年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

がんばってるよなぁ

2010-04-30 00:00:00 | Weblog
 みんなすごいよなぁ、すごくがんばっているよなぁと思う時間帯あり。ECCの仲間のお1人が労働局に採用されたので採用後一月経過し、仕事も慣れた頃だろうと、今日の夕方いつものハノイカフェに3人で集まった。しっかりとした自分の意見をもって仕事に立ち向かっていることに、また自分の人生に対しても真摯に立ち向かっているお二人のお話を聞いていると、テーブルに置かれたトムヤムクンスープが冷えるほどである。すごいなぁ・・幾つもの修羅場をくぐり抜けながらやってきた人は、目の前の仕事に対しても、対応する視線が、違うなぁ・・・KさんやNさんの能力の高さに新しい発見をした思いである。
 とりあえずの連休が始まる。明日は「こころ塾」の塾長さんご夫婦といっしょにカウンセラーさんのNさんちの山に行きNさんの山でウドやタラの芽などを採る予定である。

休日の過し方

2010-04-29 21:42:02 | Weblog
 本日は休養日。ここ最近背中が痛くてしょうがない日が続いている。背中がパンパンに張っており背筋を伸ばすとズキンと痛みが走る。で、とりあえず今日はゴロゴロ日とすることにした。と言っても朝方は低かったものの雲ひとつない気温の上がったお天気になった昼間は、外の椅子に座り込んでボヤッとしていると鉢植えの植物が冬の寒さで枯れているものもあり、いくつかの鉢を植え替えることにした。「てんとう虫」→「ダイキ」→「JAグリーン」と回って花の苗のポットを10数個と小粒鹿沼土に「ナナカマド」の小さな苗木を購入して寄せ植えを作った。中でもナナカマドは私の好きな木でもあり、今から秋の紅葉が楽しみである。
 連休の計画を立てる。妻に意見を聞くと、ほとんど出勤だとか、休みが取れそうにない、などと仕方のない顔して言っておる。札幌の次男に聞くと連休は、仕事が忙しい・・・と言った。埼玉の長男に聞くと連休は休みではない、連休が終わった頃に休みを取る・・・と言った。三男はどんなにするか、ワカラナイ。4男は30日~5日まで帰省するようだ。だからまとまって休んでいられるのは私と4男だけみたい。私の連休は、ヒカゲツツジやアケボノツツジを見ること、小島に行くこと、ウドを取りに行くこと、などで連休が終わりそうである。

新緑

2010-04-28 00:00:00 | Weblog
 朝の太陽光があたった生まれたばかりの木々の葉っぱが、今美しいと思う。エゴノキの葉っぱ、サンゴ樹の緑光る葉っぱ、ナラの木の葉っぱ、枯れ枝から突然噴出した感じのシャラの浅緑の葉っぱに山茶花の葉っぱ、リンゴや桃の葉っぱ、ポプラの葉っぱ、そして柿の木の葉っぱがみずみずしく光り輝いている。ケヤキの葉っぱは、今しがた出たばかり赤茶色の色で、モチノキは古い葉っぱが黄色となって落ちる寸前、その後に前の葉っぱを落とすように新しい葉っぱが生まれている。つい先日は盛りに咲いていた桜の木も今は深い緑色をした葉っぱに包まれている。小さな佐渡石楠花も元気よく黄緑色の葉っぱを出した。鳥が運んだエンジュの実生の苗木も一本の細い枝から葉が出てきた。アベリアの垣根はいっぱいに新しい葉を出した。垣根にこの木を植えたのは、高知・上町の坂本竜馬の生誕地碑が立つ道路脇に植えられていて葉っぱの色に癒された記憶によるものである。他にもまだある、黒色のクワ苺の木にも柔らかい葉っぱがいっせいに出てきた。でもよくよく観察しているとこれらの葉っぱの色がみな違うことに気がつく。街中の住宅地を散歩しているとハナミズキの白い花弁やピンクの花弁が今を盛りに咲いている。ハナミズキが流行りの花木なんだろう、新しい家の庭にはこのハナミズキが多く、以前からある住宅地には、大きな松の木とか槙の木が目につく。全ての樹木に新しい息吹を見つけることができる。
 さて、みんなは、この季節に新しい葉っぱを出したか、花芽をつけたか
 もう月末が来る。つい先日1月だったと思うのに、もう5月が来てしまう・・・

身体がきつい

2010-04-27 20:23:58 | Weblog
 今日はどうしてだろうか、身体が重く頭が痛い。昨日の協議会・連絡会以来であるけれど、それほどきつい内容の会ではなかったはずにもかかわらず・・・
 で、午後から早退することにした。長男から電話のあった早朝の話によると長男のお嫁さんも高熱が出ていて調子が悪いのだそうだ、心配である。自宅に帰り横になり、少しは身体が楽になった頃の夕方、母親を誘いリフレッシュのために「ていれぎ温泉」へ行く。するといつもなら長湯の母親が私より先に出て待っているではないか。どうしたのかと聞くと、血圧が高いのでしんどい、と言う。血圧を測れば150-200と出ているではないか、これではあまりも高すぎる。病院でよく老人を診ている長男に連絡すると、至急救急病院へ行くべし、と連絡あり。なんだか今日は、体の調子が悪い者が多い。
 フト思う。どのように人から呼ばれると自分は納得するだろうか、ってこと。優しい人ですね、と言われるとなんだか自分は甘いと感じるし、冷たいなぁ・厳しい人ですね・・などと言われると、ナニがじゃ、と押し返したいとも思う。強い人ですね、と言われるとウソでしょう、となり、逆に弱い人ですね、と言われる方が、そうですよね、と答えたくなる。愉快な人ですね、面白い方ですねと言われると、そうでしょうか、と疑問符を付けて答えるし、立派な人ですね、とかすばらしい人ですね、などと言われたことは経験がないが、美辞麗句にまみれたことを言われたいなどと考えたことは一度もない。電気カーペットの上にゴロンと横になってそのようなことが思い浮かんだ。自分はいったいナンボのものか、ってことを考えた。
 昼間にはかなり強い雨が降る。

行くところまで行く

2010-04-26 00:00:00 | Weblog
 矯正施設から出てくる人のための就労支援に関する各所の担当者が集まり協議会・連絡会がある。集まった人は22人である。各行政側からハローワークに向けて就職をよろしく頼む、またはお世話になりますなどの会議中の発言が多く寄せられる。いつも私は思う。このような会のなんと中身のない、ただ会を開くことだけが目的であり、実行することにおいては常に他人任せの感じがする会であろうかと。就労においての実質的な実行部隊は、ハローワークでのチームとしては二人居るけれど、実質は私一人。つまり本日の会は各行政側の長が私一人に発破をかけてくれるための会であった・・・などとの感想。自分の机に帰った5時頃私の机の上にメモがある。刑余者の3人がそれぞれの時間に私を待っていたとか、また明日来ますの字が書かれてあった。
 疲れきっているとしても、やれるところまでは、いけるところまでは行かねばなるまい。途中で引き返そうだなんてことは計算するまい。

島シリーズ9

2010-04-25 22:20:17 | Weblog
 朝方は寒かったものの良い天気になった。このような上天気であれば、やっぱり島に渡らなければならない。しかし、どこに行こうかと迷う。といってもどこに行くかなどと何も計画などしていない。いつも行き当たりバッタリの思いつくままである。なぜに小島に行くのかと、自分に問うてみる。いつもの答えのように今日も、小さいものには意味がある、小さなものこそ意味がある。ってことを見つけるためである、の答えあり。しかし出発時間のことを考えれば幾つも選択肢があるわけではない。とりあえず、朝8時に弟を病院へ送って、自宅に戻れば9時になる。そこから行くことができるところを探す。安居島、青島、津和地、中島本島を候補にあげたもののフェリーの時間を考えると難しそうだ。次に選んだのは来島・小島・馬島である。で、結局波止浜から10分でフェリーがつく小島(おしま)に行くことにした。12時45分の便に間に合うように10時過ぎに自宅を出る。出発15分前に、目の前の造船所には建造中の船が所狭しと並んでいる中に位置する船乗り場に到着。乗客は、つり人と実家に帰る様子の家族連れと私と合わせて7人が小さな船に乗る。10分で到着。小島は島の老夫婦にお聞きすると16戸の家があり30人ほどの人口だとか、40歳の人が最も若い人です、などと教えてくれた。
 これまで上陸した島の中では、最も良かった。ここは芸予要塞が築かれていた歴史の島であった。日露戦争でのロシア艦隊による南下攻撃を想定して、島には遺跡が数多く残されている。探照灯跡、火力発電所跡、弾薬庫跡に中部砲台跡には28センチ砲座跡、24センチ砲座跡、地下兵舎跡、指令塔跡などがそれぞれゆっくり歩いて5~10分の距離にある。それらの小道は椿の小道で繋がれていて花は盛りを過ぎたものの、木々の向こうには来島大橋が巨大なスケールで背景となり気分よく歩くことができる。しかし、今から遡ること100年前の明治35年当時はこの小道は軍道であり兵士達が行き来していた小道であったはずである。1人ぼんやりとゆるやかなアップダウンを繰り返し歩く。中部砲座の上に指令塔跡あり、石の階段があった。急な石段を登り切った指令塔跡が小島の最も高い場所であった。来島大橋の上あたりに以前登った亀老山が見えた。一方目を海上に落とすと激しい潮流が音を立てつつ川の流れのように見える。13時に島の船着場から歩き始め、途中ワカメを干潮の磯に降りて取ったりしながらの歩行であり、しかも周囲3キロの小島の明治大正のなごりを見物しながらではあったけれど、15時半には再び船着場に戻った。もう一度行きたい島である。