年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

新聞を読むと

2015-10-26 19:39:16 | Weblog
 全国紙や地方紙、経済新聞に流通新聞や産業新聞の5紙を取っていた時期もあった。当時どのような読み方をしていたのか思い出すことができない。産業新聞や流通新聞は当時週に数回の発行だったから毎日5紙というわけではなかった。ところが現在取っている新聞は0。何も取っていない、妻の事故時に1紙のみ取っていたがそれも止めた。理由は現場の記者の取材力の疑問と評論家風の記事と社の人より外部原稿買入れ記事増加のエエ加減さが面白くなくなった・・などと理由をつけたいところであるが、単に読む時間と読む心のゆとりが無くなったことにつきる。ところが・・ご近所のHさんがいつものガゼボで地方新聞を読んでいるのをまわし読みをさせてもらったところ、懐かしい名前の歌人が紹介されていた。彼女の名前を「道浦母都子」という。反戦歌人である。このブログにも数年前に書いたことがあったがいつ頃かは忘れた。代表作に  がある。
 哀しみの裏の一直線の孤独を感じる歌が続いている。
 この本どこへやったかとしばらく探すも、不明。かわりに今まで探していたけれど見つからなかった本が見つかった。
妻が移動図書館で借りた本は、さだまさしの「風に立つライオン」。
 歌手さだまさしの歌。
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 これは4男が学ぶ大学で、モデルとなった柴田先生、上記の「僕」から講義を受けたとか。自分はなぜ医療の現場を目指したのか、これからの医療はどうあるべきか・・・のインタビュー集。その本はこちらの「風に立つライオン」。この本を本箱の隅で見つけた。
 さだまさしの唄の主人公「僕」も辛さの裏の一直線の強さと孤独さを思う。

 朝5時過ぎの東の空は、暁を超えて東雲。

 吉兆草が咲いてる。何か良い知らせの前触れだろうか・・。

 夕刻確かに美味しい報せがあった。知人のシローさんが自宅裏で栽培しているヒラタケを持ってきてくれたのである。さっそく茸をオーブンでマーガリン焼きにして、やんごとなき一人晩飯をかきこむ。今夜10時の船便で帰ると妻からの連絡あり。帰っても数日でまた奈良に舞い戻る予定。義母はまあまぁ落ち着いているとのこと。