年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

年度末の風景

2010-03-31 00:00:00 | Weblog
 午前中は、相談にやってこられる人もそれほど多くはなく、スタッフの皆さんそれぞれ静かに業務をこなしていたけれど、それでも午後になると転出される人や退職される人など何人かいられて自分の机を整理されている人もいられたし、一方、所内での担当替えの人は、新しい仕事の手順を出て行く人から教えてもらう場面もある。また、夕方近くにもなると、明日から顔を会わすことが出来なくなる人へ差し上げる花束が何組も花屋さんから届けられていた。変わっていく人は、そわそわしながら気もそぞろに明日から新しく始まる業務に向かって、不安な顔を覗かせながらてきぱきとやっているようにも映る。Nさんは明日から自宅を出るのが1時間早くなるとか、Aさんは毎日JR特急で通勤するのでその費用が赤字になってしまうとか、ぼやいておった。Yさんに以前どうして労働行政職を志望したのかお聞きしたことがあった。するとYさんは大学卒業後民間に勤めていたけれど全国転勤があったので辞めて、せめて県内の転勤ですまされるような仕事を考えた時、ハローワークがあったのだと言った。だから転勤しても自宅から通えるのは、我慢ができる範囲内ですよ・・・などと送別会のおり、赤い顔して喋ってくれたことを思い出す。
 みなさんそれぞれ、お世話になりました、などと笑顔で挨拶を交わす光景がいたるところで見られた。移動するってことは変化があるってことになる。変化があるってことは滞留する何かが薄くなることでもあり新しくチャレンジするものがあるってことになる。滞留することで腐っていくものがあることを考える時、動くことにより組織の再生が見える。自分の目の前の行動目標が具体的である。
 今年の異動は、よく言われるような天下りの牽制球からなのか、上位の3人は異動なし。例年ならば長のつく役職者は、次のポストが準備されていたのに今年はまったくなし。国民の目線から言えば当然、定年前までに次の仕事を準備されているなぞふざけているようにしか見えないのは、私だけであろうか。

同級生と飲む

2010-03-30 00:00:00 | Weblog
 60歳も過ぎれば再びお互いのしがらみもなくなり楽しく相手の人生の経路に対して素直に聞くことができるのだろう。
 ひと月前に高校・大学時代のI君から連絡があり、どっか就職したいので世話をしろ、と履歴書持参でやってきた。そして運良く、彼が38年間勤務した銀行での職業能力を生かすことができるような仕事が見つかり4月1日から就労することになった。今夜は、60歳の定年後ハローワークにつながりのある団体の長を1年間勤め、昨年は大学院で学び先月卒論を提出したばかりの、そのI君、同銀行出身で高校時代は同じ電車で通学していたY君、それにいつもの野球部出身H君の4人で、とりあえずのI君の再出発の祝杯をあげることにした。
 ゴルフ以外は何もすることがない毎日を送ることの不安を持つI君の話ももちろん重みがあったけれど、今夜の話の中で私にとって更に重くのしかかってきたのはY君の話であった。
 Y君は水産学部で学びたく、浪人後北海道大を受験した。しかし新潟周りの夜行列車で熱を出してしまい、おまけに先に入学していた友人の住む北大内の寮でダウンし力を発揮できなかったんだろう、結果不合格。その思いを自分の息子に託したのかもしれない。彼の息子が東京での水産関係の勉強を選んだ。入るのが難しい大学である。教職課程を取っており、故郷の中学校で実習をし、それが終わって東京に帰る夜、突然亡くなった、と聞かされた。逆縁である。先に子供を見送る親の哀しみを聞いた。今年で13回忌を迎えるんだと言った。

ご無沙汰

2010-03-29 21:03:23 | Weblog
 実はこの1週間、何故か自分の開設したブログのID・パスワードをはっきり覚えていなくてログインが出来なかった。パスワードをメモをしているものの数種類のIDとパスワードを持っているためにどれがどれやらさっぱり分からず、間違ってログインすると誤りの警告がきてついに開くことが出来なくなった。で、泣きついた先は札幌の次男である。どうにも分からない、お手上げだと言うと、次男は辛抱強く丸々二日間ほど時間をかけてログインできる方法を見つた。さすが理系の頭脳の持ち主である・・・などと感嘆符をつけなければならない・・
 ところでこの1週間何があったのかと思い出しても、パッと頭に記憶が戻ってこない。困ったものである。唯一思い出すことができるのは、25日にハローワークの職員と相談員さんの送別会があったこと。また、いつも仕事が終わる時間帯にお迎えに来てくれていたUちゃんの奥様がガンセンターで手術を行い無事に済んだこと、同日Uちゃんの勤務先から解雇を言い渡されたこと、それくらい。
 この地方の桜が開き始めて数日たった。満開の桜を、今年はどのような気持ちで眺めることが出来ようかと、考える。つまり満開の桜の花が、真正面から素直にす~っと入るようであればいいなぁと思う。幾分自分の気持ちに何かしら引っかかるものがあれば、あまりにも重くのしかかる感じがする。反面何もわだかまりがなければ、無邪気に満開の花を眺めることができるだろう。かつて挿芸花・足達瞳子さんが若かりし頃にお聞きした話の内で、自分の頭から離れないのは、花の中で桜を切って活けることが最も難しい、と言われたことを思い出す。今から45年前の話ではあるが・・

お彼岸

2010-03-22 00:00:00 | Weblog
 89歳の母親にとっての生き甲斐は、仏事関係が日常生活の中で上位に位置する。だから彼岸入りした先日以来墓掃除に始まり仏壇のお彼岸バージョンにセットすることにお料具作り・・と気もそぞろに次々にやっておくことがここ1~2週間の仕事になっている。身体が自分の思うように動かないので気がイライラしているのだろう、ポンポンと長男の自分に当たってくる。一昨日は「こころ塾」で用事があり、昨日は4男の引越しで何も手伝うことが出来なかった。代わりに妹が手伝ってくれたようだ。母親の場合、年を取るに比例して「~すべき」「~ねばならない」の思考回路が鮮明になっているので、それに付き合う方は大変である。私に向かい、遠慮会釈のない命令が強い口調で矢のように刺さってくる。反論しても仕方がない、いまさら反抗期でもないだろうに。
 で、今日はいっしょにお墓参りをする。墓地に行くとやはり同じような母親同伴の人が数組来ていられた。
 今朝は4時に目が覚める。我が家は4時に時計のベルをセットしている。つい先日まで4男の部屋のドアを開けて起こしていたのが癖になったんだろう、今日も布団から起きて4男の部屋を覗くと布団の中にはいない、ア~そうや、引っ越ししたんやった・・と思い直す。目が覚めてしまった。久米之湯へ行く。早朝にもかかわらず入浴客が20人以上いるだろう、若い人もいるし年配の人もいる。皆さん早起きの人だろうか、それとも夜が眠れない人だろうか・・・・

旅立ち

2010-03-21 20:58:53 | Weblog
 4男が家を出た。18年間一緒に暮らしたこの家から高松へ引っ越すことになった。自転車や布団やとりあえずの衣服関係やら日用品を車に詰め込み朝8時に出発。3男にも車を出してもらうことにした。とりあえず高松に着くとうどんである。マルナカ円座・本部近くは、私の家族が(と言っても長男が0歳の時だから30年以上も前になる)住んでいた所である。懐かしい場所。妻も懐かしいと言いながら、彼女がまだ20歳台の頃長男や次男を乳母車に乗せて散歩をしていたマルナカ円座店の横の小道を懐かしそうに歩くと突き当たりが住んでいたアパートになる。オ~まだあるよ、あの当時は新築だったからね~、2階の部屋で子供達を寝かせて、そこの台所で料理をして風呂場があそこで・・・などと高松暮らしを懐かしむ。そのアパートから200mほど西に32号線を横切った角に丸谷製麺がある。長男をあやしながらうどんを食べた記憶がよみがえる。
 4男の住む寮は太田上町にあった。狭い部屋にベッド1つと小さな机のみ。この場所で4男は1年間再びの受験勉強に励むことになった。この狭い部屋の中で、どれほど自分と格闘しえるのか、どれほど深みへ掘り下げ、どれほど自分を高くすることができるのだろうか。親として見守るだけが勤めなんだろうと思う。吾が子らよ、闇の中にいて希望の灯火を倒すな、棘の向こうに光あれ。

動く季節

2010-03-20 19:03:27 | Weblog
今日の気温は26度も上がったので昨日までの洋服スタイルでは暑かったほど。暑くなり鉢植えのクリスマスローズもぐったりしている。慌てて水をやった。空は黄砂の影響からか霞がかかったような按配である。
 久し振りに「こころ塾」へ。土曜日の「誰ステ」に参加する。私の受け持つコーナーは顔見知りの人が多い。1時間のお話時間の間でも大きな笑い声が絶えない。そのうちのお1人は就職が決まりました・・とうれしそうに報告してくれたし、もう1人の人は、就職活動を始めたい、と話してくれた。春になると新芽が目視できるように動く。自然の移ろいにあわせるように、「うつ」で休んでいた人たちもこころの休暇を終えて動き始めているんだと、感じた午前中である。帰宅すると明日から他県で寮生活に入る4男が引越しのための準備をしておった。それぞれが動く3月。

明り取りの窓

2010-03-19 00:00:00 | Weblog
 帰りの電車の中で再び藤沢文庫本を広げている。今回は短編集。その中に明り取りの窓の描写があった。その窓から差し込む光の情景である。フト高橋真梨子の「桃色吐息」の歌を思い出した。私の古いカラオケの定番でもある。♭あかりとりのま~どに月は欠け~てく、おんなたちはそっとジュモンをか~ける♯っていうあの歌。なぜかこの明り取りの窓の温かさが頭から離れなかった。この窓についていつだったか、登山家の今井通子さんのお話をお聞きしたことがあった。海岸べりの家の窓を全開する時の効果と山の中での家の窓を全開した時の効果の違いである。つまり海岸には松の木が多く、山中には杉や桧が多い。松から醸しだされる匂いは人の気持ちを昂揚させる働きがあり、杉や桧などは人の気持ちを沈静化させる働きがある・・などと。この時期窓など広げておれば花粉が飛んできて花粉症の人(妻もそう)にとっては嫌な季節となるのだろうと思う。今井さんのお話を聞いてすぐにピンとひらめいたのは、大江健三郎さんの生家がある内子町大瀬地区。ナルホドあそこに生まれたので、あのような文学作品になるのか・・などと思った次第。
 しかし明り取りの窓は、空気入れ替えの窓ではなく明かりを入れるための窓っていうのがいいよね。

待つ

2010-03-18 18:19:17 | Weblog
 先日のキャリアコンサルタント全国大会で印象に残っていることがある。
この会とは別に以前「千年の森を作る」フォーラムにおいて宗教学者の山折哲雄さんからお聞きした話の1つに、講義のさなか学生にはメモを取ることを禁ずる、というのがあった。メモをとってそのまま書くことだけに集中して、肝心なことを後々まで覚えてはいないという理由による。
だからメモを取るのは寝る前に今日のお話を覚えているところをメモをするくらいが丁度よい、と。それを私も守っておる。だから先日の学習院大での講演についてもメモを取ってはいない。で、今忘れてはいない個所を一つ残しておこう。
 桐村先生が日立製作所のある工場で人事担当として転勤したときのお話。その工場は中卒の工員を多く雇用していて、工場内に寮があった。入口の守衛室の扉は木で出来ており、表面がボコボコになっていたそうな。それで桐村さんが守衛の人に、この扉はどうかしたのかと尋ねたところ、守衛さんが放った言葉がすばらしい。「この木製のドアは集団就職してきた子が、夜あまりにもさびしくなり、酒を飲みぐでんぐでんに酔っぱらい、泣きながらビール瓶でドアを殴った痕跡です。実家に帰りたくて、それでも淋しさを埋めるために酒を飲み、酔いつぶれてドアの前に寝る子も多い。そのようにして子供たちは育っていくのです。」「育つまでこちらは待たなければなりません」と言われた話を私たち参加者に披露してくれた。確かに待つことはこちら側にとっては苦しい時間であるけれど、待たなければ育つ事が出来ない。
 ついでに「覚える」ことについて、昔の新聞記事を見つけた。柳田国男さんの話。「学ぶ」は頭で考える、まねるで、役に立たない。頭の中だけの行為。対して「覚える」は体全体で骨身にしみて体で覚えるので自分のこととして役に立つ。覚えることを続けると、学んでいないのに分かることがある。これを「悟り」となる…と書かれている。
 自分たちは育つことを覚える事が困難だと思ってはいないか、と自分を見て思う。近頃3男や4男から直線的に私に対する意見を言ってくるので手厳しい。間違っていない意見だけに。あたかもビール瓶で殴りつけるように手厳しい言葉を投げつけてくれる。父親として子らが育つのを我慢して待っているが如く。