年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

事故と手術と新緑と

2012-04-30 21:50:33 | Weblog
 昨夜10時半に4男から電話連絡があったのは、自転車が縁石にあたってそのはずみで体が投げ出され額から血が出ている、その傷もかなり深そうだから迎えに来てくれ、というものであった。電話口では大丈夫だと言ってはいたが…
 で、今朝救急病院である赤十字病院へ連れて行くと、ものの30分もたたないうちに縫合してもらったとか、来週抜糸するからまた行く必要があるとか、そのような話をのんきに説明してくれた。痛くないかと問えば、いやぁ大したことはない・・などと云う。
            
 それでは新緑を見に行こうかと誘うと、気晴らしに行くという。実は今日はIさんやKさんと銅山越に行き花を見ようと約束していたけれど、あいにくの雨で、朝6時半にそれぞれお二人に中止の連絡をしたばかりである。その時は強い雨が降っていたけれど11時には降ったり止んだりの空模様になった。別に雨の中を歩くことが嫌いでもないので、小雨でも行ってみようと4男を誘った。東洋のマチュピチュといわれる東平には毎年この時期に来ている。天気の良い時は駐車場もいっぱいで車を入れるのにも待ち時間があるのがGWの通常パターン、しかし今日はあいにくの空模様につき人も少なくまばらであった。車の中で二人でお弁当を食べて、ヒカゲツツジとミツバツツジを見たくていつもの道を歩くこと30分。きれいなクリーム色したヒカゲツツジとピンク色したミツバツツジに今年も会うことができて満足。
  
 それともう一つここに来たかったのは、銅版で作るレリーフである。妻が60歳になるのでそのお祝いとしてまたまたプレゼントのために4男と一緒に作ることにした。前回はスミレの花にしたので今回はコスモスの花を作ることにした。4男も力を入れて銅版に鏝を当てておる。仕上がりはどうなるか…

画廊 une fille

2012-04-29 21:34:32 | Weblog

 朝日新聞4月27日付見出しから:漫画家を夢見て東京で働きながら、うつ病に苦しみ突然亡くなった24歳の愛娘。今年13回忌を迎え、母親で元今治市玉川近代美術館の学芸員の・・・さんが松山市南梅本町に“自宅画廊”を建てた。
 29日からの開幕日として記念のバイオリンとピアノ(一部オカリナ)音楽会がある。新聞にも載っていたが、実は「こころ塾」にも案内状が来ていたので、場所を見ると自宅近くでもあるし、一度覘いてみたいと思っていた。亡きわが子に対する無念の気持ちがこのようなわが娘の作品を展示したい気持ちになったのだろう。そして、天国にいる娘に届けとばかりバイオリンとピアノの音楽会で演奏された曲目であるアメイジングレイス、涙そうそう、上を向いて歩こう、川の流れのように、琵琶湖周航歌、また君に恋している、主よ望よ喜びよ、などの演奏を目を閉じて聞き入れば、この13年間という永遠からすれば瞬時である短い時間は、親から子へ話しかけてきた時間の主題歌であることを容易に推測することができる。画廊いっぱいに入ったお客さん20数人と一緒に聞き入った。誘ったHさんもよかったとの感想。
    
 うつで苦しんだ娘を救えなかった親のお気持ちはいかばかりかと、母親である画廊の主人のあいさつをお聞きしながら心中を察した。画廊は住宅街の1軒家を立て替えたものであった。

ゴールデンウィーク

2012-04-28 00:00:00 | Weblog
     
 自分の中では、今になって突然新緑の季節に変わった感じがしている。つい先週までは雪があり氷があるような日常の風景があったような感覚であったけれど…しかし今月からわりとゆっくりしたリズムで生活しているためなのか、さぁ連休が始まる‐あれしよう、これしよう、みんなであそこに行こう、ここに行こうなどまったくない。ただぼんやりと日向ぼっこを楽しむために暑くない程度の木陰をもとめる程度かな、と思う。ただ、友人と約束したのは30日にヒカゲツツジやミツバツツジを見るためにいつもの銅山越にIさんと行くことにしたけれど今回はジョブカフェのKさんにも声かけてご一緒することになった。これが1件。もう一つは5月3日か4日にこれまた例年の行事ごと、ウドの深山の香りを嗅ぐために城川のM君ちに行く約束をしたくらい。M君も30数年在籍した農協を3月末で退職したと挨拶状が昨日届いたのでぜひとも労をねぎらいたいと思う。M君が退職して一番喜んだのは、奥様のTさんであった。お伺いする日を決めるために電話を入れると、Tさんは弾んだ声を私に届けてくれた。今日は主人と久しぶりにデートをしたんですよ~、と嬉しそうに話してくれた。主人が退職してくれてこれからずっと一緒にいることができる…などと電話で話していた。

 気温がぐんぐん上がる午後、母親を誘い温泉へ。私の誘いの日だけがお風呂に行く日である。毎日入らないと気持ちが悪いと言いながらも寄せる年波により1週間に1回の入浴になっている。ただしいつも母親は、家のことより自分のことに時間を使わされて、K子さんにすまない・・・などと云っているけれど。

通知

2012-04-27 21:29:37 | Weblog

 今日は温かい。気温もグングン上がっているのが肌で感じる。というものの自分は着るものにおいてまだまだ冬物から少し薄くなったくらいで、今もって手足が冷たく、朝方など寒く炬燵があればいいほどである。ましてや今朝は4時起床だから朝方の温度も低いはず、しかし6時ころ起きてきた妻に、オハヨー今朝は寒いね・・などと声をかけると、インヤ今朝は寒くないよ~の声が返ってきた。身体の調子が今一つ本調子ではないのだろうか、と思う。
 内田樹著「下流志向」を面白く読んでいる。学びからの逃走・労働からの逃走について若者の顕著な傾向がみられる背景を面白く読んでいる。その中で、自分たち日本人の特質である、共同や和の現状から急に自己決定を強いられる?今の若者の息苦しさを読み取れる内容になっている。自分で進路を決定しなさい・・などと急に云われても今まではみんな一列の中で育てられ、洋服ひとつとっても通学服がみなと同じであり、一緒に食べる昼食もみなと同じであり、同じように列を乱さないように規律され教育されていたのにある日突然、これからは自分で決めなさいと言われても・・・もともと土壌がみんな一緒の中で育てられているのに、さぁ今後は自分で自分自身を振り返り自分の強みなど見極めて今後のことを決めなさいなどと周りからの意見が急に変わることは厳しいと感じるのは当たり前か。隣がジャガイモ植えたから、こちらもジャガイモ植えをしなければならないなど農耕民族出身の自分たちは常に横並びであることが安全であるなどと小さい時から植えつけられている。だから突然学生時代から飛び出して社会人になる時、横並びではなく自分自身が最も自分らしい自分を発見するに至っては大変であることがわかる。
 今日先日面接を受けた刑務所から就労支援の仕事について採用だとの通知連絡がポストに入っていた。
 

PTさん

2012-04-26 21:24:37 | Weblog
 「こころ塾」のメニューの一つに復職支援プログラムがある。こころが詰まって身動きが取れなくなり、Drから“うつ”と診断された人たちがやってくることが増えた。日常生活の不便さを抱える人、仕事に向かうことが困難な人などがやって来られてこころの回復を待つ。むろん、ここは心療内科などではないので医療行為などするところではないが、よく患者さんが医師から紹介されてやってこられる。県内一円のみならず県外からも相談を受ける。今日やってこられた人は車で90分もかけてやってこられた青年であった。隣に座りPCに向かい作業をしながら、いつものようにおしゃべりをする。仕事の話になった。PTをやっていると話しかけられた。聞くと前に勤務していたところは、意見が合わなくDrと衝突してしまい落ち込んで這い上がることができなくなって休職したとのこと。奥さんもお子さんもいることで仕事だけでなく家庭生活においても経済的にかなり追いつめられて、息ができなくなって、パンクしてしまった、と話してくれた。理不尽なことを要求されて受け流すことができなく、しかも自分の人の良いことを利用されてできっこない仕事を量的にかなり回されて、しかも断ることができず…などと思い詰めた表情で話しかけてきた。このような話を聞きながらも作業の手を休めもせず動かしていたので、思わず私はtea timeにしようじゃないかと提案。   私は聞きかじりの県内におけるPTやOTについて知りえた話をすると、彼はニコニコ顔になり話が弾んできた。

面接とお葬式と

2012-04-25 00:00:00 | Weblog
 今日は忙しい日である。11時から叔父の葬式があり、それとは別の12時50分集合13時半からの面接もある。どないしよう・・と妻に相談すると、じゃ私がお葬式のみ出席しようか、と云ってくれた。妻も13時半約束でケアプラン対象者の面接が入っているらしい。それでは後で交代して私が加わることにしよう、私がお葬式に出席すると、距離的に離れているので面接時間に間に合わないかもしれないのだ。そしてこの2ヶ月ほど3男が自宅から通勤していて、しかも3男の車を修理工場へ持って行っているために我が家の車を通勤に使っているので、私の足とする車がないために身動きが取れないのである。だから今朝は私が3男を会社まで40分かけて送って帰って来て、それから喪服を着て妻が出かけて、昼までの間の午前中は家の主夫の用事をして、昼ご飯を食べる時間もなく面接に行くことにした。行った先は松山刑務所である。何カ月ぶりかに行くと担当官の顔ぶれも代わっていて初めての人ばかりである。面接に行った人は一人を除いて私の知り合いばかりだから、待合室はまるで雑談会のようで先方には少し失礼であったか…
 実は犯罪を犯す人の中で無職の割合が高い。仕事が無いことと犯罪件数は比例している。このことは5年間のハローワークにおける私の経験からわかる。そのことについて、本日の私の面接は刑務所担当官3人を前にして、面接を受ける感じより、私の方から仮釈放者や満期釈放者の就職を支援するために私がやってきた方法以外の良い方法について相談を持ちかける内容であった。ちとおかしい面接かもしれない。質問を受けながら、面接を受ける私の方が刑余者の就労について具体的にアドバイスをしているような変な感じ…
 面接をそこそこに済ませて、今度はあわてて葬式→斎場→法要→精進落としの列に加わるために、スーツから喪服に着替えて車を走らすこと50分。やっと法要に間に合った。妻は葬式終了後帰ったとか、斎場へは妹が代表して出席してくれたなどと耳にして私は曹洞宗の僧が読経を唱える後姿を見ながら祭壇上の故人の写真を見やり、叔父さんの人生はいかがなものであっただろうと想像をした。

通夜に行く

2012-04-24 00:00:00 | Weblog
 
 17回忌を一昨年終えた私の父親の兄弟は8人いた。そのうち昨年までに6人が鬼籍に入っている。年老いて残っているもの二人になったが、二人のうちの一人の叔父がなくなったと今朝連絡があった。私の父親のすぐ下の弟にあたる。戦時中は海軍にいたとかで、当時の厳しい生活をお酒の席でお聞きしたこともあり、名物の叔父であった。15年前に病院で癌を宣告され余命3年と云われたものの15年生きたことになる。で、今夜は東京にいる一人息子の家族が帰って来て皆でお見送りをすることになった。一人ずつ叔父や叔母が亡くなってゆく。

群れない・慣れない・頼らない

2012-04-23 22:08:11 | Weblog
 と云ったのは、日本画家堀文子さん。この三つのうち群れることにおいては、自分の苦手とするところ。頼らないことについては、自分はそのようでありたいけれど、振り返れば結構人に頼っていると思う。しかし慣れないことについては、今もって慣れないことをしていると思う。「こころ塾」設立年度からあくまでも非常勤役員の立場で折に触れ顔を出して、いろんなことを第三者の立場でしゃべっていて内部のことについて慣れていると思っていたが、週に3日ほど数時間お手伝いに行くと、アレレ慣れないことがこんなにも多かったのか・・などと反省しつつ慣れないことを楽しんでおる。慣れてくれば良い仕事ができるなどと誰が言い出したんだろうか、と思う。慣れてきた時から手際のいい手抜きを覚えるのは、人の生きる知恵なのかもしれないが、今のところ自分には知恵が無いようだ。そのうち自分のことだから手際の良い知恵が浮かんでくるだろうと思う。
 

研修会

2012-04-21 21:37:09 | Weblog
 今治での「高校生キャリア教育」についての研修会あり。昨年高校においてキャリア教育を担当されたECCAの事務局長Hさんの発表があった。
当県においては全国の中でも離職率が高いこと、キャリア教育を進める中でのツールなどの説明があった。
 

再びの浦河

2012-04-19 00:00:00 | Weblog
   
 マネキネマの会員になっている。年に4回自主映画会があり、面白そうな映画があるとチョイスして観ている。で、今回、南ぎんてん映画祭として上映されるもののうち選んだのは1938年の「按摩と女」と2010年の「小さな町の小さな映画館」の二本を観ることにした。「按摩と女」は高峰三枝子の若い時の作品である。盲目の按摩が、目が見える健常者より感が鋭いことを作品を通して伝えていた。しかし74年前の温泉宿の風景を見るにつけ高度成長を成し遂げた後の現代の温泉宿との比較をしてしまった。何も昔が懐かしいということでもなく、昔懐かしく当時に帰りたいなどとの感想はない。そして「小さな町の小さな映画館」は、先月尋ねた北海道浦河にある映画館・大黒座の物語であった。画面を見ていると、アレレこの映画館の前を通り、映画にも出てきたわかば食堂でかつ丼を食べたなぁ、そしてこのオヤジとしゃべったよ・・・などとびっくり状態。確かにこの小さな浦河の町は、人口1万4千人ほどの小さな町ではあるが他にはない面白い町だと思った次第。この大黒座の物語は以前名取裕子が出て映画化されたことも初めて知った。