年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

ミモザ咲いた・ヒガン桜も咲いた

2010-02-28 18:18:01 | Weblog
 近所のHさんがいつも私にアドバイスをしてくれることの1つに、子供を1人くらいは手元に置いておくべきよ、というのがある。もし何かあった時にそばに子供が居れば安心だから、との理由のようだ。でもよくよくそのわけを順々と聞いていると、結局年を重ねてゆく自分が、ひとり孤独の方向へゆくことが寂しくて耐えられないので、誰かを手元においておきたい・・・などの理由のようだ。親のエゴが垣間見え隠れるように映る。その点私も妻も子供の世話には、出来る限りなりたくないと考えているので、子供達には清貧に関わらずひとり立ちをすることが大切なことであり、親の傘の下から出て行くことが望ましいと思っている。だから子供の内誰かひとり手元に居て欲しいなどと考えたことはない。それがあってか知らず、3男が私の無人の実家へ移り住むことになった。昨年までは香川県内に住んでいたけれど仕事の都合で、一時我が家に居候を決め込み今度は次月から実家で生活をすることにしたようだ。なにせ仏壇もそのまま、電気もそのまま、トイレの換気扇も回りっぱなし、冷蔵庫は電気が入っているし電話もそのままの状態が何年続いているのだろうか・・で、3男が住むことになった。昨日今日と部屋の模様替えの手伝いをする。洋服ダンスを移動する。母親の洋服がぎっしりぶら下がっているので隣りの部屋への移動は難儀、コップやカップの入っている茶箪笥を台所へ移動、コレも難行苦行・・・ソファも移動し2階の文机を持って降りたところで腰が痛くなった。作業はこれでお終いにした。本人はPCでネットが利用できるようになれば移り住むのだそうだ。
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ヒガン桜

2010-02-28 00:00:00 | Weblog
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2010-02-27 00:00:00 | Weblog
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禅を聞く会

2010-02-27 00:00:00 | Weblog
 曹洞宗(禅宗)の会に参加。住職の話を聞く。仏の話。家族の者から笑われた。キリスト教や仏教やいろんなところに顔出して大変ヤネ・・・などと。いのちをいただきながら今を生きている私達について、熊本からやって来られた住職の話を最後列に座って拝聴する時間を持つ。感想として、現代において深く物事を考える着火剤のような意義あるプレゼン会であると思った。そして僧衣を身に着けたお坊さんの集団、お顔をお一人お1人見ると皆さん穏やかなお顔をしていられることに自分も穏やかになれる。感謝。
 土曜日午前中の「こころ塾」・「誰ステ」は初参加者が多くなった。初めて参加される青年や大人おり。ご自分のつらい気持ちを共有できるように、つらい人同士での情報交換や自分自身の体験談などをお互いに発表してもらっている。お聞きする私にとっても深く考えさせていただく多くのものがある。つまり・・生きるってことの深みへ。感謝。
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コラボ

2010-02-26 00:00:00 | Weblog
 以前から気にかかっている青年にハナちゃんがいる。彼は30歳になろうとしているけれど、学生時代に受けたパワハラがトラウマとなりなかなか前を向いて歩くことが辛いようであった。このことを聞いたのは、数年前地方百貨店内に設えた県就職支援センターに私が職を得ていた時のことである。彼が時々相談に訪れてスタッフのOさんに相談を持ちかけていた。私にも彼から直接、自分の問題点を青年特有の心象風景の中で私にもぶつけてきたことがある。私もいいかげんな対応では済まされず、真面目に彼と話し合っていたことを思い出す。その彼と久し振りにスーパーでであったのが数週間前である。今度めし食いに行こうよと誘った。で、昨日、彼と五島出身のヒラカワ君、またVA協会のSさん、友人T君といっしょに飯を食えばどのような話の内容になるのか・・・などと考えて今夜集まることにした。私から見ればT君もヒラカワ君もハナちゃんも年の違い、置かれている環境は違うものの同じような感性を持っていると思ったから、今夜はきっと話が盛り上がるであろうと思った。場所は焼肉やさん。ハナちゃんからの話題提供は水きん窟の話、ヒラカワ君からは長崎・浦上教会でクリスチャンネームをもらっているので教会の話、それらの話を私が突っ込んで聞くという時間を持った。私に与えられた今夜の仕事は給仕係に徹すること.そして皆さんのお話を引っ張り出しながら盛り上がることであった。しかし私は肉を焼くことに専念することが多かったために、皆さんのお話を思い出せない・・・残念。ただお店を出てすぐ近くのハノイカフェでベトナムコーヒーを飲みつつ私が皆さんにお話したのは、自分をどのように開くかってことであった。自分を開いてそして向上させることの意味について・・・などなど。ローバイも咲いている(写)
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親子受験

2010-02-25 00:00:00 | Weblog
 今朝職場に出てみれば休みを取っている職員がいた。訳を聞くと、子供さんの大学受験があり同伴して受験地まで連れて行ったそうです・・・と隣りの机の人から聞かされた。あらためて昨日の夜の光景を思い出した。確かに親子二人連れでフェリー乗り場にいる受験生が数組いたのだ。少し異常な光景であったので自分は尋常ではないことだと思っていたが、今時親子同伴の受験は異常ではなく普通のことなのだと納得。飲み屋関係で同伴出勤というのは大昔一度経験したことがあるけれど?同伴お受験は興味がないし、せっかく少年から青年、青年から大人へと成長する良いチャンスを親が放棄することはない。自分の決戦時だけに自分だけで自分の方法でやってもらいたいと考えている。
 受験校の下見に行っている時間帯であろうか、4男にいくら電話してもマナーモード。夕方電話しても夜電話しても出ない。なにやってんのやろか・・・10時過ぎ帰宅した妻も、連絡あった?と聞いたけれど、ないよ、とのこと。連絡がないってことは何も問題はないってことか・・・
 1人で行って一人で闘って1人で帰ってくる。当たり前の姿を今4男が実行している。
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狂いのすすめ

2010-02-24 00:00:00 | Weblog
 僕は気が狂うまで頑張ったんだという自信、追い込んで追い込んで追い込まれて追い込まれて身動きが出来ないほどにコレをやったんだという自信が、10年先20年先の自分を作るとすれば、適当に頑張って適当なところに落ち着いてそして自分を納得さすような自分の日常を一生送るよりも何かしら豊かさを感じるのではないか。
 ひろさちや「狂いのすすめ」を読む。今の世の中、まともじゃない、まともじゃない世の中を健やかに過すためには、やっぱりこちらが狂る方が正常なのかしら・・・などと解釈。ちょっと面白い。
 ハローワークのカウンターに座り多くの方たちのお話をお聞きしていると、1つ思うことがある。今まで自分の意思で仕事にがんばってこられたことは、いつも誰かの指図の中でやってきたことではなかったのか、常に誰かに何かの指図でのみ対応してきた数十年でなかったのか・・・失職してしまえば手も足も出なくなる人を見て、現職での肩書きに長がつく人、収入の多い人の今までは何であったのかと考えてしまう。自ら由むべし・・の由むところを是非聴きたいと思っておる。
 土曜日にいつも通っている「こころ塾」のビルの隣りはお茶やさん、そのお茶やさんのお姉さんといつもばか話をして帰ります。
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受験

2010-02-23 00:00:00 | Weblog
 4男にとって先日のセンター試験の結果から判断して、今年の受験は遠慮して受験を止めておこうなどと言っていた。しかし、高校の先生や母親などの勧めもあって、国立を1校のみ受けることになった。前期中期後期のうち前期の1校のみである。本人はのんびりと構えて、志望学部でないために行くかどうかわからないところに、お試し受験ではお金がもったいないなどと言ってくれる。将来の自分の夢に沿うための学問をしたいと言っている。だから今年の受験は先日のセンター試験の結果により、到底足元に及ばないためにもう一年チャンスが欲しいというわけである。
 お試し受験に行くために港までお見送りをする。よる9時。
 10何年前に大学受験に長男が東京行き夜行バスに乗るために自宅を出発する時、私は出張で島根県松江市東津田町にいた。我が家から初めての受験生である。夕方7時前に街角の電話ボックスから心配でいたたまれず電話をして、長男に大丈夫か、頑張っておいで・・・などと激励したことを今でも覚えている。次男の時は、高松空港から本人が電話をしてきて、今から行ってくるよ・・・と、3男の時は、夜行バスで上京するために自宅近くの停留所まで見送った。本人はケロリとして遊びにでも出かけるような雰囲気であった。今夜の4男の受験の見送り場所は港である。我が家にとって初めて船に乗って出かける受験生である。遠征試合にでも出かけるような雰囲気で出かけたが、さてどうなるか、どうするのか。
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森のイスキア

2010-02-22 21:10:32 | Weblog
 森のイスキアを主宰する佐藤初女さんは、「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴います。犠牲の伴わない奉仕は真の奉仕ではない。」という神父様の言葉に心を揺さぶられ、特別な能力も経済力もない自分に、何ができるか?と考えながら歩いていた時、「私には心がある。心だったら汲めども汲めども無尽蔵にある・・・(引用)
 今最も行きたいところは、ヨーロッパでもアメリカやハワイでもなく青森・弘前の佐藤初女さんのおむすびを食べに行きたい・・・と思っておる。
 Jさんよりまたまたメールがくる。しんどい・体がだるい・自分がどうしたらよいのかわからない・・とあった。早速返信:そうですか。つらいんですね。メールありがとう・・と出した。
 Yさんよりメールあり。鉢植えには早くも春が来たけれど私には春がくるのだろうか・・・と。そうか春か、春なのか、暖かい春なのか。
 佐藤初女さんのおむすびを食べるとみんな元気になるのだそうだ。温かく柔らかく握られているのだそうだ。一度食べに行かねばならない。
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立ち枯れ

2010-02-21 20:47:52 | Weblog
 昨日の菜の花診療所・Dr徳永さんの話について妻と話し合った。仕事で介護の現場にいる彼女の話もなかなか面白いものがある。自分の経験談によると真っ直ぐに家族はもちろん回りの人たちからキレイな死に方であると思われるような例はごく稀だそうだ。家族から疎んじられて亡くなられるケース、逆に家族から医師に何とか生き延ばせて欲しいと本人ではなく本人以外の人が右往左往してお願いするケース、無念残念とでも言いたそうなお顔をして息を引き取っていく話など。17年前の私の父親の時はどうであったかと思い出さざるを得ない。確か広島で単身赴任をしていた際に、病院からそろそろ山が来るよ、と言われていたので、出張をする名目をつけて自宅に帰った数日後だったと記憶している。病院のベッド上で血圧などの数値がグングン下がっていくにもかかわらず父親の口には強制的に酸素を送り込む呼吸装置が取り付けられている状態、苦しそうに息をさせられているように映る。傍には私と弟と母親と母親の妹4人。母親が父の手を握りつつ、私に目で合図をして、生きながらえるために、もう一度注射をしてもらいたいといってきたけれど私は、いやこのまま行かせてあげようよと言ったのを覚えている。そしてモニターに映し出される心臓の鼓動の波が小さくなりやがてピーと横一線に波がなくなったときにクリスチャンであるK先生は私達に、今お亡くなりになりました、と告げた。そして看護婦さんとK先生にその場で、今まで大変尽くしていただいたことに感謝をして御礼を述べた。午前零時を回っていた。これが私の父親の生と死の境目の時間であった。
 私が常日頃言っているのは、誰にも邪魔されず、どこの病院やどこの福祉施設や老人施設ではなくどこででも、自宅でもいいし路上でも良い、人と会話をしている時であるなしに関わらず、ポックリとアレ~、もしもしどうされましたか・・などと言われつつ、アレ~このひと脈がない、鼻から息がないといわれることが一番よいと思っている。つまり今まで生きていてそして枯れるように息を引き取ること。妻の実例によるとこのような人がお1人96歳のおじいさんにいたそうである。枯れて朽ちて終わるのが最高。だから朽ち果てるまで動き回ろうと思っておる。
 今日は暖かい良いお天気。椿さんも二日目。大勢の参拝客が押しかけているようだ。小野川には既に土筆が出ている。
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