年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

2月が逃げる

2012-02-29 00:00:00 | Weblog
 ついこの間までは、寒くてマフラーを巻き歩いていたけれど、厳しく冷え込むほどではなくなった。だからマフラーを巻いても気持ち悪い時もある。降ったりやんだりの空模様は、これから一気に春に向かう予兆だろう。
 あたふたと2月も終わる。恒例の報告書を作る必要があるけれど、なかなかその時間が取れないでいる。次々と私のところに仮釈放になった刑余者が、押し寄せてくるからである。年齢にして20歳未満の人から60歳代の人まで、出身地は全国にまたがる。一人ひとり丁寧に仕事についての考えや気持ちを聞く、そして情報を提供する、履歴書の書き方や面接の受け方、その中には言葉使いと言葉、目線の動かし方、笑い方、人との接し方など到底自分の力量を超えた領域ではあるが、対象者は私の話を聞いてくれている。矯正施設から出てきた人のうち、満期釈放者は刑が終了しているが、ほとんどを占める仮釈放者の気持ちは、実は身体は、施設の中より自由(満期になるまでは制約はあるが)になるが、心は施設の中にいるよりも自由にならないことを受刑者たちから教えられた。社会は彼らを締め出す。しかし更生のために尽力されている人たちも数多くいられて、私はそのような人たちに助けられながらやっているのが現状である。
 どうしても書類作成より生身の人の支援が先立つ、そのような日々につき、まだまだ月末報告のまとめのスタートが切れない。ドナイショ。枇杷の花咲く

叱られる

2012-02-28 00:00:00 | Weblog
 朝出かける前に台所に妻は、夕ご飯のための食材を毎日置いている。解凍が必要な肉であったり魚であったりする。他にはその夜に調理されるべく野菜である。帰宅すると自分は、まずそれらを横目で眺めながら、さてドナイショ、焼くか煮るか蒸すかなどと考える。で、結局一番面倒くさくないものを選ぶ。妻が今朝台所に置いていた食材は、生ジャケ切り身大ぶり6切れ、白菜1玉、季節が違うけれどハウスで作られたナスであった。こりゃなんて料理したろか、などと頭をめぐらすが、いい知恵が浮かんでこない。
 困ったときはとりあえず、子供の要望を聞くために、子供のケータイを鳴らすことにする。何が食べたいのかと、午後8時過ぎに電話連絡をした。するとケータイから聞こえてきたのは工場での何やら溶接しているような音が聞こえてくる。次いで、ナニカヨウカと怒鳴り声が聞こえてきた。今忙しい最中やから、用件をはよ言うて・・そのような怒鳴り声が伝わってきた。こりゃ今話ができる状態ではないなぁ・・とこちらから切った。なかなか一人で飯を作り一人で飯を食べるってことは大変だ。

祈り

2012-02-27 22:25:34 | Weblog
 忘れないうちにメモをしておく。「あなたは誰? 私はここにいる」第8章祈りの形より 祈りの態度からの抜書き。フランクルを題材にして・・・
 「人間の行為には三つの価値があります。一つは『創造』。芸術を含めて何かを創り出すクリエイティブな行為です。二つ目は『体験』です。人間は生きている中で常に何らかの体験を繰り返しています。ささやかなものから稀有なものまで、いろいろなレベルの体験があります。そして三つ目は『態度』です。これは、何ものかを創り出す創造でもなければ、何事かを体験するすることでもなく、変えることのできない運命に対してどのような態度をとるかということです。しかし、フランクルは、この『態度』というものにおいてこそ、人間の真価-尊厳が現れていると説いているのです。わたしは、『祈り』というのは、まさにこの『態度』の中に含まれると思います。・・・・・・・・
 祈りというのは、積極的な行動ではありません。苦しんでいる誰かのために祈ったからといって、その人の病気が治るわけでもなく、貧しさが解消されるわけでもなく、失われたものを取り返せるわけでもありません。しかし、無力なようでありながら、やはり、祈りというものは、素晴らしい力を秘めているのです。祈りは、即座には効力はなく、無力かもしれません。でも、どこか美しく、敬虔な祈りには、人の心を突き動かす何かがあります。
 言葉を失って祈るしかないということは、逆に言えば、言葉を失っても祈ることはできるということです。それは、言葉よりも祈りのほうが始原的であることをいみしているのかもしれません。だから、言葉は虚しくても、祈りの態度は伝わるのです。」・・・

介護

2012-02-26 00:00:00 | Weblog
 弟の透析のために送迎をしなければならない。火・金・日の週3回透析をしている。弟も月ごとに歩行する筋力が衰えているようだ。昨年は杖を持って何とか歩くことができていたのに今年になり、退院後は片手に杖を持たせ反対側の脇にわたしの腕を入れて支えなければ直立することができないくらいである。90の母親も当然弟の体を支えることができるほどの力を持ち合わせてはいない。今までは福祉タクシーを利用していたけれど、指定曜日に迎えに行ってもらうも、次々と透析後の検査などがあり約束した時間に帰ることができないために、とうとう業を煮やした運転手さんから契約を打ち切られてしまった。どうしようか、と妻と相談する。とりあえずわたしの空いている時間を使うことにしているが、普段の日ともなるとどうしようもない。タクシー会社を利用したくとも運転手さんから乗り降りするための補助が必要なために嫌がられる。どうしようか・・・4月からはわたしも仕事を決めていないので何とか対応できるとは思うが・・・

スパコン京

2012-02-25 00:00:00 | Weblog
 この地方都市の住民が50万人いて、各人が1秒間に1回計算をすることとする。そして毎秒毎分毎時24時間それを繰り返す。したがって50万人がいっせいに一日中計算をすること40万年の時間を要する計算を、実はスーパーコンピューター京(けい)はたったの1秒間で計算をしてしまうという化け物コンピューターである。このスパコン京はスーパーコンピュータートップ500において連続世界1になっている世界最速のコンピューターだという。今日はそのスパコンを研究している独立行政法人理化学研究所 計算科学機構の研究者の話を聞く機会があり、道後子規記念博物館に出向いた。
 世界最速のコンピューターを使って何ができるのかっての話である。それは今後の地球規模での天候の動きを読むことができる、時間を延長してみることができる。反対に対象を極端に縮小して細胞内のたんぱく質の動きを見ることができる・・・興味のある話を聞いた。
 ものつくりから遠ざかった。物を作るより作ったものをうまく売る方法が得策だと考えて、それ以後は汗を流すことより、もの自体を動かすことなく、生産物に対して投機的にマネーゲームに走っていった数10年である。と同時に人々の意識が大地に立って仕事をすることより、机に座って株価グラフを眺めるほうが仕事であると揶揄する人たちが多くなってきたところに、今自分たちの間違いがあったのではないか。そのような意見に対して、理研が進めるものづくりのスパコンバージョンである。何よりも物を作る、開発する研究する研究者たちの(ほとんどが東大出身者であるとプロフィールに書かれてあった)楽しそうな雰囲気についつい引き込まれてしまった。プロジェクトXである。

お唄の会

2012-02-24 00:00:00 | Weblog
 時々やっているカラオケ会がある。今年の第1回目をやろうではないか、と言ってきたのは、昔、だるま船が家業であったMさんである。実は、Mさんの同級生が、高級クラブ?をやっているのだ。で、そのお店に集合することにした。私もいろんな人に声をかけて集合してもらおうと思うも、結局集まったのはいつものメンバーと昨年から一緒に仕事をすることになったHさんである。Hさんとジョブカード講習のために高知へ行ったこともあり、ECCAのメンバーでもある。Hさんと男5人の計6人が歌を歌う。しかし4月以降の行き先が決まっている人、いない人もおり今までのカラオケ会とは雰囲気が違う。なんとなく盛り上がらないのである。まぁいたしかたないか・・・

4月以降

2012-02-23 00:00:00 | Weblog
 何をしようか、と考えている。4月からはとりあえず自分が自由に使える時間が増える。嬉しいことではある。対象喪失感に襲われる前にやりたいことをリストアップしてみる。つらつらとメモ書きにしてみると・・・なんと、すべて遊ぶことばかりではないか!筆頭にあるのは弓道を習いたいこと、次いでスポーツジムで体を鍛えること、それに35年ぶりに自分勝手流の油絵を描いてみたいこと、また肉体の筋肉を鍛えるばかりではなく、ボケ防止のために今まで自分の考え方や意思や思いなどを形作ってきただろうと思う本を書棚から引っ張り出し、もう一度青年期からのものを読み返したい、それとちょっとお休みをしている小島の頂を目指すことを再開しなければならない・・・などなどやることが立て続けにある。などと私の考えを妻に具申するも、いいね!しかし弓道よりも剣道のほうがいいのではないかね、本を読み返した後は、みんな捨ててよ!家の中が片付くからネ、などと言われる始末。アッチャア

豆苗

2012-02-22 00:00:00 | Weblog
 倣岸=おごりたかぶってへり下らないこと。傲慢=おごり高ぶって人をあなどること。見下して礼を欠くこと。(新村 出編広辞苑)表面は善い人に見せかけて、実は倣岸であり傲慢な心を持っていないか、もう一度チェックしてみる。そのようなことを考えながら一日を過ごす。

 先週お買い物時にスーパーで見つけた豆苗を切って使い、それを水を張った器に入れて育てたところ、またまた芽が出てきた。買った時と同じ状態である。これはまたまた豆苗を食べることができそう。もうけもんである。

講話をする

2012-02-21 00:00:00 | Weblog
 今日の相手は15歳~19歳までの少年達である。20人が出席することを刑務官から聞いていたが少し増えることを昨日電話で知らされた。何を話そうか、どのような話の内容がもっとも少年の耳を傾けてくれるんだろうかと考えた。で、考えたのは私が同じような年代のときに悩んだ仕事のこととか、自立することとか将来の夢とか、それらに対する不安感など包み隠さず話しをしよう、と考えた。といっても、資料なしのお話60分間である。少年たちが退屈することなく聞いてもらうためには、ありふれた激励調でもなく、取ってつけた就職講話でもない、単なる私の若いときの失敗談を中心に話そう、そして一つだけ、メラビアンの法則の話をして60分の私の講話としようと考えた。高校生相手に職業教育を昔からやっていたジョブカフェ愛ワークのOさんにどんなもんだかと相談すると、Oさんはそのような失敗談などは、少年の食いつきがいいですよ・・などと評してくれた。頭の中で筋道を考えること瞬時である。これまでの講話は、ありふれた誰が聞いても退屈するような内容であると、残された資料から感じたので、一切私はそれらの資料に頼ることをしないようにと考えた。
 少年院の面会室、カウンセリング室はいつも刑務官に鍵を開けてもらいながら入って行ったけれど、今日はさらに奥の講堂に通された。講堂での講演であった。みな一様に制服を着てネクタイを締めて椅子に座り私の話に耳を傾けてくれた。筋道は私のクラブ活動を通しての内容に絞った。小学生のときのソフトボールではショートを守る私のミスで負けたこと、9人のチームではなじめなかったこと、それで中学校では少人数やれるテニス部に入るもこれまた一人でのプレーには恥ずかしくてなじめなかったこと、高校生になりサッカー部に入ったけれど、11人のチームにも違和感があったこと、それで最終的には一人でできる山登りのクラブに入ったことを振り返って考えると、結局自分の仕事を選ぶ基準は一人で、競争相手は自分自身であるような仕事を選択した・・・そのような話の内容である。いつか少年たちが刑を終え、少年院を出て、いざ働くときに、自分を見失うことなく成長していって欲しいと、20人の少年たちにお願いをして話し終えた。

First&Last

2012-02-20 00:00:00 | Weblog
 23歳当時の自分は、先行き不透不明の中でわずかなほのかな明かりを求めてうろうろしていたことを覚えている。何をしてよいかわからない、何をすれば生きていく糧を得ることができるのだろうか、そのためにはどのように動けばいいんだろうか、明かりはあるのだろうかなどと似合わないスーツにネクタイをつけて街中を歩き、家に入ってもスーツを着替えることなく一日中同じスタイルで過ごしていた。つまり、リラックスする時間が布団の中においてさえないという青年期を過ごしていた。
 そのとき本屋さんで、自分の心象風景が投影された写真集を見つけた。鰐淵晴子のファーストアンドラスト写真集である。モノクロの靄の中にいて、鰐淵晴子さんが衣装を纏わず、真っ裸で前を見つめるその目が自分の当時の姿に重なって感動した。この写真集は、タッド若松が撮ったものである。この作品で自分はなにかしらほのかな明かりがあったことを思い出したしだいである。もしかして自分も霞のかかる環境の中でも生きていくことができるかもしれないなどと。そのようなことを今までずっと忘れていたが、先日読んだ「あなたは誰?私はここにいる」のなかで姜尚中は、絵画を通して自分を話していたのを読むにつけ、私も青年期に同じような体験があったことを思い出した次第である。

「最も仄かな光にこそ、あらゆる希望は依拠しているのであり、最もゆたかな希望さえも、そのかすかな光からしか成りきたらない」ベンヤミン