年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

パイプオルガンを聞く

2004-10-31 00:00:00 | Weblog
2004/10/31 (Sun) パイプオルガンを聞く

 朝4時に起き月を見ると輪が出ていたので今日は雨になるだろうと予測していた通り9時過ぎにはぽつりぽつりと雨が降ってきた。日曜日の今日なぜか3人揃って教会に行く。ことのはじめはT牧師からパイプオルガンの演奏会をするから聞きに来ないかというハガキを頂いたのを3番目の子供が見つけてバッハを聞きたいなァということになり,それじゃ母親も誘って行こうではないかと話がまとまったのである。讃美歌を歌い説教を聴く。(1コリ6:1~6)裁くことについての話し、時折いつもの私にとっての耳の痛い話しを聞きながら子供の横に座っている母親を見ると居眠りをしておる。礼拝堂にて牧師の説教を聴きながら居眠りをしている光景もなかなか見ることが出来ないもんだ。エリザベト音大の先生のミニコンサートが始まった。私の好きなJ.S.バッハの曲は青年時より幾度自分の心を鎮めただろうかとの思い。下の子供は実家の近くの公園でサッカーの公式戦があり朝早く起きて猛スピードで3番のユニフォームを持って家を出ていった。

もうかんべんしてよ

2004-10-30 00:00:00 | Weblog


2004/10/30 (Sat) もうかんべんしてよ

 人生80年として24×365×80=700800h、約70万時間を生きるとする。その内半分の35万時間は即生物的に生きる時間(寝る食うヒル)である。残り35万時間を万物霊長としての時間をもつことになる。内訳は学校の時間が2万時間、仕事の時間が6~8万時間,その職場への通勤時間が2万時間だとすると残り23~25万時間がごくごく個人が使える時間になる。日数にして1万日、年数にして27.4年が拘束されない自由に使える時間になるのだそうだ。単純に自分の年齢から按分すると私の今後の自由になる時間はどうも2875日しか残ってない,年数にして7~8年が社会的に拘束されない時間のようである。この時間を使ってやらなければならないことが今のところ3つ4つは抱えておる。細かく考えれば星の数ほどあろうが3つ4つは義務として抱え込んでいるものがある。刻一刻と3000日足らずの残された日のカウントダウンが始まっているようだ。

お見舞い

2004-10-29 00:00:00 | Weblog


2004/10/29 (Fri) お見舞い

 古い日記を倉庫から引っ張り出した。私が出したのではなく優秀な若い人Oさんにお願いして作業をしてもらったのである。横からその作業を眺めながら思うのは力仕事に似た頭脳でのその仕事はものの道理に明るいことで未来を切り開く大きな起爆剤になるなぁとつくづく感じさせられた。
 昼飯を堀端でUさんと食う。最近会ってないので近況報告をするためである。Uさんからは落ち着いた静かなもの腰で忙しい毎日を送っている様子をお聞きすることができた。夕方は昼の時間にお見舞いに行くことを電話で伝えていたKさんの入院お見舞いに向う。1回目の手術から退院したと思ったらまた別の部位が調子悪くなり再び手術を受けようやく歩くことができるようになったと聞きさっそく病院へ伺った。思いのほか明るい表情に私も嬉しくなる。前回の入院時とは顔の表情が違って今回は自分の仕事に向う希望が顔の表情に感じられた。例えば私達の日常生活で病気入院など生きがいとか心の拠り所が突然なくなることなどによる悲嘆、寂しさ、孤独に生きる不安、緊張、不幸な運命への怒り、このようなさまざまな感情の高まりは、気持ちがふさぎこむと否定→反発→容認→受容→希望というルートであると思うけれどKさんは通算1ヶ月以上にも及ぶ入院生活で何かしら希望を見出すに至ったことが話す言葉の端々に感じられて私も嬉しくなったのである。帰宅すれば今度は「いのこ」の準備について子供会の役員さんからあ~してくれこ~してくれの電話がある。疲れたわ~もう寝るよ~。

値上げ

2004-10-28 00:00:00 | Weblog

2004/10/28 (Thu) 値上げ

 活動費をどのように納得してもらって値上げにこぎつけようかと頭を痛めている。我がボーイスカウトの隊費のことである。それぞれのスカウトが活動をするにあたって以前のようにスカウトが多く在籍していた当時の収入レベルで年間スケジュールを組み立てているけれども現在のように半分以下の人数になっても同じレベルの活動をしているのだ。必然的に経費をまかなうのに四苦八苦している。スカウトは質素にして奉仕活動をやっている。活動の質を落としたくないのでバザーに参加したり無駄な経費を削ったりして工夫をしているものの次のジャンボリー大会のことなど考えるとどうしても資金が不足する。やむなく隊費を少し上げさせてもらおうということになった。さて、保護者に納得してもらうためにどのような説明文を作ろうかと今、頭を抱えておる。

こたつ

2004-10-27 00:00:00 | Weblog

2004/10/27 (Wed) こたつ

 今夜の月は満月であろうか、雲のない空間にきりりと浮いている。家族の者に見てごらんと言うと既に見ていたようだ。うん、きれいやねとすぐに返事が返ってきた。昨夜から自分も少し風邪を引いたようだ、身体がぞくぞくと寒気がする。なぜか足が冷たく昨夜も眠れないので早くも押入れから電気アンカを引っ張り出してきた。ホットカーペットも出さないといけないなどと職場の先輩に言うとこの地方は昔から「いのこ」の日を境にコタツを出す風習があるらしい、知らなかった。11月は3番まで「いのこ」があるけれど,「いのこ」を突くのは2番と3番にしようと子供会の役員さんと示し合わせている。子供達は大きな声で「♪このいえ♪はんじょーせー♪はんじょーせー♪」と歌いながら各家を回るのを楽しみにしている。いのこを作る藁も今年は古代米のもち米の藁を近所のFさんに頼んでいる。TVニュースを見ると今日札幌では雪が大通り公園に降っていた。こちらの地方ももうすぐ寒い日がやってくるのだ。

日本列島被害だらけは終わり?始まり?

2004-10-26 00:00:00 | Weblog


2004/10/26 (Tue) 日本列島被害だらけは終わり?始まり?

 毎日若い人達と話していると気になることの一つにイメージするという作業が苦手なことがあると思う。イメージができないから脚が動かなくなっている。1歩の足が出ない。これからどのように動くべきかで立ち止まることは誰にでもあることであろうが周りの誰かに手を差し出してもらって常に指示をされるのを待っている状態の人が多いように見受けられる。彼ら彼女の親でもない叔父さんでもないし友達でもない初対面の私と自分自身と向き合ってイメージする作業をすることになる。「光は闇に勝つ」ことをどのように伝えようかと私もやっきになっておる。希望という名の目標がなければ歩いて行くことができない生活を教えてきた社会もどうかと思うが,希望という光りを持つことの出来る環境を作れば自分の足で歩いてくれるだろうとも思う。もう一つ気なることがある。若い人達の表情である。喜怒哀楽が貧しいなぁと思う。中でも怒りと悲しみの表情が喜びや楽しみの感情に比べて劣っていること。自分が心底怒ったり心底涙を流す経験がまったくといっていいほどないのではないか。これほど人間的な行為はないと思うがこれらの能力不足の方が大きい問題を孕んでいるのではないかと考える。とりあえず私の前に座って話しかけてくれる人には無職・失業という現実、依存していた対象がなくなる現実を逃避することなく受容する時期の間は悲しんで涙を出してもらうことが就職することと同じく大事だと思っている。失業の苦しみを涙でもって這い上がろうとしている人は必ずその後強く羽ばたいていることを証明している。「悲哀の仕事」の成就である。

またか

2004-10-25 00:00:00 | Weblog

2004/10/25 (Mon) またか

 土曜日の定期検診によると我が血糖値は最悪の241をマークした。尿検査の糖も食後3時間経過後において+3をマークした。かつてこのような数字を出したことがない。困ったことにはこのような状態になろうとも自覚症状が顕著に表われないことである。思えばこの1ヶ月は運動をせずに食欲旺盛にしてよく食ったことがこのような数字になったと思っている。年老いた母が私によく言うことの一つに身体は天からの預かりもので心だけは自分のものだから預かりものの身体を大切に使うように自分だけの心は常に磨くようにというのがあるけれどどうも私は両方とも粗末に扱っているようだ。
 子供達もそれぞれ自分のところに帰って行った。お昼に子供にメールを送ると一人は札幌駅から歩いて会社に行く途中、一人は昼寝中と返信が着た。つかの間の家族再会であったようだ。

2004-10-24 00:00:00 | Weblog


2004/10/24 (Sun) 熱

 日曜日ではあるが下の子供は参観日につき登校日である。上の兄が寝ている横の布団からなかなか起きてこないので起こしに行くと今日は休むと言うではないか、久し振りに兄3人と会えたので一緒に過ごしたいのであろうと思う。休まそうかと母親と相談しているとそのうち起きてきて行くと言う。私は研修会が朝から夕方まであり妻は昼まで試験があり授業参観をすることができない。学校行きたくない顔して出ていった。夕方帰宅すると熱が出て39.0度あるという、アイスノンで頭を冷やしていたけれどやっぱり学校休ませればよかったと反省する。上の兄は午後帰ったようだ。兄ちゃん好きな下の子供ががっかりして熱が出たのかも知れぬ。

揃う

2004-10-23 00:00:00 | Weblog


2004/10/23 (Sat) 揃う

 昨夜帰った兄達を前に下の子供がてぐすね引いて待ち構えていたのは昔幼稚園時によく遊んでいたゲームであった。早速押入れから捨てずに取ってあったゲームを出してきて何やらジャラジャラとやっているしまた外に出て行ってはサッカーボールを蹴っている。振りかえってみれば子供達の部活歴はみんなそれぞれ野球,陸上競技,バドミントン,アイスホッケー,ソフトボールなどでありサッカーだけが共通種目なのである。久し振りに会う兄達の誰を指名して遊ぼうかと迷いながらもしょっちゅう○○にいちゃーんと呼んでいる。取りあえずみんなで芋掘りをする。先日の台風で畑が水浸しになったので全部掘り起こすことにしたのである。ワイワイ言いながら上の兄を筆頭に私の手を貸すまでもなく子供4人で作業をやってくれて大助かりである。しかし掘り出した芋は例年通りよく出来ているとはいえないものが多い。汚れたので風呂に行くことにした。長湯をしたのでふらふらしている、先に出た上の子供とまだ浸かっている下の子供3人を待ちながらふと考える。いつだったかなぁ,ここで待っていたのは誰だったかなァと思い出していると、あ~そうだったK子さんを待ってたんや!
子供の母親は明日の試験のためにゆっくり話しをする時間がない様子である。

家族

2004-10-22 00:00:00 | Weblog


2004/10/22 (Fri) 家族

 出張で大洲へ早めに行くことにした。一緒に行く元同僚と相談して昼飯を“おはなはん通り”にある古い民家を利用したお店「旬」で食おうと思ったからだ。町並み博が開催されている関係で駐車場は金曜日にしても満杯である。駐車場を探し車を置き早速話題の店に11時30分に店が開くので32分に入ったところ既に上がり框に靴がきれいに12足並べられて店の主人の添え書きがおいてある。只今満席です、と書かれているではないか、残念かな牛肉さつまを食おうと思っていたのに…。午後は大洲地区の若い人達から相談を受ける。ジョブカフェの担当者が出席者を前にして自分のこれからやろうとする方向性の決っている人は手を上げてくださいと言っているが誰も手を上げる人がいないようだ。次々と若い人が私の前に座って話し始めている。ニコニコと話す人ありふさぎこんで話す人ありさまざまである。3時過ぎに終わったので2番目の子供に電話を入れると天気の良い秋晴れであるこっちに対して札幌は今にも雨が降り出しそうだとか言っている、今から空港に行って夜に松山に帰るからお土産は何が良いかとも言っていた。今日我家は1年半ぶりの家族全員が揃う日である。