員を集めて数回打ち合わせをし決めようと。
 目的は何か?と考えたい。

 
 近頃思うこと。どうも、自分たちの感覚がおかしいのではないか、何かしら私たちの中に先祖から引き受けているDNAが何かしらの原因で、あるいはそれらからの誘因で書き換えられている、遺伝子が上書きされているのではないか、と思うことが増えた。我々日本人として生まれ日本人が伝来もつわびさびは云うに及ばず、勝ち負けや優位性や顔かたちのきれいさだけなどの形として現れるものしか知覚判断ができなくなっているのではないか、言葉遣いや、その人のたたずまい、美意識など、戦後バタバタした荒野のなかから脱出しえたところは砂上の楼閣に立ったうわべだけの目に見えるものにしか興味がなくなり、自分たちが代々受け継いできた“構え”の上に遺伝子操作されたのか、あるいは豊かさを物質に求めるあまりにスピードとか効率とかの評価を求めるのにすべて分母を時間として計算するような公式に当てはめているだけではないかと・・・じゃ何なんだ。
 こころ塾に行く途中のロープウェイ街を歩いていると欧米人らしき老夫婦がゆっくり静かに笑みを含んで、あたりを睥睨するでもなく歩く姿に気品を感じる反面、明るさだけが取り柄のような若い学生が横一列に歩道をふさぎぺちゃくちゃ喋り歩く姿をみて見知らぬ人への気遣いを忘れる所作に、この子らが社会人となる大人になれば、日本が終わったなぁ・・ほどの感じもする。


 例えば、今自分たちが計画していることに「塀の中の就職活動・合同就職面接会」がある。エライさんと(何がエライのかといえば、どのような役職名がついているか、だけであるが)打合せをして思うことに、彼がメディアに取り上げてもらうこと・・テレビや新聞に出ることが目的です・・と真面目な顔して私に相談を持ちかけてくるに至っては、間違ってるよ・・おかしいなぁと思うが・・。次のことに就職内定者の数字をあげてくれ・・などと云われると・・日本人終わったよ。


 目標は何かと?尋ねる。すると目立てばいいんです。が返ってきた。我々はやってます・・等、上部機関に知ってもらえばいいんです。かわれわれが大事にしたいと考える人としての品位が喪失してる。日本人終わったなぁ。

雨・・・

2017-06-27 00:00:00 | Weblog
 毎日何もすることもなくフラフラ~ウロロウロウロするようにご近所さんがやって来られ自宅のベルを鳴らす。〇〇さ~んおるかなぁ・・・話そうや・・と声をかけてくれる。ありがたくもあり面倒くさくもある。

 小雨も上がらないし畑も早急にやらなければならないことも後回し。駐車場のガゼボでHさんとお喋り会となる。Hさんの特徴は屈託もなく石原裕次郎を尊敬しており、なにあともあれ裕次郎を引き合いに出して、裕次郎だったらどうするか・・のことを政治経済日常生活茶飯事レベルまで落とし込んで話しかけられる。大変自分としては辛い時間を伴う。芸能人の映画の一コマから切り取ったイメージを膨らませ自分の理想像として掲げて、何もできない自分のウツセミを裕次郎にかぶらせて話しかける息苦しさやアホらしさに付き合う時間は難行苦行。Hさん年齢は60歳も半ば過ぎてる。これもご近所さんとのお付き合いだと思うとぶった切る不作法も遠慮せねば、と。会社面接応募書類等のことで尊敬する人に石原裕次郎と書く人が私の周りに二人いる。

 南予出身の大変人が良いと云われるHさんのこと、老人介護施設に長年勤務していた実績もあり、こと高齢者とのお付き合いを苦にしない。老人特有の頑固な価値観を持っているがゆえ、若い人とは対話ができないマイナスを抱えている。

 お付き合いのあるこの数十年の間の話は、山の話、石原兄弟の話、五木寛之の本の中では下山の思想のこと、孫の話、ご近所さんの噂話、あとは自分の兄さんや姉さんの話以外に見当たらない。時に新しい話も出てくるも、それは日がな一日テレビの前に座っているがゆえにテレビ画面から得た情報くらいで、つまり多くは思い出話、作られた?画像の中で生きていることに要約される。

 コミュニケーションにおいて一方通行のごとく自分の価値観を最上部におき、しゃべるのを聴く時、忍耐がいる。

 フト思う。アレレ自分も別の場所で同じようなことをやってるんじゃないか・・と。
 今日の塀の中の相談室のこと。
再び矯正施設に収容されることのなきよう、昨年まではオブラートに包んで話を聴きそれに応じて自分も話していたのに、近頃はストレートに云ってる。再犯するな・・あんたは幸福にならないといけない。そのためにはどうすることがいいのか、娑婆に出てどうしなければならないのか・・・というような私の“価値観”を前面に出して誘導している。
 きっと身柄の多くは、このオッサン何をエラそうに言うトンのか・・と受刑者にとってみれば難行苦行の50分に耐えているのかもしれない。私の彼らへの質問は結構黙考しすぐに答えてはくれないものが多い。静思しながら傾聴という聞き方の価値観が求められる・・・そのような悠長な時間は自分には限られている。受刑者が社会に出て幸福な生活を送るための支援に相手の言い分を(辛い成育歴のことや、いじめにあった仕事生活、お金に困っての窃盗、欲望むき出しの性犯罪、あるいは人を〇めるような・・)ダラダラと聞く時間は限定される。

 塀を出たのが3時。昼飯を食ってない。帰り道老人ホームにいる母親の部屋に顔を出すと妹がいた。親子3人でしばらくの時間を持つ。毎月どこかに行ってる妹の話、シンガポールから帰ったと思うと先週は大阪の友達といっしょに学生時代からの友人5人で和歌山・加太にある国民宿舎で女子会をして帰ったとか、楽しかったとか・・そのような話を聴いていると昼ご飯を食べるのを忘れ・・そして今夕行く予定にしていた拉致被害者の蓮池さんの講演会に行くことも忘れてた。

菩提樹

2017-06-26 00:00:00 | Weblog

 このPCモニター越しに見えるのが菩提樹。
  この樹に花が咲き、

 実がついた。


 シューベルトの菩提樹の歌はいつの日だったか音楽の教科書の通りに何気なく唄ってたが、その意味をこの年になって初めて知った。陰鬱な世界が広がりる時代にシューベルトが作曲してたことを。

Winterreise D 911
Liederzyklus nach Gedichten von Wilhelm Müller
--冬の旅-- ヴィルヘルム・ミュラーの詩による連作歌曲集
5. Der Lindenbaum 菩提樹

Am Brunnen vor dem Tore, 市門の前の 泉の側、
Da steht ein Lindenbaum, そこに一本の菩提樹が立っている。
Ich träumt' in seinem Schatten 僕はその木陰で見たものだった、
So manchen süßen Traum. とてもたくさんの甘い夢を。

Ich schnitt in seine Rinde 僕はその皮に刻み込んだ、
So manches liebe Wort; とてもたくさんの愛の言葉を。
Es zog in Freud' und Leide 嬉しい時も悲しい時も
Zu ihm mich immer fort. 僕はいつもその樹に惹かれていった。

Ich mußt' auch heute wandern 僕は今日も木の側を通って
Vorbei in tiefer Nacht, 真夜中に旅立たなければならなかった。
Da hab' ich noch im Dunkeln その時、僕は真っ暗闇にもかかわらず
Die Augen zugemacht. 目を閉じてみた。

Und seine Zweige rauschten, するとその枝たちがざわめいた、
Als riefen sie mir zu: まるで僕に呼びかけるように。
Komm her zu mir, Geselle, 「こっちへ来なさい、友よ、
Hier findst du deine Ruh'. ここにあなたの安らぎがあります」

Die kalten Winde bliesen 冷たい風が僕の顔に向かって
Mir grad' ins Angesicht, 正面から吹いてきた。
Der Hut flog mir vom Kopfe, 帽子が僕の頭から飛んでいっても、
Ich wendete mich nicht. 僕は振り返りはしなかった。

Nun bin ich manche Stunde いま 僕は何時間も
Entfernt von jenem Ort, あの場所から離れたはず。
Und immer hör' ich's rauschen: けれど僕にはずっとざわめきが聞こえたままだ
Du fändest Ruhe dort! 「あなたはここで安らぎを得られたのに!」


 菩提樹の花言葉に「夫婦の愛」とあるのをつい先日亡くなった奥さんの麻央さんとご主人の海老蔵さんを重ねてみた。

 陰鬱の時代だと思う。何かしら今まで育んできた心とは異なる方向に世の中が進んで行ってる暗さを想う。力だけが正義の斧だというように振り下ろしくる。勝ち負けの、美と醜の、公正さと不正、善と悪と、道徳と背徳と、優しさと厳しさと優秀と拙劣との間に雲がかかるかのように時代が変わって来てるように。

 こんな夜は笑って眠りにつく方が健康的。ついこの前までは横山やすしと西川きよしの漫才を何回も何回も同じネタを見て笑って寝てた。先日からは、綾小路きみまろさんではなく、頭のてっぺんで髪を丁髷の様に結い、丸眼鏡・フリルのブラウス・蝶ネクタイ・幅広のズボンという出で立ちで、ウクレレを弾きながら自虐ネタ漫談を披露するぴろきの漫談Youtubeを見て笑いながら寝ておる。

「河は眠らない」

2017-06-25 00:00:00 | Weblog
 昨日の移動図書館バスでは奥さんが前々から注文していたマンガ「キングダム」の14-15巻(現在46巻更に続行中らしい)を借り受けたついでに私も手に取ったのは懐かしい名前、開高健さんの本。
 『確かにそうだ。河は眠らない。人が、夜、寝ている時も流れ続けている。遠いアラスカで、南米のジャングルの中で。流れ続けるその川の中に、あの時逃がしたキングサーモンや、黄金のドラドが、今も泳いでいる。小説家は眠りながらその夢を見ている。(中略)「河」とはこの小説家の心そのものなのだ。それでいい。』

 40年ほど前になるんだろうか、釣師、ベトナム戦争従軍記者として自分は記憶しているが、それよりももっとも気に入ったのは、レストランでの品書きを説明受けるのに、じゃ講釈のいらない食べ物をくれ・・と云い放ったこと。

  開高節が突き刺さる。





 骨が太い・・・
そう云えば開高健さんは、従姉妹のヒロコの先輩やったよなぁ確か。



 天気が良くない一日。畑の草とりをしていると雨の上がった時間、近所の子供が裸になって増水した小野川で遊んでた。

そして開高節がさく裂するのに、「筋子、明太子、数の子、女の子と子の付く食べ物には気を付けること」と得心あり、「何かを得たら、何かを失う。失った時、その大きさに気がつかないだけなんだ。」とある。


今夜はカレーじゃ

2017-06-24 00:00:00 | Weblog
 友人のT君が入院している。それを知ったのは一昨日の夜の就寝前のいつもの電話から。相手の話し声がいつもと違って低くぼそぼそと喋っている。よ~く聞けば今病院のベッドからだと言った。どうしたん?と聞けば胆石の手術が明日あるという。じゃ明日行くよ・・というと来んでもええ!というではないか。

 気にかかる。今日の午前にちょっと顔を出してみようと・・昨日私が講演をしている時間帯に手術をしたはずだ。結果はどうだったのかと、息子の専務に連絡すると、・・・今ICUに入ってマス、今日たぶん一般病室に移ることができるやろう・・オヤジは結構大きなものから小さなものまでジャラジャラと石が出てきたみたい・・などと説明してくれた。お腹にお金を貯め込むより石をため込む癖があるみたい・・などと云ってる。早くて入院は1週間の予定です。とか・じゃ今日は行くのを延期しようと・・それでは畑仕事をしようと予定を立てていると、タカシちゃんから、お~い移動図書館バスにおるからアンタも来いよ・・お茶しよ・・と。ハイ予定変更の再変更。

 スーパー内100円紙コップコーヒーを飲みながらの話題は、歌舞伎俳優の市川海老蔵の妻、麻央さんが亡くなったことについて。① 奥さんが最後に言った言葉、「愛してる」と。そのことについて、どう思うか?そして幼児二人を残して逝った母親の気持ちは?、② 子供の今後は?などのこと。

 ①についてタカシちゃんは早速奥様と話し合ったのだそうだ。すると、タカシちゃんは、あれはきついなぁ・・と云うではないか。ウヌ・  あのように黄泉の国へ行く前に妻から宣言されたら、僕は多分身動きができなくなる・・と。
 タカシちゃん夫婦も、相思相愛で一緒になった組み合わせにつき、このブログの4月29日付けでの俳句にある、夏井いつき先生に添削を受けた「風光る 40年前の OK」のように40年前の奥さんへのプロポーズを今もって引きづる人生を送っているためなのか、もし自分が海老蔵さんの立場だったら・・などのことで喋っておる。タカシちゃんの奥様のT子さんも、後々の再婚を阻止するキーワードになるのかも知れない、とか云っているみたい。
 ②について。タカシちゃんも海老蔵さんの下のお子さんと同じ4歳で母親を亡くしている。母親の葬儀の日は、オジサンやオバさんがたくさん来ていたことはかすかに覚えているらしい。でも、後日オジさんやおばさんからタカシちゃんは葬儀の日はよく遊んでたネ・・と聞かされたとか。だから自分の経験からだと、実の母親はいない・・のが普通の生活をその後ずっと送っている。8人兄弟の一番下のタカシちゃんにとって上の兄さん姉さんが母であり父でもあった・・と。だから子供さんについては、立派な人が周囲にいるので心配をすることはないだろう・・としゃべってた。

 それよりも・・自民党にとってみれば追い風になったのではないか・・のこと。国民の目がいっせいにパワハラ豊田議員に向いていたこと、加計問題など行き詰った自民党政権にとって哀しいことではあるが麻央さんが亡くなったことについては一時国民の視線から逃れられるだろうと・・。

 自分は、それよりも海老蔵さんが対象喪失感をどうやって乗り越えるだろうかの方に焦点をあてたいと・思ってはいるが・。

雨粒が落ちて来る前に畑作業。

 人参にジャガイモを収穫し、いつの間にか大きくなったナスをもぎとる。
そうだ!!!!!今夜は、カレーじゃ・カレー。月末にやっとこさと仕事を辞めることに成功した奥さんが帰るのは8時頃。その前に作っておこうと・・。情けもないほどの小さな収穫ブツを並べ、

 冷凍庫からウシを探すも捜索不能、ささみを取り出し解凍

 同じ畑から収穫した玉ねぎを、ド~ンと大きくぶつ切り、人参は上下をカットしてそのまんま、ジャガイモもそのサイズで、ささみもカットすることなくそのまんまの3切れをバターで炒めて、いい匂いが部屋中に行き渡ったところに水をひたひた入れ、鶏ガラスープに固形ブイヨンを放り込み、中火にしておく。その後は陸上競技を見るためにTVの前に座り込むことに。はたして桐生は、サニーブラウンは、ケンブリッジは10秒を切るか・・と気にかかる、
 やがて奥さんが、やられた~と叫びながら帰宅。

 やられた~、とスーツが泥だらけ。 

 

ツカレタ~と言った

2017-06-23 20:10:37 | Weblog

 夕方珍しく4男からのLine通話が入った。今日はめちゃくちゃ疲れた、精も根も尽き果てたどうしようもないほどよ~ と通話口から聞こえてくる。西医体に向けてのサッカー練習で疲れたのだろうと思いきや、そうではなく頭の中味だという。で、何があったんか・・と聞けば今は内科の実習に入っていて、レポートを書くのに疲れ果てたらしい・・。

 疲れた時は、温い湯に入りウマイもんを喰うなかでも肉を喰う、そして寝るに限る・・といってみたものの、A5の肉など口にすること不可能な仕送り額の少ない学生につき、外国産ビーフを血の滴るようなレアで食ったらエエ・・などと話すことに・・
 すると4男から、実はそのレポートは、肉の摂取についてであった。なぜに夜飲んだ後の締めにステーキを喰う習慣がある沖縄県には大腸がんの罹患者が多く、なぜにミカンを喰い瀬戸内海の小魚を食べ野菜を食べる愛媛県には大腸がん患者が少ないのか・・について教授にレポートを提出したのだそうだ。高脂質、高タンパク、高繊維質食物の摂取量が大腸がんに関係するのではないか・・のことをまとめたレポートらしい。

 自分も今日午後の時間大腸がんや胃がんなどの健康診断をしたばかり。バリュームを飲んで検査台の上で身体を上下左右に宇宙遊泳のごとく振られながらの検査はメンドクサイ。ゲップを出さないように・・と云われながらである。うちは癌系統ではないのでたぶん自分は大腸癌にはならんだろうと思っている。よって、年齢を重ねるとやっぱり肉がエエ。豚や鶏よりも牛がエエ。しかも由緒正しい日本の牛がウマイと思っているのになぜか我が家の食卓には鶏や豚が多いので閉口する。ブーブーやコケコッコ~よりモウモウがエエ。
 今日の午前中は近々釈放される身柄15人ほどを前にしてのいつものお喋り会。
 最近の傾向として、前回のお喋り会で使った資料のコピペが増えた。新しく考えることが面倒くさい、創作するイメージが乏しい。ツカレタ~の感じ。そろそろ次の喋くり口を持つ人にバトンタッチをしたいと思っている。私の周りには講演好き人がなぜかいる。聞く機会は少ないが。

 ところで健診センターのこと。名前を呼ばれ受診室に入って質問を受ける。家族に何とかの病気はいないかとか、急激な体重の増減はどうだとか、そして採血タイムとなる。このような採血時には、どの看護師にも私の方から詰問するクセがある。あなたは採血に自信があるか、と聞くことにしている。被採血歴が長い私である。するとほとんどの看護師さんは年齢が50歳代であろうと20歳代であろうと、イヤ下手です、と応えてくれる。採血後は必ず下手であってもまぁ合格。。。ということにしている。すると看護師さんは喜ぶ。アリガトウゴザイマス・・と看護師さんから言われる。だから血を提供するのに自分が謝意を述べることはない。採血は個体差激しい血管をもつ人間相手につき経験がものを言うんだろうと思う。今までに病院名を忘れたがヘタクソな看護師さんがいてイタタイタタと叫んだ経験があったが、反対に採血されたのがわからなかった看護師さんが日赤にいて、この人上手いナァ・・プロだなぁと思ったことがあった大昔のこと。
 そしてまた質問、ところで料金を払う段になり、健康診断の結果、再検査する人の割合はいくらかと訊ねたところ・・しばらく間をおいて私ちょっとわかりません・・と応えてくれた。ここの健康診断をする施設のスタッフさんは人の健康についてはあまり興味がなさそう。・・・などのことを思いながら相手から見ればただの爺のクセに面倒くさい人やナァ・・・と思われてるだろう。か。

いつのまにか

2017-06-22 00:00:00 | Weblog

 今年もあとわずかで前半戦が終了する。年を重ねるごとに一日の一週間の一月の一年の終わるのが早く感じるようになった。これは自分だけでもなく同年代の人に聞いても同じように話してくれる。なんでやろか?確かに数十年前には秒単位や分単位で動いている感覚で、実際に五感をフルに使って感覚を研ぎ動いていたことは覚えているが、だんだんと秒や分単位が同じような感覚でもそれが一月や一年の広い感覚の中で動いている錯覚をしている。
 1秒や1分のことで目くじらを立てていた自分がやがて1週間単位で動くことを覚え結果として1月の評価をするようなことを12回繰り返しさらにその評価を踏まえて次の年のあり様を計画すること繰り返しの数十年が幻のように思える。

 ラジオで知らされた。昨日が夏至であったことを。アララそうだったか。どうりで朝も4時過ぎから漆黒から徐々に白みを東側の空に感じていたものが、昨日が昼の時間が最大だったのか。ラジオからは今日は昨日に比べて日の出が1分遅くなってますと話してた。
 でも1年の中で、昼と夜が常にせめぎ合いをしているのもなんだかおかしいが。24時間の内で昼の取り分が多いとか少ないとか夜が勝ったとか負けたとか・・。でも人はどちらの時間にいる方が安心できるんだろうか、平和な時間が過ぎるんだろうか・・。

 最近歩くことを意識しなければならないようで・・ すぐそこに行くまでの距離でさえ力を入れ気合いを入れ直し下腹に力を入れて歩いておる。仕事に行くとき駐車場から塀の内側に入るのもひと仕事のような感覚、さらに駅構内の階上に上がる時、建物の上の階に上がる時、自宅にいてさえ2階に上がる時には手すりを持ち腕の力をいっぱいにして弾みをつけて引き上げるような様子につき、昨夜、来月の高校の同級会に来いよ・・のお誘いもお断りした。

 ちょっとおかしいかもしれないが、とにかく介護を受けるようなことだけはしたくないと考えている。老人を商品化する愚策のテーブルにだけは自分は乗りたくないと・・・周りの人の手を借りなければならないような、ひとりで立つことができなくなれば動物の世界では死を意味するんだろう。

老いの三失

2017-06-21 18:36:45 | Weblog

 「老いの三失」という言葉を初めて知った。人間は老いていくことにより、「健康」「地位」「連れ合い」という三つのものを失う。ということなんだそうだ。どこかの寺の住職の法話だとか。何か、仏法にあるのか・・・で、私も年齢を重ねるごとに失ったものを考えた。

 ①健康=血糖値の管理不足、脊柱管狭窄症、慢性的肩こりなど。 ②地位、何に対する地位なのか分からないが、名刺に書く肩書は幾つあったのか数えたことはないが、結構、無報酬・無償なものがほとんどだから社会的な地位を示すものではなかろう。 ③連れ合いを失ってはいない。しかし弟に父親は亡くした。それと親しかった親類の人もなくした。さらに親しくご厚誼を頂いていた方も何人かなくした。

 それくらいの喪失にとどまることはない。視力も落ちた(老眼メガネの度数が次々とアップ)、聴覚も落ちた(TVやラジオのボリュームが大きくなったと注意を受ける)、触角の衰え(触られても気づかない)。またお金のことも、自分には縁(円)がなかった。ほとんど子供の教育費に化けてた。今も年金暮らしでもまだ教育費がかかっておる始末。まぁ昔から預金通帳には残高が低かったので、ないのが当たり前のすり込み人生につき、これはあたふたとすることはないが、子供と接触する時間は極端に少なくなった。子供たちもそれぞれ家族を持っているので私が出る幕を遠慮している。やっぱり子供は子供の人生があり家族があり、良きことも悪しきことも私がとやかく云うことではない。子らが判断すること、私とは別の人格につき信頼して見るだけ・・・と考えているので子供と共有する時間がなくなった。年を取れば生きる目的も喪失することを方々から聞くけれど、そのようなことは昔から考えていない人のたわごとに聞こえる。でも記憶力は減退し物忘れの回数が増えた。歩く姿勢は颯爽と・・と云うわけにはいかなくなった。猫背で賤しく歩いているようで嫌になる。
 
 それは悲しいことだけど、実は、失ったところにこそ、本当の豊かさがあるのではないか・・などと反発するようにこころの平静を装う。豊かさの中には、失ったものを探すことを拒む方法もある。失したものをいとしく思わないように、また欲しいと思わないような思いがある。私は失いたくないと力むことなくそれどころか、もっと欲しい…と、つかむことばかり考えることを拒んでいるようだ。欲しいものを掴んだところで、その数が多い少ないのことで豊かさの嵩を思い込むようなアホらしさを思う。

 そんなことより、年を重ねる事とはなんと小理屈屁理屈が多くなることか

孔子の晩年に言ったことはあまりにも有名。(ネットから引用)
『論語・為政』に「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず(私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)」とある。

・・・・でも、少しは人の言葉に素直に聴くことができる年齢にはなったが、未だに人の道からも時々外れることがあるので70はまだまだ遠いようで・・・。