年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

年度末のいつもの光景

2011-03-31 21:53:23 | Weblog
 「朝日ジャーナル」より:なぜ日本には優秀な政治的リーダーがいないのか、もしかしたら日本人は無意識に、優秀な政治的リーダーなどいないほうがいいと思っているのではないか。「日本人は、12歳の少年である」その昔、マッカーサー元帥はこう米議会で証言した。以来、政治的リーダーシップが、幼稚なことは通り相場になっている・・・;今の日本、首相にしろ東電社長にしろ12歳とみてしまうと納得せざるを得ないか。
 私の所属する職場のリーダーが異動のために本日去った。そして私と共に同じ仕事をやっていた人も定年で本日去った。さらに明日から異動して来るはずの職員も当分自宅にいて職場復帰が難しそうだ。ということは、仕事量が増え、私一人で行政折衝からやらねばならない用事も増してくる。ますます肩が凝るんだろうと思う。
                          
 夕方は部門ごとそれぞれ片隅に集まって花束贈呈のお別れ会がある。朝から給湯室には花束が所狭しと置かれていた。きっと自宅に持ち帰り、ヤレヤレといった表情で奥さんが花瓶に活けるのだろう。花束一つで永年の職場にケリをつける風景は、いつ経験しても心優しい風景である。私も8年前に大阪・北新地で二抱えもするような大きな花束を頂いた経験がある。晴れがましい気分ではなく、そっと密かに裏門から去っていきたい気持ちであったけれど、社員が私に同意をしてくれなかった。大勢の人に伊丹空港行きの丸ビルバス停近くまで見送りにきてもらった。嬉しさはまったくなかった。早く立ち去りたい気持ちが強かった。以後見送りに来て頂いた方と会ったことはない。今は賀状のやり取りすらない。今までのことは大阪に置いて帰った。明日からのことでどうしようかと思い揺らぎ、現在に至っておる。なんとかなる、何とかなると呪文を唱えながら45分の航空機内を過した。確かに花束は、決別の道具にしては優れものであった。

休む間なし

2011-03-30 21:51:45 | Weblog
 東京・大阪・札幌に帰住する3人の仮釈放者のための情報提供の準備に手間取ってしまった。1時間で仕上げるところが2時間もかかってしまう。準備しながら私を訪ねてきた3人の受刑者との相談を同時にやっていたので時間がかかったのだ。あわてて刑務所へ向かう。11時半過ぎ着く。守衛室の方と担当官がいつ来るやも知れぬ自分を門の外で直立で待っていてくれていた。恐縮する。次に塀のカギを次々開けてもらって中に入る・・・いつもの行動である。
                 
 年度末の今日は、担当官が異動のために次月からの打ち合わせが必要になり、出向いた次第。昼飯もそこそこにして夕方までに上げなければならない報告書作成に没頭する。午後は人と喋ったのは二言くらいか、ほとんど無口でガンガン攻めていく。やっと6時前に終了する。頭がズキンズキンしてきて吐き気がし始めた。帰るのも面倒くさいほど疲れた。年が行ったかなぁ・・などと落胆する。しかし希望などはない、こうしたいとかの欲望はない、本日は疲れた。

孫のW君

2011-03-29 22:56:50 | Weblog
 もうまもなく1歳と10ヶ月になる長男ちのW君が面白い。生れてから会ったのは2回しかないけれど時折メールで写真を送ってくれたり、またブログにお嫁さんのK子さんが気の効いたタイトルをつけた写真をアップしてくれたり、そしてW君が通う近所の保育ルームのホームページにもW君が登場するので成長振りを観察することができる。ところが最近電話の声にも反応することができるようになった、ジージーと話し掛けてくれるし、今日などは、ご飯食べたかね・・などと爺様が話し掛けると、孫は食事が終わっているにもかかわらず、再び食卓に向かい食べようとするらしく、訳のわからない言葉をギャーギャー叫んでいるようで想像するだけでも愉快である。大人が話している意味を理解しているんだろう、面白いリアクションがたくさんあるように想像できる。
 一方8ヶ月になる札幌の次男ちのY君は一人お座りができるようになって、これまたフンガフンガと電話口から聞こえてくる。送られてくるメール写真の表情から目元は誰に似て口は誰それだけれど眉毛はジージーの八の字に似ているなどと妻が言う。これから二人ともますます可愛くなっていくんだろうと思っている。

お好み焼き

2011-03-28 00:00:00 | Weblog
 年度末をかなりたくさんの事務量をもってあくせくしている。通常月ならば次月に10日間ほど余裕をもってやっている仕事を月末までの3日間でやらなければならない。私の場合特殊な仕事をしている一人につき手伝ってくれる人がいない。刑余者の対応が中心になるだけに人様の目に触れないようなところでやらねばならないことにもその理由がある。ましてやそれだけに相談者は止まらず、私の知人がやってきて、どこか適当な就職先を世話しろ・・などといってくる。その人常に10人くらいいるのだろうか。私はノーと言う返事をすることの無いよう全てを受けいるように心がけている。自分の趣味や気分でやることでもなく流れ来るジョブに丁寧に魂込めてやるだけ、後は何もない。しかし、最近見たビデオ、寺島しのぶの「赤目四十八瀧心中未遂」に出てくる青年が、肉の臓物を串差しながら、自分は無能です・・・などと自分を話す場面を思い出す。優秀なライターであるはずの青年がカミングアウトして自分を語る場面である。そのようなことと今の自分が重なることもある。
                        
 お好み焼きが食べたくなった。今ごろはスーパーでは、お好み焼きの粉を置いているので、それをつかっているけれど、以前は山芋を擂って小麦粉に練りこんでいたが、お好み焼き専用の粉には、山芋入りと書いてあるから便利である。それで私の好きなねぎ焼を作る、一方では今回関西風のお好み焼きも作る。トッピングは豚。今晩のために早く帰れ・・とメールしておいた4男にも、急に帰ってきた3男にも、どうやうまいやろ、と脅迫して返事を促す。すると、まぁまぁうまいね・・と返事があった。美味いやろ、の問いかけに答えは一つしかないのだ。うまい。

H牧師のこと

2011-03-27 20:53:49 | Weblog
 久万高原教会開拓15周年記念礼拝の案内状が届いたのは先月であった。そこのH牧師はNPO法人松山自殺予防センターの理事長も務められていて、お会いしたのは昨年の自殺予防の講演会以来である。お久しぶりです、などと挨拶を交わしながらごくごく小さな久万高原教会に案内された。14時開始の5分前に着席するとすでに10数人が座っておられた。説教、奨励のお話を聞きながら、礼拝を守ることの厳しさを牧師、教会役員さんからお聞きする。若い人は進学などで出て行き、老人は亡くなりだんだんと信徒さんの数が減ってきているのだそうだ。久万集会の所属教会は南予の教会であるけれど、この度わけあって所属を離れることになり、このまま解散しようかどうしようかと岐路に立ち悩み何回も役員会を開いたそうだ。結果、ゼロからの再出発を余儀なくされている。さらにH牧師は、医者から病状が進めば命の保証はしないと宣告されている病を持っているのだとお聞きした。それでもH牧師は気丈に明るく説教をしてくれた。窓の外を見やればゴルファーがグリーン周りに集まっているのが見えた。ここはゴルフ場の真ん中に設えた教会でもある。小さな教会内で聖書の話を聞き、横ではプレーヤーがゴルフクラブを振っている奇妙な光景が並存することに、おもわず凝縮された今の日常生活を見せられた思いがする。一方で東北関東震災の画面に釘付けになりながら、また被災者への祈りが集まる時間内に他方ではゴルフボールを追っかけている人の光景である。
 昔読んだ本の中で、記憶残る文章がある。確か高橋和巳と安岡章太郎の対談であった。その中で、敗戦後満州の奥から生き延びて帰ることが出来たのは、どのような人たちであったか…即物的に現地の農民の食物を奪い婦女子を暴行しながら自分の欲望の赴くままに生き抜こうと行動した人と、行きぬくために現地農民と想像しながら畑の管理をし種を植え付け、また歌や詩など文化的な交流に行動をする人を比べた時、結局内地に帰ってこられたのは後者の方であったと書かれていた。人としての想像することの重要さを教えられた。
                     
 今回の被災について物を中心とした生活を作ってこられた方々の喪失感は計り知れない。目に見えるものを大切にしてこられた方々の挫折感は計り知れない・・・などと思う。

葬儀あり

2011-03-26 21:19:21 | Weblog
 このところ知人が次々と亡くなっている。といっても実家近くの方たちである。10時半からの告別式に間に合うよう母親を連れて葬儀場に向かう。車の中で、友達の○○さんの妹さんが65歳で肝臓がんで亡くなったとか、だれそれさんが何とかで亡くなったとか、みんな私よりも若いのに…次に逝く順番は私だろうけれどその番が回ってこないとか、愚痴を聞きながら式場に向かう。すると遺影の方は、実家を新築する時にいろんなお世話をいただいた人でもあり、私の父親も亡くなる前に随分とお世話になっていたことを思い出した。先日の東北震災に感じるように人の命のはかなさが身近に見える至近距離に今自分たちがいることを当たり前であるけれど思わせてくれた。車の中での母親は、今のこの世の出来事を一杯詰めて、向こうにいる鬼籍の方たちに話したいのだそうだ。
                      
 朝は寒い、夕方からも寒い、日中は陽もサンサンと照っていたから温かいのかとおもいきや、風は冷たかった。まだ温度が上がらない。自分も熱っぽい。

あと5日

2011-03-25 00:00:00 | Weblog
 60才定年につき3月末で退職されるMさんや県職員を退職後ハローワークに採用され、勤務3年で65歳になり退職されたSさん、また転勤されるTさんを送るために部門の職員と相談員が13人集まり送別会をした。特に労働行政に携わること37年にわたったMさんに、今ままでの職業生活の中で、何が一番楽しかったか、何歳のときがもっとも充実しており仕事が楽しかったか、今までの辛いことなどは場の雰囲気から教えてはくれなかったが、最も楽しかったのは20歳代のときが最も楽しかった、給料もガンガン上がり、手当ても賞与以上に出ていた・・と話してくれた。私が聞きたかった内容ではなかった。しかし私と比べて随分違った職業生活をされていたことが理解できた。私の場合、20歳代など気が狂うほど、ほとんど24時間夢の中まで仕事が入り込むような状態であり、それが楽しかった・・などの感想はまったくない。早く泥沼の日常から抜け出したい一心であった。迷路に入り込み、苦しさばかりであったけれど、その中から活路を見出そうと必死であったことを甘酸っぱく思い出した。永年の公務員としての職業生活の話を聞きながら、もしかして守る仕事をすることと攻める仕事の違いかもしれないと感じた。職業生活の中で勝ち得たことで是非に若い人に伝えたいことは何か…と質問をさせてもらった。お酒が入っていたこともあり、詳しくお話を聞くことができなかったのが残念である。私の父親も公務員であったけれど、父親から言われていたことで思い出すのは、公私のけじめをきちんとつけろ・・・であった。それと誠実に正直に生きろと言われていたが・・・
                         

遠方より来る

2011-03-24 20:56:36 | Weblog
 “今喜ぶ顔”は求めずに、将来「ありがたかった」と思えるような、そのような厳しいしつけや教育などできないものか。そして、今の笑顔を求めるにあたり、就職支援において気分良く就活できたなどと求職者からの甘言に乗せられて今日の一日をやりすごしてはいないだろうか。
 メラビアンの法則などと言って、人は見た目と耳からの情報により93㌫対象者を判断する、などの私から見ればなんとなくわかったようでだまされているような感覚の話など、そんなことより人がしないような美しい話し方とかお辞儀の仕方とか椅子の座り方とか目線の動き方とかそのようなことをしっかりと具体的なアドバイスができるような、そのような支援ができないものか。しかし現実は、どのような講習会に出席しても、百貨店の新人店員に初期教育するような内容のものが多く、いつも辟易する。
                       
 この地方ははじめて来たので地理がまったくわからないと言った。40台前半のご夫婦と小学生の子どもと幼稚園児を伴って私のところにやって来られた。奥さんは看護師の資格を持っているという。早速市内の求人をアパートから自転車で通えるような病院を検索して求人票を20件手渡して検討してもらうことにした。一方ご主人は、こちらでの仕事は、あれば何でもやる・・と言った。思わず私は、前職は何か、どちらから来られたのかと尋ねてしまった。するとご夫婦は、先日福島原発のところから、家を出てきた、と答えた。避難命令が出ている地区だそうだ。ご主人は原発で働いていたと言った。取るものもとりあえず、職に就かなければならない、と話しかけてきた。テレビの世界がこの地まで現実を帯びてきた。

送別会

2011-03-22 00:00:00 | Weblog
 ハローワークの所員、140人ほど集まってホテルで送別会あり。定年で去る人、次年度から採用されなくなった相談員、また転勤されていく人など合わせて数十人の送別会である。去る人の顔を見れば精一杯勤めた安堵感を漂わせる方もいれば、転勤されていく方などニコニコの人もいる一方、やるせない表情の人もいる。年度末いつもの行事ごとである。
                        
 これからどのように過されるんですか・・・などと定年退職の方お二人に聞くと、しばらくは何もせずにのんびりします・・と返事があった。きっと今まで全力投球してきたので自分に褒美を出したのかもしれない。でもこれから何もしない日を続けることの難しさを体験していないだけに、私としては、大丈夫かな、と思ったりもする。退職後の喪失感が襲ってこないのだろうか、と彼らより少し年上の私は心配をする。ふと考えた、4月から私が全所員の中で一番の最長老になるんだ・・と。トホホ

お彼岸

2011-03-21 22:38:12 | Weblog
 我が家の狭い庭に、今花が咲いている。白色黄色桃色などの植物にあってただ一つ樹木の花として咲いているのが彼岸桜である。早春に咲く花である。この木は、子供たちが巣立っていく方向が東の方向にあり、それぞれの子供たちのヒガンが叶えられるといいなぁ…などと語呂合わせで家の東側に植えたものである。悲願が成就するように最も早く満開になるようにと植えたのである。しかし、子供たちは、なかなか100%悲願成就とまでは行かないようだ。
 雨の一日。昨日妻と母の二人が墓参りに行ったので、今日は小雨の時間帯に弟を無理やり車に押し込んで1時間足らず車を走らせ、お墓参りをした。脚が不自由につき道路から手を合わすだけの弟を道路端に置いた車の中に残して私一人で線香を手向ける。手をあわせて何かを思い巡らせながら祈ることの意味はなんだろうか、と考えた。それは思い巡らすこと、想像することによってつながってゆくことに重要な意味があるんだろうなどと思っている。手を合わすことで亡き人とつながってゆく、手を合わせることで今回の災害を受けた人とつながってゆく、そのようなことに大切なことが隠されているのだろうと思う。
                            
 映画を一人で見る。観た映画は「英国王のスピーチ」、この映画は最近観た映画の中では、自分は一番良かった。言語療法士を前面に出した映画はちょっと珍しい。帰り道ついでにTUTAYAで借りたものは、やっぱり藤沢もの。「蝉しぐれ」である。ビデオは本の内容とは少し違うけれど、一途に時代を超えて女性を思う純粋性は、作品の中に閉じ込められていたと思う。今日の雨の一日は、墓参り&映画・ビデオの少し暗めの一日なり。