年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

大晦日

2010-12-31 21:54:20 | Weblog
 寒い朝、とはいえ昔のような足の指先が痛くなるほどでもない。しかし、昨夜、雷が鳴ったときに雪が降ったのだろう、車のワイパーには雪が残っていたので寒く感じる。今年の最後の日となった。今日こそ静かに過そうと思うけれど、年末固有の行事ごとをしなければならない。とりあえず実家に行って玄関のお飾りをつけ、鏡餅を飾る必要がある。母親の気持ちが治まるように、アレしてコレしての年末の恒例行事を母親とともにやることにした。私は、年々正月のお飾りなど、やらなくともいいと思うようになったけれど、一方で年始を迎えるにあたり、けじめとか区切りをつける意味でもするべきであろう、などの気持ちも少しはある。
 新しい年を迎えるにあたり、以前は確かにあったワクワク感やら希望など消え伏せて何年経つんだろうか、と思う。今年のお正月は、夫婦二人と3男の3人で迎える。


金子みすずの
「大晦日と元日」


兄さまは掛取り、
母さまはお飾り、
わたしはお歳暮。
町じゅうにお日があたって、
まちじゅうになにか光って。

うす水いろの空の上、
鳶は静かに輪を描いてた。

兄さまは紋附き、
母さまもよそゆき、
わたしもたもとの。
町じゅうに人があそんで、
町じゅうに松が立ってて、
町じゅうに霰が散ってて。

うす墨いろの空の上、
鳶は大きく輪を描いてた。


最後の忘年会

2010-12-30 00:00:00 | Weblog
                  
 今日は、いつもの山の会のメンバーが集まって今年1年の猛反省会をやると決めたのは、ヒマな時間が最も多かった銀行OBのSさんと、今年の初めに就職したもののやっぱり長続きせず、わずか7ヶ月でまたまた辞めて、求職活動をしていたHさんの二人。今年は4人そろって登山をしたことはなかったけれど、1回だけ4人そろって元旦に裏山に行き初日の出を見る機会があった。結局雲に覆われて見ることができなかったように思う。メンバー4人が顔を合わせたのは元旦のみである。しかし、SさんとHさんは、今年2回どこかの山に行き私とIさんは大三島の鷲ヶ頭山に行ったのみである。数年前には、いつもワイワイ言いながら、どこかの山に行ったことがうそのようである。その理由も、しんどいところに行くのは止めようよ、とみんなが言い始めたからである。歩行時間片道1時間30分を限度とすること、途中政治経済関係、老い先の個人的問題、はたまた家庭の諸問題など議論すべき話に興が乗ってくるとそこら辺りに腰をおろし、おしゃべりすることのほうが、山頂に立つことより優先する・・・などと暗黙の了解がある。つまり疲れることをするより、ゆるやかな時間を過ごす方が身体のためにいいのではないか、などの意見である。だから今までの山行でも4人の話の花が満開に咲き始めると、山頂ルートの途中での渓谷の大きな岩の上に座り込みせせらぎを聞きながら、馬鹿話に時間を費やし、結局そこでお弁当を食べお茶を飲み、じゃ帰ろうよ、などといったことが何回かあった。で、今夜はその延長戦である。
                        
 慌てて いつもの店に予約を入れると、満席です・・と断られた。じゃ私がちょくちょく行っているベトナム料理を出す、ハノイカフェでやることにした。カウンターに座り、今年の反省。まずSさんは、今年は公民館の役が忙しかったようでそれに縛られた1年であったと、次の県職業訓練校校長のIさんは、仕事自体はヒマでヒマでしょうがない、仕事自体はベテランの職員に任せていて、校長室ではコーヒー飲むことのほうが多い・・・などと云う。Hさんは今月からまたまた福祉施設での送迎車の仕事が見つかり先日から出勤しているんだと、報告があった。とりあえず、来年は一緒に山行をしようと決めた。行き先は、Iさんが狙っている里山にしよう、となった。有名でもないただ単に裏にある山を見つけて登ろうよ、と吾が山の会は方針を決めた。そして私が追いかけているどこかの小島の最高峰にも行ってもらうつもりである。

今日の行事

2010-12-29 18:27:10 | Weblog
                                       
 妻は本日も、当たり前のようにイッテキマ~スと8時半に出かけた。そして、出かける前に今日の私の仕事を言いつけた。私の今日は、まず台所油ギトギト換気扇の清掃、全ての電球の清掃、全ての窓ガラスの清掃であると、余力があれば風呂場の掃除と家の外回りの溝の掃除など盛りだくさんの命令が下された。3男と一緒にやればいいからと思い、夕方までに終わらせばよいから午後昼ご飯を食べた後行動開始と踏んだ。午前中は畑の後始末に終われる。昨夜から今朝方にかけての台風並みの風が吹き、またしてもブルーベリーが引っくり返ったのである。ただし鉢は先日の補強作業で反っててなかったものの木そのものが鉢から浮き出て倒れておったのだ。3男は朝出かけたまま昼になっても帰ってこず、仕方なく私一人で、油ギトギト換気扇作業をする。まずお湯を張った大きなバケツのなかにファンと枠を洗剤共々漬け込むこと30分。そして金束子で油を落とす。何しろ1年分の掃除だから敵もなかなか落ちてくれそうにない。お湯を捨てること2回ゴシゴシ洗ってきれいにした。なれない仕事は疲れるものである。次に窓ガラス拭き。これはホームムセンターで購入した5mのT字型道具が役に立った。ホースでバ~と水をかけ後はその道具を伸ばしさっさとふいてまわること20分。やることが早いのである。しかしまだ半分も終わっていない・・・と思った頃3男が帰ってきた。あとは3男にバトンタッチするが、3男は書棚が気になるようで縦横斜めに置いてある壁一杯の本棚の蔵書を片っ端から移動している様子。もう疲れて何も言えず・・・そして早くご飯を食べようと云った。今夜はトーサンカーサンを夜の映画に招待する計画らしい。ウンジャその計画には反対しないよと・・・・私は「武士の家計簿」、二人は「ロビンフッド」を見ることにじた。しかし、「武士の家計簿」は近くのシネマサンシャインでは、やっていないことが判明、結局私一人がお留守番となる。

サテ何しようか

2010-12-28 21:15:19 | Weblog
                  
 今日の仕事納めの日は、求職者の数もがくんと減って私が呼び入れる人もなかった。といっても先週からあまり相談者と相対することが少なかった。しかしやるべきことが一杯あり、時間が足りない、どうしよう、今月のまとめを一人でやらなければならないのである。年末年始の休みがあるために例月のようなわけにはいかない。だからモクモクと書類を引っ張り出して調べる時間が多くなる。
 職場で来年の希望について聞く。○○さんは来年何したいの~?と聞く。私は来年は、コイをするぜ~と大きな声でわめくと、一人がそりゃいいよ、鯉でも鮒でも鯛でも釣ってくれ~と返ってきた。ワォ~ それにしてもどうしてだろうか、皆さん来年の希望など、ないんだろうか。どうしたいのか、どうありたいのかの話は、昼間っからの話題にしては重すぎるのだろうか。それとも恥ずかしいのか・・・
                    
 夕方、3男の忘年会のために道後のホテルまで車で送る。つい先日自分達もそのホテルの隣のホテルで職場の忘年会をやったばかりである。送る途中車の中で3男から、付き合っている人がいる・・・と聞かされた。ウッソ~
 そこで、どんなところが好きなのか・・と聞いたが、聞くだけ野暮だったかもしれない。しかし、もし好きなところはなんだと聞かれて、可愛らしさとか優しさとか料理など家事全般の上手さとかお金持ちだとかの答えがある時は、親として反対するよ・・・と言っておる。彼女の生き様であり生き方に自分の生き様が交じり合った時、ハーモニーを奏でることができるかどうか、自分の生きざまが相手に理解され、相手の生きざまが自分にとてつもなく宝物に感じられるのであれば許す・・・気持ちである。
 夜更け、今度は迎えにきてくれの、連絡あり。途中本屋に立ち寄ると、私が財布を持ち合わせてなかったので、生れて初めて3男から、好きな本を2冊でも3冊でも買ってあげると云う。赤い顔して酔っているために太っ腹になっているのかと思っていると、ジツハ忘年会の余興でフラダンスを踊り金一封を貰ったんだとか、しかもその封筒は、エッ間違ってんじゃないの、と思うほど入っていたんだとか、話してくれた。シメシメ気が変わらぬうちに、さっさと読みたかった新刊本3冊を息子から買って貰ったぜ~

振り返りと反省

2010-12-27 23:17:20 | Weblog
 カウンセリング関係の研修に行くとよく使う言葉の一つに、会の終わり頃、振り返りなどと講師や司会者が聞く側に振ってくる。また研修のみならずカウンセリングなどで1対1の場面においてクライエントに求める振り返りなどがある。しかし、よくよく聞けば、カウンセラーがクライエントに求めているのは、振り返りのようなものではないことがあるのではないかと疑問に思うことがしばしばある。この2~3年流行りの就職のためのジョブカードなぞ、まっとうな振り返りには、なっていないのではないか・・・と疑問に思い、まず広辞苑で振り返りを引くと、跡を振り向く、かえりみる、回顧する、とある。にもかかわらずカウンセラーが求めていることは、その振り返りから放たれるであろう、気づきを強制し重要視する傾向があるのではないか、などと自分達は偏った見方をしているのではないか、間違いに気づくことなく大いに過大評価をしているのではないか・・・と思う。振り返りは単に振り返ることで自分の自分に対する一定の評価を与えることではない。過去の振り返ることから得ることができるのは、気づきではなく、恥辱であったり、屈辱の感情であったり、また誇りであったり、やるせない感情、二度と過去のその場に居合わせたくない感情であり、あるいは反対にもう一度過去のその現場に立って甘美な時間を同じように味わってみたい感情のことではないか。自己理解の手段としての振り返りなぞ、意味があるのだろうか、あるとすれば、しょっちゅう同じ体験しても気づきはクルクル変わるものであろうから、気づきによる不変の評価はなく、むしろ、日本人的には、反省することの方が意味があったりする。反省するとは、自分の過去の行為を省みて一定の評価を加える。そのことが反省である意味であるとすれば、振り返ることよりも大いに過去の自分を反省し評価を自分で下して、そしてそれを基にして未来に進む自分を作る方が自然ではないか、振り返りは所詮振り返るだけである。登山において フウフウ息を切らし汗を流して登った見晴らしのよい場所で登ってきたわが道を振り返ることは、気づきのことではなく達成感や恐怖感や清涼感などといったいわゆる感情的なものばかりである。振り返っての気づきなぞ、見下ろしての評価だからあまり意味がないのではないか・・・
              
 今年も後数日になったところで、私の今年の振り返りは、走った。暑かった。寒い。大好き。の文字。

とうとう出したよ

2010-12-26 00:00:00 | Weblog
                     
 寒い日が続いておる。冷える毎日であるにもかかわらず我が家にある暖房は、現在エアコンと湯たんぽと11月からすでに使っている布団の中の足元の電気コタツのみである。灯油によるストーブなどは押入れに入ったまま、出したいけれど面倒くさい。しかし、震える寒さが部屋の中まで浸透するにつけ、とうとう昨夜遅く、矢も盾もたまらず、一発気合を入れて、ついに押入れからホームコタツを出したのである。出すまでの道のりやそこに至るまでの決心を思うと・・・オーバーかもしれないがそんな気持ち。
 で、ホームコタツの中に入ると、6人家族用で大き目のものだけに身体を横にしてすっぽり入る長さにつき、きっ持ちイイナァ・・・と思うまもなく結局コタツの中で寝てしまった。気がつき起きたのは3時。妻が言うのに、このコタツを出すと、身体が動かなくなるので、出したくなかったんだけれど・・・と言い訳をしながら。コタツに入ってジットしている妻は、私に向かって、あれ取れこれ取れついでにあれしてこれしての要求が増えたように思う。私もおんなじ、コタツの中に入り、ウトウトすることが多くなった。11時前から高校駅伝のテレビをつけたまま、2時までコタツの中で昼寝をしておった。

今日の会はウキウキワクワク

2010-12-25 00:00:00 | Weblog
         <札幌の孫です>
 昔、高島屋で開設していた県就職支援センターのメンバーが時々集まってお喋りをしている。メンバーは愛ワークからOセンター長にKカウンセラー、県若者サポステのTセンター長と東予サポステのOカウンセラーに看護士で保育園勤務のNさんとハローワークマザースのYさんに私の7人である。それぞれまったく違う分野で仕事をしているけれど以前は同じ仕事をしていた人たちである。何がいいかって言うと、みんな気を使う必要がない人ばかりであるから・・・・といいながら皆さん際どい話も出たりして結構楽しかった。場所はとりあえず豆乳鍋が珍しいであろうと、鍋の中で、寄せ鍋でもなく水炊きでもなくすき焼きでもなく豆乳鍋にしたのは、ただ単に私が喰ったことがないからである。私はおんなじゃけんね・・・などと、みなに承認してもらうようにOさんが今夜の鍋奉行職につくことになった。何の話があったのかは覚えていない。みなさん生き生きハツラツとして毎日を送っている話を聞くことは刺激になるし楽しいものである。今月は8回目の忘年会であったけれど、今夜が最もワクワクウキウキしながら皆さんに会えたことが嬉しい。2次会はいつものハノイカフェでベトナムコーヒーを飲みながら先日の北海道土産をクリスマスプレゼントとして手渡した。

夕方のスーパー

2010-12-24 00:00:00 | Weblog
 7時前にスーパーの前で落ち合おう、と約束したのは友人のT君と若いHちゃんである。今日はクリスマス燭火賛美礼拝があるので、クリスマス=ケーキなどと考えるより、独身青年のHちゃんが独り自室で過すより、今夜は信徒さんに混じり一般の人が多く来る教会で過すことで彼の経験値が増えるであろうと誘った。一方T君は近頃仕事方面で詰まってきており気分転換になるであろうと声をかけた。
 待っている間は、スーパー内での買い物風景を眺める。今日はクリスマスケーキの販売コーナーを特別に設けていて次から次へと3500円~5000円のケーキを注文しているお客さんの並ぶ列を見た。鶏のから揚げなどクリスマス用パーティ食品コーナーでは売り切れているものも多くあり、いつもなら所狭しと並べられているところから商品が消えている。今夜は各家庭で、また友人が集まってワイワイと楽しむ光景が多くあるのだろうか・・・
 3人そろったところで松山教会へ行く。T君は、昨年も同伴した。そのとき知人がいて不思議なめぐり合わせに驚いたといった。で、やっぱり今夜も、アレ~Tセンセイーと呼びかけられておった。教え子がいたり、信徒さんに保護者がいたりして久し振りの再会の話をしておった。
 イブのS牧師の説教は「あなたのために」。どうもS牧師のマイクを通しての説教は私にはいつものことながら聞き取れないことが多い。その音を聞きながら考えた。Sさんはことばを伝えることより言葉になる前の風をマイクに乗せるほうが多いのではないかと、腹式呼吸方法で話されるより胸から上の器官を使って話されるので私にはほとんど聞き取れにくいのではないか・・・などと。
 式が始まる前に北海道の元浦河教会に電話を入れた。向こうも寒そうだけれど多くの方達が集まって礼拝が始まるのだそうだ。   
                

年末の行事

2010-12-23 00:00:00 | Weblog
 毎年この時期になると、つまり年の瀬が詰まってくると気になることに、掃除がある。ソージの中でも家の窓ガラスや室内など生活空間方面は、住人がどれほどの整理整頓清潔ピカピカ磨き上げ度合いで妥協するかにかかってその人の性格が現われるように思う。私の場合、整理整頓掃除なんぞ自分がその汚さに我慢すりゃいいだけのことだから、掃除はしなければならない、と自分に押しきせる律法ごときはない。しかし老人にとってみれば自宅の中でも、特に仏壇とお墓は、いいかげんに妥協できない筆頭かもしれない。だから母親から今日の車の中で聞く小言は、忙しいあんた達はお墓も掃除する時間がないだろうから、永代供養にすれば楽であろう・・・などと延々聞かされるはめになる。
                  
 仏壇と墓掃除を早めにやるから連れて行ってくれと、矢の催促あり朝から連れて行くことにした。90歳になるので危なっかしく、現地で車の中で待っておいてよ、と言うも、いや一緒に墓地の掃除をするという。瀬戸内海を眼下に見て、今日は少しは気温も高く羽毛服を着込むゆえ寒さを感じない。墓地を清掃しながら母親は、なくなった父親とのありしの生活を思い出し出し父親に会っているのかもしれない。一言も喋らずモクモクと作業をしているけれど、何を語りかけながらの作業だろうかと思う。自分の気持ちを理解してくれない子ども達よりも、亡くなった父親との会話の方が母親にとって心が落ち着くのかもしれない。
 日が落ちると急に気温が下がった。帰り道は伊予温泉に浸かって帰ることにした。6時前に上がり、早く帰らねばならん、という。訳を聞くと、ジツハ、3男から美味しい餃子やシュウマイを食べに連れて行ってもらう約束をしているとか・・・子どもらより孫のほうが優しい・・・といつもながらの皮肉を聞き、3男が待つ家に急いで帰る。

カラオケ

2010-12-22 00:00:00 | Weblog
 今夜は、何時の間にか私の名前が幹事役になっていて、先日の職場忘年会に参加できなかった人達、数人を呼び、カラオケをやりましょう会、と決まった。それに4月移動して他所勤務になった方、また病院の相談員として引っこ抜かれてハローワークを辞めた人などもお誘いして9人がスナックに集まってワイワイと歌う歌う、ガヤガヤと喋る喋ることとなった。ご婦人方は昼間の楚楚とした仕事振りとは打って変わり、本性剥き出しにして歌う歌う喋る喋る姿に私は沈黙し、撃沈する他はなかった。私の咳も少しはよくなり頭痛も治まってきたので久し振りにマイクを握りまけじと歌わせてもらい日頃の蓄積するストレスを解消した。しかし、今月は何回ストレス発散すればいいんだろうか・・・
                    
 長男夫婦とW君が風邪をこじらせ、調子が悪いようだ。私が風邪を持ち運んだのかもしれない。W君は快方の方向に向かっているようだけれど、K子さんと長男はまだまだ調子が悪そうだ。早く良くなって欲しいと思うが・・・