年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

トラ

2010-07-31 00:00:00 | Weblog
 タイガースが上に上がってしまったのでいつ落ちていくかのか、と気にかかっている。今の時期は、つかず離れずの2番手の位置が見る方にとっては心穏やかに見ることができるのに・・と思ってしまう。まぁこの調子で最後までいくとは思えないだけに、早く2番に下がって最後の最後に逆転して上に立つ方がなんとなく緊張感があるし充実感もある。次に好きなカープは、まぁ今のままでいい、そんなに頑張らなくとも、駒が駒だけに監督がまだまだ修行中だからおおいに失敗を積むべし、とゆったり構えていられる。
 昼間じっとしているだけでも汗が出る。部屋に居ても開けっ放しの窓からは何も風が入ってこない。扇風機は暑い風を送るだけなので付けてはいない。だからちょっとでも汗ばんでくると風呂場に直行してシャワーを浴びるのが一番の暑さ対策。
 札幌から名前をY君と名づけた赤ちゃんの写メが送られてくる。まだ10日もたっていないのにしっかりとした顔付きになっておる。妻がにやにやしながら赤外線受信したケータイを覗き込んでおる。一方1歳年上のW君は、夏風で熱が出たんだと言う。赤ちゃんは熱を出し病気しながら大きくなっていくのだろう。

沈黙

2010-07-30 00:00:00 | Weblog
 沈思黙考することができる一番良い時期というのがあるとすれば、今、この時期が最も相応しいのではないかと思う。ギラギラする太陽とここち良いそよ風とたぶん多いだろうと想像する海辺の人出のざわめきにガンガン鳴るスピーカーからの音楽がある風景や、大型スーパーや百貨店に買い物をするでもなく冷気を求めてウロウロしているお客さんの光景を想像しながら、ワレただ一人そこに加わることなく、自宅で一人、クマゼミの大合唱を聞き強い陽射しの外をぼんやり見ながら、物事を考える。
 早くも月末到来。あれをやらねばこれを先にやらねばと思いながらも、次々と目の前に現われる予定なしの仕事が突然に降って湧いてくる。午後、市役所子育て支援係の人が18歳の少年を連れてやってきた。生活保護を受給している家族である。何とか就職をして欲しいと話す市役所の職員とどこか働き口を見つけたいと考える少年おり。少年の話を聞くと、中学校3年間で出席日数は51日しかなかった元不登校生。働きながら通信制高校に行きたいと希望を持っている、また職業訓練を受けたいとも言う。助成金を受給しながらの訓練コースを探すことになった。
 確かにこの現代、出きる者と出来ない者、能力のある者と能力のないもの、やる気のある者とやる気のないもの、学歴がある者と学歴がないものを上手に分けてきた。ましてや誠実さがある者とないものや、道徳心がある者とないものや、優しさがある者とないものや感謝とか愛情とか関係なく無機質的にただ単に、お金とか名誉とか地位とか目に見えやすいところを判断して、つまりキャリアカウンセリングの世界でいうところのアウトキャリアで判断し区別してきた今までの経過がある。さて、これからどのようになるんだろう・・・

今晩の仲間たち

2010-07-29 00:00:00 | Weblog
 仕事を抱えている人は、何もしていない人に比べて、なぜか世話役を頼まれる機会が多いように思う。時間を持て余す人に頼めばいいようなものの、結局、あんたがやれよ、と言われたのは今夜の集まり会。またまた高校時代の劣等性悪友が集まって喋ろうぜ、と計画した。幹事は私に押し付けられている。で、場所は他の人に確保してもらうことにして私の役目は、人集めの日程の調整だけ。まず、商工会議所の専務役をやっているチカエさんから。月初めに電話連絡して、会議など入っていない日を教えてくれよ、と聞くと月初めにして、空いている日は三日あり、とのこと。○日と、△日と□日が空いてる、と聞かされた。その日の中から選ぶとして、次に仕事よりゴルフに忙しい、機構のH君に三日のうち何日が空いているか、と電話で聞くも、返事がきたのは翌々日であった。電話貰ったのにスマンスマンと言いながら、長崎でゴルフをやっていて、やっと終わりクラブハウスで汗を流したところだと明るい声が伝わってきた。スコアを聞くとまんざらでもないスコアである。気分が良かったのだろう、○日はダメ、□日はダメで△日は空いている。と言った。この二人を抑えておけば、あとは水処理会社のT君はいつでもOK。次は、いつも難題を吹っかけてくるもと女?のいつもの3人組である。一方的に△の日しか都合がつかないので、もしその日に用事があればキャンセルしろ、と半ば脅すように話すとすんなりOK。やっとこさと今夜の会に7人が集まった。人生の熱中期を過ぎた7人はそれでも、熱心に家族の話をしたり趣味の話をしたりして2時間30分をあっという間に早送りするが如く話が盛り上がった。辛いも酸いも苦いもそれぞれ経験した後の今、これからも苦い経験を持つかもしれないけれど、とりあえずいっしょに今の空気を吸い込んで憂さを晴らすことができる環境に、またやろぜと言いながら散会とした。
 この季節クマゼミばかり、どうして油蝉やニイニイゼミが姿を消したのだろうか。

次男Jr記念登山

2010-07-28 22:33:54 | Weblog
 今朝の通勤電車の中で、ポケットに入れているケータイからEメール着信の音が聞こえてきた。Oさんからかなぁ、それともYさんからだろうかと、誰からだろうかと思いきや長男からであった。通常ならばCメールの着信音ならば家族内の誰かからだと決まっているけれど、今朝のEメ-ルはなんと、富士山頂から発信してきた長男からであった。確かに3、775.63メートルの標示板も見える。本文によると、先日産まれた弟の子供の出産を記念しての登山だと、書いてある。今日は休みらしく昨夜から自宅を出発して今朝のご来光を見たく5合目から3時間のハイスピードで登ったようで、酸欠のためか、頭が痛い、などと送信してきた。登山の理由を、うまくくっつけたようであるけれど、家のことを放ってばかりでの登山は、お嫁さんに、叱られるだろうと容易に想像できる。こちらでも3男が出産記念の外食を豪華中華料理でやってくれたし、なんだか出産を理由につけて、各自好きなことをやっているようにも見える。写メでみた影絵富士を始めてみた。朝日に当たった富士の影が雲に映っている。なかなかのモンである。

3人も

2010-07-27 00:00:00 | Weblog
 暑いせいかここ最近は、ハローワークに来て求人検索機を見る人も順番待ちをすることもなく、また応募目的の求人票を携えて相談に入る人もめっきり少なくなった。ボツボツ相談窓口に来られる程度である。その少ない人の中で今日は3人の人の雇用保険移管手続きをした。最初の雇用保険受給者は、名古屋に居られて、こちらに帰ってきた61歳の人である。高校を卒業後、中京地区で職を得て働いていたけれど、今回決心して、故郷に居る高齢の一人住まいの母親と同居するために帰ってきた、と話された。続いて相談に来られた方も、大阪に長年住んでいられて、もう母親も年だから心配なので、今後介護も必要になるだろうから帰ってきた、と話されたご婦人が居られた。そしてそのあとに呼び入れた方は、そのご婦人のご主人さんであった。ご夫婦ともにやはり同じくハローワークカードは他県の同所ものであったので、雇用保険の移管手続きをしながらご主人さんのお話を聞いた。ご主人の方は両親ともにいなくなり、今は奥さんの母親がいるだけなので、義母と一緒に暮らすために引っ越した、と話してくれた。今日はなぜか介護目的のために都会から帰ってくる人おり。そういえば、私の従弟のケンちゃんも夏が過ぎれば一人残している奥さんの母親と同居するためにこちらに移りたいらしい。広い屋敷に腰の曲がった高齢の義母が介護なしで暮らすのは限界だろうね・・・と今年初めに電話で話していた。今の家はどうなるの?と聞くと息子が住む予定だと言っていたけれど、その息子さんは、隣りの県にいるのにどうするんだろう、と人ごとながら考えてしまう。どこにハタラキ場所を求めようと、どこに住もうと皆さん両親のことを頭に入れながら生活していることについてあらためて考えさせられた1日である。

礼拝

2010-07-26 21:54:21 | Weblog
 近頃なぜか1日遅れの報告になっている。で、昨日の日曜日のお話。義母は四国88ヶ所参りを久し振りに回って疲れたまま、昨夜奈良に一人で帰った。また秋にゆっくり来ます、と言って帰っていった。昨日、二人が今治市内のお寺に行っている間に私は、松山教会の日曜礼拝に行った。何度もS牧師の説教を聴きたいと思いながらも、今日まで行くことができなかったのは、一つには弟の日曜透析のための送り迎えがあること、またもう一つは小島に行く時間を作っていたので行くことができなかったわけである。聖職者ならば優先順位を考えろ、と言われるところであろうが、私はお構いなし。
 コリ12.12-26 「一つの体、多くの部分」のお話。・・・そうか、そうだったのか。体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要だったのか、とあらためて納得。カラオケが苦手ではない、昔の歌が好きな方である。でもテレビから流れてくる懐かしい歌を一緒に歌うより、讃美歌を歌うとなぜか気持ちが落ち着いてくる。どうしてなんだろう。

奈良から来松

2010-07-25 00:00:00 | Weblog
 昨日の朝早く、東予港に着くフェリーに乗った義母を迎えに行った妻が、そのまま四国88ヶ所参りに、まだ行っていない徳島の1番のお寺から行こうと計画するも、高速道路に入った時ETCカードを忘れていることに気がつき、急遽西讃地区の未だ行っていないお寺に行く、とブツブツ文句を電話で言ってきた。1000円のところが、モッタイナイなどとこぼしておった。それで観音寺から丸亀方面にかけて行ったらしい。続けて今朝は、これまたまだ行きそびれていた今治市内の3箇寺をお参りするのだと9時に二人で出かけた。弟の病院へお見舞いに行きそれから今治に行くと、話していたが、帰ってきたときは6時を過ぎていた。この暑い中、大丈夫か、と心配するも、車の中でガンガンクーラーを効かせ、移動中は寝ていたので大丈夫、だったらしい。昨日今日であわせて9箇所のお参りをしたことになる。納経帳を見ると半分くらいは埋まったんだろうかと思う。
 夕方慌ててお風呂に入り、晩ご飯を食べると思うと、それではお世話になりました・・・などと言って、また港にフェリーに乗るために帰っていった。今回の来松の目的は、一人娘である妻と、遠く離れている一人暮らしの母親との連絡を綿密にできるよう、妻と同じ会社のケータイを持たすことが目的であった。果たして80歳の義母がうまくケータイを使えるかどうかはわからない。

猛暑の中で

2010-07-24 00:00:00 | Weblog
 弟の微熱が続いている。先週の医師の話では肺炎ではないと、写真を説明しながら話してくれた。病院側の説明によれば、リハビリの診療を受ける際に、悪化していた膝をさらに悪化さすようなミス治療があった模様である。左足膝がパンパンに腫れており、そこから熱が出ているのであろうと診立てている。毎日病院と自宅の往復だけで体力的にきついので、今日から入院をすることにした。2時に病院へ連れて行った。弟は先月の肺炎による入院に引き続いての入院になる。今までにこの病院へ入院すること何回になるのだろうかと思う。数えたことはないが、1年に2回入院したとして、合計2~30回を越えるのではないかと想像する。弟も顔なじみの看護士に、入院部屋の指定とベッドの場所を指定するなど、それ以外であれば入院拒否だ、などと注文をつけているような按配である。かつて私が出張する時の、おなじみのホテルに宿泊する予約を入れる方法と似ている、と思ってしまった。
 午前中は、こころ塾へ、事務局長と打合せ。二つのグループでの「誰ステ」の話し合いに参加することなく、早めに塾を出る。次は、G君の就労支援をするためにハローワークプラザでG君と待ち合わせする。調理師の資格を持つ彼の就職先について相談を受ける。1時間30分経過したところで終了。外は猛暑、街を歩いていればコカコーラの自販機を詰め替えている人がいた。首にタオルを巻きつけて汗を滴り落としながら仕事をしていた。そういえば私も現職時代は、この時期タオルを絞ればタオルから汗が落ちるほど、汗を拭きながら外回りをしていたことを思い出した。

おめでとう=次男とM子さん

2010-07-23 00:00:00 | Weblog
 Yが生まれたのは奈良・法隆寺近くの古い産婦人科医院だった。暮れも押し迫った12月31日だった。初めてYと対面した時の感じを今もって覚えている。長男のHの時も同じ感覚であったけれど、可愛いという感想ではなく、今後どうやって育て上げなければならないのか、という重くのしかかった感覚の方が強かった。だから早く早く大きく育ってくれよ、と興奮しながらも思わずにはおれなかった。
 やっと待望の子供が授かったYとM子さんのまだ名前の決まらない赤ちゃんの3人家族となったことは大変喜ばしい。
 しかし今日は驚いたし、また心配もした。予定日より19日早く生まれること、緊急に赤ちゃんの心拍数が少なくなったので赤ちゃんを取り出すとメールがきた時から、仕事どころではなくなった。昼にメールが入り、産まれたのは3時過ぎというから驚いてしまい、母さんの職場に連絡すると母さんも驚き母子二人は大丈夫だろうかと心配の声が電話から伝わってきた。しかし無事出産となると、札幌から遠く離れた四国からもドドドッと安堵感と脱力感あり。
 とりあえず二人でよい名前を付けてチョウダイ。

同じフレーズを何度も読み返す

2010-07-22 00:00:00 | Weblog
 「そよ風のように生きる」より

※ 何をしたかが問題ではありません。どんな心でしたかが問題です。たとえ大きな仕事をしたとしても、感謝の心がなければ空しいことです。いらいらして文句を言ったり、賞賛されることを求めたりしては何もなりません。たとえつまらない仕事でも、感謝し静かな心、愛の心ではたしたのであれば、それで十分です。何をしたかではなく、心を、魂を、力を尽くしてしたかどうかが大切なのです。

※ いのちが人の役に立たないならば、何のためのいのちでしょうか。こう考えることが生きることの根底にないなら、人生は闇です。

※ ろうそくはまわりに光を与えながら、自分は消えていきます。私たちのいのちも限りなく無条件にあたえながら、見返りを期待しない人生でありたいものです。

※ ひとに誉められることを目的に何かをしてはいけません。いくらひとに認められたといったところで、それはあなたの周囲のほんのわずかな人々だけです。そしてまた、すぐに忘れられてしまうのです。

※ 日常生活のつらさにたえること。毎日繰り返される単調な労働は、だれにとってもつらいもの、子育てのような苦労は犠牲なくしてできるものではありません。毎日の労働は一本の藁のようなものです。より合わせれば、象をもつなぐ太い綱になります。つらさに負けないでください。

※ ゆっくりと時間をかけてつくられたものは、たやすくは揺るがない。激しく変わったものは、崩れやすい。移り気を避けましょう。熱しやすく、冷めやすい人に心の成長はありえません。台風は一夜にしてすべてをなぎ倒してしまいますが、そよ風は心地よく、人を喜ばせます。台風のような生活ではなく、そよ風のような生活を送ってください。

 こう何度何度読んでもうまくそのようにいかないこの頃です。