年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

今日も

2006-07-23 00:00:00 | Weblog
2006/7/23 (Sun) 今日も

 また雨が降っておる。エエカゲンにしてもらいたい気分。Sさんが来た。クーラー一杯釣った20cmのアジを持ってやって来た。佐田岬方面で釣ったらしい。クソ~私も行けばよかったと悔やまれる。どうも最近私は釣れない。腕が悪いのか運が無いのかわからない。目下太刀魚釣にも行きたいし夜にはアナゴ釣にも生きたいと思っている。自然を目指す自分としては暑い盛りは山行よりも海に重心が移っているようだ。

美術館へ

2006-07-22 00:00:00 | Weblog
2006/7/22 (Sat) 美術館へ

 先日行った生口島にある平山郁夫美術館の絵が迫力があり圧倒されたという話を弟にしたところ連れて行けということになった。障害者手帳を持ち長時間運転できない弟に代わりしまなみ海道を走る。日常出かけるのは病院だけの母親と弟は家に閉じこもってばかりでストレスが溜まるのであろうか。玄奘三蔵シルクロードの絵の前では圧倒され吸い込まれてしまっているようで母親弟ともに車椅子に座って動かない。絵の中の乾いた空気がなんとも心に突き刺されている様子である。二人とも絵に見入っていたが、寒くなった自分は受付嬢とおしゃべりタイムを取る。平山先生は原爆手帳を持っていたとは知らなかった。帰途多々羅温泉三島の湯で入浴す。生口島と多々羅大橋を眼前に露天風呂で時間を費やす。美術館で時間を取りすぎてうまい魚を食べる時間が取れなかったのが残念。

またも

2006-07-21 00:00:00 | Weblog
2006/7/21 (Fri) またも

 隣りの会議室では県職業能力開発協会のセミナーが開かれていた。受付でUさんとしゃべっていた時座っていた受付の人が、もしや△高卒の○○さんではないかと私の顔を見て話し掛けてきた。ハイそうですが…と言った。私同じクラスだったFですと名乗った。ありゃFさんでしたか、40年ぶりですね、などと先日行なわれた同窓会の話を交えながら相手の仕事の邪魔をしてしまった。近頃高校生時代の同級生に会う機会が多い。また、出席者の中には実家の前に住んでいたYさんがいる。Yさんは市内でも有数な自動車会社の経営者となっていた。Y社長の顔を見つけてお久し振りですねとまたまた挨拶す。なんだか昔々よく遊んだり話をしたりした人にお二人も会った不思議な日。

なんやかやと

2006-07-20 00:00:00 | Weblog
2006/7/20 (Thu) なんやかやと

 最近バタバタと過ごす日が多い。しかも面倒くさい要件ばかり。手伝ってくれないだろうかと周りを探すも誰もいない。仕方なく自分一人でぼそぼそとやっておる。うっとうしい天気の毎日が続く。何時になったらスカッと晴れるのだろうか。

しめしめ

2006-07-17 00:00:00 | Weblog
2006/7/17 (Mon) しめしめ

 海の日につき3連休となる。とりあえず記念日だから海に行かねばならぬ。しかし、海水浴をするほど天気も良くなくまたその元気もないので竿を持って行くことにした。Sさんを誘って昔平成天皇も来られた森の漁港へ雨がポツリポツリと落ちる中またまたゼンゴでも釣ろうかと行った。こんな天気でも結構釣り人が多かったのには驚いた。二人で3~40匹ほど釣ったところが丁度ジャミが無くなった頃。時間も5時になりストップする。
 2軒隣りのMさんがディズニーランド・ディズニーシーにご家族で行ってきたと話をされた。またそこで並んでいる時に家の子供に逢ったと言った。おかしいなぁ、子供達は廣島・札幌・香川にいて今のところ関東には住んでいないので人違いだとMさんに言った。かくして夕方札幌の子供からメールがありそれにはTDLに行ってきたことが書かれてあった。ありゃあ、やっぱりMさんが見たのは2番目の子供だったのかしらと合点。世間は狭いとあらためて思う。

坊ちゃん球場

2006-07-16 00:00:00 | Weblog
2006/7/16 (Sun) 坊ちゃん球場

 先日出身校の同窓会に出席したので母校愛がニョキニョキと出てきたのであろうか、夏の高校野球県大会でS高対T高の試合を見に行った。40年振りに我が母校のS高側に陣取り、果たして5回コールドを免れ9回まで闘うことができるか、などとからきし弱い母校の応援に馳せ参じた。対するT高のエースピッチャーはショウイチロークンといって近所の子である。小学生の時からソフトボールをしておりうちの4番目の子供とは仲良くしている。そのせいもあって両方応援したい気持ちも手伝い球場に行ったのである。ショウイチロー君は新聞やラジオなどで良いピッチャーだと言われ前評判通り1安打に押さえて我が母校を7回コールドで押さえた。
 帰り道美術館にたち寄る。シベリア抑留の語り部であり今回の展覧会を催したYさんに会うためである。80歳になられたYさんは老いた表情を垣間も見せることなくかくしゃくとしてシベリア抑留の悲惨さを後世に伝えなければならないとあつっぽく私に話し掛けてくれた。

研修会あり

2006-07-15 00:00:00 | Weblog
2006/7/15 (Sat) 研修会あり

 月1のECC研修会がある。今日は別件で用事があるので休みを取ろうと思っていたけれど研修会の内容を聞くとどうも放っておくわけにはいかない気がしたので出席することにした。内容というのはキャリア形成支援についてである。クライアントの話を聴きながら今後の方向性を確かめ必要なスキルを獲得するための情報提供をするなど一連の流れに沿ったビデオを観て学習をした。問題提起あり、Hさんが部署を移動されてやりがいはあるものの今の仕事を引き続きやっていくことの自信が揺らいでいてどうしたもんだか、と話された。私はロジャースの職業選択理論から説明をしたけれどHさんはどう感じられたであろうか。
 それにしても今日の会場である県生涯教育センターは初めてはいったけれどすごく大きな建物にビックリした。4時半過ぎて外に出ると蒸し暑かった。

堀の内

2006-07-14 00:00:00 | Weblog
2006/7/14 (Fri) 堀の内

 7時から始まる暑気払いには少し時間がある。堀の内を散歩することにした。何年振りであろうかココを歩くのは。NHK松山放送局前の美術館ではシベリア抑留展をやっていた。ボーイスカウト活動をいっしょにやっていたYさんは最後のシベリア抑留引揚者である。私のうちに遊びに来ていつも抑留体験を話してくれていたのは10数年前、口を酸っぱくして言うのは戦争の悲惨さである。また、敵地での極限の抑留生活を通して人間のずるさ悲しさすばらしさを私の妻や子供達に語りかけてくれていた。そのYさんが中心となり大きく活動を展開していて、その一環として今美術館で2週間ばかし催事をもっている。顔を見ようと行ったけれど閉館の時間であった。横には昔丹下健三さん設計の屋根が貝殻のようであった県民館があったけれどすでになく新しい美術館に生まれ変わっていた。ずいぶん変ったものだ。競輪場兼陸上競技場も壊したままの荒地に夏草が覆っていたしプロ選手を輩出した市営球場もスタンドを壊しグランド一面土を掘り返して荒地になっていた。奥のほうにあった四国がんセンターは家の近所に移転している。時代が変ったことを確認できる場所の一つとなったようである。日没時の夕方やけに人が多い、しかも30歳代以上の人たちがほとんど。市民会館に列を作ってなしている。駐車場のガードマンに今日は何事かと訊ねるとチューブのコンサートだとか。あ~そうか、ナツはやっぱりチューブだなと納得。