年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

海原へ

2014-08-31 00:00:00 | Weblog
 実は、今年の3月に3男の結婚式の前に打ち合わせとしてお嫁さん側のご両親と食事をしているとき、趣味の話が出た。父上殿は釣りが好きだとお聞きした。しかも一人用の船外エンジン付きボートで釣りを楽しんでいるという。しかし沖には出ることができないので陸地からすぐ近くでの釣りだから魚種が限られるとか。そのような話で盛り上がっていたので、じゃ、私が今度沖釣りをご招待します・・と約束をしていた。でも、あいにくの家族の入院などでなかなか時間が取れなかったが、やっと今日約束を守ることができた。
   
 レジャーボート所有の同級生に連絡すると今日は仕事デーだから都合が悪いと断られた。その同級生タテやんの船を係留しているその隣の船をお世話してもらった。今日の狙いは「たこ」である。月初めからタコがわいているという話しを聞いている。それでタコ釣りを楽しみにしていたのが3男のお嫁さんのお父さん、Kさんである。今日はKさんの息子さんのMさんも、つまりお嫁さんのお兄さんのMさんも隣の県から朝早くやってきている。都合4人での参加。この夏、実家にKさんのご家族に来てもらい、お孫さんたちは海水浴に・・などと考えていたが、あいにくM兄さんの奥さんが子供連れでアメリカのお友達に会うためにひと月ばかり行っているのでとのことで、結局Mさんのお一人だけの参加となったワケ。

 アジが釣れたのをきっかけに、次はタコへ行こうと。でもタコがよく上がる漁場では何も釣れなかった、じゃ太刀魚に行こうと場所を変えながら船を移動することに。太刀魚釣りは初めての経験である。指4本幅サイズの銀色に光る太刀魚が次々と釣れた。皆が盛り上がっている時に、南松山病院から船上の私に電話あり。でも、看護師さんの声が緊急用の声ではないことを推し量っていると、ジツハ弟さんが家に帰りたいと・・わめいているのですが・・アリャリャ。私の方から事情を説明して理解をしてもらうことになる。どこにいようと、介護場所や病院からつながりがあり解放されることはない。

 2時に納竿してアジ15匹、太刀魚14匹の釣果を持ち、女性陣が待つ実家へ。アジや太刀魚を刺身に、また焼き魚にして7人でワイワイの笑声あり。でも曇空ではなく海上では紫外線が降り注ぎ顔が日焼けしてヒリヒリしている。
 今日で8月が終わる。

夏の終わりを告げる

2014-08-30 19:12:12 | Weblog
 奈良の義母が本日退院した。それで入院中からの計画で妻が奈良の家に行くことになった。退院当初は何かと不便だろうからと少しでもお手伝いができれば・・月曜日に出発する。
 年齢を重ねるということは病院と縁が深くなるということだろうか、と思うが。自分の周りはいつも誰かが入院し誰かが退院しての繰り返しのようで、一時も心の休まる時間が無いようでもある。
 横河原の観月祭が終わると夏が終わりを告げる。その観月祭が今夜開かれた。
     自宅から遠くを眺める。
 一年前の今日は、妻の4回目の手術をした日。人工骨とうの手術があった日である。あれから1年が経過した。

おっとっと

2014-08-29 00:00:00 | Weblog
 他の人と同じようにスマホは肌身離さず持っておる。でも運転中であるとか打ち合わせ中であるとか、カバンの中に入れて他の場所に置きっぱなしにすることも多い。その時は当然すぐに通話できるわけではない。

 今困っているものに迷惑メールがある。一日に数十回入っているが、入るたびごとにむろん開いて見ることなく、即消去としている。それでも厚かましく何度も入ってくる。いくら受信拒否をしたところで、それを乗り越えてやってくる。お店に行って相談しようと思うが、それも面倒くさい、自分のことだから、と。

 特に電話の受信音は気にかかる。特に送信先が病院からであれば、何かあったのかと・・。
でも、午後にかかってきた電話番号は登録していない、相手先不明の固定電話であった。2回も着信記録がある。ウ~ン、とこちらからかけてみた。すると県の生涯学習センターからであった。ジツハ、来月早々に120分の講師を頼まれておったことを、このところのバタバタで忘れておった。担当者からの連絡は、それの打ち合わせのことであった。アッチャ~状態。急いで考えねばならない。

親と子

2014-08-28 00:00:00 | Weblog
 親と子の距離感について考える。共依存を考える。一言でいえば、「他者に必要とされることで、自分の存在意義を見い出すこと」であろうが、夫婦間であれ親子間であれ、友達関係であれ自分がいないと相手が困るだろうとの関係性の中で、自分の存在感のみ相手に押し付ける・・様な感じだろうか。自分を押し付けることにより相手の自由を束縛し、相手を丸裸にして自分側の優位性を確保しつつ相手を従属させる。そのうち相手側にも自分がいないと存在しづらくなってくるような・・共依存関係。
 問題は共依存すること自体ではなく、是か非かということでもなく依存しなければならなくなっているこちら側とむこう側のそれぞれの自分自身の問題に盲点があるように思う。

 弟が入院している。心臓の肥大は以前からDrから指摘されていた。そして先月発熱したところ、治まったかに見えたもののそれが完治せず、また7月に強制入院。その入院中、先週から炎症反応があり発熱した。2~3日はモノも言いにくそうであったし反応も芳しくはなかった。これは大変だと思ったものの母親に伝えることはなかった。昨年の妻の事故と同様に。母親自身も日赤病院からリハビリ病院へ転院し4月にやっと退院して以来養生の日々を送っていたが5月の連休明けに社会的入院をしていた弟と一緒に、介護施設と障害施設の支援により二人で念願の同居を始めるに至った。で、しばらくは何とかやっていたものの、お互いに不自由な身体、一方が呼び寄せてもすぐにそばに行くこともできない有様、弟は全く立つことさえできないし、二人とも耳が不自由であることも重なる。そうして弟の入院。このような状態で母親に弟のことを伝えることはなかったが、そこは実母、どうも私と妹の動きがおかしい・・南松山病院に出入りする回数が多い・・何かあったのか・・と母親は一人で介護タクシーを呼び寄せ車いすで病室へ弟の顔を見ることとなった。でも、母親自身力も全くなく何もすることができないものの、何かをしなければならない気持ちが強く出る。例えば食事においても看護補助のスタッフさんにいつものように任せればいいものの、以前からの習慣で私が食べさせないと・・と思うも、自由にならない自分の身体。よって私に至急電話が入り、スプーンで弟に食べさせろ・・となる。母親の生き甲斐や存在感は、訓練とか育てるとか考えさせるとか力をつけさせることではなく自分が取って代わって先回りをしてすべて本人に成り代わりすることであった。それは幼少のころからの習慣である。でも元気な間は良かったが、今となってはそれができないことの苛立たしさが出る。まぁそのような構図のなかで周りの者が慌てふためき右往左往させられているような・・・。

 このような依存関係は、別に人に向かうだけのもでもない。アルコール依存であったりパチンコなどギャンブル依存であったり。また今話題のチャゲ&アスカのアスカのような薬物依存もある。私は治療行為の医師でもなく心理士でもないが、仕事として覚せい剤や毒物・劇物の常習者の相談に入ることもたびたびある。其処では対象依存としての自分について語ってもらうことが多い。

ぎりぎりで

2014-08-27 20:53:28 | Weblog
 靴を履き外に出て人と交わる機会が極端に少なくなった妻は、まったくの“奥さん”になっている日常のようだ。時々掃除機を持って下に上にガァ~ガァ~鳴らしながらノズルを動かしている。また自分が植えた野菜、小松菜やトマト、キューリ、ゴーヤ、ナス、ピーマンなど6~7月までは芽が出、茎が伸び、やがて花が咲き実を付けるに至っては、朝に夕に散水をすることを楽しみにしていたが、続く台風による長雨やら病虫が湧き上がっても、知人から教えてもらったヨモギのエキスを散水し病害対策を幾度となくやったものの効果なく、葉っぱを食い荒らされるようになると途端にモチベーションがガクンガクンと下がってしまったので水撒きをすることもなくなった。と同時に蚊が多く発生し洗濯物干しのわずかな時間でさえ数匹に刺されることが続くと、ついついその係りが私に廻ってくる。でも、一方ご飯作りは手を抜くことなく、夜の9時からのEテレ・料理番組を観てはメモを取るなどいろんなものにチャレンジをしているようであるが、中には初めて見るものもあり、なんじゃいこれは・・と疑問符が付くものもある。わけを聞くと失敗作らしいが強制指導が入るので口に入れざるを得ない。もう一つは、定期的にミシンを動かし複眼で見にくい目のリハビリをするがごとく布から何やら怪しいものを縫っている。
 しかし、それよりも今週は、食卓テーブルに陣取り朝から昼まで、昼から夕方まで、夕方から夜まで座り込んで読書に嵌っているようだ。
   この本である。
 私からたびたび仕事をする男の人の話をすることがある。そのこととひっかけてこの「海賊とよばれた男」とを比べているようだ。損とか得とか、いいとか悪いとか自分の利益しか興味のない仕事ぶり、チマチマした料簡の狭い自分本位の輩が目につく昨今、もっと壮大な高遠な場所をみいだして頑張っている人の話。たまに政治家などがチョチョロ、そのような話を市民の目をごまかすようなアジテーションで遣ったりする姿を見かけることはあるものの、それとは正反対の自らを犠牲にしてまで他の利益を優先し行うなどと、今の時代ほれぼれするようなオトコギのある話にはまり込んで読んでいる。そしてため息まじりにせせら笑うがごとく、おとーさんとはこの人ちょっと違うね・・などと旦那の値踏みもしてくる。

 今日の相談者4人。刑余者の方は、全身刺青の青年、暴力団組織から抜け出し、まっとうな就労生活を継続し、まっとうな市民生活を送れるかどうか、覚せい剤取締法の犯罪者。もう一人は高齢の障害者として累犯障害者に落ち入ることにならないよう支援をすること。それを終えると移動の車の中でパンをかじる時間しかとれなく出かけた「こころ塾」では、ご主人とお子さんの二人の自死ともう一人のお子さんの水難死に見舞われた経験を持つ奥さんの相談。それと32歳の国資免許を持つ女性医療従事者。お二方のメンタル不全のこと。4人とも重い相談になる。
 でも今日もっともハッとしたこと。刑務所内の会議に出席してのこと。釈放前の刑余者が就職活動を行うことで職員は慎重に進めるが、部長が一言、もっと彼らを信用しようじゃないか・・と。手錠をかけて身体拘束状態の中での就活ではなく、自分の思いの中で規則に従い自由にしてやった上で就職活動をさせてやろうではないか、もっと刑余者を信用しようと、話した一言。

うまく事が運べば・・・

2014-08-26 19:37:58 | Weblog
 規律違反なしの受刑生活を送っているN青年がいる。幾度となく面接を重ねて就労意欲の高揚、就労に向かう心構えなどこちらから教えるでもなく聴くことに数回の時間を取っていた。
 それで本人の意欲も高く、なんとか釈放される前に事業所との面接を終え、採用内定を取りたいと、ハローワーク担当者ともども進めていた。釈放される前の就職活動である。するとハローワーク担当者から運よく面接可の連絡をもらった事業所があることを知らされた。もちろん事実をすべて開示した上でである。上手くゆけばN青年の希望する職に就ければ本人だけでなく支援をするこちら側もうれしく思う。

 入院中の弟に熱が出た。先月も熱が出てあわてて県中病院へ行ったが今回はすでに病院の中である。ちょっと苦しそうである。目をつむって寝ている時間が長い。先生に聞くと炎症反応が出て熱が出ているとのこと。エレベーターの中でお会いした先生は万全を期してやります、と言ってくれた。ところが介護施設にショートステイで行ったりまた帰宅したりしている母親は腰痛が治まらない様子につき、今回の弟のことを報告していなかったところ、どうもあんた達(私と妹)の様子がおかしい、病院の出入りが多いが、なんかあったのと違うか・・などと問い詰められる。昨年の妻の事故を長い間伏せていたことへの不信感を持っている。業を煮やした母親は自分で介護タクシーを呼んで病院へ行きおった。もちろん介護タクシーのMさんからは、どうしましょうか・の事前相談を受けていた。で、弟に面会を果たした母親が、私も腰が痛いだのと言っておれん・・と電話でわめき散らすことこの上ない。私や妹はこれを回避したかったのに・・である。

資料を探す

2014-08-25 22:29:54 | Weblog
 あいにくの整理整頓能力のない自分につき、たぶんFDに保存しているだろうとタカをくくっておった。けれど、PCにはFD対応機能がついていない、よってUSB外付けのFDDを注文したのが先日。で、本日送られてきたのでさっそく保存しているFDを約40枚足らず一枚一枚開けてみた。昔懐かしい資料が読み取れた。でも、10年前の資料である。私が探しているのは2年前にFDに保存した資料である。ない・・ない、困ったコマッタコマドリ姉妹状態。
 探している資料は私が取った求職者の年間就職率などのデータである。それが無くなっている。実は、今度の講演の資料に使いたいと思っているのに・・どうしよう。

盆踊り

2014-08-24 21:29:50 | Weblog
公民館で恒例の盆踊りがある。

かき氷に金魚すくいに
   
餅まきも
 それらが終わるとみんなで輪になって盆踊り。途中県知事さんも市長さんも踊りに参加。

 公民館の役を辞して以来、この数年盆踊り会に顔を出すことは少なくなった。久しぶりに行くと、知らない顔の人ばかり・・・アレレ時代が変わったなぁ、と実感。でも、昨今の地域力の崩壊などと言われると、このように地域の人みんなが顔を出すことは絆を見つけるいい機会になると思う。

もう一度考える

2014-08-23 19:40:09 | Weblog
  「たとえば君」の歌人河野裕子さん永田和宏さんご夫婦、奥さんはすでに亡くなられている。ご夫婦ともに「宮中歌会始」の選者。お子さんに永田淳さん、その奥さんは植田裕子さん、そして永田紅さんがいる。全員歌人。そのご家族が,亡くなられている河野裕子さんをも含めた「家族の歌」を出した。

さっそく立ち読みに耽る。

 ハッと気がついた箇所。家族の会話の中で大切なこととして“あいづち”の効用があった。何気ない対話の中のあいづちである。ふと考える。夫婦の会話の中のあいづち。親と子の対話の中のあいづちである。「アンと花子」の朝ドラの花子のセリフではないが、想像の翼を広げてみた。相槌を打つことできちんとした会話が一方通行ではなく双方向になっている。意見を言い合い、われの主張をし主導権を握ることより、むしろ双方に相手をおもんばかり理解をすることにつながるなどと・・・。
 河野裕子さんは家族や何気ない日常生活を歌った人である。家族を大切にしていることが歌の中から滲み出ている。
たとえば君 ガサッと落葉すくふように 私をさらつて行ってはくれぬか
子がわれか われが子なのかわからぬまで 子を抱き湯に入り 子を抱き眠る
たったこれだけの家族であるよ子を二人 あひだにおきて 山道のぼる

 広島の先輩からの電話。先輩は広島の社会福祉協議会に出ている。電話で嘆いておった。今回の緑井や八木また可部地区の集中豪雨での災害についてである。実際のところ、個人情報の壁があり、住民情報として地区の高齢者など充分な情報を得ることが困難であること。また地形上の急傾斜地崩壊危険区域として認められることは、その地域の土地価格が急落するので地域の人が反対するのだそうだ。また、最初にできた団地はしっかりしているが新しい団地ほど脆弱な土地を開発しているので災害には弱かったんだろう・・などと話しておった。

とりあえず・・の話を

2014-08-22 14:01:36 | Weblog
 どうもこの時期、体がいつまでもナマのようでシャキッとしない。頭の中も同じようで、どんよりしておる。でも、講話を予定している今朝は、どうしようかと・・。

 じゃ、私と私の周りの友人の仕事についてしゃべろうと考えた。これであれば準備するものもないし・・、と近く仮釈放される刑余者を前にしての仕事の話。つまり職人の話を考えた。
「職人」の言葉のイメージは、暗い・一徹・頑固・気難しいなどのおよそ負のイメージがある。なぜそのような感覚に陥るのだろうか、と考えた。昔々たくさんいた職人さんが時代の流れとともに影が薄くなってきた。と同時に手を汚さない仕事、物に向き合う仕事から人と向き合う仕事に変換、ファッションから見るとナッパ服や作業着からスーツにネクタイ、白色系統作業衣やピンク色系の清潔・優しさをイメージすることが増えた。そのような傾向に歩調を合わせるように、汚いもの・臭いもの・貧相なものが排除されデータ重視の書類上での仕事、きれいな仕事も増えてきた。と同時に人間関係においても暗いイメージする人を追いやった。画一されたような形だけの様式を持つ人が跋扈してきたように思う。暗いものを時代遅れと称し排除され明るいものだけを取り入れるようになった。人も物も。
  そこで、改めて「職人」さんについて考えようと。たぶん今日の刑余者の多数は職人さんと呼ばれる人がいるだろうと思うからである。否、そう思うこと自体が、もはや暗いイメージしているのかもしれないが・・。しかも中途半端な職人風情の人かもしれない・・などとおおきな独断と偏見でもって職人の持つ魅力を話することにした。

 他人ごとではないが、自分に適した仕事を斡旋することが永く仕事を続ける秘訣だろうと、厚労省はミスマッチを是正するための御旗を掲げている。自分に最も適する仕事が最も相応しい仕事である・・などの公式がまかり通る現在、懸命に仕事選びのイエス・ノークイズを出して参考にしろ、と言っている。
 でも、自分に適した仕事かどうか、などは、嫌だと思う仕事でもその中から面白さを見つけたり、またやりがいを感じることを発見することができれば、それが適職になるのではないか。若い人の就職相談において感じることは、その仕事に合う合わないは、むしろ仕事をする仲間と合うか合わないか、の人間関係の要素が多いことがある。・・と考えると温故知新の教えではないが、人間は我慢が必要よ・・になる。しかし、我慢の限界線を超えてウツになる人も増えているし・・。コマッタなぁ。
 しかし問題は今日の講話の落としどころである。刑余者の多くは金銭に困っての犯罪、窃盗などの刑法の中の財産財に関する判決を裁判所から受けている人が多い。仕事を中途半端にやっている職人風情、一人一人聞くと、瓦ふき職人、包丁料理人、土木作業員などの逮捕前の職業経験が多いようだ。中途半端な仕事で手に技術が追い付かず、やがて金銭に困り・・・。
 まぁ、振り返れば自分の場合、このような話をキャリアコンサルタントの仲間とアホを言いながらおしゃべりできる環境を持っているだけでも適職かもしれないが、でも能力的には不足感あり。
 今日の話の落としどころに選択したのは「勘」である。五感から伝わる勘である。指先で感じる勘、鼻で感じる勘、色で感じる勘、音で感じる勘、計測器ではなかなか測ることができない勘である。おりしもこの時期に不適切な例えであろうと思うけれど、広島の災害でうまく助かった方々のテレビニュースに、異様な臭いがあった、とか異様な音があり、ただ事ではないと勘を発揮させて災害から逃れた人が報じられていた。
 でも・・・とりあえずの乾杯の目の前のテーブルにある枝豆か冷奴みたいな感じがしないわけでもない。