年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

今年の終わりにて

2009-12-31 19:29:51 | Weblog
 今日は朝から凍てつくような寒さ。山にも白い雪が覆っており、北風が一日中止むことなく吹いておる。とにかく寒い。21年の12ヶ月の最終日にての今年の感想。幸福感を磨くことで豊かな気持ちになろうと努力したことは、良かったのだろうと思うけれど・・・
 今年は終わった、来年が始まるライネンガ。ネクストワン。
 まだ年賀状を書いていないけれど、とりあえずプリンターのインクジェットは買ってきたので、その気になれば書けると思う。

打合せ・忘年会

2009-12-30 00:00:00 | Weblog
 今年最後の締め括りとして集まったのは、ジョブカフェ愛ワークからカウンセラーのKさん、若者サポートステーションからカウンセラーのテッちゃんとこころ塾々長のつねさんと私の4人である。場所はハノイカフェ。飲んで騒ぐというより話し合いを持つ時間を作るためにこじんまりしたベトナム料理の店を選んだ。愛ワークは今日まで開いていたのでKさんを誘うのに都合がよかった。今日のジョブカフェ愛ワークは、来所者もチラホラだっとか、一方サポステでの業務は一昨日で終わっているテッちゃんは、のんびりムード。つねさんは、子供さん達の内二人が帰省していられて、久し振りの一家団欒中のところを申し訳もなく私が引っ張ってきた。旧交を温めなおすでもなく新規事業を立ち上げることでもなく、単に塾長を二人に紹介し、かつ塾のお手伝いをお願いできないか、の相談である。Kさんもテッちゃんもメンタル系カウンセリングのサポートにおいては、秀でている方だからこころ塾のサポーターメンバーとして心強いものがある。当面支持者を増やしていくことが、人的ネットワークを構成する上でこころ塾としては大事だと思っている。
 とりあえずベトナム333ビールで乾杯後、トムヤムクンスープとライスペーパーで巻いた春巻きをつっつきながらそれぞれの方たちの報告を聞く。皆さんのお話を聞いていると、変化に対応することの大変さが伝わってきた。個人の変化、組織の変化、私達を取り巻く経済的側面の変化、文化的側面の変化などに対して行政やそれぞれの組織や個人が絡み合いながら変化していくことの、また成長させていくことの大変さが話題の中心であった。能力の高い方達の話を聞きながら私は、せっせとサービス係に徹する。2時間半も過ぎた頃、マァとにかく一度塾を覗きにキテヨ、とお二人に約束を取り付けて本日のミーティング終了。街は若い人たちのグループが多かった。
 (写)玄関脇アプローチに万両の赤い実がいっぱい付いている。

今日のメモ

2009-12-29 00:00:00 | Weblog
 私は今日から3日まではオヤスミ。一方、妻の仕事は、いつまでやって、いつから休みになるのかがはっきりと決まっていないようだ。いつもバタバタとしており。やれ介護者宅に行かねばいけないとか、役所に提出する書類が出来ていないとか、その書類を作るのにPCがうまく動いてくれないとか、ケアプランを立てる際の本人の様子を伺いたいが本人が急に入院したとか、はたまた亡くなって告別式に行かねばとか、ナンヤカヤドタバタの様子。今朝もお出かけ前に、アラ!今日から休み?と私に向かって言ったと思うと、早速メモ用紙を取り出して、本日の父さん用仕事割当表を書いてきた。それによると電球の掃除、窓ガラス拭き、米30㌔購入、家の周りの片付け、溝掃除・・と書かれてあった。まだまだ書きたい素振りであったけれど、出勤時間をオーバーしているために、ここらへんでこらえてあげようか、など口篭もりながら出かけていった。ア~ア・・・
 逃げ道を考えないといけないのである。それらをすべてやった、という事実を作らねばならない。とりあえず、週3回透析をしている弟をいつもの日曜日と同様に病院へ送り込むと、母親からはお歳暮を、○○さんちへ届けるから連れて行ってくれとの催促。ア~ア。ヨ~シ、じゃ掃除にかかる前に、ティータイム・・・、オットお米は持ってきてもらえばよいではないか、と思い立ち後輩のT君に電話して農家の彼に自宅まで配達してもらうことにした。これで一つは解決。次にソウジ、5個ある電球をちょこっと拭き、次に外に出てゴムホースを伸ばし水道の水をバシャバシャかけてその後雑巾で拭いてお終い。窓ガラスが全部で18ヶ所もある・・・まだまだ続く・・・とりあえずこれで今日のソウジを終了して明日に回そう、明日できることを今日急いでやることはない、などとよからぬ声が聞こえてきた。1時間足らずで終了。要求されたうちの二つはやったという事実は作った。次は晩ご飯つくり。主夫は忙しいのである。メニューは4男からリクエストがあった餃子。餃子の皮を60枚分購入済につき、韮なしのピーマンと白葱と白菜の芯を細かくして擂った生姜とニンニクをミンチ肉に入れてごま油、卵をいれて味付けして、1時間寝かした所で、さぁ試合開始。主夫は細かいのである。スーパー中国製冷凍餃子を選択することなく手間ヒマかけ作ることになるのである。だから当然の如く、家族がそろった9時過ぎに私特製の焼餃子を口に入れる前に、うまいだろう・うまいだろうと食べる側は聞かされる運命になる。焼く途中に片栗粉を入れた水でサァ~と蒸し焼き後はパリパリ食感、中はジューシーの餃子に妻と二人の子供は満足溢れる顔になっていた。ようだ。

五島列島から来たH君と

2009-12-28 00:00:00 | Weblog
 2年前までは市内の小学校校長であったT君が、現在大学4回生であり進路を模索しているH君を連れてやって来た。来春大学を卒業予定で就職は決まっていない。ただ本人は教員になりたいとのことでT君の母校をこのたび受験したけれど不合格になった、などと話してくれた。H君の出身地は長崎の五島列島である。そこで思わず、つい、五島でのキリスト教の歴史が頭の中に浮かんできた。H君に聞くと長崎・浦上教会に籍がありクリスチャンネームをもらっていると聞かされた。H君の生きる姿勢が良い、真っ直ぐに直視している感じを受けた。T君と、暗中模索しているH君の今の情況を失礼ながら私自身の20歳過ぎのことをダブらせながら話を聞いた。ストラッグルしている。もがいている。自分の人生の直接性を自分自身に問い掛けているH君は、60過ぎの私達に対等な目線で遠慮なく謙虚に話し掛けてくる。どのようにして自分の夢を掴むか、そしてどのような教師として生きていきたいのか、など夢と理想と現実のはざ間にいることを確認しながらT君と私に話してくれた。つくづく思う、青春ってやっぱりいいもんだと、人間はまだまだ捨てたものじゃないなと。一方、教員卒業のT君が今在籍している、元教員上がりの職場がイヤでたまらないなどと愚痴っている。何が面白くないのかと問えば、60歳過ぎの元教員の多くの人は、人の足を引っ張ることや定刻に自分の席に着席し定刻に席を立つ日常を送っている人が目立っていて、自分のなさねばならない夢とか理想にほど遠く、今まで自分たちが教室で話していたこと、また学んだことなどはたてまえに過ぎないのではないか・・・などと私相手に愚痴ること長かった。
 もっと二人とも喋りたがっていたけれど、途中、母親から電話あり。早く来てくれ、餅をつくから手伝ってくれと受話器口で催促の電話。夜の9時からモチッ子を取り出してお餅つき。母と二人で、昔話をしながら餅を丸めた。

いつものように

2009-12-27 00:00:00 | Weblog
 日曜日の定例業務は、まず弟を9時までに透析のための病院へ送っていき、その後2時半までの迎えに行く間に母親を温泉へ連れて行き、それから自宅に帰り、ゴロゴロするわけでもなく何かしらゴソゴソ言いつけられた用事をこなすと夕方になり・・・といったパターンである。日曜日に特別な行事ごとがない限りいつも同じように過しておる。これがコタツでも出していればゴロゴロと読みくさしの本を引っ張り出して横になって読むのだろうけれど、今年は今まで随分寒い日があったにもかかわらず、未だ我が家ではコタツを出していない。電気カーペットで暖を取っているに過ぎない。子度達の部屋は電気ストーブをつけてやり過ごしているようではある。今の時期ほとんどの家ではコタツなどを出しているのだろうけれど我が家は押し入れから出すのが面倒くさいだけの理由で出していない。こちらに比べて気温の低い札幌の次男に、コタツを出しているか、と尋ねた所、北海道ではあまりコタツなぞ利用しないのだそうだ。エアコンで温度を上げているんだろうと思う。次男は3階に住んでおり、下の階に住む人の部屋の熱気によって、ちょうど3階の真上の部屋の床が暖かいのだそうだ。だから床暖房が不要だとか。長男は先日の川越マラソンでは、42.195㌔を走り、練習もあまりしていないにもかかわらず、3時間台で走ることが出来た、などと言って完走証を送ってきた。
 年末につき気持ちが空回りしているだろうか、読書をしても集中力がないようだ。

今日は「こころ塾」の忘年会です

2009-12-26 00:00:00 | Weblog
 先日のRNBラジオ番組で2時間の生放送をした反響が出ている。相談者が多くなったのである。電話での問い合わせがひっきりリなしにかかっている。その相談内容とは、もちろんウツを長年患っている人や家族から、またウツ以外の病気の方からもかかってくる。あまりにも多いので今のスタッフの人員パワーでは対応できない状態。常勤として営業企画講師役などオールマイティにこなしている塾長以外は、復職支援プログラムを終了して当塾の事務員に移行中の人1人とあとは週2回のパートで雇用している人のみである。スタッフの力量は能力的にはかなり高いゆえにいろんなパフォーマンスが割り当てられている。しかし現在のようになるとそれでもオーバーフローしているのである。人を増やせば対応できるんだろうと帳面上では考えられるけれど、財政的に考えても、仕事の内容からして個人情報守秘の見地から考えても単純に人を増やせば事足りるとは考えていない。では、どうするか・・・塾長と塾長のご主人さんと3人で忘年会後に打合せをする。私が危惧していることは、ウツ相談が多いことに対して何も収益が上がらないでいるという現実と日増しに増える困難者からの相談をないがしろには出来ないことのはざ間での対応を誤ると、夏の花火の如く一発うちあがったあとが静寂に包まれた夜空のようであってはならないということ。社会的資源としての「こころ塾」を位置付けたい私達は、近頃メディアに取り上げられたからといって何もカビにすることではなく、むしろ強い強固な組織にしなければならないと考えている。儲け主義には走らないこと、地道に着実にうつ病から立ち直り社会復帰ができる人を増やすことが至上命題になるのだろう。
 20数人が集まっての今年最後の行事の忘年会あり。精神科医の金沢先生も来られて一緒のテーブルに座り雑談する。そして一昨日教会で一緒にクリスマスイブを祝ったHさんも来られて話が弾んだ。司会をやってもらったのは、病から復帰した?お二人。そのW君とOさんが2時間を使って楽しませてくれたことで、私自身先月末から続く忘年会の中でも小さいながらもっとも心温まる会であったと思う。

今夜は山の会の忘年会です

2009-12-25 00:00:00 | Weblog
 「満」に予約を入れたのが月曜日。年末でもあるし花金とくればお客さんが多いんだろうな、と思いきや、私達がお開きにした10時までの私達以外のお客さんはたったの二人であった。こんなにも客が少ないのか、と大将に聞くと、金曜日は極端に少ないよ・・などと苦笑いしておった。
 とりあえず今年の締めを中高年山岳会として開こうではないかと提案したのは、Hさんである。Hさんは長年福祉施設で働いていたけれど、60歳定年で誕生月の9月で定年退職し、悠悠自適の生活突入に移行なるのだろうと見ていたけれど、結局いつも私が見ている多くの求職者の心もようと同じようであった。つまり、対象喪失感からくる落ち込みである。年金を満額受給できる年齢でもなく、子供の教育費用が要るわけではないもののローンが残っているし、などと私に話してくれた。しかし、酒の力を借りて彼から今夜聞かされたのは、毎日何もすることのない空虚な感覚に耐え切れないというものであった。数ヶ月前には、仕事を辞めれば山に行くことに専念すると言っていたけれど、イヤでたまらなかった仕事でも、それがなくなれば山行きの意欲さえ湧くこともなくなったと話しておった。ところがつい先日、パートでの障害者送り迎えの仕事が決まり、賃金は安いものの毎日目標を持って生活ができることがうれしいなどと、それでお正月には、島の山に連れて行って欲しい、などと喋っていた。Sさんは、近頃ゴルフ三昧の日常を送っており、山行の予定が立てにくそうであり、県庁の星、Iさんはいつものひょうきんな駄洒落のオンパレードで紳士でありなおかつ仕事と私生活がバランスよく充実していることを話してくれた。毎年暮れにやっている山の会の忘年会では、各人今年の反省あり来年の抱負を発表するしきたりである。このように各人が発表していたけれど酒を飲みながらにつきあまり覚えていない。ただ、正月の中島の山と山笑う時期にどこか山行しましょう、とだけは決まった。お三方に共通していることは兄弟の中が良いこと、家族を大切にしていることをあらためて思い知らされた。

クリスマスイブ燭火賛美礼拝

2009-12-24 22:23:39 | Weblog
 豊かなプレゼントあり。24日の今日、少年院を出てきた少年と少年の母親が私を尋ねてやってきた。そして、次週から働くことになった、と話してくれた。未成年の彼は、少し恥ずかしそうな目を私に向けて仕事を通して将来の夢を話してくれた。今年最高の贈り物を頂いたと思った。
 ハローワークの今日はワンストップサービスデイが開かれた。管内の各市町から、福祉事務所の人や多重債務に関しては、弁護士がやってこられて、求職相談以外の相談など1ヵ所でできるように厚生労働省が肝いりでやっているサービスの一環である。相談者は29人であった。私の所にもやってこられて、重い相談を受けた。借金と離婚とDVと住宅問題と求職がいっしょになるような重い相談である。私にできることは、支援できることはたかが知れている。さっそく傾聴し問題点を整理した上で専門家の方にまわってもらった。
 夕方7時にT君と待ち合わせ。行き先は日本基督教団松山教会である。パイプオルガンの大きな音にあわせて私も大きな声を出して歌った。讃美歌・「まきびとひつじを」ではノウエル・ノウエル・ノウエル・ノウエルと高らかに歌い、1年に1回の唄では「きよしこの夜」「もろびとこぞりて」を久し振りに歌ったので、大変気持ちよい時間であったし、指方牧師との雑談や礼拝後の婦人会手作りのクッキーをたくさん美味しく頂いたこと、また「こころ塾」に相談に来られている人二人にも偶然にお会いしたことなど楽しいひと時であった。
 帰宅すれば妻が手作りケーキを食卓に乗せて待っていてくれた。感謝。

またまた忘年会です

2009-12-22 00:00:00 | Weblog
 何人集まっているのだろうか。職場での忘年会は各部門ごとに行われていて、今日の会はとりあえず紹介部門と職業訓練部門だけだから40人足らずであろうか。昼間ほとんどの人とは、仕事上一言喋る人が2~3人くらいで他の人とは口をきくことはまったくない。それで今夜の忘年会には口を開いたことがない人と話すことを考えた。テーブルの上にはアンコウ鍋がグツグツと煮えて、ふぐ刺しやイセエビ、あわび、サザエなどのおつくりが箸を置くスペースがないほど埋め尽くされている。乾杯のあとは、小難しい話を止めて冗談馬鹿話のテンこもりに移る。いろんな人の話を聴いていると思わぬ特技を持つ人、貴重な体験を持つ人などのお話を聞くことが出来て満足。各テーブルをまわりお話を聞く。話題はお正月には子供を連れてどちらの実家に帰ることが多いか、という話題になった。あるご婦人は、ご主人と自分の実家が近いので義理を重んじて1泊づつすると言い、多くの男性はやっぱり妻の実家の方が、歓待してくれるから結婚以来、正月は妻の実家に帰るんだと威張っておった。妻側に帰る意見の方が多かった。私の場合は、家で過すことが多いなどと話してくれた人も2~3人いられた。自分もその1人、私の場合30年前の結婚当時は、1~2回奈良の妻の実家に帰ったことがあるけれど、以後は家族で山小屋とか旅館で正月を過したり、自宅でぶらぶらと過すことばかりであった。今年も自宅でゴロゴロ正月だろうと思う。

残りわずか

2009-12-21 00:00:00 | Weblog
 今朝事務所に出てみれば、私達の机が少し前側に移動されていた。求職者が相談に待つ椅子側に30cm移動されていて、つまり私達の机の後ろ側のスペースが広がったので自分達の歩行スペースに余裕が出来た。私が座っている職業第3部門の相談対象者は、障害者や生活保護受給者や住宅を失っている人、外国人や私が担当している刑余者などの就職が困難と思われる人が相談に来られるカウンターである。当然に個人情報については極度の緊張を強いられているにもかかわらず、今までの余裕のない机の配置につき書類などの整理に神経を使っていた。しかし少しスペースが出来たことによって机の後ろを横歩きしなくてすむようになって楽になった。
 年末になり求職者の数もぐっと減ってきた。失業認定に来られる人がちょこっと求人検索機を覗きに来ているくらいであとはチラホラと就職が決定した方が手続きに来られるくらい。で、待合椅子に人がいない時間帯、1人の求職者がやってきた。いつも来られている50歳になる男性。この1ケ月での面接回数が5回、すべて不採用になっている。資格は大型免許とヘルパー2級、希望職種は、とりあえず福祉関係とか不動産関係。今までの経験職種は、住宅リフォーム会社の営業、介護施設、運送会社での運転手がここ10年間の仕事であった。時間に余裕が出来た午後の隙間時間に私が対応することになった。彼の話を聴くと、不採用の理由は年齢以外には考えつかないと言った。そこで、再度自分の売り込みに使っている自信のある職種の技能・能力についての自分自身の考えをお聞きした。ところが山里に住む彼の気持ちは、人と接する時には自分を最大限に表現することは、ダメなことであり、つつましく小さく表現することの方が大事であることに気がついた。山里の小さな集落に住む彼の生活スタイルは、人の先頭に立って采配を振るうことではなく後ろ側にまわり人の後ろについて行き自己主張することなく穏やかに笑みを絶やさずに人々と交わることが大切である、と思っていた。つまり自分をよく知っている人の中での過し方は学んでいるけれど、初めて会う人を前にしてどのように自分をアピールすれば自分を理解してもらえるのかについて考えてもらった。また、履歴書や職歴書についても新たに書いてきて欲しいと注文をつけた。今度彼が来所される時が楽しみである。しかし、現在のハローワークシステムでは、ボイスコーダーによる呼び込みだから私が彼に当たるとは限らない。何とかしようと思っているけれど・・・
 クリスマスローズにも芽が出てきた(写)