年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

2分の一が終了

2014-06-30 00:00:00 | Weblog
 ラジオから。深夜便が終わる5時前、アンカーは遠藤ふき子アナ。4時58分○秒の残り時間が1分と数秒残っている。このような時の台本があるのかどうか知らない。何をしゃべろうか・・の話に人がよく表れるのだろうと思う。沈黙の時間が少し、間の空いた次に何を話すのだろう・・役者の尾形イッセーは、詰まった局面の次の展開が最も面白く人間性が現れる・・などと話していたことがあった。そして、遠藤アナは、残り時間の選択肢は、今年も半分終わりました。早いですね。次の半年も皆に幸せな半年でありますように・・と静かに語りかけておった。

 毎朝5時に起きてFIFAワールドサッカー決勝大会を見ておる。4年に一度の事だし、毎日仕事に出勤しているわけでもないので、などと思いながらである。予選リーグと違って、一段とプレーが各国ともにヒートアップしている。素人の自分が観てて思うのに、ミスが少ないことスピードの違い、チャンスをものにする確率が高いこと、そして体がやっぱ強いワ、ということ。
  本日の介護。母親がデイサービス利用(ていれぎ荘)につき家にいないので、今日のデイサービス(アイル)を血圧が低くしんどいからと云って休んだ弟を一人家においてあるから、お昼の弁当を持って言って欲しい・・と。ベッドに横たわることと、反動を付けながら起き上ってコーヒーを飲むくらいしか動くことができない。自分では何もすることができない弟である。食べる・出す・飲むなども付き添いが必要なレベルではあるが、頭は動いておる。よって二人で昔話をする。弟が昔、昔を懐かしみ、目を輝かせて女性にもてておった話などを面白く聞いていると、3時ころ、デイサービスから母親がヘルパーさんと帰ってきた。
 夕方は6時半から8時まで松大にて刑法の講座あり。

しのぶ会

2014-06-29 21:49:05 | Weblog
 メンタルケアがある。対象喪失感におちいる人に対してどのように接していくのか、という問題に対してのケアが含まれる。依存対象が、配偶者であれば、その夫であれ、妻であれ、子であれ亡くなった時の悲しみにいかに処するか、ということは誰にでも起こりえる日常であろう。胸の中ががらんどうになり涙さえ出ないような悲しみが近くの人に襲ってきたとき、自分はどうすることがいいのか・・・

 年を取るさみしさにどう付き合えばよいか、は自分だけではない。自分の場合は93になる母親の愁訴に付き合うことが続いておる。何もやる気が起きないとか、何を食べてもおいしくないとか、眠れないとか、早く向こうに逝きたいとか、迎えに来てほしいとか・・の愚痴にも似た希死念慮につきあうことがある。長生きし過ぎた、などはいつもの口癖。
  一つ一つの言葉に反応しないように、答えることより、気持ちに沿って、うなづくことの方が後味がいいものの、ついついうるさくなり、あらぬ言葉で答えてしまう。寄り添うことはなかなか難しいものだ。
 人生で起きた喪失感を解決できるのは、他人ではなく本人のみ、とは知っているものの、こと肉親ともなると、もろ本音の戦いになるけれど、そこが他人であればまた違ってくる。
  本日この前突然亡くなられたK先生をしのぶ会がある。先生の奥様や娘さん息子さんとご近所さんが集まっての先生をしのぶ会である。先生は喜ばれたであろうか。

どこ行く

2014-06-28 00:00:00 | Weblog

 どこか旅行に行こうか、どっか何かおいしいものを食べに行こうか、どっかきれいなとこ行こうか、何か面白い映画見に行こうか、すべて拒否にあう。唯一、散歩行こうか、のみ同意する日々につき・・・

 で、今日は、どこの病院行こうか、である。朝から頭が痛い、吐き気がする・・というではないか。アッチャ~風邪ひいたんちゃうか、自分は、鼻からうがいの効果が出て、のどの痛みがなくなったし、熱もほとんど取れたようで、私と交代するかのように今度は妻が、横になっていることが多くなった。夜になってもお茶を飲んでも吐いてしまう有様。やっぱり病院へ行こうよ、と。今夜の救急病院を探すことに。市内の東の果てから西の果てまで移動することになった。1時間ばかし点滴をすると少しだけ気分が良くなったみたいだけど・・・

 世界療法学会に出席の長男から。ヨーロッパの国では認知症を国の政策レベルで対策をしている、などと話していたが・・。

やっぱり熱が出た

2014-06-27 18:04:32 | Weblog
 昨年から風邪をひくことはなかったけれど、ついに引いてしまった。体温計で計ってみると7度5分、刑務所内での講話を終えて自宅ですぐに横になった。今日の講話は現在改装中の西条刑務支所の職員も参加したいという。西条支所がこの秋から女子刑務所に変わることで、改装しており、職員が今こちらに移っている。


松山刑務所 講演主旨   6月27日

① 初めの話
※サッカーワールドカップの話
負けることの意味 無駄なことではない 大切なことでもある
8勝7敗の生き方 勝つことばかりでなく負けることを自分の中に取り込む
負けを認める大切さ
     どんな経験を持って乗り越えた人が本物の人になるのか
     電力王・松永文左衛門の例
「大人物になるには、破門と懲役と大病の3つを経験すること。」
    「同じものでも考えひとつ。やる奴はやるように考えるし、へこたれる奴はへこたれる方へ考えてしまう。」
「(世間からの非難に対し)生きているうちに鬼と言われても死んで仏になりてかえさん。」
「忍ぶときは、見栄や外聞を気にするな、じっと忍耐しろ。尺取虫だってのびるためにはちぢまるじゃないか。」
「自分の力を本当に出し切らんのは、自分を信じないからなんだ。」
 「世の中には人を馬鹿にしたがる奴と、馬鹿にされることを気に病む者とがある。いずれも馬鹿な話で、世渡りには、人を馬鹿にしてもいけないし、馬鹿にされても馬鹿にならぬ、その心がけが大切だ。」
「勝ち負けがあるからには、いつも必ず勝たねばならぬとは限らぬ。負けても良いし、むしろ負けるが勝ちという場合が多い。勝ち負けの結末は、上手に勝てばそれにこしたことはない。上手に勝てなければ、むしろ上手に負けた方がいい。」

② 人はなぜ働くのだろうか⇒質問
   餌を確保するためだけ?であれば動物と同じか、蜜を集めるため?であれば蜂と同じか
    “人“はなぜ働くの?
 マザーテレサ:私たちは、成功するためにここにいるのではありません。誠実であるためにここにいるのです 神には、罪を犯した人も、掛け替えの無い人です

③ 私の就職活動の場合
       幼少期の性格から現在に至るまでの話
④ 現在の雇用市場について
  求人数は増加、契約社員・アルバイト・パート増加、時間帯が不規則な求人 求職者数は減少 
   人手が足りない職種 農業・漁業・介護・飲食業・営業販売 完全失業率3.5%
採用される人の共通点 採用されるためには
  やる気 積極性 協調性 自分が経営者の立場であればどのような人が好いか
⑤ 面接で相手に伝えなければならい事
   自己紹介と志望動機の二つ。 自己紹介とは何を紹介することか。 志望動機とは何か

⑥ 釈放された直後に何をどうするか、どのように仕事を探せばよいか
  コピー配布
⑦ ハローワークの利用の仕方   
⑧ 締めの話
  と、まぁしゃべったが、今日の刑余者は今までより真剣な顔して私のアホな話を聞いてもらっていた感じがした。
 今朝Nさんより連絡あり。9月講演のための資料を送れ、とのこと。

風邪を引いたかなぁ

2014-06-26 18:39:36 | Weblog
 昨日の夜からどうも喉が痛くなってきた。今朝は少し熱っぽくもなってきた。咳が出る、たんが出る。こりゃやばい。置き薬から薬を取り出す。風邪ひきは早く治すに限る。

 で、いつものようにうがいを徹底的にやることにした。鼻からうがい水を入れて口から出すアレである。これを繰り返してやっていると、のどの痛みも少しは和らいだようだ。
 明日はまた講演をしなければならない。釈放前の刑余者にどのような話をしようかと、熱でぼんやりする頭で考える。

 朝一の電話連絡は、ヘルパーさんからであった。母親が食欲がなく、今日予定のデイサービスをお休みにして、近くの病院に行き点滴をしたい・・と云っている。連れて行ってもらえないだろうか・・の内容である。即OKですと返事をしておいたが、近くの内科医院に連れて行ったのは3時も過ぎていた。でも思った以上に元気であったので一安心。

時の移動

2014-06-25 00:00:00 | Weblog
 FIFAワールドサッカーの日本の戦いを想う。戦前、優勝を目指す、と云った選手の予想をはるかに超えた異空間での出来事のまとめである。一言であらわすと、身の丈を知らなかった、だけではなかったか。と思う。一つも勝つことができなかった、の事実。願望から失望への至る道は短かった。

 このような局面に遭遇した時にはどう考えることが適当か、などとカウンセリングの教科書に書かれている。つまり過去は変えることができないが、未来は変えることができる・・などの百貨店のお中元セールにも似たキャッチフレーズのことである。学習能力を発揮して過去を反省し次の局面に備えるなどのこと。果たしてそれが有効であろうか、そもそも経済至上主義の有効などの漢字が適切ではない・・と思うが。

 所詮サッカーは、遊びである。応援側の自分たちにとっては、職業としない遊びである。遊びから逸脱するがゆえに歯がゆい、悔しいなどの湧き上がる感情であればまだ良いが、悲哀にまで発展すると遊びから逸脱してしまう。でも本当はこれからの16チームが戦うサッカーが面白いと思う。そこに日本がいないだけで・・・

 こころ塾の今日の利用者さんの多さに驚いた。玄関ドアを開けると靴の脱ぎ場所がないほど。聞けばBe型就労支援事業所を利用希望の見学者さんがたくさん来ていられるとのこと。

 予約の継続相談者の話を相談室で聴く。そして質問をし助言をする作業が続く。私に与えられた着地場所は、相談者の復職である。青年が再び職場に復帰できるように支援することである。まだまだ手放すことができそうにない。しばらく元の職場に通勤しながら、医師とこころ塾とで組んで支援しなければならないだろうと考えている。
 夕方からビアガーデンで暑気払いあり。刑務官、法務官スタッフと親睦を兼ねた会である。遅れて参加する。こころ塾を出ようとした時に1本の相談電話があったためである。聞くと3か所のドクターショッピングの事。一人の医師、一つの病院を信頼できない自分は間違っているのだろうか、の意見を聞きたかったのだろう。不安障害である。自己決定できない不安を抱えている。
 時間軸をたどってみると景色は変わるよ、確実に。
 (2012年グーグルストリートビュウの絵)
 この五差路の角っこは、子供が小学校に通っている時には、自宅が近いにもかかわらずトイレが我慢できずついつい・・・そこに新しく家が建ったよ。

昼寝をする

2014-06-24 21:41:54 | Weblog

 このところ毎日のように昼ご飯を食べた後、急に眠たくなる。ソファに横になるといつの間にか(妻によると)グーグー寝息を立てて寝ておる。時間にして1~2時間になるだろうか。それでもなかなか疲れが取れない。昼中そんなに寝ると、今度は夜に眠れなくなる・・と云われるも、夜は夜でしっかりと眠っておる。ちょうど昨年の今頃、眠剤を飲まないと眠ることができなかったのとは正反対のようである。いくら寝てもまだまだ眠い。疲れるようなことを全くしてはいないにもかかわらずである。お仕事と云ってもわずか4時間ほどの仕事だし、肉体を酷使するものでもないだろうに・・・
 
 今日の相談者は、足首にグルグルと包帯を巻いていた。歩行困難につき、連行されることなく私の方から彼の入っている閉居房、共同房のある棟に出向いて行った。其処は病人やけが人を収容する病棟である。病棟ではあるが刑務所内の病室になる。医師がいるが、もちろん鉄格子がある。
 彼は近々仮釈放されるので、塀のない刑務所・大井造船作業場から移送されてきた。大井造船作業場出所者は、こと釈放後の就職についてはかなり優位なところにいる。多くの資格を取得しており、寮においての自律訓練を経験しているだけに、他の受刑者と比較すると秀でている。それもそのはず大井造船作業場に行くものは面接や試験?などがあり、作業場に行く前には志望動機など聞かれたりして多くの刑務所から選抜されてきている中でも優秀な人である。その彼と釈放前の就職相談となる。逮捕に至る罪名によると、まだまだ釈放後も保護観察所での矯正教育プログラムが待っている。

 それで疲れたのだろうか・・眠ったしまったのは。おかげで午後からお買い物や図書館に一緒に出掛ける予定にしていたのに・・で、叱られたけれど、夕方、ガバッと目を覚まして市内のコミセンの図書館に行く。
 今夜もこの時間になると何度もあくびが出ておる。布団に入ろうと思う。明日の朝は、最後のサッカーの試合を見ようと思う。最後くらい、負け方がすごい・・と思わせるような負け方をしてくれればありがたい。負け犬の遠吠えは聞きたくない。勝つ事なぞ考えてもいないが、妻は1対0で勝ってほしいと云っておる。でも。前2試合を見るかぎり、身体的能力と技術力、最終的な決定能力が世界のトップレベルとは段差違いにも映る。

今日の動き

2014-06-23 21:44:38 | Weblog
 動くの漢字ににんべんを付けると、働くになる。だから今日の働きは?。

 めちゃくちゃに疲れた昨日と、それでも一晩眠って朝起きると、少し体も軽くなった。それにしても奈良の義母はすごい。89歳の身体で一人で奈良・吉野から近鉄、御堂筋線・四つ橋線・ポートライナーに乗継ぎ南港まで。そして一人でフェリーに乗りこちらにやってくる。バイタリティあふれる強健な身体でもない、にもかかわらずやってくる。昨年6月の一人娘である妻の事故見舞と今年3月の3男の結婚式に来ていただいた。申し訳もなく有り難いと思う。

 昨日の散歩をしていないので、さっそく1時間かけてお散歩をする。私は腰から足が痛むために休み休みしながら歩くに比べて妻はゆっくりではあるが愚痴も言わず痛いとも言わず歩く。親娘ともどもすごいすごいと感嘆する。
 
 こころ塾の4半期会議あり。計画や目標との進捗度合のチェックやら問題点の洗い出しを終えると新人の傾聴ロールプレイングあり。この会を終えると次は、毎週月曜日に行われる「刑法と犯罪」の講座に出席。220条逮捕・監禁罪について学ぶ。でも講義中は少し理解できていたところも、どうしてだか時間が経てばすっかり忘れておる。講義を受けたことは覚えているが内容をすっかり忘れておる。ボケが襲ってきている。もしかしてボケに自分は監禁されておるのではないか・・

ホスピタルショッピング

2014-06-22 00:00:00 | Weblog

 セカンドオピニオンのためのドクターショッピングをしているわけではない。自分のすぐ近くの近親者が次々と入院手術をし、お見舞いし続けることが止まらないからである。
 
  で、今日のお見舞いは二人で奈良の義母のもとへ。
 実は、先週の水曜日に右足の大腿骨人工骨頭置換手術をしたばかりである。先週の日曜日にベッドから足をおろし立ち上がった時に手で支えるものがなくそのまま倒れた。その時に骨折し救急車で運ばれたのが橿原市の平成記念病院。奈良県立医科大学付属病院の前にある。

 義母は、妻と母親と同じ手術を受け同じリハビリを受けている。
 この数年の間、病院や医院、診療所をいくつ廻ったんだろうか。数えたことはない。でも病院には医師がいて看護師がいて補助をするスタッフがいるのはみな同じ。おんなじだけれどもみんな違う。その違いはなんだろう・・と考えた。
 言葉なんだろう、と思う。一人一人の患者に対する、あるいはご家族への、それぞれのスタッフさんからの言葉がけなんだろうと思う。医療技術、リハビリ技術の専門分野は自分は知らない。知らないが説明を受ける際の言葉は、みな違う。相手の気持ちを掬い取る言葉。それともう一つ違いを知らされるのは、スタッフの表情、特に笑顔の違いも患者側に立ってみればよく観察することができる。昨年から同じ手術をした県中病院、赤十字病院と橿原の平成記念病院がそれぞれ違っていて、サービス業の中の医療サービス業として客側の視線で見るとこんなに違うのかと考えさせられた。IC、インフォームドコンセントによる患者参加型の医療サービスでもない。治すのは本人の意思なんだろう、病院側はその意思に沿って支援をすることなんだろうと思う。手術をして治してやる、だから俺の言うことを聞けと云わんばかりの上から目線の横柄な医療行為とその医師、反対に患者を真ん中において、限りなく励ましや傾聴、医療技術で支える病院側の差異は、いったいどこから生まれるんだろう。hospitalityを考えた。
 ここもPT・OT・STさんは100人ほどいられるとお聞きした。妻や母親が入院した松リハと同様にみな若い人であった。患者さんとゆっくり丁寧に笑顔で接している。コミュニケーションを大切にしている現場を見せていただくと、妻も安心しておる。
 おりしも、長男が金曜土曜日に横浜みなとみらいで世界作業療法学会に出席しているとメールがあったけれど、世界的にはリハにおいてどのようなことが議論されているのだろうか。
   阿倍野ハルカスはやっぱり高かった。3月オープン前にはこのビルで就労する従業員○千人が、いまだ募集人員に達していない、などと報じられていたけれど、今どうなんだろう。サービス業にあるだけに、やっぱり人に依るに違いない。
(札幌の次男から・孫のY君と月寒のスケートリンクでスケートをやっている、と。近鉄百貨店地下の食品売り場でウロウロしていると、九州の4男からも連絡あり。雨につきサッカー練習なし。朝から部屋の片づけをやったとか。そして酢豚の作り方を教えてほしいと妻に教えを乞う電話。3男の様子は、お嫁さんのつわりによる食欲がないことの心配中。みんなそれぞれの地方での生活の様子)

やっと梅雨が今らしい

2014-06-21 17:44:08 | Weblog
 良い雨が降る。雨の効用はなんだろうと、プラス思考をしてみる。雨をマイナス発想する人がいる中で考えてみる。まず農家さんは嬉しそうな顔をする。特に今の時期、田んぼの水の管理に注意をしなければならず、ホッとしている。次は雨の音で心が落ち着く人がいる。これはざわめく人の喧騒から逃れるには都合がよい。でも自分の場合、一番良いことは、空気が濃く感じられる点にある。思いっきり深呼吸をすると肺の隅々まで濃厚な空気が入り込む感じがする、よって空気がうまい。それにやっぱりアジサイは雨がよく似合う・・・

 先日三浦アート美術館に行ってきた話を友人Hとしたところ、まったく美術方面には縁がなさそうな体育会系の彼は、お前さんは絵なんかわかるんか?などと元野球部控えのピッチャーであった彼からど真ん中ストレートの質問が来た。むろんその球を打ち返すべく自分が返したのは、ワカランヨ、である。
  自分には作品の良し悪しは全く区別がつかない。特に抽象画なぞは。でも、いろんな美術館に行き、著名な作品のそれらを数多く顔を近づけディテールに見たり、またちょっと作品から離れて見ることを続けることにより、ど素人の私でさえ理解できることは時代を超える作品は、隅々の細部にも手を抜いていないこと、全体の概略から受ける、あるいは伝わってくる何かがある。それらの作品から素人の作品に目を転じた時に、やっぱり違うワ・・何が違うのか、はうまい下手ではなく、魂が宿っているか、いないか、稚拙の物差しではなく、キャンバスから現れ出てくる何かがあるかないか・・・
 雨の降る前の午前は60分のお散歩。猛烈に疲れた。さっそくソファに横たわると眠っていた。目覚めて見ると薄い大きなショールがかけられておった。夕方母親のお買い物の付き添い。紙パンツやら洗剤など。それから奈良へ出発とする。義母の所へ行く。