年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

悩みの数

2013-04-30 09:01:49 | Weblog
 悩んだ回数分と本の数は比例するのかもしれない。懐かしい本がいつの間にか溜まっていた。それらによって悩みが解決したとは思われないが、確実に云えることは、苦労やら悩みが解決するってことは、それらがすっかり忘れ去られていることで解決につながっていることに気が付いた。
  この2~3週間前から実家の片づけをしている。せっせと妻が押し入れやら本箱やら中にいっぱい詰まったものを引っ張り出しては紐にくくり、そして私が自宅に持って帰り、仕分けをし母親やら弟やら妹に必要か不必要か聞いたうえで捨てる作業をしている。
 実家にも大量に古本がある。お薬の本、腎臓病の食事に関する料理本、冠婚葬祭マナー本、詩集も大量に出てきた。旅行本も捨てずにあった。母親が捨てずに残していたんだろう。こんなにも買っていたのかと思ったのは、辞書類である。捨てるのがもったいないと思うが、数種類の10数冊あるものの色も茶色に変色している。同じ変色している文庫本や新書版、ハードカバーの本を1冊ずつチェックしてしているので時間がかかる。当時の悩みが浮かんできた。クローニン全集を読んでいた時、フランクルの「夜と霧」は自分が何かを求めていた時、北杜生「夜と霧の隅で」も同じ、「チボー家の人々」の時は家族に対する悩みがあった時、「ヒロシマノート」をはじめ自分が二十歳過ぎまで追っかけていた大江健三郎シリーズ「万廷元年のフットボール」も出てきた。思いだしたぞ。この「万廷元年・・」の本で自分は大江さんの内容がわからなくなってきたのを。オッ「中島みゆき」全集が出てきた。歌詞がすべて出ている・・・当時は高度成長の時期、金儲けの天才と云われていた邱永漢の本も出てきた・・当時の自分の中身を本から思い出す。実に下らないことに悩んだりしていたようだ。
  でもそのような時はすでに過ぎた。そして当時の悩みは、すべて解決したとは決して思わないが、悩みが具体的に何であったかを忘れてしまった。忘れることが解決できる有効な解答であろうか。
 今日の仕事先は「こころ塾」である。悩みを持って相談にやって来てくれる。私が解決できるわけがない。本人が解決することであり、私などその道具たりえもしないことである。ユング派の故河合隼雄さんはカウンセリングのツールとしてはこちらの豊かな人間性だけ・・と云われてはいたが、自分など豊かな人間性なぞ持ち合わせはない。就職相談も同じこと。悩むことそのものが就職活動の重要な活動であるのに、いつも人に寄りかかってくる、間違った求職者の群れ。いつも思う、もっと悩んでもっと苦しんで人に頼らず自分で自分の道を切り開いていくこと、決してあんちょこに人に自分の解決策を求めないこと。甘ったれの人々が自立する最も良い方法・・・などと思う。

矯正する

2013-04-29 22:32:12 | Weblog

 漫画「巨人の星」の主人公・星飛雄馬が大リーグボール養成ギブスをつけて筋肉を鍛えていた時期があったが、私はそちらの鍛える方ではないものをつけておる。まず、腰痛対策のために腰ベルトをつけたのが15年前になるだろうか、確か次男が予備校に通っていた時、腰痛に悩まされ次男が購入した腰ベルトを後に私が着けて、今2代目のベルトを着けている。これは長男からプレゼントされたもの。そして外反母趾のための矯正具をつけたのがさらに古く30年ほど前。現職時では革靴で歩いていたせいか、はたまた歩き方が悪かったのか外反母趾になり、外科医からは骨を削るとよい、などと云われたが今は足の指が歪んだまま。そして背の痛みがますますひどくなり、先月猫背矯正ベルトを注文していたのが昨日届き、さっそく今日から猫背対策のための矯正ベルトをつけた。つまり、曲がりゆがんだ身体を矯正するために、足と腰と背に矯正器具をつけていることになる。まっとうな身体を目指しておる。あともう一つ、ついでに、歪んだ回路を持つ?頭の中を矯正する器具はないものか・・などと思ったりもする。

 で、先日の「久万青銅之廻廊」の作品より。(館長さんから写真OKの許しを得て)
   
   
   
  


4人でお出かけ

2013-04-28 00:00:00 | Weblog
  今日の予定。3男夫婦と11時にフジ砥部で待ち合わせ→高知・仁淀川公園芝桜を見る→久万高原教会礼拝→久万の美味しい釜揚げうどんor中華そば→帰る 
 しかし残念かな、ひょうたん桜(つぼみがひょうたんの形)もとっくに終わり、天然記念物の大きなひがん桜ももちろん緑の葉っぱで
 せっかく若い二人が芝桜を楽しんでいるのに、次行こうぜ、とせっついて
 行った先は2時から始まる教会の礼拝。妻も3男も新妻も初めていく所。                             
                          
  実は二人はどこで式を挙げようかと考えているらしい。そこで私が、無理強いする気もなくなんとなく帰り道に立ち寄ったわけ。
  二人はこの教会が大変気に入った様子。妻は堀口牧師にお会いするのが15年振りか?
 私が、今日大変感動したのは、久万カントリークラブ内にあり、教会への道途中に位置し、昔から気になりつつ入ったことがない美術館、「久万青銅之廻廊」である。堀口先生に案内されて、しかもカトリックの大学で学ばれた館長さんの説明付きで館内を見て回った。自らの存在を主張するでもなく静に佇む美術館であるが、中に入って驚いた。マイセンありルノアールの婦人像あり。ここはただものではない・・・アレレこれ、どこで見たかなぁ・・ア~奈良のせんと君ではないか。
   作者は「薮内佐斗司」さん。平安遷都1300年祭公式マスコットキャラクター「せんとくん」の生みの親であった。

さぁゴールデンウィークが始まるよ

2013-04-27 00:00:00 | Weblog
 
 指を折って数える間もなく連休がやって来た。もう4月も終わり5月が来る。そうするとやがて6月が始まりまた終わって1年の半分が過ぎることになる。これじゃあまりにもおかしいんじゃないか、何の断りもせず今年の今までの時間を誰かに奪われたようで、もう一度1月から全部返してほしいよ・・のような気分。
  で、連休の計画が全くない。40歳代まではアレしてコレしてここ行って・・などと計画をしていたものを60の半ばに達するとまったくない。あるのはとりあえずの家の中の片づけのみ、他には全くない。これでは自分として急速に老人本道をまっすぐに突き進んでいる感じがしておる。これじゃアカン、とりあえず山仲間のIさんに「新緑を愛でに行こうではありませんか」とお誘い。県の地方局で○○室長の要職に就いていられるIさんも日頃遊ぶ時間がないためか、待ってましたとばかりに「いきます・・いきます」と返事がきた。どっか5月の山の花を見に行く計画である。でも面倒くさいから毎年の銅山嶺に咲くヒカゲツツジに逢いに行くことになるかもしれない。今年の自分の要望は歩くこと1時間30分以内の所と限定しておる。

サム~

2013-04-26 16:39:04 | Weblog
  今日は4月下旬の気温ではない。冬に逆戻ったように冷える。特に足が冷える。
 昨日ハローワークに出向き、出所者支援担当のSさんと打ち合わせをする。Sさんもご自身の将来についての不安定な就労形態のことで辛そうである。私が相談に行っても、ついつい彼の相談を聞く側に回ってしまような・・・なんじゃいな。
 大街道など街中にある街路樹に「なんじゃもんじゃ」があり、今白い花が真っ盛り。
 
 今朝は4時半に目が覚めた。1階の居間ではコタツに入ったままの奥さんがいびきをかいてぐっすり眠っておる。静かに静かに風呂場にお湯を張り、朝ぶろに入り目を覚ます。そして今日の講話のあらましを考える。


4月26日 松山刑務所内 講話
       
① 最近の動向
  有効求人倍率 25/2-0.88、24/2-0.76 緩やかに上がっている
  24/2に比して 建設業9.7%増、運送関係32.4%増、介護関係2.6%増

② 刑余者が応募する職種
  最近の出所者は段ボール組立、塗装工、とび などが多い

③ 応募するとき
  ハローワークの利用方法 (コピー図参照)
  注意すること 履歴書は必須、写真も必須 書き方は下手な字はOKでもゆっくり丁寧に書くこと
 (悪い例)求人雑誌の履歴書のページを手で破って書いて塗装工の面接に行った
      相手はどう見るか?
  面接のやり方 ルールがある  部屋に入るとき 名乗るとき 椅子に座るとき 
         おじきの仕方にもルールがある
  面接で聞かれること 経験のこと、どうしてうちを希望するか 熱意の程度 など
         三つのこと ・やる気、動機(motivation)とは何か、その日その時によって気分が違うのはなぜか
                ・その仕事に対する能力、資格など(competency)を経験から考えてみる
                ・コミュニケーション能力(communication)とは、明石屋さんまのようにふるまうことか

                刑名刑期をどう伝えるか 自己開示の方法

               必ず採用になる辞去する方法 

④ 真剣勝負とは
  松下電器 今パナソニックの創始者 松下幸之助の話 (以下PHP:道を開くより)
  たとえば剣道では面をつけ小手をつけての打ち合い  勝負だけのゲーム
  これが防具なしの真剣だとどうなるか 切るか切られるか 生きるか死ぬか
  仕事は真剣勝負である。だからどのような仕事でも命をかけてやらなけれならない。たまには失敗することもある・・などとのんきに構えて最初から言い訳を考えて仕事に立ち向かうことは、負けに等しい。真剣にやるかやらないかのその度合いによって今後が決まるだろう。
 今からでも決して遅くはない。毎日心を真っ新にして真剣勝負のつもりで立ち向かってほしい。

⑤ 履歴書の書き方指導
  見る人が最も見たいところは、ここ

⑥ シメのあいさつ
                                       以上

今日の晩御飯

2013-04-25 00:00:00 | Weblog
 現役で仕事をしている時はよく出張していた。1年365日の内ホテル住まいが約120日と単身社宅住まいが約100日。自宅にいるのが140数日という生活が30年続いた。さらに、40歳台に入ると家に帰れない日が多くなり、後半の10年間は出張でのホテル住まいが毎年200日ほどあった。各地にあるサンルートやアルファワンなどのビジネスホテルで移動しながら2週間連泊のパターンである。そこでは夜になり何もすることがなくなると、ベッドに寝そべり、真上の白い長方形の天井壁を観なが自宅に電話をして家族の様子を聞いていた、毎日のように。どのビジネスホテルも天井は長方形で白かった。ほかは、本を読むかテレビをつけるくらいである。テレビは、中でも料理番組を見るのも楽しみの一つであった。今度家に帰ったら、これを作って食べようとか、あれを妻に作ってもらおうとか・・である。そのようなクセがあり、モニターで見たものをそのまんま作るという・・・
  で、今晩のご飯は、昨夜見たNHKの料理番組から簡単な野菜サラダと山菜ごはんで決まり。今朝自宅前の畑にいたYさんから頂いた引っこ抜いて土がついたままのレタスを洗って手でぱりぱりとちぎって、ハム代わりの竹輪を細く千切りにしてっと、人参も細切りにしてっと、あとはオリーブオイルで・・・アレレなんやったかな、テレビで云ってたのは・・忘れてしまった。エ~イ、適当に酢を入れて塩こしょうしてコチジャンも少量加えてフライパンでニンニクをみじん切りにして放り込み、オリーブオイルに香りをつけて・・そのまんまバシャっとかけ回して、ハイ出来上がり。山菜ごはんも冷蔵庫の奥にあったいつ買ったのやら忘れた山菜パックを使ってご飯を炊いて・・ヨッシャ~さぁ出来上がり。しかし今月に入ってから、美味いやろ、美味いやろと攻め続ける相手がいないのである。妻が帰るのは9時ころだから、結局一人飯。ほとんど食欲なし。結果自分の口に入れたのは、失敗した山菜ごはんのおこげのお茶漬けと昆布の佃煮のみ。
  きょうの「こころ塾」は相談者なし。相談があったのは事務局長と塾長からの2件だけ。1件は人の採用に関すること。もう一つはダブルブッキングした講演の一つが、私の方にお鉢が回ってきたこと。今度は高校生相手の講演のようだ。それより明日の刑務所の講演ドナイショ。何も考えておらん。

今日の温泉

2013-04-24 00:00:00 | Weblog
 明日は母親が大学病院の予約がある日である。喉の狭窄部位チェックして状態を確かめる日である。それで病院へ行くとなるとなぜか前日にお風呂に入ってから行きたい、ということが習わしになっている。先日温泉に連れて行くことを約束していたのだ。    今日は雨。 どこに行きたいかと訊ねる。道後温泉、奥道後温泉、そらともり、いよ温泉、湯砥里館、ていれぎ、久米の癒、媛彦温泉、さくらの湯、利楽温泉、星の岡温泉、キスケの湯、ゆらら、ほうゆ、権現温泉、シーパMAKOTO・・これらは30分以内で行くことができる。まだまだある。道後温泉内の各ホテルが一般の湯客にも開放しているから道後館ややまとホテルにかんぽの宿もOK。ちょっと足を延ばして鈍川温泉に道前温泉、こまち温泉、本谷温泉、つばき温泉、湯の谷温泉も4~50分あればOK。どこでも行きたいところへ連れて行くよ、と母親に聞くと3時にはヘルパーさんが来られるからそれまでに帰れるところであればいいという。じゃ片道40分のところ、母親は初めての温泉、東予温泉に連れて行くことにした。

 2月までは立ち歩きが困難であったが温かくなるにつれて室内でもつたえ歩きができるまでになって私も少しは手がかからなくなった。無論外出時には常に後ろに位置し、少しでも体がよろけると瞬間に手が出るように注意をしているが4月に入りその手も支える機会が随分と減った。あとは車の中でのお嬢さん育ちの裕福な若い時の話を聞いたり愚痴を聞いたりすることが対応のほとんどとなる。たとえば、女学校の時の友人のマツモトのアキちゃんと話していたのは、結婚相手はサラリーマンでお手伝いさんが一人いるような結婚生活をすることが理想である…などの話は時代錯誤もいいところである。商売をしていた両親から裕福に甘やかされて育てられたのか皆からサポートしてもらうことが当たり前、自分の親が商売をしていることでその忙しさを敬遠しサラリーマンだと時間にゆとりがあるから、などの話は今から70数年前のおとぎ話のようでもある。
 そして東予温泉でよほど気持ちがよかったのか、帰りの車の中では私が長生きできるのはいろんな温泉に連れて行ってもらってるからやろうね・・・などと機嫌よさそうに話しているが息子の私は反対に命が少しづつ削られている感じを受ける、そのような今日この頃。

滑り込む

2013-04-23 00:00:00 | Weblog
 今日は三つのことをやらねばならない。
 面接が続く。確か、この人、Aさんには数年前テレビか新聞のニュースでお目にかかった記憶があるような・・・たしか大きな事件を犯していたよなぁ・・。そのような記憶を面接前に消し去って、出所後の就労について相談することが今朝、私に与えられた仕事の最初。Aさんが今後仕事をすることにおいての意欲度合やら能力的に今まで何を勝ち得たのかのチェックやら終いには人生の目標やら今後の生き方などお話を伺うこと50分。部屋に入って来た時の硬い表情と面接が終わり部屋から出ていくときの顔の表情が違う。柔らかくなり希望の顔つきになって退室してくれれば、私もホッとする。続いて今度は若い人がやってきた。好きな女性のことで、あることをきっかけに自暴自棄になった若い人である。まだまだやり直すことが出来ることを仕事を通じて考えてもらう時間を作る。そのようなことを繰り返しているとお昼の時間も過ぎようとした。
  慌てて次の場所へ移動する。二つ目は「こころ塾」での相談である。遠くから予約をしてやって来られる人の相談が待ち構えている。少々遅れてカウンセリングルームへ。彼女の今日の様子は元気が出る日のようである。双極性で苦しんでいられる。じっくり話を聞きながら彼女自身だけが持つ不安の乗り切り方などを要約し返したりする時間が過ぎる。アレレ、そうこうしていると次に行く所に遅れてしまうぞ・・・
  本日の三つ目はJALシティホテルでECCAの人と会う約束があるのだ。
 Hさんは現役で大学就職課で学生の面倒を見ていられる。Sさんも10年もの長い間、他の大学で同じように就職のことで学生を支援していられた。そしてMさんも同じ大学で就職支援をしていられた。みなさん若い学生相手の就職支援のプロの人である。私を含めての4人で大いにアホな話で盛り上がる。やっぱりいいな。豊かな人たちのお話を聞いたりすると自分も豊かな気持ちになってくる。感謝。

ナニよ?

2013-04-22 00:00:00 | Weblog
 
 朝っぱらから妻がごそごそと探し物をしている音が聞こえる。4男がいた2階の部屋である。その部屋は次々と長男次男三男が使い出て行った部屋である。だから昔のものが捨てられずにゴミ捨て場状態になっている。片づけようにも、状況を一目見た瞬間、片づける意欲が吹っ飛んでしまう状態。
 気になり私もいっしょに探し物を手伝おうと思った。妻が懸命に箱をひっくり返したり本箱をチェックしたり机の引き出しを出したりして探し物をしているようだ・・で、優しく私も一緒に探そうかと話しかけた。そして何を探しておるのか・・・と尋ねたところ、妻は探しものをしながら何を探せばよいのか忘れたのだそうだ。オ~・・ボケが始まったのかもしれない。妻が云うのに探し物をしながらいろんなものを出していると昔の思い出がよみがえったそうな。それで肝心な探し物が何だったか忘れたそうな。慌てて、早い時間につき寝ているであろう子供を電話で起し、聞いておった。何を頼んでいたのかね、と。すると3月に関空で買った飛行機のカレンダーであった。二人で探したけれどどこにもナイ。多分実家から持ち帰ったものとが入り混じって捨てたのかもしれない。

お引越しのあいさつ

2013-04-21 00:00:00 | Weblog
 思い返せば1974年に私が結婚をした時、長男ということもあり実家周辺のお付き合いのある家々に母親が妻を紹介するために挨拶回りをしたことがあった。実家を離れているにもかかわらず母親の要求通りに、私は出張中であいさつ回りはできなかったが妻が母親とあいさつ回りをした。
 で、それにならい本日3男とお嫁さんと妻と私の4人であいさつ回りをすることにした。実家を離れて45年にもなるけれど、小さい時に一緒に遊んだ友達や知人ばかりである。どうしても田舎のこと、話題がほとんど乏しいから3男とお嫁さんが珍しいのだろう、みなさんからおめでとうなどとお祝いを頂きながら一軒ずつ回り、立ち話が続くので時間がかかる。ほとんどの方からおばぁちゃんはお元気ですか、などと母親のことを聞かれる始末、あ~そうですか、今後ともよろしくなどと一発1~2分でのあいさつが終わらない。ご近所さんの平均年齢は70歳くらいか、若い人が住みつく地域ではない。教員宿舎に外国からきた中学校の英語の先生が異動で来ることがあるくらいでまったく変化がない。だから初めて見る上野のパンダ並みにお嫁さんを見ておる。
  そして最後に本家のK姉にあいさつした後、お墓詣りをし報告して今日の行事が終了した。