年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

作る

2018-02-27 00:00:00 | Weblog
 十分に動かない手を騙しながら60分講演、90分講演の資料を作らねばならない。断ればいいものの優柔不断の性格が災いして致し方なく・・・

 それが問題だと思うことに、いったい講演会なぞと人様に向かって何を伝えたいのかってこと

 一つはうつ病支援のこと二つ目には受刑者の教育のこと。


 母親もこうサムいと起きるのが嫌そうで・・布団の中で寝ている方が多い。

 部屋にある何とか蘭は咲いている。

腱鞘炎

2018-02-26 00:00:00 | Weblog

 とうとう左右の腕が、手首が痛くて痛くて・・・夜もさほど眠れないほど。

 このサムい冬の季節の中一日中PCに向かってそれほど重要でもなく急いでやるような仕事でもないようなことを朝に夕に夜に5~6時間キーボードに触っていると当然かナァ・・と思う。

 私がよく会ってる人にアルコール依存症、ギャンブル依存症、薬物依存症の人たちが多い。しかし自分はPC依存症、スマホ依存症なのだろうか・・

 バネ指もかつて経験したが、今回の症状はさらにキツイ。でも病院に行くでもなく鍼治療をするでもなく痛みに耐えておる。まぁそのうち何とかなるやろう・・と。

昨夜のTV

2018-02-25 00:00:00 | Weblog
 晩ごはんを食べながらの“ながら族”で
  を眺めていると、現在時4男が考えている問題が流れていた。


 そして、若い医師が選択希望の少ない専門科に外科・小児科・産婦人科などと解説もしている。さらに全国の中での10万人当たりの医師の数の地図を広げて

 多いところ少ないところをの厚労省からの資料で説明していた。これと全く同じ内容で4男が喋ってくれてたが・・・
 自分にはさっぱりわからない。どこを選ぶ?何を選ぶ?何をしたい?興味は?などと整理したところで、根幹は自分のコアまで遡って決定する・・ことが求められるんやろか?案外人が先行きのことで決めるのは、なんとなく・・とか、あれがいいんかなぁなどとかる~く決めることが多いんㇳちゃうやろか。

 段々と暖かさを感じるようになった。

白梅に紅梅咲く

2018-02-24 00:00:00 | Weblog

 気温が上がってきた。

 白梅がその花言葉通りに気品を保ちながら咲いた。

 一方で優美な雰囲気で紅梅も咲いておる。


 また庭の片隅に放ったらかしていた鉢を見ればニオイスミレも咲いておる。

 「高尚」「奥ゆかしい」「控えた美しさ」「誠実」「信頼」「謙虚」「謙遜」の花言葉を持つこの花は香料の原料だとか。花に鼻を近づけて嗅いでみると何も匂いがしない。自分の鼻も機能不全状態か。動物が生きていくことの出来る条件としての五感が触覚・味覚・聴覚・視覚・嗅覚あるとすれば、耳も少しずつ聞こえなくなり、眼もだんだんに見えずらくなり、おまけに匂いまでそれほど嗅覚力が低下するってことはやっぱり正しく老化していることを理解しなければならないってことか!

J社労士の事務所へ

2018-02-23 00:00:00 | Weblog

 夕方のお山を見てると・・・あぁやっぱり春の景色になってきたなぁ・・と思う。くっきりはっきり映る冬からボンヤリアイマイにくすみ行く春へ季節は移行しておる。

 所用につき実家へ。ついでにお墓参りもしておこうと墓地へ行く途中、瀬戸内海を見下ろせば・・あぁ海も春になっている。

 青い布をハラリと広げたようなのどかな瀬戸内海がある。背中には牛ノ峰の上からの太陽光線があたりポカポカしてくる。山も海もそして自分もどんよりまったり。

 何年か前まで県社労士会会長をやっていたJさんの事務所を訪ねる。Jさんが独立開業されて40数年になる。開業時からのお付き合いである。開業時代にはお邪魔するたびに先行きの希望と現状の辛さに関しての話をよく聴いてた。関与先が少なく収入もあまりないにもかかわらず、なぜか明るく話してくれてた。メシは女房に食べさせてもらってるんだとか・・高校教員をやってる奥さんが主人で旦那は子供のこと家のことなど細々としたことは一手に引き受けてやってるんだといつも笑って話してくれてた。人望がある人である。資格取得し開業された若い社労士さんなどに対して派閥のようなコセコセしたことを一切せず社労士としてこうあらねばならない・・の正論を大上段から振りかぶって教えるような道案内をしていられたので特に若い社労士さんからは人気があった。それは利益のことや損得勘定を度外視しての対応であったからますます人望が厚くなった、と見えた。そのJ事務所も人が5人となり忙しそうである。

 午後5~6年振りにお邪魔をした。丁度帰ったばかりのJさんが…ごめんごめん約束があるのですぐ出かけにゃいかんのよ・・で代わりに私の相手をしていただいたのは同じ社労士のOさんである。熊本出身のOさんにこの前の地震の被害のことを聞く。被害が少なくてよかったというものの、母親が施設に入っており何かと心配をしている。熊本から大学をこちらに選んで学んだところから人生が変わってきたね・・と話しかけると、もう私も孫が4人できておばぁちゃんになりましたよ・・と笑っておった。
 ふと思ったこと。ここの事務所はなぜか明るいなぁ・・発展する元は頭の良い悪いではなく明るいこととか、ものの見方がまっとうであることなど、誰にでも理解できるような空気に満ち溢れているようなこと・・・が大切なことかナァ・・などと思った次第。時間が人を育ている感じ。

春の予兆あり

2018-02-21 20:40:25 | Weblog
 野菜が手の届かないほど高くなった  と奥さんが嘆いておる。それで少しでも安いもやしを買おうとスーパーに行けば午後3時の時間には完売であったとか、棚には何もなかったネ~と嘆き、野菜関係では玉ねぎを買っただけだと苦笑いをしておる。そのような話をしながら仕事から帰ったばかりではあるが誘われて夕方の散歩のお伴を久しぶりにすることにした。

 道端には至る所に菜の花が咲いているではないか。いくら寒くとも立春を過ぎれば花も咲き始める。

 お~そうだ・・・新鮮な野菜が無ければ菜の花の蕾を食べようではないかと・・二人で散歩途中の足を止めて採取作業に勤しむ。自然からの野菜を受け取る。今夜の食卓にはこれが和え物として出るんだろう。

 サムいサムいと口から出るも、

 クリスマスローズの花の蕾も庭で見つけた。たしかに春の兆しを至る所に見つけることができる。さらに明日から伊予路に春を呼ぶという“椿さん”が始まりやっと寒い季節が終わる。

  
 気がつかなかったが・・仕事場に向かう途中の高校正門の横に掲げられた垂れ幕を見てると・・・アレレ
 ついこのあいだピョンチャンオリンピック・ハーフパイプに出場し7位だった片山来夢選手の応援幕が垂れ下がっているではないか。聞けば、静岡県焼津市からこの高校へ来ていたんだとか・・知らなかった。

 そしてこの高校の東側にある特別支援学校で就労していて、国体強化選手として4年ほど前から当県にいる人が500m8位の郷選手だとか・・・知らなかった。

 今日の受刑者の会社採用面接では、会社の方から社長に専務と本部長の3人に来所いただいた。面接では採用の方向には行ってないような空気。う~ん年齢がナァ・・高いしナァ・・。年齢は50前の人・・・面接時間も30分を過ぎて終わる前に、私から受刑者に出所してから仕事をし普通の社会人として生活することで、これだけは守りたい・・のことはあるか・・と訊ねた。男と男の約束事を云ってくれ・・私らはその立会人になる、と。受刑者が3つの約束事を社長ら3人に告げた。そして面接室から受刑者が退出したそのあと、即、あ~あれはイイね、採用する・・と社長が言った。

悩み2

2018-02-20 00:00:00 | Weblog
 4男がこの1年間悩んでいることに近い将来の専門科のことがある。

 厚労省の診療科区分の中でどこに行くことが自分に相応しいか・・・という悩みのようで・・。現在ニュートラルコーナーにいて、さぁどの専門科にギアを入れるのだろうかと・・。自己決定の責任と重さに苦しんでいるようではあるが・・。

 親としては立ち止まり考えることの大切さを伝えるばかりではある。

 それよりも、こちらの方では来年度の仕事のことで、どうされますか?と雇用主から聞かれるままに自分自身の面接がある。近頃面接ばかり。明日は受刑者と会社の面接がある。さて、他人の決定に委ねることではなく自分が決定することの苦しさがいつも付きまとうのはみな同じ。

悩みを比べた

2018-02-19 00:00:00 | Weblog
 自分にはこれと云うほどの悩みはないが、かと言ってないというのもなんだかおかしく想う。そもそももう自分には悩む力そのものがパワーダウンしており、以前はあった例えば悩む場面も今やそれさえ感じることができなくなったということが正しいのかもしれない。そこで改めて読み比べることにした。
 と  の本。

 この2冊ともに自分に少なからず自分の考え方に影響を与えてくれた本であり経験させられた本だと思う。

 「ベテルの家」は北海道・日高振興局管内にある浦河町にある。人口は1,2603人(30年1月)の太平洋に面した小さな町である。私がお伺いしたきっかけは、元浦河教会の牧師として赴任されてたので尋ねて行ったのが始まり。町名の浦河は霧深き川の意味のアイヌ語のウララベツに由来するという。北海道にはアイヌ語からくる地名が多い。
 夕方浦河町荻伏にあるT牧師宅にお邪魔をして奥様のF夫人の焼いた美味しいクッキー目当てに(松山に居られた時によく頂いてそのうまさを知っているがゆえ)世間話をした後3人で少し肌寒い外を歩いた。元浦川にかかる橋の下はところどころ氷が張っていた。
 上流の方を見やれば日高山脈が夕日に照らされ光り輝いていた。歩きながら牧師が理事を務める浦河ベテルの話をお聞きし、国道から坂道を上がった場所にあるベテルの家に案内していただいた。
 
 ここはいかなる人に対しても排除しない、統失の障害を持つ人もそっくりそのまんま受け入れてくれてる、そして日高昆布の加工販売までやっていられて自立することが感じられた場所である。
 当事者と一緒に話し合いを持った。幻視幻聴を持つ人と世間話をしながらコーヒ-を飲み茶菓子を食べた。特別に変わった場所ではないと思ってたが、旅を終え自宅に戻り本を読むとすごい場所であったことが記されていた。そこは人間的な絆を強く捉えるところであると・・・そうであった大上段に構えて宣伝するものではなくごく普通の人と人とのつながりが当たり前のことであると知らされた。

 姜尚中さんの本から自分にも光を与えられたことがある。3.11の被災地に出向いた姜尚中さんが放つ言葉は、やれ可哀そうだとか、支援の手を・・だとかありきたりの言葉ではなかった。「ヨシ、一緒に地獄に落ちろう」であったことは壮絶であった。その作家が「悩み」を必要なもの、力を与えてくれるものとして肯定的に語ってくれてるのが嬉しい。
 この中にある「私は何者か」については興味あるところ。在日朝鮮人である筆者が青年期に多くの人が陥るアイデンティティの壁につきあたり両親の母国韓国に渡って感じたことに「私が人生に対して問いかける」という態度から、「人生が私に問いかけている」という視点がある。自分の壁をより高くより堅強にすればするほどに自分の悩みも解消できる・・に対してヤスパースの言葉より「自分の城を築こうとする者は必ず破滅する」と。自我というものは他者との関係せのなかでしか成立しない。つまり自分の殻の中だけでは解決しない問題だと云ってる。他者との関係性の中で自分を見ている。だからなんだろう、家族であろうと家族でなかろうと「絆」について、繋がることの自分の姿勢を、一緒に地獄に落ちろう・・と。


 常に時代は新しく変化する。ものであったり考えであったり。変化のスピードが速く追い付いていけないもどかしさがある反面、不変、不動の価値を求めるように矛盾することがある。変化への欲求とひとたりとも変わらない真理の欲求とでも云おうか。

 でもなぁ・・今年の冬は猛烈に寒く、今も寒いけど日増しに昼間の外気は温かくなり太陽も軟らかな光に変化し、一昨日まで固かった椿の蕾も今日花開いたように時間軸の上ではどうすることもできず変化し、悩みなどのこともふわふわと漂っているような感覚さえする。