年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

こんなことやってるのか!

2014-04-30 21:21:12 | Weblog
 
 みんなそれぞれが忙しくしているようだ。札幌の次男は夜遅くまで事務所にいる分、二人の子供のお世話をお嫁さんに託しているようだし、3男は西に東に各現場や工場など回りながらなんだか難しそうな仕事をやってるようだし、マイペースでやっている長男宅だけは、夕方の仕事をきちんと切り上げて自宅に戻っているようでも子供二人の保育園送り迎えなど夫婦二人で忙しそうな毎日を過ごしている様子である。
 こちらも毎日バタバタ感のある日々。妻は右足を後ろに引いて左足を前に大きく出し右側の腰を90度以上に曲げないように注意をしながら、今日も狭い庭の草抜き、鉢物の整理をし、小松菜を少し植えたいなどと考えているようでじっと家の中にこもることがない。あとは家の中の片づけ、掃除やご飯作りに精を出しているので忙しそう。かくいう私も、朝から次月満期にて釈放される刑余者の面接にてこづりながら、なんとか道筋を作る準備をする。懲役刑を仮釈放されることなく刑を満期で迎える裏側には、規律違反の数々あり再びの社会復帰も危惧される。これをやり終え、次に弟を耳鼻科に連れて行く時間に遅れながらも診察室のベッドに移すまでが大変な作業、これに苦戦。次はハローワークに出向いて担当者との打ち合わせ。終わったのがちょうど5時15分の役所終業時間。ヤレヤレ終わった。
 帰る途中、旧知の警備員さんとおしゃべりタイム。どう、近頃は・・・、と。彼はまじめな顔して私に言う。どうして近頃のハローワークの職員さんは朝も夕方も挨拶できないのだろうか・・こちらが挨拶をしても挨拶されることがない・・と笑っておる。
  ところで、4男のボランティア活動の事。「カリタスジャパン米川ベースセンター」ブログを調べると、4男の活動写真がアップされていた。
   
 
今日で4月も終わり。早すぎる。

木の芽どき

2014-04-29 20:30:35 | Weblog

 3月から4月にかけての桜の季節が終わった。そして、花が散り次に緑の葉っぱが辺り一面生い茂る。柿の木にも新緑の葉っぱが顔を出す。
 でも、その新緑の季節は、不安な季節を相ともなう。

 3月は、決算の時季、定年退職、卒業の時期から4月の進学や就職の時期が来ると、心身に変調をきたす時期でもある。この木の芽どきには、特に注意が必要だと、毎年云われ続けられた。日本では、交通事故死の7倍以上の自死者が、一日に70名以上亡くなっている。アメリカの2倍・イギリスの3倍というあり得ない現実の日本。誰もが、自殺に追い込まれることのない、社会の実現を願わざるを得ない。
 4男の東北ボランティア活動は、漁業支援、がれき整備だとか、地面を掘っていると時々3年前の姿が現れるんだとか、寝泊まりは集会所で布団敷いて初対面のみなさんと一緒に行動しているとか。メールに、聞くと見るとの違いがあるか、と出すと即座に、その通り、と返信あり。東北ボランティアが終わると、休部中のサッカー部に戻るんだとか、夏の金沢での西日本医学生体育会向けて練習が始まるんだとか。

 遅まきながら3月末の3男の結婚式での写真をプリントする。4人の子供たちと3人のお嫁さんと4人の孫達あわせて11人の集合写真。3人のお嫁さんだけ女性、あとの8人はみんな・・・男。

スケジュール管理

2014-04-28 19:49:47 | Weblog
 
 今現在の問題点、①弟の退院について (イ)自宅のベッドでは今までのように母親の介護はできない、それで福祉ベッドを利用するにあたり、身体障害者区分の変更が必要になる。内臓疾患によるものに加えて歩行不能につき身体的全介助を要する身体障害要件が要る。そのためには医師の書類が必要。その後、市の障害福祉へ提出し認定を受けることがベッドを利用するための必要条件。(ロ)入院時に比べて健康的には良くもなく悪くもない状態、いわば社会的入院であったのでいつでも退院OK。(ハ)病室内でも自宅同様な振る舞いであり、看護師さんから、お菓子を食べていることや喫煙などで注意を受けることが多い。本人は、いつまで命があるかわからないので好きにさせてくれと懇願される、とか。

②母親の問題点 (イ)四六時中見守り体制をとっているが、週2回のデイサービス利用を早くも嫌がっている。みんなといっしょに一日を過ごすことが苦痛であるとか、またいつもの介護施設から派遣される顔なじみのヘルパーさんではあるが、しょっちゅう来られると疲れる、とか。まだ退院後1週間もたっていない状態で、みんなが懸命に支援してくれた介護プランを嫌がっていること。(ロ)室内の手すり据え付け工事の日程調整。(ハ)介護プランは弟が早めに退院できると予定してトータル時間の中から算段しており、弟の退院が伸びると大幅なプラン変更を余儀なくされる。よって早めに関係者が集まって退院後の各施設側の受け入れ態勢を準備しなければならない。全員集まっての会を開かなければならない。皆のスケジュール調整に時間がかかる。
 などなど、好きなことを各人が言ってくるので、こちらもアッタマに来る。おまけに二人の事ばかり時間を使っていると、妻の方にも気を使わねばならず・・・まぁ結構自分は窮地に立たされているような塩梅ではあるが、なるようにしかならない・・と流されておる。

ボランティア

2014-04-27 20:27:50 | Weblog
  昨日、いつから東北に行くのか、と聞くと、もうすぐ仙台に着くよ、と返事があった。エッ、5月に入ってから行くのではなかったのか、と。いや、今日現地に着いて明日からボランティアが始まる・・と4男から。行先は、カトリック系のカリタスジャパンが募集する南三陸だとか。

 3男夫婦を日曜日ごとによんで一緒に晩ごはんを食べている。食べながら、いつから東北に行くの?と聞くと二人は5月3日から4日間の強行スケジュールだとか。子供たちはそれぞれ東北の地に行き、何かをして何かを感じ取って帰るのだろう。

 午前中は、南松山病院で説明がある。私とワーカーさんと看護師さんとS先生。弟の病状レベルのこと、自宅に帰ってからの事を話すも、福祉ベッドを準備した後に退院することにした。一応5月7日を予定していたが、連休中の事でもあるし、退院前にまた関係者が全員集まって打ち合わせをすることを決める。介護福祉施設側、障害者施設側、病院側と家族側と福祉用具業者さん方を地域連携スタッフのワーカーさんにまとめてもらうことにした。自宅に帰ってからのヘルパーさんへの伝達事項など注意をしなければならないことがたくさんあるようだ。一方、先行して帰宅した母親は、四六時中ヘルパーさんの訪問を受けたり、朝から夕方までデイサービスを利用したりして順調よく日常を過ごしておる・・・が、またまた、母親のワガママが出て・・・振り回されておる。しょっちゅう人が来ると疲れるとか、デイサービスなど夕方まで時間が長すぎるだとか、今日も愚痴を聞かされた。
 病院へ行く前に妻と市議会選挙の投票に行く。妻は誰も決めてないらしく、あわてて投票所前に張り出されているポスターを60人一人ひとり見ておった。顔写真から判断して、この人見た目良さそうだから、この人に入れようか…などとつぶやいておる。

今日の病院付添い

2014-04-26 18:01:49 | Weblog
 耳鼻科へ弟を連れて行く。Drの説明によると、週1回の治療では、治ることはないと云った。せいぜい現状維持がやっとであるとか。週2回来院できないか・・と。普通の声では耳が聞こえないのである。今日も治療が終わりしばらくすると片方の耳から血が流れ出てきた。困ったと思ったのは、昼ごはんに「がんセンター」食堂での食事中である。血が流れ出てきてなかなか止まらなかった。

 入院中の南松山病院から週に1回は部屋から連れ出して外の空気にあたっている。でも問題は行く先々で車いすが準備されている所でないと行くことができないもどかしがある。たいていの病院では玄関先に車いすが置いてあり、自由に利用ができるものの、それ以外の所は車いすを置いていない。で、昼ごはん、何か食べたいものがあるか。と聞いても、行くところが限られる。先週までは松リハの8階食堂に上がっていたが、母親は退院している。それで「がんセンター」に行くことにしたワケ。

 次にどこか行きたいところはないか、と聞くとデオデオに行きたいという。なんでもネスカフェのコーヒーメーカーがあるから見に行こうよ、という。天気も良く、弟も気分がいいようだ。電気屋さんが入っているこのスーパーには、車いすがあるはず・・と探す。大きな商業施設ではあるが車いすが2~3台しかないという。探してやっと見つけた。ここは身体障害者が買い物するには、不便なところだ。
  おっと、帰る時間になる。病院に帰る途中、我が家に連れて行き、木香バラやさつきを見せようと思う。駐車場にコーヒーとお菓子をお盆に乗せて妻が待っておった。弟は車を降りることができないのでシートに座ったまんまおしゃべりするも耳が聞こえないために妻も大声を出すことになる。
 妹から連絡あり。どこにいるのかと聞くと、空港にいるとか、アレレどこ行くノンか、と尋ねる前にストレス解消のために、ちょっと隣の国に行ってくるとしゃべっておる。なにしとんじゃい・・・と思うも、母親も退院したことだし、まぁエエか。

汗が出る

2014-04-25 22:10:02 | Weblog
今日の散歩、昼のコースは、お弁当持参で公園に行く。上天気のもとグランド周りの歩道を3周。汗ふきながら。園内は親子遠足の保育園の子供たちもたくさんいてはしゃいでおる。
  桜の花もすっかり落ちて緑の葉っぱが茂り、代わって紅白のはなみずき、つつじ、さつきが太陽の日差しいっぱい受けて咲いておる。
 
 ここで1.2km。
 
夜のコースは懐中電灯持参で自宅近くを2km
 よく歩いたよ。二人とも杖をついてびっこを引きながら。

 あさっての市議会議員選挙の各候補者の街宣車によく出くわす。やかましいことこの上ない。かまびすしい名前の連呼である。中には空からセスナの大音響で名前を売り込む候補者もいたり、車からの悲鳴にも似た名前の連呼であったりといつもの選挙の光景が繰り広げられる。候補者が広報に掲げている文面を見ると郷土への愛、福祉関係、環境問題、スポーツ振興、笑顔あふれる街など訴える文面が多い。でも自分にはどうもなじめない。たとえ雇用問題を訴えてみても具体的にどのようにしたいのかが見えてこない。そんなことより自分に最も興味あることは、なぜ立候補するに至ったのか、なぜ市議会議員になろうと決意したのかを優しくわかりやすく説明してもらった方が投票しやすいのに・・と思ったりする。よって、決意するに至った動機とその背景、そしてそれをもとに現在どのように活動しているのか、で、議員になってどう動きたいのか・・が伝わってくればいいのにと思うが・・・名前の連呼と、上っ面の美辞麗句で並べたてる言葉だけでは、 |||||(´ω`;)||||。前東京都都知事の「日本凡人伝」にある、「ワシがワシが・・」の自己中心の話を連想してしまう。
 ところで、全候補者の名前を見ていると、アレアレアリャリャ・アレレ、昔一緒にご飯を食べた人も出ているのにはびっくりした、あのKさん、いったい何する気なんやろか・・ワシがワシがで出ているのと違うやろか・・

恋唄

2014-04-24 19:55:15 | Weblog
 昨日は母親の退院に付き添い、本日は妻の形成外科診察に付き添う。額を大きく皮膚移植した後の、後遺症について今後の治療方針の説明を受ける。一つの病院事が終わっても、また別口の病院通いが途切れない日常。通院はまだまだ続く。
  こんな日は、昔に戻って気合を入れ直すに限る。そしてまたまた吉本隆明の詩集を読み耽る。

 恋唄
   理由もなくかなしかったとききみは愛することを知るのだ
   夕ぐれにきて夕ぐれに帰ってゆく人のために
   きみは足枷になった運命をにくむのだ
   その日のうちに
   もし優しさが別の優しさにかわり明日のことが思いしられなかったら
   きみは受肉を信じるのだ 恋はいつか
   他人の血のなかで浅黄いろの屍衣のように安らかになる
   きみは炉辺で死にうるか
   その人の肩から世界は膨大な黄昏となって見え
   願いにみちた声から
   落日はしたたりおちる
   行きたまえ
   きみはその人のためにおくれ
   その人のために全てのものより先にいそぐ
   戦われるものがすべてだ
   希望からは涙が
   肉体からは緊張がつたえられ 君は力のかぎり
   救いのない世界から立ち上る


 今日は診察を終えると県中病院を早めに出て、妻が入院中のベッドで計画していた野菜を植え育てるためにJAストアできゅうりとなすびと大玉トマトの苗、ゴーヤの種を買う。そして狭い庭を先日来自ら草抜きなどして整地した小さな畝に植えた。初めて野菜を育てることがずいぶん楽しみのようで、植えたばかりの今からスーパーで売られているキュウリやトマトのイメージに膨らませているようだ。そんなに大きくできないと自分は思っておるが、妻は収穫できる大きな野菜を楽しみにしているが・・サテと。肥料を撒いてほしいと言われるがまま鶏糞を撒く。



 近頃、昼中は散歩する時間が取れないために夜の住宅街にて明るい場所で散歩をしていたが今日の夕方、久しぶりに足元の明るい時間帯に二人で50分の散歩をする。
 
 歳を重ねていくとなぜかすぐキレやすくなっているようで自分でも驚くことがある。今日キレたことは、県病院で、受付の方に○○形成外科の場所はどこですか?と丁重に尋ねた。すると受付嬢から逆に聞き返された。どのような用件でしょうか、、と。アッタマに来てしまった。場所だけを聞いているのに、逆に質問されたことについてである。別の場所にある受付嬢にも同じように聞いてみたところ全く同じように聞き返された。自分としての正しい対応のされ方は、まず場所を教えてから、どのような内容でしょうか、それによっては案内する場所が違いますので・・と言い添えればいいのに、と。それでキレてしまったワイ。自分の目指す不良老人に向かっておる。

退院したよ

2014-04-23 22:04:56 | Weblog

 累犯障害者がいる。すべての受刑者は入所後、作業の適応力を調べるための知能テストを受けるが、その結果によると全受刑者のうち4分の1が知的障害者であった。([累犯障害者]・山本譲司)他にも身体障害および精神障害を持つ受刑者が多数存在し、彼らは劣悪な生育歴の中で、(例えば両親離婚で幼少期のころから愛情を受けることなく経済的にも精神的にも枯渇した環境の下)成育したなど、ほとんど福祉と結びつくことがなく、おにぎり1個、パン1個の万引き(窃盗罪)や無銭飲食・無賃乗車(詐欺罪)のような微罪で、繰り返し刑務所に入ることによって生き延びている。刑務所が最後の「セーフティネット」となっている現状。彼らには安心できる居場所がないのだ。今日の面接者、27歳、IQ58、覚せい剤使用中脳梗塞を起こし半身不随になるが足はどうにか歩ける状態。でも左手は全く使えず。中学卒、高齢の父親おり身元引受人になる。実母は幼少期に離婚して出て行った。以後逢ったことはない。兄弟なし。生活保護受給歴なし、障害者年金受給申請なし。療育手帳所持せず、その青年が私に就労支援を要請してきた。
 釈放後の道筋をたてるべく方法を提案することになる。再犯率が高いパターンと見立てた。何とかしなければ・・・障害福祉関係とハローワークと連絡を取り合いながら支援を進めなければならないだろう。
  このことに時間を取られた・・しまった、実は母親が今日の午後昼食を終えた後に退院することになっているのだ。早くいかねば・・昨年12月6日に赤十字病院に入院し、1月24日に松リハ病院へ転院、リハビリを終え、やっと本人が待ち望んだ日がやってきた。赤十字病院の整形外科医は、12月24日の手術前に、必ず歩いて自宅に帰ることができるように手術をします、と92歳の母親に人工骨頭置換手術前に宣言した。今日その医師の言ったとおりに歩いて階段を自分の足で上がり家のドアを開けた。入院日数139日であった。12月6日の日は、イタイイタイとわめいていたが、今日の雄叫びは、何かおいしいものを食べたい・・などとわめいておる。
  家の中は先日来妹が掃除やら片づけやらしてくれていたおかげできれいな状態。食材などは私も冷蔵庫に野菜関係、肉関係を入れて置いた。お米なども購入しておいた。今日の午後からは、ヘルパーさんが四六時中入れ替わりやってきてお世話になる計画である。
 2時過ぎには福祉施設の方々がそれぞれやってきて新しい書類にサインをする。その数10数枚、押印数20数ヶ所。今後デイサービスも利用し食事や入浴などのサービスを受ける計画を立てているが、母親は不自由な耳につき、皆といっしょにくつろぐのは嫌だと、ケアマネさんやデイサービス責任者に無理を言っておる。対象者のそのような様子も日常の研修になるんだろう、研修生も含めて7名の方々、若い学生がいっしょに狭い部屋にやってきて母親と担当者のやり取りを見せている。聞くと研修生は北海道出身の人が二人いてびっくり、しかも次男の家の近くの人らしく次男が利用するJR駅の近くに実家があるとか・・またまたびっくり。

吉本隆明

2014-04-22 21:17:19 | Weblog
 
 なぜか近頃、自分が大きくもなく小さくもない姿でもがいていた自分であったと思う頃、のめりこんでいた本を思い出すことがたびたびある。今日は吉本ばななさんの父上である吉本隆明さんの「定本詩集」から、ここだけのフレーズを思い出していた。
《すべての中絶には意味がある
 産みおとされなかった嬰児
 と恋の事情 たたかわなかったものの凱歌
 と革命の不遇 まして
 まして少女の机のうえに
 かきのこされた単語の中絶
 死の刻にうかべた脳髄のなか
 の情景の中絶には意味がある
 弔辞がそこへゆけなかった
 社会がそこへちかづけなかった
 肖像写真がそれをうつさなかった
 冷えてゆく死が追い詰める温もりのように
 この世界のすべての耻と かかれていない不幸が
 少女のひそかな中絶を追いつめた
 その意味がすべてだ》
      「時のなかの死」より
  いわば途中で放り出して完結できなかったのには、何かがあり、それによって以後ゆがめられたものがきっとあるのではないかと・・・
 今日の刑余者も多くの受刑者が抱えてきたと同じような経過の一つに、高校中退がある。貧しい中でも母親が食べるもの着るものを惜しんで学費を工面して進学させていたにもかかわらず、遊び癖がつき、さっさと中退してしまったような人。判決により数々の罪名刑名を付けられて服役中の人。資料によるとIQは通常より高い、働く意欲旺盛、身体能力問題なし、文身、玉入れ、断指、覚せい剤歴いずれもなし。
 そのような彼と時間にして珍しく60分も面談した。そして今まで多くの受刑者と相談しているが、初めて、自分の職探しでこんなにも親身になって相談に乗ってくれたのは初めての経験です、ありがとうございます、と言われた。24歳の青年であった。私もちょっと恥ずかしかった。
 24歳君の出てからの目指すものは継続的な就労である。途中で放り出さない就労である。
 
 昔の詩集を1枚1枚めくっていると40数年前に万年筆でラインの引かれてあった個所を見つけた。

ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる

ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる

ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる

もたれあうことをきらった反抗がたおれる 
                 「ちいさな群への挨拶」


 やっぱりジジイの身分になって漂流中の青い自分が印しをつけた活字を見ると、ちょっと気恥ずかしい。
 本日は糖尿検診に行く。昨秋からこれほど尿から糖が出ていたことに気がつかなかった。プラスプラスの表示が目立つ。やばいやばい。

今夜のお話

2014-04-21 00:00:00 | Weblog

 先月で大学での就職支援をする仕事を終えたHさんのお疲れさん会をやることにした。いつものメンバーである他大学で同じような仕事に就いていたSさんとMさんと私の4人。
  学生を相手にする仕事だけに、気持ちや考え方に勢いあり説得力あり柔軟性があるのが聞いていて楽しい。
 いつもの年輩者がよくいう、今頃の若い人は・・・の話になる。少子化により多人数のなかで育った経験がなく、そのことで揉まれないことによって表れるのは、コミュニケーション力が乏しい・・と。考え方の違う同年代の人と接し話をする、大人ときちんと会話をすることができない。だからできる限り学生を呼び出して、大人の会話をする訓練にも似たことをするんだとか、それがやがて面接の場で生きてくるんだとか。
 県内の中高大の卒業生が就職してもすぐに辞める割合が全国レベルに比べると高い、とデータにある。なぜなのか?当地方の学生は我慢ができないのかとか、親が我慢することを教えていないからだとか・・飲みながら真面目に議論する。今日の会は出だしから誰が言い出すでもなく生真面目な議題があるようだ。
  、しかし、学生にだけ目を向けて、いたらない点をあげて問題視することより、むしろそのような環境に追いやり育てた親の方にさらに問題視することがいいのではないか、余裕を失った親の子育て環境を作ったものは何か・・などと時間オーバーしながらバイキングのお皿を次々に平らげ、最後はスイーツの甘いお菓子にコーヒーでしめたが、自分は今夜は限りなく糖質を控えたつもりである。ローストビーフなどの肉系とサラダなどの野菜系を中心に攻めたが、店を出るとき、皆さんから、アンタ食いすぎよ・・とまたしても教育的指導を受けてしまった。