年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

あとひと月で今年も終わり

2013-11-30 00:00:00 | Weblog
 たぶん1月には妻も家に帰ることが出来るようになるだろうと思う。家の中も片づけなければならない。実家から運び出した荷物も少しずつではあるが整理している。その中で見つけたものは、切抜きの地元新聞であった。昭和39年4月21日(水)とある。
 実家のすぐそばのお寺さんの徳円さんの記事。そういえば毎日カヌーを担いで海に行き沖合をすごいスピードで漕いでいた。当時オリンピックの候補選手であったことを思い出した。
 朝ごはんを食べてから病院へ。今朝の一人メニューは、パン1.5枚、豚まん1、ヨーグルト、目玉焼き、キャベツと鶏肉炒め、バナナとリンゴ、コーヒー、青汁。これで朝昼いっしょとする。栄養的にどうだとかはわからない。

 病院へ行くと懸命にリハビリ中。歩くことと日常生活の中での動作をあれこれ訓練している。

 PTさんの支えなし、杖なしで歩く。
 夕方6時前まで外を歩く。1キロ歩きました・・などとPTさんが話す。
昼間の石鎚は気持ちよい眺めであった。


こんな日は

2013-11-29 21:21:04 | Weblog
朝陽の当たらない雪雲が上空を支配する日は、一日中身も心も荒んでくるような・・・
  皿ヶ嶺も積雪、上林も雪。
 昼になっても相変わらず。

 家に帰り外を見ても天気は回復せず。なぜか今日は自分の車を追い抜いて走る車が多い。自分は法定速度で走っているのに・・・

 どんな人になりたいか、と今日の面接相手に聞く
・我慢ができる人
・素直な人
・楽しい人
・心身ともに健康である人
・ウソをつかない人
 ネットで調べると
・人間関係が良く、後輩の面倒をよく見る人
・プロフェッショナルである人
・空気を読んで仕事できる人
・言い訳をしない人
・多趣味で、プライベートが充実している人

 そのような些細な抽象的なことどうだっていいではないか、そのような人が周りにいると、こちらが今朝のような天気になるではないか、仕事をガンガンやる人がそばにいるだけでこちらが緊張するではないか。そんなことより、どんな人になりたいかと、なりたい自分を考えない人が一番いい・・・
 そのようなことを思いながら、今日も仕事デー。
 このような兄弟が最高よ。

今日もサム

2013-11-28 00:00:00 | Weblog
 今年の夏は暑かった。10月に入っても30度を超えた日もあった。いつも暑さ対策を考えていた・・と思うが、どうだったのだろう。暑さ忘れて喉元過ぎれば・・今度は寒い。寒さ対策考えて・・・暑いも寒いも病院に行けば、涼しいし温かいし。ベッド上の妻に、今日は寒いワ、エエなぁこの部屋は温かいなぁと話しかけるも、ウン、そのようね・・などと窓ガラスの向こうを見てから返事が来る。朝から夕方までリハビリが続いている。途中1時間くらいの休憩があるものの、ベッドで横になったり、隣の人と折り紙をしたりしている様子。
 杖を選ぶ、今日は花柄模様の杖。
  歩く 歩く
 そして疲れると

 マッサージとなる。


168日目

2013-11-27 19:48:04 | Weblog
 今朝の7時前の天気予報によると朝の内はいい天気、でも夕方になると雷を伴う雨が降る、と報じていた。

 雨が降る前のいい天気の中お散歩。コースは池のところ。

  この秋、稲も刈り取ったことだし、水田のための水も不要につき、池は干されている。
  土手を歩くと向こうに病院が見える。そうだ、今日は夕方PTさんにOTさん、地域連携スタッフのOさんと妻が、自宅でも動きやすくなるようにトイレやふろ場、また玄関アプローチなどに手すりをつけてもらうために、業者さんと合わせて7人が来宅予定である。その前に洗濯物を取りに行かねば・・今朝は入浴予定であったから。いつものコーヒーを持参して自転車で小野川沿いを行くことにする。

 ちょうど雨が落ち始める4時過ぎに、妻が168日振りに我が家に帰ってきた。家に入ると同時に近くの山から稲光と雷が大きな音を立てた。山の神が激しくお祝いしているようだ。
  帰るや否や、妻とOTさんが風呂場やトイレ、また台所、階段など妻の実際の動き方を見て判断し、手直しをする必要があるところを業者に説明をしている。点検を終えると踵を返す如く、妻は病院での夕ご飯時間前に舞い戻った。2時間足らずの自宅滞在であった。久し振りの我が家の感想を聞くと、変わっていないね・・想像していたより片付いてるね・・トホホである。母親がよく自分に言いつけている昔からの話に、女は家の土台である・・・ってこと。

今日も1冊

2013-11-26 15:41:18 | Weblog
 昨日の朝日新聞の記事下広告で見つけた岩波新書が、むのたけじ著とあった。著者が懐かしい。珍しく古本ではなく、早速本屋さんで購入する。パラパラとめくる。毎日の日付入りの言葉が並んでいる。むのさん独特の書き方である。自分の誕生の日の言葉を探す。「いのちは睡らない。休まない。日々8万6400秒を働きづめだ。みんな、いのちに応えて生きなくては。」、と記していた。

 朝方仕事に出かける前、紅葉したケヤキに朝日があたる駐車場でMさんと立ち話。話題になったのは、昨日の南予での交通事故のこと。なんでも80歳のダンプの運転手が対向車線を飛び出して車と正面衝突したとか。二人で話題になったことは、80歳にして現役の運転手の仕事をしていることであった。この年齢ともなると通常仕事をしていない人が多い。にもかかわらず現役で運転手の仕事をしていることの背景は、いかがなものであったか・・ハローワークでは、高齢者の雇用について60歳にしてまだ働きたいという意欲はわかるが、つまり就労意欲はあるが、仕事能力は確実に低下している、と教えられた。だから60歳定年である。確かにキャリア形成において、年と共に身体的能力は落ちるが、年齢を重ねるごとに反対に職業能力がアップするところもある、という発達理論を出した学者もいるにはいたが、果たしてそれがダンプ運転手に当てはまるのかどうか、わからない。
 今は、突然やってくるものではない。昨日までの過去の継続されたものが積み重なり、結果としての今がある。そして今が明日へと続くことになる・・と考えると、ダンプの80歳運転手は、今までどのような過去があったのだろうか。Mさんと二人で推測することになった。80歳にして現役の運転手とは、いったい何か、について話が深まる前に私の出勤時間となる。
 はたして、帯紙にあるように、80歳のダンプ運転手は、何かをやり遂げるために仕事をしていたのだろうか、それとも現世にやり残したことを埋め合わせをする必要性があったのだろうか・・・
 今日の松リハ、1周100mの回廊を妻と二人で歩いた。もちろん介添えなし。二人で横に並んで歩いたのは6月の何日以来だろうか。

今日の1冊

2013-11-25 21:02:51 | Weblog

 近頃、深夜に目が覚めて眠れなくなり、起きることがほとんどなくなった。今朝も11時前に寝て目が覚めたのが7時43分であったから慌ててしまったほど。というのも先々月から泌尿器科医院に行き前立腺のお薬を処方してもらったのが功を奏したのか、夜中にトイレに行くことがほとんどないからである。6月の事故以前は、1階で寝ていた妻からも、夜中によくトイレに行ってるね・・と言われるくらいであった。2階から降りる階段の音で気がついてたんだろう。今は、目が覚めることが少ない分ラジオ深夜便を聞くこともあまりない。で、本屋に行った際にその雑誌を買うことになる。

 食堂のおばちゃん作家、松本清張賞を受賞した山口恵以子さんの生きざまが面白い。調理をすることが好き、小説を書くことが好きという人。社員食堂の主任さん、パートでの仕事を60歳定年まで働くことができる、安定した職を得る喜びがあり、気持ちに余裕が生まれることによって、前に進むことができたと話しておる。食堂の仕事は朝が早いが終わるのも早い、早く終わることによって書く時間を持つことが出来た・・・ナルホド。二つの仕事を持つことの有利さを語ったのは、「鉄腕アトム」の手塚治虫さんが、仕事で行き詰ったヴァイオリスト・千住真里子さんにアドバイスした話を思い出した。漫画家と本業の医師を行ったり来たりしている話、二つの仕事を持つことによって、詰まった時に片方の仕事をすることで乗り越えることができる、医者の本業が詰った時には漫画を描き、漫画の壁にあたった時に医者の仕事に返る、この話を聴いて千住さんは、福祉の仕事も自分の仕事領域に入れ、ヴァイオリストと並行し詰まった自分を乗り越えた・・などと。
 もう一つは、日本人のしぐさ・・の記事。これもナルホドのところ、面白い。日本人の目線のしぐさは自分自身も同感あり。まっすぐ相手の目を見て話すことが苦手である。日本人の特長であるとか、目を見て話すことは戦後入ってきたしぐさであるとか。
  夏から新聞を止めている。家に新聞がない日が続くのは初めての経験である。ゆっくりと目を通す気になれなかったので。毎日読まずに積み重なる新聞を見て止めたワケ。そのかわり弟の家で新聞を読むようにしている。ザ~ッと読む。3面記事を読むより、本の広告欄を見ることが多いように思う。面白い本を出していないか、と気にかかる。以前、考えさせられるような「天声人語」を度々切り抜いていた母親が、近頃めったに切り抜く様子がなくなったのは、面白い記事が少なくなったためか、それとも92歳となり面倒くさくなったためなのか・・・

オ~いるいる

2013-11-24 21:21:53 | Weblog
  竜馬に高杉晋作に中岡慎太郎に桂小五郎、大隈重信も土佐藩士の岡本健三郎も・・・すごい顔ぶれの集合写真である。先日Mさんから頂いたもの。
   夕方の4時にPTさんがやって来て今日2回目のリハが始まる。ちょうど3男夫婦も松リハに顔を出した、一緒に見学。杖をつき歩く歩く。
 
 階段を下りる、そして上がる。
  イケメンPTさんと何やら楽しそうにおしゃべりしながら歩いておった。皮膚移植あとが完治していないために、ひたいのガーゼもまだ取れていないけれど、やがてそれも取れそう・・・
 急速に回復している感じがする。どこまで回復していくのかわからないが希望を持ってリハビリをしている。

今日はなんて日だろう

2013-11-23 20:47:52 | Weblog
  
 雲一つない天気。東の石鎚は白い。朝日に輝いている。今冬は久し振りに雪山に行きたいと思う。今日のような雪のつき方であれば・・でも柔らかな雪質だろう、今はきっと。もう少し厳冬シーズンになれば固まってくるんだけれど。今年は元旦にHさんと成就社まで行ったきり以後入っていないので。

 ラジオを聴いていると、はしだのりひことシューベルツの歌が流れてきた。「風」である。

人は誰も ただ一人旅に出て 人は誰も ふるさとを振りかえる
ちょっぴりさみしくて 振りかえっても  そこにはただ風が 吹いているだけ
人はだれも 人生につまずいて 人はだれも 夢破れ振りかえる

プラタナスの 枯葉舞う冬の道で  プラタナスの 散る音に振りかえる
帰っておいでよと 振りかえっても 

そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も 恋をした切なさに
人は誰も 耐え切れず振りかえる

何かをもとめて 振りかえっても  そこにはただ風が 吹いているだけ
振りかえらず ただ一人一歩ずつ 振りかえらず 泣かないで歩くんだ
何かをもとめて 振りかえっても  そこにはただ風が 吹いているだけ
吹いているだけ 吹いているだけ ♫
 (ゆずが生った)
 この歌が流行っていたのは学生時代であった。よく口ずさんでいた。よく歌っていた。
 風にまかせて、妻の動きが安定すれば、誰かを誘って石鎚に行こうか、山仲間は足が強いから一緒に登る自信はないが、一人か二人でゆっくり途中まで雪上を歩こうか。何かを求めて、振り返って山に行こうか・・

今日は何の日

2013-11-22 00:00:00 | Weblog
11月 今の会社を辞めたい、と言ってきた青年おり。最近同じような話の二人目である。不満があるようだ。話を聴いていると理解できるところと理解できないところがある。前者は自分の夢を語っている時、後者は自分を忘れて責任転嫁をする時。本人は迷っている・・どうしようかと。で、最後に手を出し5本の指でしがみついているしぐさから、今は指1本だけで耐えて会社にしがみついている情況だという。二人ともおんなじことを話しかけられた。
  私は、しがみつくのに5本は要らないよ、と話かける。自分の最も大切だと思える考え、価値観の1本にしがみつくことの強さを話した。しょせん弱い5本の指でしがみつくより、強い1本の指でしがみつく、ちょうどこのミカンの実が細い1本の軸だけで支えられる不思議さのように。細い1本の軸から大きい実ができるように。

一燈(いっとう)を提(さ)げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め。
佐藤一斎(幕末の儒学者、1772~1859)『言志四録(げんししろく)』

 今日の講話、やっぱり私は、さだまさしではない。今までと同じ話では自信も面白くもなんともない。といっても上等な話なぞできるわけがない。今までいい話などしたことがない。だから今日はもっと良い講話になるように・・と朝早くPCの前に座った。
 何を「つかみ」の材料にしようかと、今日は11月22日語呂合わせがいいのではないか・・そうだ以前11月11日は何の日か、で頭を抱えた問いがあった。相手からポッキーの日だと教えてくれた。そうだ、これ行こう。
  昨日の妻の歩行訓練は、PTさんが真後ろに立ちいつでも手が出せるように右手を触れるでもなく傍において独りで歩いていた。階段も手すりを持ってスムースに昇降しておった。人工関節を入れなければならない身体になり、少し不自由な状態でも、妻が私にしきりに言っていることは、如何にあろうとも幸せになろう・・と言う。
  今日の講話の最初の、落語でいうところのつかみ部分は、11月22日いい夫婦の日として、初めて受刑者に向かい今回の事故のこと、100対0の被害者側の話をした。交通事故ではないにしろ、私の前に座っている多くの受刑中の人、罪名は知らないが様々な事件の加害者側につながるであろう人を前にして被害者とその家族の話をした。これがちょっと長すぎて30分もかけてしまった。あとは自分の仕事の能力の再点検、求人求職市場、また自己肯定感の薄い人たちゆえ、どう肯定感を養ってもらえるか・・などのワークショップ。締めとして、今朝がた漢詩を頂いたMさんからアドバイスしてもらった話。「苦は楽の種、楽は苦の種」いずれの種にせよ、その種からは必ず楽や苦の新芽が出てくるよ・・

 1本の指で支えること。ネパール・ニルギリ登頂経験の後輩H君は、岩壁登攀の筋力トレで家の鴨居にぶら下がり両手指10本で体を支えることから指1本で支えるまで筋力アップのトレーニングしていたなぁ・・・ 
 今夜の大いぬ座、シリウスの瞬きがキラキラと大きく見える。

つきと共に

2013-11-21 23:15:02 | Weblog

 さだまさしは友人からマッさんと呼ばれるらしい。そのさだまさしさんと安住紳一郎アナの対談を夜中眠れない時にipodで聞いて大変面白かった・・と妻が楽しそうに話してくれた。さだまさしさんはコンサートでもよくお喋りをする方である。でも、ファンの何人かが常時群れだっておっかけをされるとか。それで毎回違う話を考えなければならず、辛いんだとか。そのような話をある方との対談でしていると、マッさん、毎回同じ話がいい、しかも回を重ねるごとに情感が増すように話をすればいい、2階や3階の片隅に座っているはじめての観客に情感を増して話しかけるようにすればいいのではないか・・と言われて、自分の胸にストンと納まるものがあった。そのような安住アナとの対談であった、という話である。
  そこで私も、ナルホドと思った。実は明日刑務所で講話をすることになっておる。今まで何回話す機会があったのだろうか、20回や30回はとっくに超えている。もう5~6年前からやっていて、月1~2回は喋っているとしてもすでに100回近いのではないだろうか。それも毎回話の内容を変えていたのだ。
 そうか・そうか私はさだまさしではないが、自分も同じような話をしてもいいんだろう・・と考えた。だから前回のレジメをちょっと変えて喋ってみようか・・と。
 
 妻からは良くラジオを聞いてて面白かった話があれば、こんなことを○○さんが話していて面白かった・・その話を現職時代にミーティングなどで使っておった。明日もその手で行こうか・・・と。
 夜の9時に4男から電話あり。空港レストランでの皿洗いバイトが終わりマックで勉強中らしい。私は窓を開け電話をする。東の明るいお月さんとその南にあるオリオン座を見ながら4男に、そこから月が見えるか、と問うと、見えるよ、その右にオリオン座があるね・・うん、オリオン座がはっきりと浮かんでおる・・そのように4男と同じ月と星座を見ながらお話。一つは米と野菜とレトルト食品を送ること、バイトはエエ加減に止めること、三つ目は医学生としての本分をまっとうすること・・を伝えたのみ。