年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

年度末・・弱ったよ

2018-03-31 00:00:00 | Weblog

 変形性頸椎症に難儀しておる。夜中に疼くと眠れないので2時であろうが3時であろうが飛び起きる。そして布団の上で胡坐をかいて疼痛に耐える。起きると痛みは少し軽減されるが眠気はきつい。

 気を紛らすのにユーチューブで大喜利を見て小一時間痛みから逃げるようにしている・・。それほど効き目はないけれど。ロキソニンも効かないし・・弱ったョ。

 今日は土曜日、奥さんは朝から仕事場へ出かけた。それで移動図書館に返す本と借りる本をメモ紙で頼まれる。すると移動図書館バスの前に

 NHKさんのカメラがありタカシちゃんと二人で捉まってしまった。若い記者さんが何やらタカシちゃんと私に話を振ってくる。2週間に1回は、同級生同士こうやって本を借り、そのあとスーパー内の100円コーヒーで世間話をする所までカメラに音声マイクがやって来た。お~ッマイゴッ。
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2018-03-30 00:00:00 | Weblog

 花芸安達流を興した華道家の安達瞳子さんは、 ツバキで有名な父親が始めた安達式挿花の家元後継者であったが、「桜の旅に出る」と父親と袂を分かち、家を出て独立された。人としての芯を感じさせる人であると思った。

 なにせ安達さんのお話を直接お伺いしたのは、自分が17才の高校生時代、華道のことなぞな~も知らん、彼女の名前なぞな~んも知らないような時に講演会場の真ん前でお聞きした。自分も未だに記憶に残っているほどだから大きな感動を覚えたのだろう。

 一つは父親の主宰する家元をすぐに受け継ぐことを拒否し自分自身の道を究めようと家を出たこと。二つ目、これが女性のつつましやかさであると17の自分に焼き付くほどの立ち居振る舞い、言葉の選び方、話の仕方を目の前で見ていると、これほどの方は初めてだと《This is a Japanese woman》だとワケもわからない高校生にも思わされたこと、三つ目、父親が椿をいけることに対して、安達瞳子さんが対峙したのは桜、壇上からお聞きしたことに「桜」はいったん切りバサミで切る=桜の命を絶つと華道として生き返される、命を再び与える活け方がもっとも難しい花です。と、これを究めたいと・・だから桜の旅に出ます・・・と父の元を去ったお話をお聞きしたこと。
 「桜」は難しい。そのような話であった。

 他の花は活けることにそれほどの難しさを感じないということなんだろう。そして、もう一つ記憶にあること。花を見る時、活ける時には必ず自分の心が映し出される、と断言されたこと。

 その桜木の下でご近所さんが集まり“お花見”の会をする。

 今年の花はきれいに見えるだろうか・・と。酔えるほどに美しく見える時はきっと自分の心模様もなんらわだかまりがない日々であることが映し出されるんだろう。でもここ数年満開の桜をただ無機質的に見ているようで・・・。どうしてだか。。。
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花は盛りに

2018-03-29 00:00:00 | Weblog
 ついこの前まで厳しい寒さに耐えてたのに季節が変わり、どこもかしこも花が咲いているっていうのに自分は心身ともになぜだか未だ真冬の状態から脱出できないでいる。

 玄関前のシャクナゲもついこの前までこれから咲くよ~の姿であったのが、この数日のポカポカ陽気につられて
他の花と競うように

 開いた。

 順々にいろんな花が開く。

 木通(あけび)も負けずと

 小さな花をつけ

 グミはピークを過ぎて赤い実をつける準備に入る。

 そして桜。

 「花は桜木 人は武士 柱は檜 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの 」一休宗純禅師
 桜の散りゆく美しさを日本人の心のひだに見つける。もののあわれを感じる感性がうれしい。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは・・」兼好法師
 このような心持が人を思い遣ることの出来る土台になってるんだろうと・・

 うれしくもあり哀しくもある心情。
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4拍子のサッカー

2018-03-28 20:35:47 | Weblog

 これじゃW杯が思いやられるワイ。ゲームの質が異なる。何が一番異なってるかと言えば、日本代表は相手方が1・2・1・2でパスを出し合っているのに比べて、お1・2~の3・4の4拍子だから組み立てるのに意思疎通に時間がいること。ハマれば美しい絵図に映るがハマらない時は、相手方のフィジカルの強さだけが浮き彫りになる。今夜は落胆のあまり眠れそうにない・・・。

 寒アヤメ咲く。

 スズランも咲く。

 今日はグッと気温が上がった初夏。

 春が短いのか、冬と夏の両極端。
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満開の桜記念日

2018-03-27 21:37:11 | Weblog

 ずいぶん前のことを満開の桜を見て思い出した。ここは島根県三刀屋町、現雲南市三刀屋町である。木次町・三刀屋町は初めての出張地であった。
 初めての土地に宿泊したのが割烹旅館。晩ごはんは見たことのない豪華な食べきれないほどの料理がテーブル一杯に並べられた。客室係の仲居さんに思わず、スゲ~と。すると仲居さんが、今夜から桜まつりの宴会が入っているので、お客さんにも同じようにお料理をご用意いたしました・・と言うではないか。思わず生唾をごっくん・・。でも問題は、その当日の午前に病院で宣告を受けたことは、糖尿病ですから食事制限をしてください・・とのこと。食うべきか食わざるべきか悩んだ。

 割烹旅館のすぐ裏が揖斐川沿い土手に続く桜並木、夜桜見物の客で賑わっていた。じゃ膳をいただいてから2㎞もある桜並木を散歩すればいいだろうと・・欲に負けた。こんなにも美しい夜桜を見たのは初めてであった。花に酔ってしまった。そして2週間滞在した最終日には御衣黄も花が開いてた。以後Ha1cの値が下がることなく足は痺れっぱなしである。

 実はここ三刀屋町にはもう一つの感動することもあった。永井Drが育った地であること。
 恥ずかしながら実は自分が44才になるまで「永井隆」さんが何人であるのか知らなかった。あとで永井博士は、この地三刀屋町で育ったこと、同じ「永井隆記念館」が長崎市にもあること、執筆した本に「長崎の鐘」「この子を残して」などがあり、藤山愛一郎さんが哀切に切々と歌う同名の曲もフレーズは自分の幼少期から沁みついていること・・などであった。


永井 隆(ながい たかし、1908年(明治41年)2月3日 - 1951年(昭 和26年)5月1日)は医学博士。
[生涯]
[明治]
・1908年(明治41年)2月3日 - 島根県松江市にて、医師であった父寛、母ツネの長男(5人兄弟)として誕生。祖父の文隆より1字を授かり隆と命名される。
・父の医院開業のため飯石郡飯石村(現・雲南市三刀屋町)に移り住み、幼少青年期をすごす。

[昭和(戦前)]
・1928年(昭和3年)4月 -(旧制)島根県立松江中学校を経て、長崎医科大学(現:長崎大学医学部)に入学。(20歳)
・大学入学まではスポーツの苦手な優等生であったが、身長171センチ、体重70キロと大柄な体格であったことから長崎医大篭球部に誘われ、メモ書きを怠らない熱心さで、明治神宮で行なわれた全国大会3等、西日本選手権制覇などに貢献。
・1931年(昭和6年)
・浦上天主堂近くの森山家に下宿。森山家の一人娘の緑(洗礼名:マリア)は後に妻となる人物。森山家はカトリックであったことから、カトリックに興味を持ち始めたと言われている。(23歳)
・1932年(昭和7年)
・3月 - 大学の卒業式では答辞を読むことになっていたが、直前に急性中耳炎になり、耳が不自由になる。そのため、内科医の道を断たれ、放射線科を専攻することとなる。(24歳)
・4月 - 大学卒業後、助手として放射線医学教室にとどまり、放射線物理療法の研究に取り組む。
・1933年(昭和8年)2月1日 - 幹部候補生として広島歩兵連隊に入隊し、満州事変に出征する。(25歳)
・1934年(昭和9年)2月1日 - 出征より帰還し、大学の研究室助手に復帰。
・6月- 洗礼を受け、カトリックの信徒組織である聖ヴィンセンシオ会に入会(洗礼名:パウロ)。無料診断・無料奉仕活動などを行い、この頃に培った奉仕の精神が、晩年の行動へと結びついて行く。(26歳)
・8月 - 森山緑と結婚。緑との間に一男二女(長女は原爆投下前に夭折)をもうけた。
・1937年(昭和12年)- 長崎医科大学(現長崎大学医学部)の講師に就任。日支事変に第5師団衛生隊隊長として出征。(29歳)
・1940年(昭和15年)- 長崎医科大学助教授・物理的療法科部長に就任。(32歳)
・1944年(昭和19年)3月3日 -『尿石の微細構造』で医学博士号を授与。(36歳)
・1945年(昭和20年)
・6月 - 長年の放射線研究による被曝で白血病と診断され、余命3年の宣告を受ける。(37歳)
・この時白血球数10万8000、赤血球数300万であった。(正常値は白血球7000程度、赤血球500万程度)
・8月9日 - 長崎市に原子爆弾が投下。爆心地から700メートルの距離にある長崎医大の診察室にて被爆。右側頭動脈切断という重傷を負うも、布を頭に巻くのみで救護活動にあたった。
・8月10日 - 帰宅。台所跡から骨片だけの状態となった緑の遺骸を発見し、その骨片を拾い埋葬する。
・8月12日 - 救護班を組織し、被爆者の救護に当たる。

      フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(抜粋)


 妻を原爆で亡くし子二人を抱えての生活、しかも本人も白血病との闘いの中で母親不在の子育て。子供二人に残すメッセージが哀しくもある。
 
 この本おすすめです。旧いけど。
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教育と教養があるかどうかのこと

2018-03-26 19:32:02 | Weblog

 あいもかわらず通ってる。ジムへそして病院へ。 筋トレする、両手を使うようなマシーンは使わない、足を中心とする筋トレやプールでは手を使うことなく水中歩行をする運動のみ、右手は使用不可状態。それから風呂に飛び込みサウナで一杯の汗をかく。汗が引いたその後、首を吊り電気治療をし頸椎に強いマッサージ師を指名し何やらグリグリしてもらうべく整形外科へ直行する。このところこのパターンが日課になっている。が、今のところ改善されたというほどのことはない。

 ジムではたくさんいられるご婦人の顔は覚えられないが男性の顔は覚えている人も増えた。スポーツジムへ通い始めて7ヶ月が経過するものの挨拶を交わすほどの交わりを持つには至らないにしても男性はいつもの顔として知っている。そのいつも見かける人のことで・・・

 わき目も振らずストイックに運動をしている・・・と、ふと頭に浮かんできたことがあった。それは、老人ともなれば日常での大切なこととして、キョウイク&キョウヨウがあるかどうか・・・が問われるんだと、数年前に東京からこちらに講演に来られた講師が話してくれたことがある。仕事もリタイヤすると毎日が日曜日になる。だからこそ老人が、今日行く所がありやなしや、今日は用事がありやなしやのことが大切だと。つまり(今日行く)、(今日用)事のことだとか。

 いつもの人の顔を見れば家では何もすることのなさそうな、孫相手にお小遣をあげる他なんも用事がなさそうな、事もなき老人ばかりが、ジムのことではキョウイクとキョウヨウが常にカレンダーに記され、ひいては家の中の方が寒く感じる今時、コタツから出て濡れ落ち葉から脱出できるごとき家人から疎んじられることで奥様孝行のように映るのも、あにはからんやいとをかし・・。ジムに通う老人の群れを見てきょういくときょうように満ちている方ばかりだなぁ・・と思ったり。あぁ自分もキョウイクがカレンダーにばっちし
 
 手は痺れ足も痺れてはいるが、6月上旬に尾瀬の湿原に行き水芭蕉を見ようと、そして木道をびっこ歩きしながらでも
夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径(こみち)
水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空

 と唄おう・・と奥さんが云ってるので

 自分は歩ける自信はないが、とりあえず飛行機のチケットは取った。
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ガマン

2018-03-25 18:27:58 | Weblog
 右手が腫れる。箸さえ持てぬ。

 ロキソニン飲んでガマンガマン。
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春到来とはいえ

2018-03-24 00:00:00 | Weblog

 お山は春の装い

 雪が少なくなった。
 春が来ると

 ミモザも咲き

 沈丁花の香りも漂う

 小さい花も
 
 競うように咲く。

 シャクナゲ満開ももうそこまでやって来た。

 そして花のことを考えた。花開く時間は1年365日の中ではほんの一瞬になろうか。花は結実するためにあり、また若葉を催すために咲くんだろう。実となるのは自分の勢力を拡大するように、若葉を作るように、そして次の年に再び生き残ることができるように実を結ぶんだろう。実を作るために花が咲いているのか。365日の内のほとんどの時間を費やして種の保存作業をしておる。365日の時間のうち花は寸時、あとは次世代の実を作る時間がほとんど。


 それにしても昨夜は情けない試合をして

 やっとアディショナルタイムに追いつくような有様

 ところで自分の方、夜中の痛みは減ったが起きてからの痛みがひどくなった。右腕1本切り落としたいほどの痛み。よって、左手だけの生活となる。
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危険だと思う

2018-03-23 19:52:05 | Weblog
 平地では桜の便りが増えてるのにお山の方はまだまだ

 ポカポカ陽気の一日でも自分はせっせとジムに行き筋トレをし、水中歩行をし、それから風呂に入り汗を流し、さらにサウナに入って大量の汗を流した後はジム玄関前の整形外科へ移動する。

 夕方の4時半この時刻ともなれば患者さんもチラホラ状態だから順番を待つこともなくすぐにリハビリ開始となる。いつものリハは3点、首を吊る、肩から腕にかけて電気治療をする、それからマッサージベッドに横になること。職員さんに冗談で首を吊るのにバンドでなく細紐に変えて吊ってもらって結構だと言うと、いやぁそれでは私が犯罪者になってしまう・・・などと笑われたが・・。

 この病院のマッサージ師は7~8人もいるだろうか、今日の人は面白い人だった。
 本人も頸椎症を患ったことがあるそうで、夜中に疼く時は包丁で腕を切り落としたいほどでしょう・・と今まさしく自分が抱えている夜中の感情を代弁してくれた。そして首を触りながら、ここが頸椎の6番が通る神経だからこの部分を開放しましょう・・などと説明をしながら治療をしてもらった。ウン・これで少しは軽くなるだろうか。問題は夜中の3時頃の睡眠を遮る右腕の激痛、今夜は眠れるかナァ・・・。


 それにしても気温の高低差が激しい。暑いか寒いかの酷暑と厳寒の両端を好むことはない、むしろ暑くも寒くもないような気温が、もしくは環境が適する。だから今の時期着るものも毎日重ねたり脱いだり足したり引いたりで温度調整が欠かせない。暑いか寒いかの両極端の様子は他のことにも当てはまる。正義か、それとも不正のことか、嘘か真か、善か悪か両極端のことにて自分たちは翻弄される。両はしの際にいるより中あたりにいる方がなんとなく実っぽい。なんとなく暖かさを感じる程度の。

 潔く言い切ることは称賛を得やすく、反対の未練がましい表現は何やらはっきりしないようで疎まれやすい・・・白か黒かの考え方が今の時代多くなっているのではないかと危惧する。例えばハムレットの[to be,or not to be]生きるべきか死ぬべきかのように結論が性急に求められないような、どちらとも取れないようなグレーゾーンの場所にいることが自分たちには本当は苦しいのではないか、生煮えのようであり、どちらともつかないような面倒くさいことを考えることから逃避しているのではないか。なぜか?カウンセラーさんがよく使う手、クローズド・クエスチョン/オープン・クエスチョンの手法にも似てるようで・・。日常生活から出るクローズドクエスチョンのみに目を奪われ、つまり答えを正と誤に早く帰結するために自分たちが熟考する時間を否としているようで・・短時間で正解を見出すことに例えばお金儲けのヒントを見つけるようなことにて。自分たちはそれぞれが問題を抱え、家族に問題を抱え、社会が問題を抱え、国家が問題を抱えることにおいて性急に正解は出ないんだろう。時間経過とともに環境が変わる、そして状況が変化し条件までもが変わる過程での正誤は常に揺れ動く。なんとなく間違ってると思うよ~くらいがちょうど良い。

 自分たちはグレーゾーンにいて深く考える癖を放棄してしまっているのではないか・・と。小さい時からハヤクハヤクと急かされ答えを求められるような仕組みの中で育っているからなのか・・白か黒かの両極端にのみ答えがあるのだと刷り込まされているのではないかと危惧している。その一つには今の資本主義社会を生きるに欠かせない土台に「欲望」があるんだろう。消費活動をベースとする欲望が起爆剤になり、損得勘定と損得感情がやがてより良い生活、より良い人生につながると考える自分は貧しくあり卑しくもある。なんとなくそんなことを思う。・・・でも頸椎症の痛みは何となくどころではない
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お~ぉコマッタよ;父の訓え

2018-03-22 00:00:00 | Weblog

 里山には柔らかい春の景色がやってきた。

 ホッとする一瞬あり。

 私も奥さんもTVよりもラジオ派である。家に居る時はほとんどつけっぱなし。特に自分の場合、眠れないほどの腕の痛みが2~3時頃でてきて飛び起き、布団の上で胡坐をかきラジオ深夜便を1時間ほど聞いていると再びいつの間にか横になって7時過ぎに目が覚めるような日常が続く。夜が辛い。

 ニュースを聞きながら、どうもニッポン違う方向に走ってるなぁ・・と。森友に加計問題、レスリング協会の問題、続く大企業の隠ぺい工作と虚偽の発表など、なにか自分たちが教えられた道徳観とは違っていることが数多く続く。どうも権力とかお金などが価値観の最上位にあるんだろうか。

 自分が社会人になって2~3年目だっと思う。出版社に勤務していた当時、事務関係のことで私が嘘を云わなければならないことがあった。郵便物の消印の日付のこと。1日ずらすことができないか、後で日付変更できないか・・と言うものであった。当時父親が郵便局にいたので何とか父親に頼みこみ、変更しようと…。何かあったのか・・と父が訊く。そして自分がワケを話すと、、、思いがけなく電話の声が怒鳴り声になった。ウソをつくな・・正直に誠実にやりなさい・・と。そして静かに話してくれたのは、自分の非はきちんと頭を下げて謝りなさい・・と言うものであった。なぜかこのようなニュースが出るたびに父親の声と顔が浮かんでくる。反省をする。

 今日の受刑者相談の相手は、長引きそう。37才、〇〇罪・△△罪・☓☓☓罪でⅠ、Ⅱ、Ⅲ刑あり、刑期〇年〇月。その彼に振り返りとして、多くのカウンセラーさんが用意するライフラインチャート図を記入してもらおうと考えた。

 例としてこのように書いてもらって、楽しかったこと苦しかったことから、それはナゼどうして・・と話を下げて対象者の内側に潜む大切にしたいもの、価値観をあぶりだそうと考えた・・ところ、

 なんじゃぁ~ こりゃぁ・・・児童期から犯罪を犯すまでのグラフの線が下がることがない、まぁまぁの普通の標準点より下がない。この様子だと対象者は本音を出していないのではないか、嘘を吐いているのではないか。犯罪時も幸福感が高いようでは・・IQ指数も低くはないが・・相談回数が多くなる予感あり。
 ここから
どのようにイメージを作りだせるか 
 でも・・人生思うようにはゆかないよなぁ。
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