年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

消えた、どうしよう

2015-11-30 21:19:19 | Weblog
 今日の1時までにはお喋り会の計画案を教育指導担当官まで持参する予定にしておった。だから昨夜も寝る間を惜しんで作った。まぁ大したものではないが、内容にしても大した内容ではないがエクセルやワードでA4の紙を20枚足らず作ろうと・・・そして10数枚作ったところで、まぁ明日の朝残りを作ればいい・・と楽勝宣言をしてみた。そしてPCの電源を落とした・・・そして布団に入り電気を消して考えた。あっちゃ~

 問題が起きたのはそれからである。
 アレレ保存しよったかなぁ。。と再度立ち上げてみると無残にも保存されてなかった…ウワ~ンと泣きたいほど。落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせて、保存されてない文書を復帰させる方法を思い出すことに。30分ほど格闘した後、なんじゃいなぁ・・消えたW文書はこうすりゃ簡単だったのかと・

 最近使用したファイルから保存されていない文書の回復コースだったのかと、わかれば簡単、わからないときは頭を抱えることに
 明日はこんなバカな話をしようと。いつものワンパターンで90分を予定している。
 聴講者が一人でもあくびw~が出ると私の負け 、二人以上出ると完敗だが。笑いが一人一回出ると1勝、二人出ると2勝。そのような計算。果たして明日は勝ちこせるか・・・。

閉じこもる

2015-11-29 00:00:00 | Weblog

 独居老人化している今、最も面倒くさいと思うのに食事がある。奥さんがいれば作ってくれるが、いなくなると自分で調達しなければならず、これがもっともやっかいなことになる。でも数年前までは男が台所に立つ誇り?矜持のようなものが自分にあり、それはそれで楽しかった。つまりあれ食べようこれ食おうなどと頭の中でゆ~らゆ~ら動くのが楽しい時期もあった。・・けれど台所に真っ直ぐに立ち数分もすると左側の腰から足が痺れてくるためにできるだけ立ちたくない。一昨年妻が入院中に何度か夜一人で食堂に行き、といっても○○ご飯やさんのようなお店に夜8時頃一人で入り注文をしテーブルに座って周りを見渡せば、これまた似たような白髪まじりの男老人一人なんとなく座りこんで、窓の外をぼんやり眺め、これまた中高年の叔母さん店員に注文したご飯を待っている姿を見つける時、自分は、このおっさん何のために生きてるのか?の形而上的愚問が突然襲ってきたことがあった。犬でもネコでも夜中ほっつき歩いて適当に腹の中に収めることができるのに、男人間がほっつき歩くこともなくジンワリ沈黙座して食いもんを待つ構図は、いくら何でも悲壮感を通り越して、やっちゃあアカンやろ、その姿は・・などと思うことがあった。猫はみゃみゃ言いながら餌を食う、犬は一声ワンで餌をあさっている。でも独居老人は沈黙したままでミャアともワンとも言わない。まさかお店の中で、私一人がう~まい、マイウ~なぞ大勢の中で吠えるわけにもいかない。だから晩ごはんを一人で外メシはない。
 今のところ、血圧やら糖尿やら前立腺の薬を毎日5錠飲んでおり、なんだか薬を飲むためにご飯を食べてる感じがする。主客転倒である。それはそれで人の一生としての最終コーナーを走っている正しい姿かもしれない。つまり、目的と結果のことを考えると途中のことなぞすっ飛ばして結果のみ評価のみを追い求める、こととなり、われわれが先輩から受け継いできたと思うような侘び寂びの心もよう、途中の経過を愛おしく想うことや楽しむゆとりが入り込む隙がなくなる。

 今朝は5時起き、鷹ノ子♨へ飛び込む。眠れない老人が20人ほどすでに入っておる。外は真っ暗、家の中にいてじっとすることができない男老人の群れである。私もその群の中に入ることになる。今日はPCに一日中座ることになるだろう。今週は2本、90分と60分の講演依頼があるのでパワポで作って明後日ペーパーにして渡す約束をしている。とりあえず、風呂上がりの牛乳を左手を腰に当ててまっすぐ立ち右手でグビビと飲み干すと、ハイ・今朝のご飯終了となる。

久し振りのECCA

2015-11-28 00:00:00 | Weblog

 今年の初めにごたごたしていたキャリアコンサルタント協会も幾分かは落ち着きを取り戻したかのようで、また何も行事ごとがないのもアララ感はあるが、何もしないのも活動に入るんだろうと、つまりそれぞれのメンバーがお一人お一人の道で活躍されてるんだろうと思いながら遣り過ごしていると、先日役員さんから座談会・ロープレ研修をやるから、おいでよの声がかかったのをきっかけにして出席することにした。

 現役フルタイムでお仕事をしている方々の中にいて、私と元銀行員でありセカンドキャリアを大学就職支援の道に就き、学生さんの就職相談に乗っていられたHさんとテーブルにあるお菓子をつまみながらではあるがお喋り会としてあまり参考になるとは思えないようなお話をすることにした。
 するとメンバーの中には、介護施設の職員を対象にした様々な問題、例えばキャリアの相談、キャリアパス、ワーク&ライフに関するものやら踏み込んで職場内での人間関係の相談をするボランティアをやっている人がいたりして私より年齢が上の人の頑張る姿に、刺激を受けることができた・・・。中では、私の仕事の中身をご存じの方がいて、出所者の支援などの質問を受けることに市民社会の意識が変わったことを実感する。 

 気温が低くなったのを契機に、私も腰から足先にかけて氷のように冷たくなり、コタツに入ってもいっこうに暖かくならない。脊柱管狭窄症の診断を受けて半年が過ぎる。依然として改善されない。このことで下半身に異常が出てるのだろうか。一昨日の車のような 歩行状態もユ~ラユラ。
 夜Sさんにメール、すると岩盤浴とか生姜を飲みなさい・・とある、サンキュ~。明日の朝は、5時に起きて鷹ノ子の温かい岩盤に仰向けとなり、湯上りには生姜湯を飲むことにする、決定。
 奥さんを20時に港まで送った。義母が橿原市のリハ病院に転院している。義母からしょっちゅう娘に電話が入ってくる。早く来て欲しい・・などと。一人の入院生活が寂しんだろう、で、慌てて送り出すことに。

退院と入院

2015-11-27 00:00:00 | Weblog

 21日の未明に入院をし、スワ手術か?と危惧したものの(医師があわててた様子・・私はこんなことだろうと予想をしていたが) その後の検査結果も緊急を要するほどでもないと判断をしたのか、一昨日には早く退院してほしい、ここは救急だからすぐにでもベッドを空けておかないといけないので・・の理由があり、こちらも次週を予想していたが、折り目折り目の日にちの縁起を担ぐ母親も、しゃぁないなぁの気持ちに変わり、やれやれのニコニコ顔で県中病院12階のボタンを押して1階に降りた。時間もお昼を廻っている、どうしようか、と。じゃぁ外に出るのも面倒だから院内のお店、サンマルクで食べて帰ろうと・・・。甘いミルクティにパンを満足そうに食べておった。そして自宅へ急ぐ。 
 すると・・・アララ、アレレ
 昨今何かと話題になっているワーゲン社の車、ディスプレイに   このマークが出てきたゾ。弱った弱った。メカ音痴につき、さっそく自動車やさんに連絡することに。

 退院した母親を途中にある家に連れて帰り、今度は私の車が自動車工場に入院することになった。私の人生なかなかうまく運ばない。

  

あっちこっちと「連絡」

2015-11-26 00:00:00 | Weblog
 高橋真梨子の「連絡」のような哀しい内容ではないが・・・

 リハビリ病院のリハ室へ行く。妻の修繕した補高シューズを受け取るためである。広いリハビリ室でたくさんの機能訓練をする患者さんがいた。昨年の1月までは妻がここで同じようにリハビリをしていたことを思い出す。歩行器具を使って歩いている人、杖を使いゆっくり歩いている人、PTさんにズボンの後ろをしっかり握られて歩いている人、
高齢の人は車いすに座ったままでPTさんを相手に赤い風船を手で打ち合ったり、ベッドに横になり足や手を上下に運動してる人もいる、平行棒に両手を添えて歩いてる人、自転車のペダルを漕いでいる人、反対の空間を見るとOTさんが道具を使って何やらやっている姿も見える。その向こうの台所が設えている空間は、普通の家の中が再現されていて、玄関があり、掃除ができるかとか、土間から段差のちょっと低い部屋に上がることができるかとか、台所で料理をする所、お風呂場内での機能訓練をしている人の出入りも見える。妻は昨年の1月にOTさんと一緒に病院前のバス停からバスのタラップに上がること、小銭を支払ってバスを降りること、そしてスーパーでお買い物をすること、買い物ができるか、何を買うのか、病院から渡される数千円でお買い物をした品物は山行のデイバッグに入れていた。それは料理をするためであったが、確か、その日の妻が考えたメニューはパエーリャであったからPCからレシピを取って渡したことを思い出した。

 顔見知りのPTさんOTさんもいる。補正シューズを受け取る待ち時間の間にも若い彼ら彼女たちがやってきて妻に、いかがですか・・などと話しかけてくる。
 自分にはつい昨年の1月までここに入院していたこととは思えない。4~5年前の出来事であったように思う。ということは、この1年で自分は4~5歳分年を取ってしまったことになる。コマッタコマッタ、自分は4~5年分成長しているとは全く思えないから。但し、付添いで訪問する病院の数は多く、それぞれの病院の空気の違いを感じることができるほど成長していると思うが・・自慢にはならんだろうけど。

 母親の入院部屋からの景色は、これで見納めにしたいと思う。明日退院する。そのために介護施設のケアマネさん、ヘルパーさんなどと打ち合わせ連絡。
 今日の打ち合わせは、病院、介護施設関係以外に「こころ塾」Be型就労支援の短期間スタッフの人探しのことで塾長とやり取り、再就職支援プログラムでの受け入れ就労先のことで就労場所選定の打ち合わせのために塾長とやり取りを往復8回ほどの電話連絡。受け入れ対象先の担当者と連絡。私の直接的なことで云えば、近々仮釈放される人の即受入れ事業所訪問し、社長と打ち合わせ。そのために保護観察所担当官と打ち合わせ連絡。続いてハローワーク担当者へ部外者の私の方から指示をして動いてもらう連絡。まだあった・・来月塾を辞めるJさんの再就職をお願いするためにハローワークのSさんにも連絡。夜になって、辞めるJさんの短期間就労可能なピンチヒッター相談をしていたOさんから対象者紹介の電話連絡、その後本人から連絡があり面接日を決めた。最後の連絡は、車屋さん。自宅に帰る途中、おんぼろワーゲンの後ろからカラカラと乾いた金属音がする。おかしい故障かなぁ・・といつもの車屋さんに連絡する。なんじゃろか・・エンジンからではないようだが、タイヤが何か拾ったのかなぁ・・とりあえず明日持ってきて・・。だと、明日は雪が降る予報、寒い日になりそう。空からの連絡は良い報せがあるだろうか。

捨てる紙と拾う神

2015-11-25 00:00:00 | Weblog
 今夜は何かと話題のエイトワン社長の大藪崇さんの今までのサクセスストーリーを聞くことになった。毎週水曜日午後の「こころ塾」出勤日、今日は予約者ゼロ。忙しそうに動くスタッフを横目に久しぶりにのんびりと遣り過ごそうと・・思っていると、塾で講演会をやるから8時半まで残って欲しいと云われてお聞きしたワケで。

 いくらか商品や旅館などは知っていたが経営者の名前は知らなかった。日経ビジネスなどで取り上げられている地方創生を柱にビジネスを立ち上げてる人らしい。
 大学在学中はパチンコに没頭、卒業も同級生よりやや遅れて、その後は知人にもあわないような生活を4年半ほど送り、株式投資を中心に生活をしていた際の15億稼いだ資金を元手に次々と商売を始めた結果うまくいった・・様なお話。道後の「旅館やや」タオルの「伊織」ミカンの「10(テンファクトリー)」「鯛めしや」など産地発のものを全国に発信しようとロープウェイ街に店を構えている。地方を活発にするには、地方の人たちが楽しく夢を持って仕事ができるかどうか、活気が出るかどうかにかかっている・・等の話を聞く60分。

 先日、釈放前に就職を決めようとお膳立てをしたところ、先方の社長から釈放翌日出社OKの採用通知のFaxが届いた。よかったなぁ・・と刑余者Aに告げると、やっぱり行くの辞めますワ・・だと。なんじゃいな、ハイ、行きますと言ったではないか、話が違うのではないかそれは・・と怒り心頭、チキショウメ。冷静になって考えれば、そうだわなぁ、ヘイの中では受刑者がノーと云わない、言わせない場所だから私や職員の話にはすべてYesダワな・・。残念と思っている矢先、もう一人面接をしたBは面接内容からコリャ不採用しかない・・とあきらめていた矢先・私のスマホに昨夜、社長からBの入社意思を再確認して欲しいと連絡があった。で、今日の面接室に連行してもらい、再確認することに。Bがハイ、よろしくお願いします・・と。Bの将来の夢、目標は自分の飲食店の店を持つことである。そのための元手になる資金を貯めるためにはどのようなキツイ仕事でもやりたい・・と私に話しかけてくる。

 エイトワンの社長はニートから事業家になった。果たして刑余者Bは事業家に生まれ変わることができるかどうか。二人の出身地は、他県で同じ街である。ただし年齢は、Bが二十歳そこそこで若い。

 今夜の病院食メニュー、3分がゆ、卵豆腐、煮魚、マカロニサラダ、ヨーグルトを母親は完食。今日のご飯には味がついていたらしい。昨日のご飯は全く味がついて無く、先生に、マズイよ~、先生も一度食べみればいい・・などと文句を云ったそうな。で、・・・夜8時過ぎに病院から連絡があった。明日か明後日退院してくれ・・だと。それもそうだワ、窓際の夜景が見えるベッドに移りたいだとか、入れ替わりくるナースをからかい、若い医師に冗談を言ってる老人患者なぞ早く帰ってもらいたいんだろう。先日夜中に病院に連れてきたときは、手術だの、今後一人での生活は出来ませんだの、さんざん説明してくれたけど、今になって早く退院してほしい。。はないやろ。本人は退院の日を来週の大安の日と決めていたらしいが・・。

くうねる

2015-11-24 16:57:58 | Weblog
 昔の作家に開高健さんがいた。「喰う寝る」と豪放磊落のイメージがある。何とかの料理店に行き、何やらのご飯を食べるに、スタッフがやってきてメニューの料理にいろんな説明をし、講釈を言うのに嫌気がさして(たぶん)、開高健さんが、じゃ、講釈のつかない食べもんが欲しいと注文をしたことがある、などの話は自分を興奮させた。そしてエッセーで「大人と子供のちがいは 持っている玩具の値段のちがいだけである。」といわれれば果たして自分の昔のおもちゃは何で、今は何を玩具として所有してるんだろうか?と考えたり、「教えるものが 教えられるのが 教育の理想である。」などと云われると教えることに謙虚さがなければ成り立たないだろうなどと思ったり、苦労人であった開高健さんからの話はキリッとする爽快感があった。また開高さんは川釣りが好きなことでも有名であった。

 同じアウトドア作家に椎名誠さんがいる。川の旅や野外活動が好きな作家である。仲間にカヌーイストの野田知佑さんがいていつも面白く読ませてもらっていた。椎名誠さんの「喰寝呑泄(くうねるのむだす) 」の内容はすっかり忘れたが、腹を抱えて笑ったことがあることは覚えている。
 男一人、喰う寝るで充分、喰う寝る飲む出すだけで十二分…ではないかと。

 ところでご近所さん宅の青年期における子に対するオヤジ教育の柱が私の腑に落ちた。将来男一人喰う場所と寝る場所とヤル場所さえあればOK・・という。ウ~ム、開高健「夏の闇」そのもではないか。

J1への戦い

2015-11-23 00:00:00 | Weblog

 今年の最終戦である。アウェイの徳島ヴォルティス側に陣取り一人で観戦する。
 3-0の快勝。これで年間5位が決まった。次のステージはJ1を賭けてセレッソと対戦する。今年のセレッソ戦は0-1,2-1の1勝ち1負け。どうなるか?
 
 大きな問題は集客力、セレッソが集める観客の30%にも満たない愛媛FCである。でもホーム最終戦でもあり1万人近い観客が入っていたのに驚いた。サポーターが陣取るC席にもこんなに入っているのにびっくり。
 J2のチーム総数22チームのうち21番目の入場者数である。Jはプロ、、にもかかわらず人を呼び寄せるパワーが不足してるんだろうか・・私には、スタジアムへの交通アクセスが悪いことが一番にあるんだろうと思うが・・。どうして将来を考えての設計など、なかったんだろうか、それとも想定外などの事情があったのだろうか。行政側は作ったり壊したりまた作ったりなどとその場しのぎのことしかやってないように見えるが・・。行先を見据えて考える、作る、努力をする、などぜひ聞いてみたい。全体の利益を求めることより個の利益を追いかけることを優先し、それに乗っかろうとする群があるようで・・・。
 今日は、昨日がいい夫婦の日、に続いてイイ兄さんの日だとか。イイ兄さんになるにも難しい。
 ニンジアスタジアム、ゲーム終了後徳島ヴォルティスのサポーターから愛媛FCへエールが送られた。高校野球でエール交換は珍しくないが、プロ集団では初めて見る光景。徳島ヴォルティスが一昨年ラッキーな勝ち方をしてJ1に上がったものの結果最下位、そして再びJ2に帰った。エールのこだまを聞きながら何かしら感じたものがあった。来年はまだJ2で力をつける方がいいのではないか・・などと。J1昇格をかけるプレーオフでラッキーな勝ち方をするとその後、力量の勘違いをするのではないか・・と心配をする。

本日のラン近い

2015-11-22 00:00:00 | Weblog
 とりあえず障害関係で相談業務に就いている人達との意見交換会をしようと先月から決めていた。昼飯を食べながらである。

 出席者は、交流分析で「こころ塾」において学校の教員を対象にカウンセリングをしているKさん、通訳業務に就いているMさん、生活困窮者自立支援制度の担当者Jさんと私の4人。話の中心は出所者の対応。特に累犯障害のこと・・であったはずだが・・出席者の一人が喋っておる。今度カナダに行ってくる、ホームステイでお世話になったお宅から遊びにおいで・・と誘われたから・・だとか。何ちゅうことや、この前イチロー選手を見たくニューヨークに行ったばかりじゃないノンか。
 肝心な話より食いもんの話や遊びの話が多いようで、

 デザートを食べ終えて私一人お先に失礼・・と。

 母親が入院中の県中病院へ行く。調子はどう?ウンいいよ~、腰以外はどこも痛くない。やっぱり腰の筋肉痛からお腹の調子が悪くなったのかもしれん・・などと自分で勝手に診断をしておる。30歳前半のイケメン医者を捉まえてミーハーになり、美人看護師を引き止めて冗談を言い、コマッタ超高齢患者である。 

1年が来る

2015-11-21 10:00:00 | Weblog
 弟が亡くなってちょうど1年が来る。いつも元気であった頃の事、アホな話で笑いあったことを思い出す。一時も忘れることがない1年であった。

 夜の時間、さぁそろそろ寝る態勢になろうと、してると、母親からの電話あり。お腹が痛いという。あわてて駆けつけることに。すると立っているとまだ少しは楽なためかベッドから起きている。お腹がパンパンになっているではないか。至急本日の救急医である県中病院へ行く。でも患者さんが多く、診察室に入ったのが12時。CTを撮り診察は、腸捻転ではないかなどと・・
 で、結局入院をすることに決めたのが3時半。眠くて眠くて・・・母親を入院ベッドに連れて行き、自分が解放されたのが3時半。朝帰りであった。

若い勉強中の医学生と夜中にメール交換する。夜の12時頃
・・「おばぁちゃんがお腹が痛いと云って救急病院に連れて来た」
。。「大丈夫なん?」
・・「今からCT検査」
。。「今日の救急病院は県中病院?」
・・「そうそう、今の時期、嘔吐や下痢は多いの?」
。。「寒い時期のノロウィルスは有名よね、感染性胃腸炎の可能性は高い。」
・・「CT検査が終わった。Drから腸閉塞が気になるので、次は血液検査をするらしい」
。。「イレウスか?」
・・「ヘルニアかと」
。。「脱腸(鼠径ヘルニア)のことかな?」
・・「血液で判断できるか?」
。。「もし診断ついたのなら手術前の血液検査じゃないかな」
・・「診断はまだよ」
。。「どうだった?」
・・「以前から大学病院で指摘されてた腸閉塞があり腸が出たり引っ込んだりの症状。便は出る。ガスは出る。」
・・「が、またお腹が張って痛くなる時があり、しばらくすると治まる。」
・・「最近国試を取った医師みたいで若い。手を打って、もしダメなら手術が必要だと云ってる。」
・・「大学病院のベテランDrは、腸が出たり引っ込んだりのことでは様子うかがい。の観察中、」
・・「経験の浅く青い医師は教条的な感じ。」
。。「手術が必要って?」
・・「場合によっては、ということ。
・・「けれど。病院に連れてきた10時頃にはお腹の痛みはなくなっていたようだが、お腹はパンパンになってた。」
・・「おばぁちゃんは帰る、と云ってたけど、夜も遅いからベッドを確保してもらって泊まってもらった。」
・・「顔色もよく、付添い看護師も24時間いるから、安心できる。」
・・「2~3日居ればいいよ、と言い聞かせてみるも、医師は1週間最低入院してネ、と言いよる。」
・・「ケンちゃんもおばぁちゃんも入院は嫌いと云ってるのは共通よ。」
・・「オトーさんは、料金の高い高級ホテルに泊まるつもりで、と云ったところ、真夜中にもかかわらず、若いイケメン医師や美人のナース捕まえておしゃべりを楽しんでる。夜が明ける前にトーさんは家に帰るよ。オカーさんが起きて待ってるから。」
 青く若い医師が、やってること。鼻から胃へチューブを差し込み胃の中と腸の中を空っぽにする作戦。するとミルミルお腹がペッちゃんこになっていた。それも朝からおかゆさんなどたくさん食べてたみたい。食い意地が張ってたのか!問題部分として喉の狭窄と腸の閉塞を持っている。