年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

雨の中で

2010-09-30 00:00:00 | Weblog
 今日で9月も終わり、やっと今まで堪えた暑さから逃げることができると思うと、それだけでホッとしてくる。それにしても先日までの暑さは、自分にとって難行苦行の連続の日々。糖尿病患者には、ちと堪えた。
 弟が先々月から入院していて、毎日病院から逃げ出したいと愚痴をこぼしている。しかし透析に通わなければならい身体につき、一日おきに同じ病院に通う体力が残っていないと感じる。自分で車を運転していた入院前とは違って、今後は介護タクシーを利用しようと考えている。妻と相談する。介護保険を利用することができないために、障害者保険の方からヘルパーつけて送迎タクシーを利用できないかと各事業所に当たってみることにした。今日は弟は輸血をしたらしく、夜に母親から心配の電話があった。
 午後東予の県職業訓練校校長のIさんへ電話すると会議中だとか、1時間後にIさんから電話があった。いつもの彼らしく、スミマセン電話貰ったのに出ることができなくて・・・と腰の低い、声も低いIさんの声が伝わってきた。私の用件もそこそこにして、次月からの島の里山ツアー計画を告げると、Iさんも是非連れて行けと催促あり。
 出勤時傘を広げて歩くと傘に雨の音がするほどここ最近にないような強い雨脚であった。もう季節は、秋雨前線をはさみながら冬と夏のせめぎあいをし、やがて冬の気圧シフトに覆われる。

あいの島へ

2010-09-29 00:00:00 | Weblog
 宵越しの金は持たない、という性格の人がいる。私は別にそれほど持つような金を握ったことはない。お金ではなく休暇の話。実は今年度上半期が終了すると、自分には来月から新しく有給休暇が10日あまり付与される。一方9月末までの年休が3日残っておる。とりあえず年休を持ち越すことはない、さっさと使ってしまおう、と考えたのが月初め。月越しの年休は持たないで、使ってしまいたいと考えた。年休は貯めることよリ消化するに限る。で、本日は月末多忙であるにもかかわらず、ヤスミ届け提出。
 今日は島88ヶ島巡りに行こうと思う。行き先は、船の運航状況を調べると水曜日しか日帰りができない島、北条沖に浮かぶ小さなあいじまである。この島の名前を知ったのは、私が小学生の時であった。同級生に友人ヒデやんがおり彼の父親は漁師であった。春先になるとヒデやんは、とうちゃんがあいじま沖にサワラ漁があるので帰って来れない・・とよく話をしていて、あいじまのイメージはとても遠くて魚がよく取れる豊穣の海で囲まれた愛の島などと空想していた。北条港を11時出発し11時35分に島に着く。観光客が7人としきびを手に持つお墓参りだろうと思われる老夫婦二人といっしょに下船する。この島はパンフレットによると尾根沿いに遊歩道が作られていてゆっくり1時間も歩けば島全体を歩けるような小さな島だとか。まずは港の防波堤で腹ごしらえをしながら、今日の山頂を探すも三つピークがありどこが最も高い所なのかわからないほど。とりあえずパンフに沿って歩くことにする。幅1mの小道をゆるやかなアップダウンを繰り返し、小道をふさぐような蜘蛛の巣が歩行を邪魔にする。手に持った棒切れで払いながらの歩行である。どこの島でも同様であるけれど背丈の伸びきった草や樹木に覆われて、周りの景色なぞ見ることができない状態。この島にも全盛期にはたくさんの住民がいたのだろう、いたるところにお墓がある。なかにはお墓を別な場所に移していて、ここは○○家の記念碑とする、などと記された墓石も多く目についた。また、南方で戦死した方の慰霊碑が三つのピークの一つに建てられていたけれど、それらの石碑の中、この島で最も感動したのは、小さな「みどりの墓」であった。現在居住する10人の島民が守っているという。若い身体を「おちょろ船」に身を任した遊女みどりの悲哀を、住民が優しく代々守っている、という話を島のじいさんから聞いた。この島は、優しい島の人々が代々住んでいる所である。安居島は愛の島であった。
 どこが一番高いところかもわからず、坂道をゆっくり上がったり下がったりしながら平坦な感じのする尾根道の東側に着くとそこは白い灯台があった。どうもこの場所がこの島では最も高い場所らしい。海抜70メートル。山の名前はわからない。それにしても崩れそうな古い空家もあり、西洋風の別荘もあったりしてちょっと驚いた。

創造的破壊

2010-09-28 00:00:00 | Weblog
 夕方6時に職場を出ると西の空には赤く染まった夕陽が雲に隠れようとしていたところであった。先月までの同時刻にあった射るような陽射しはもうない。少し薄暗くなっていて空気も締まっている。だから汗も出ない。駅までゆっくり歩く。
 ニュースでは学校・大学を出たものの就職ができない人が増えたと報じている。そのことについて新規卒業者ばかりでなく既卒者(3年以内の正規雇用経験なし)まで範囲を広げて厚生労働省は、新しく助成金を作った。従来のトライアル雇用、つまり経験ない仕事に対して就労する場合、事業所に対し月4万円を3ヶ月試用期間として助成し、しかも3ヵ月後正社員として雇用した場合には、次の若年者雇用奨励金なるものがあり、ん十万円助成する・・制度がある。これをさらに拡大して40歳未満の正規雇用経験がない人に対し、月4万円が10万円にする制度を新しく作った。これら一連の雇用における助成金制度を見ていると、働きたい労働者(という単語は死語になったか?)の背中に現金を貼り付けて、事業所に雇ってくれ、という制度が、金額がますます増えてきて、お金を国から貰って人を雇い入れる環境が定着してしまった感じがする。企業経営は、人・もの・金、さらに情報によって成り立つ、とは私の現職時代によく私も口酸っぱく喋っていた。しかしこれら人や物や金は人から与えられるものではなく自らが掴むものだという認識があった。今は、人を雇い入れるのも、国からお金を頂き、職業能力をつけてもらうのも国からの訓練で能力をアップした人を雇い入れ、しかも雇用期間を限定して雇用する場合が多い。確かに資本主義(この単語も死語か?)世界では資本=金が人様よりも上位に位置する関係になっており、いきおい人を大切にしようなどというより会社あっての従業員、仕事あっての労働者の関係が明確になる。そこで、私は思う。働くってことは、どういうことか。生きるってことはどういうことなのか。さらに会社を営むってことはどういうことか・・・・
 金融業界に国が割り込み、雇用問題に国がものを押し付け管理するのは社会主義的であり、確かに資本主義はすでに行き詰まって時間が経っている。資本主義は終焉を迎えるといったマルクスとは別の方法でもう一人の経済学者・シュンペーターが説く革新=イノベーション、資本主義の創造的破壊がすでに来ているのは解っている。

よい雨が降る

2010-09-27 00:00:00 | Weblog
 近頃寝る前には必ず窓を締め切って寝ている。先日までの数ヶ月の間、窓を閉めて寝ることはなかったのに。今は、空気がひんやりとしており、明け方などは寒すぎて少し厚い布団をかけていないと風邪引きそうなほどである。
 昼を過ぎるあたりから雨が降る。よい雨だ。乾ききった無機質的な感じがする大地に水分を与えてくれているようでなんとなくホッとする感じがするのは、自分の中の動物的本能からであろうか、と思う。
 「木々を渡る風」・小塩節の本を読んでいると中部ドイツのハルツ山中に赴いた際に泊った国有林の中にある営林署小屋では、ブナの新芽が動く季節、小塩さんが二重窓を開けっぱなしで寝ていると、いっけん寒そうであるが薄くて上質な羽毛布団1枚かけておれば暑すぎて汗が出るほどであった・・・と書かれていた個所があった。やっぱり布団は上質なものがいいのか、と納得。
 お子さんを亡くされて独りぼっちになったHKさんより仕事中にEメールが入る。大変つらい、死にたい・・と記されていたので慌てて、メールを打ち返した。どうしたの?と聞く。具体的な行動が一回のメールに一行ごと書かれている。数回それをくり返した午後の時間あり。

一時停止

2010-09-26 00:00:00 | Weblog
 年を重ねていくことに伴い、意識の中で中心を占めてくるのは彼岸の方面になってくるのだろうか。90歳の母親との会話で話しに出てくる人の多くはすでに亡くなっている人の名前の方が多い。
 今日でお彼岸の終わりになるので仏壇関係とお墓関係を整理しておきたい、実家まで連れて行って欲しいと言う母親を朝の9時に迎えに行く。車の中で母親が父親を絶賛する美辞麗句を聞きながら、どうして昔の諍いなどあったことをきれいさっぱりと忘れることができるのだろうかと疑問に思った。そこで母親に尋ねた。あれほどお茶碗やコップなど投げたりするほど喧嘩していたのにそこのところはもう忘れたのか、と聞く。私の13歳当時である。子供3人が寝る時間帯になるといつも大声で夫婦喧嘩をしていて私は、茶碗が割れる音を聞き心細く耳をふさいで時の過ぎるのを待っていると何時の間にか朝になっていたことがしばしばあった。そのことを自分はしっかりと覚えており、その話を夫を絶賛する母親に皮肉っぽく話す。過ぎ去ったものは全て偉大であって美しくなるものだろうか・・・三菱重工のエンジニアとして若い時に職を得ていた父親が、自分の肺結核を機に郵便局屋さんに転進することで生涯を終えた父親にとって妻である母親をどのように見ていたのか、と思う。車の中で母親は、嫌なことは、全て忘れた・・・と笑いながら話しておった。
 買い物をする。店に行く途中の住宅街の4叉路に差し掛かった時に三角形の一時停止が目に入った。先々月同じような場所でパトカーに捕まったことを思い出した。車が左右方向には1台も通ってはいないけれど、とりあえず急ぐこともないので、ゆっくり停車した。と、突然目に入ったのは左側死角にいた白バイであった・・・ラッキー。50m後ろにも私と同じ方向に走る車あり、バックミラーを見るとちょうど交差点を停車することなく、走ってきた。すると当然白バイが赤色灯を光らせながら後ろの車を停車させたところであった。私の以前の学習代7000円は活きておった。
 どうも気になる今夜のロアッソ熊本戦。ハーフタイム前の7時半にニンジアスタジアムへ一人で行く。遠路はるばる来たロアッソ側サポーター席に陣取るも2-0で愛媛FC勝つ。ゲーム内容がよくなっている。

手に入れる

2010-09-25 00:00:00 | Weblog
 今日の6時から「いもたき会」をする、と市内でタクシー会社を経営しているTちゃんから連絡があったのは、先週である。中学校の同級生が20人足らず、ふるさと伊予市の夕陽の立ち止まる海岸でやる、と言った。私は出席するともしないとも返事せず、わかった、の返事だけ。6時ジャスト会場に行く。夕陽が沈んだあとの西の空、青島上空の雲が水平線の下に移動した太陽に照らされて輝いておった。いつもの主に小中学校時に過した仲間が集まり、ワイワイガヤガヤの数時間。それにしても、みんな年を重ねたなぁとつくづく感じる。親の介護に難儀する人、ガンの治療中のひとおり、初孫ができた人おり、定年後何もしないで家中に閉じこもっているひとおり。しかし今日の私は、同級生ともあまり話すことなく、隅っこにいて、ポツポツビールを持って横に座る人と話すくらい、もう一つ気分が昂揚しなかった・・・のは、頭の中は別なことを考えていたようである。
 午前中は「こころ塾」の「誰ステ」へ出席。5人のグループに入り話を回すことにした。その中の出席者の一人、10年もの間妹さんがウツで苦しんで寝たり起きたりの生活をしていて姉の立場でみると、何とかせねば、と考えて「こころ塾」へはじめてやって来たひと、別な人は、自分のお子さんを亡くされて以来、何もやる気が起こらず、ただ死にたいといつも考えている人おり。その人たちのことを考えながら、私も一日中過しておった。
 夜家に帰ると、2階の畳の部屋、全てのふすまがキレイに整っていた。今、玄関を入るとい草の香りがプ~ンと鼻に入ってくる。新しい畳の上に、私宛の郵便物が置いてあった、アマゾンからである。中身は先日注文しておいた、文庫本・小塩節「木々を渡る風」である。読みたかった本をやっと手に入れた。

連続休暇

2010-09-24 00:00:00 | Weblog
 今朝職場に出ると空席のところがポツポツあった。聞けば夏季休暇を取っているらしい。職員は、夏期休暇は9月末までに消化しておかなければならず、今まで忙しかった人が慌てて取ったようである。相談員の自分達には、そのような贅沢なものは与えられてはいない。で、今週火水と休む人は6連休、金を休む人は4連休となる。今朝出てきた6連休組の人はどこかに行ったらしく、給湯室にお土産のお菓子がある。どうぞお食べください、と書かれてある。今朝のお菓子は「のと」と書かれているクッキーであった。一方今日と来週の月火を休むYさんは九州へバイクツーリングだそうだ。一昨日彼にカルカンが喰いたいと伝えたけれど、Yさんは覚えてくれているだろうか。
 朝方は肌寒くなった。つい先日までのジリジリするような暑さがうそのよう。半袖シャツで自転車に乗り、駅まで走ると寒かった。電車に乗ると通勤客は長袖シャツありスーツありで半袖シャツは少数派となっていた。(写)ニラの花に蝶がとまる。

畳替え

2010-09-23 20:23:29 | Weblog
 まだ夜が明けやらぬ4時過ぎに激しい稲光とともに雷鳴がひっきりなしに聞こえてきて目が覚めた。と同時に今日は私が寝ている2階の部屋の畳を剥ぐようにしているので、タンスなど大きなもの以外のこまごまとしたものを片付けなければならない。そのために妻が暗いうちから電気をつけて片付けているようだ。畳屋さんは夕方4時過ぎにくる予定だから、それまでにはいろんなものを片付けておきたい。先日は1階の和室の畳のみであったから片付けも簡単であった。しかし今日は荷物の量が多い、大変だ・・・自分は昔から家移り時の片付けなどが最も苦手としていたので、同じような例えば部屋の模様替え、タンスの移動なぞ望んでしたことがない。突然に蒸発したいほど苦手な作業である。しかし、妻は今日は仕事だというし、自分がやらねばならない、などと悲壮感溢れていたところ、本などの簡単なものの移動などは私の作業分として少しだけ残してくれておった。
 今日は雨も降り気温も下がり、今までの暑さから急変している。気持ちのよい温度、外の気温を見ると26度であった。
 夕方畳屋さんが張り替えた新しい畳を持ってやってきた。敷き詰めるとプ~ンとい草のいい香りがする。これは岡山県産かと聞くと、熊本県産だと答えてくれた。昔教科書でい草は岡山が最も生産量が多いと学んだけれど現在は熊本県の生産量のほうが多いとか、岡山倉敷にも4軒しか生産農家がいないのだそうだ。思い出すと倉敷西阿知地区に何軒かあったけれどあそこはもう無くなったのだろうか。