年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

しばらく休み

2013-06-12 00:00:00 | Weblog

  おたふく豆の季節を終えると  小野川の茂みに野生クレソンの白い花が咲き、川底にニナ貝が多いと思っていると、急に蛍が乱舞セル時期となり  やがて田植シーズンのための準備をする農家さんの耕耘機を空から見ている鳥が、土を掘り起こされて現れるミミズをねらい   玄関先の大葉ギボシや栃の木の葉っぱが大きく葉を拡げる  菖蒲が咲き乱れ   様々なバラの種類もきれいに咲き誇る。ちょっと私も菖蒲の花の方ではなく、自分の決意を高しめるような勝負をやりたいと思う。で、今重大なことで私の頭の中が横に飛んでおりますので、このブログ ちょっと休みが続きます。


OKバジ

2013-06-11 00:00:00 | Weblog

 今日の講演はネパールの地において、しかも車が通ることができる道路もないような山岳地域に暮らす住民に学校を建てて子供たちに教育をする機会を作ったり、橋をかけたりするインフラ整備を行政側ではなく個人的に20年間も現地でやっている日本人の話である。

 日本でいえば里山に暮らしているネパールの人達、職字率45%(男子63%女子28%)、平均寿命58歳のネパールの現実、しかも中心地カトマンズから西に飛行機で1時間ほど離れており、インフラ整備が遅れているパルパ県に暮らす人々に対して1個人で頑張っている垣見氏(村の人たちからOKバジと呼ばれている)がCCWAの会を立ち上げて支援をしていられる。トイレ、水道設備机や椅子などの学校設備、灌漑用水路や橋の建設、バイオガストイレ設置などを主な支援内容としている。CCWAの会は2005年からパルパ県のマッテイロジョケディ村が最も自立に近い村として支援をしているのである資金はあくまでも個人の拠出による。会として日本国内での広報活動を行いながら資金を集めている。今夕はそのための会であるが、ネパールの村からもお二人がやって来て報告をされていた。


吉報あり

2013-06-10 00:00:00 | Weblog

 奈良に住む従兄弟のM君が骨髄移植をした後の経過が、良くなっているのか悪くなっているものなのか、検査数値でははっきりしないが、病院での療養に区切りをつけて自宅療養をすることになったと本人から電話連絡があった。医師からやっちゃダメと云われているようではあるが仕事大好き人間だから、自分の会社についつい電話での指示をすることになるんだろうと、だから私も仕事を任せるトップの姿勢は如何にあるべきか・・・などと私が聞きかじった現職時代にお会いし学んだ数多い社長の話をした。しかし、やっぱり自分が社長だけにたとえ息子であろうと口を出していくんだろう・・などと推測してしまう。


式の日取り

2013-06-09 20:30:40 | Weblog

 昨日に続き伊予市の方へ妻と一緒に行く。今日は実家の片づけである。三男夫婦が住むにはまだまだ母親やら弟妹の昔のものが大量に残っておる。それらを一つ一つ梱包して車に詰め込んでいく作業。タンスの中や押し入れの中がいまだに整理されていないのである。全部そのまま捨てりゃいいものの、スーツやジャケット、着物など母や妹や弟に了解を取ってから捨てようとしているので時間がかかる。三男とお嫁さん二人は今朝から何とかマラソンに出ているようで不在につき、二人で2階から洋服など入れ込んだ化粧箱4つ、ほかに小物類など車いっぱいに詰め込む。あと何回片づけなければならないのだろうか・・気が遠くなる。

 夕方3男とお嫁さんとご飯を食べながら報告を聞く。式の日が10月13日(日)に決めたとか。なお久万高原教会でH先生にお願いをしたとか、また披露宴を何とかという場所を契約してきたとか、二人が嬉しそうに喋っておった。


叔父と叔母とH子と

2013-06-08 00:00:00 | Weblog

 この一家は大変仲の良い3人家族である。おっとりした感じの叔父は元銀行員、シャキシャキの叔母が家の内外を取り仕切り、手も足もよく動くがそれ以上に口が動く。でも今は、残念かな年齢が高くなるにつれ誰でも遭遇する身体の至る所にガタがきての病院通いの日々を送っている。日常生活を滞りなくやり過ごすことも難しくなり、叔父がカバーをして、その老老介護の介護全般を管理しているのがH子という図式になっている。母の妹でもあり、小さい時から気が合うのか昔はよく行き来していたけれど、このような状態につき大阪からこちらに来ることも数年に一度くらいになった。母にとってみれば、その下の妹二人とも早くに亡くなり、周りの友人知人も年々少なっていくことに寂しさを覚えるのか、先日来会えるのを楽しみにしていた。

 、3人を車に乗せて市内観光。先ずは叔母が仁川から引き揚げて入った城北高等女学校見物。今の北高。秋山好古校長の銅像を車の中から見るだけ。そして実家のある町へ。道の駅でジャコテン食べて、大昔住んでいた駅前を通り、叔母の若かりしときの思い出、センチメンタルジャーニーは終了。そして、次はもしかしてお互いの身体の調子のことを考えると、これが最後の姉妹の直接の会話になるかもしれない・・・などと考えて母親の所へ。

 まぁ話すは話すは・・・姉と妹の話し合いを黙って娘と主人が聞いておる。何から話したものかわからないが、昔々の仁川での生活の話。豊かな暮らしをしていたこと、十分に何不自由なく、家の使用人がいての生活ぶりを聞くにつけ、アァ・・そのような、内地ではお目にかかれないようなお嬢様の生活を送っておれば、敗戦後内地に引き上げてからの生活は、きつかっただろうと容易に推測ができるほど。そのような昔話を延々と二人で喋っておる。それを黙って聴く叔父とH子と私の3人。

 楽しんでもらえたならいいけど・・・


少しは調子が良くなったようだ

2013-06-07 00:00:00 | Weblog

 先日以来微熱が続き、咳が止まらない日が続いていたが、今日はその咳も治まり熱っぽくもない。抗生物質の薬が効いたんだろうか。

 大阪から叔父叔母従妹がやって来た。仕事帰りのその足で迎えに行く。叔母に会うのは1年ぶり。あるく姿を見たのは数年ぶり。身体が痛いだろうに・・と思うも本人は、いたって口だけは元気だから少しは安心する。そしてH子は私の顔を見るなり、どうしたのか・・老けてしまって80歳のおじいちゃんの顔つきになってるよ・・などと言われる。そうか、そのように映ってるのか・・と落胆気味。しかし二人とも久しぶりの四国旅行で、叔母の身体の痛いのが少しでも忘れる時間があれば、娘のH子も気が晴れるんじゃないかと思ったりもする。妹が姉に会いにやって来た。数年ぶりの91歳と84歳の姉妹の話し合いである。年を重ねていくに従い、やっぱり血のつながった姉妹は特別な関係のようだ。生きている間にあと何回会うことが出来得ようか・・片方の手で指を折ってみるが、なかなか指を折れそうにない。


オフ日

2013-06-05 10:00:00 | Weblog

 

 近々の満期釈放者に限らず、今日私に与えられた仕事は、先日他県の刑務所から移送されてきたばかりの受刑者を、早めに就職への意思決定を促すために継続的に相談していこうと作戦を練った。もちろん刑期は十分に残っているので慌てることはないだろうけれど、そこは物理的自由を奪われた受刑者が、未来への一縷の希望を醸成すべく私が関わることになる。

 でも問題は、今日も熱が下がらない身体のこと。与えられたお薬をきちんと飲み、養生しているがいつも6度後半の微熱が続く。昼過ぎ仕事を終え、自宅に帰ると、さっさとパジャマになり横になる。午後から明日いっぱいは何もしない日にしようと思っておる。


エッ、ハッ、胃炎?

2013-06-04 00:00:00 | Weblog

  

 今日のメインはサッカー日本代表の試合。オーストラリアにすっきりと勝ってW杯を決めたい。でも問題は今朝からの微熱。体温計で測ってみれば6℃8分。なかなか熱が引かないのでどうしようもなく、ウロウロするばかり。午後から顔をだした「こころ塾」でも皆さんと顔を合わしてみても、利用者さんの方が元気が良い。どうされましたか・・・などと逆に心配される始末。また熱が上がったようなので、そこを早めに出て、思い切って病院へ行くことにした。

 で、また熱が上がっておる。7度1分。いつもの病院のいつもの若い医師が今日の担当医である。胸の音を聞きながら一発で、血液採取とレントゲン撮影を指示してきた。お~ちょっとやばいかなぁ・・・

  それで、白血球数が異常に増えていることと胸の写真を見ながら、白い箇所があり、あ~肺炎です・・・などといつもの若い医師は云いにくそうに話しかけてきた。10数年来、いつもことあるごとに若い医師に老人目線で云っていたのは、患者に説明する時の医師からの伝え方はいかにあるべきか・・・である。だからなのか今日はいつもの強気な話かたではなくすまさそうな話しっぷりであった。

 PKで強気にど真ん中に放り込んだ本田選手。ヤレヤレ。


8時45分のNHKニュース

2013-06-03 21:14:50 | Weblog

 

 先日中国・吉林からやって来たKさんに会った。そのKさんが来日するはるか前に長春出身で大連からやって来て当地に住んでいる人にOさん陳さん夫婦がいる。ここに住んでもう30年近くになるだろう。Oさんや陳さんとは時々会ってお話をするくらいであるが、昔はしょっちゅううちに来て餃子や中国料理を作ってもらったりしていた。現在Oさんは福祉施設で重要な仕事を任されており、陳さんは大学で講師をしているのでなかなか時間が取れないでいる。ご夫婦に一人娘がいる。雪ちゃんという。31歳になる娘さんである。6年ほど前にANAの正社員としてCAに採用された折は、親子でわざわざ私の所にあいさつに来られたことがあった。

  ANAが毎年恒例にしているスズランを持っての病院訪問が今年もあった。赤十字病院へ慰問にやって来た、というニュースが流れた際、よく見ると雪ちゃんがスズランの花束を持っているではないか。アレレ、さっそくOさんに電話すると雪ちゃんが代わって出てきて、こんばんわ・・などとあいさつをしてくる。聞けば明日はオフらしい。お父さんもお母さんもニコニコしている。久しぶりの親子水入らずの時間を過ごしているようだ。なお、雪ちゃんは私の学校の後輩でもあり幼稚園の時からこの地で育っている。英語と中国語のバイリンガルでもある。