年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

年の終わりに

2013-12-31 00:00:00 | Weblog
 先日までに比べると少しは寒さも治まった。急いで窓ガラスと電球を拭く。ザ~ッと拭くだけ。外の壁に張り付いているツタが見苦しいと言いながら、Hさんが剪定鋏を手に持ちやって来て徒長枝を切る、そして溝掃除をする。ありがたい助っ人。

 作業を済ませて、元旦の石鎚山・成就社山行の打合せをし、また二人で今年の反省会となる。反省会より愚痴の会となってしまうが・・・

 今年を振り返る。
 4男ががんばって医学の勉強をすることが決まった。次に3男がかわいいお嫁さんと一緒になった。続けて緊張の糸が緩んだと思っていると、その次は妻の大けがである。この後半の半年は、妻に付き添うことが自分の生活のすべてであった。緊張した24時間が続いた。そして今年の最後の月にまたしても母親が、妻と同じく大腿骨を折り手術をした。緊急で弟も入院せざるをえなかった。私の一番近い3人が入院することになり、自分の24時間が一段と緊張感を増してきた。

 毎日緊張感を持って日々を送ることの辛さを支えてくれたのは、大つごもりの今日あらためて振り返ると、人である。例えば仲間。こんなにも人は優しいものかと思う。いつも私に声をかけていただいた仲間、YさんやKさん、H君やT君は、初めて会う妻のベッドサイドまで来て声をかけていただいた。そして横たわる妻に笑みを送っていただいたからこそ妻も笑みを返すことができるようにまでなった。堀口先生もご夫婦で何度もベッドサイドまで足を運んでいただいたからこそ、生きる勇気を掘り起こしていただいた。妻の仲間もたくさんいる。骨折した頭に包帯を巻き、骨折している足には錘をつけて牽引、右手の骨折も包帯を巻き、しかも顔面骨折もして麻痺した顔になった妻に励ましてくれた妻の友人Tさんは、日用品持参で遠くJRに乗って何度も病院まで来てくれた上に、メールを何度も送っていただいた。仕事を通じた人もたくさん来ていただいた。千羽鶴を病室に持ってきて頂いたのは、救急救命センターの病室から一般病棟に移動した時であった。かろうじて口だけが動いていた。何人来ていただいたのだろうか、妻の仕事仲間と仕事の利用者さんは。数えたことはない。感謝することしかできない。
 治療中心の病院から、リハビリ病院へ移動した頃から妻が落ち込んだ。大きな外科手術を繰り返し頑張っているとその向こうには「治る」の希望があったにもかかわらず、リハによる身体の現実を受入れざるをえなかったが、前を向かせてくれたのは、やっぱり多くの人の力であると思った。埼玉に住む孫の写真、札幌に住む孫の写真は痛みを瞬時忘れることのできる魔法の薬であった。従妹のH子も従兄弟のケンちゃんもありがたい。妹も何かと私の体調を気遣ってくれた。私に漢詩を作っていただいたMさんにも涙腺が緩んだ。事故現場の町内に住むユタカちゃん、またタカシちゃんの同級生は、私の方までもいつも注意をしてくれていた。最後の町長であったミノルさんも妻の状態をいつも気遣ってくれた。ミノルさんの奥さんも手術入院していたにもかかわらずである。
 自分自身も落ち込んだ日々が続き、もがく毎日であったけれど支えてくれたのは、いつも声をかけてくれた人である。そして最も私自身を支えてくれていたのは、実は必死に生きる妻からのメッセージであった。自分の底を支えてくれた周りの人にありがとう・・・の一年が今日終る。そして新たな日が明日から続く。サンキュウ。

お年玉

2013-12-30 20:42:42 | Weblog

 プレゼントがあるという。三男からである。ありがたくいただく。三男は、一人住まいの父親に対して何かと気を使ってくれて、ご飯を誘ってくれたり、片づけの助っ人であったり服をプレゼントしてくれたりする。これは、やっぱりお嫁さんの影響だろうかと・・・
  でも欲深い私は、新年のお年玉を要求したいと思っておる。中身は大したものではない。しなやかな折れない強靭な魂と屈強な身体が是非に欲しいと願う。これさえ手に入れば、もっと入院中の3人に対しても、また友人や知人や仲間に対しても豊かなメッセージを送ることが出来得るだろうし、希望の入り口に道案内することができるだろうと思ったりもする。
 南松山病院の弟のベッドに腰を掛け話をしていると、もうちょっとここにいてくれと云う。赤十字病院の母親と話していると、この年末一人でいると、寂しいよ・・と云ってきた。自分の身を三つに分けて三つの病院のベッドの横に置くことができればいいのに・・と思う。
 夕方松リハへ妻を送る。松リハでは夕ご飯の準備をしていた。各テーブルを見ていると膳の数が極端に少なくなっている。みなさん外泊許可を取って帰宅しているんだろう。明後日には新年が来る。なにあともあれ新しい年が始まるのだ。新しい年には新しいまっさらな気持ちで過ごしたいと思っている。
 四男は今日もお友達と会う約束があるとか、昼からお出かけ。いつ帰るのやらわからない。

別居

2013-12-29 20:33:45 | Weblog

 野鳩のつがいが仲良く羽をこすりあって同じ枝に止まっていたのに、いつのまにか1羽だけになって幾日か経った。でも今朝外が明るくなってもちの木を見ると上下の枝が違えども2羽止まっていた。野鳩も家庭内別居をしているんだろうか。鳩は、死亡とか行方不明とかにならない限り生涯仲良く暮らす習性がある。

 妻は4男の帰省にあわせて1日外泊許可をもらってきた。6月11日以来の我が家での布団である。大きな事故に遭って入院生活を余儀なくされ、そしてやっと201日目にして家の布団で1泊することになる。ただし、病院は常に温かいが、我が家は寒い。風邪を引かさぬようにしなければ・・・山は白く雪が積もっている。自宅前の畑にも隅には雪が残っている。
 晩御飯は3男夫婦も集まって、鍋を囲む。お嫁さんと二人で台所に立つと、笑い合う声が聞こえてくる。来年はそのような笑い声がたくさん出てくるように少し不自由になった体で獲得することになる。

帰省

2013-12-28 21:28:39 | Weblog
 先週から車の渋滞が激しい。夕方など市内に入る国道はいずれも渋滞。昨夜など赤十字病院へ行くのにも一苦労、引き返すのも一苦労あり。御用納めのあいさつ回りだろうか・・日本人のけじめを大事にする慣習を思う。
 今日は一日中寒い。気温が全く上がらない一日、背を丸めて歩くことが多かった。

 もうすぐ今年も終了。来年は今年の難から転じることができますように、南天の朱い実が、難転となりますように。
 冬休みに入っている4男が帰ってきた。松リハの母親に帰宅報告。次に赤十字病院の祖母にも帰宅報告をそそくさと済ませて夕方から中学校の同級会に出席する。今夜は帰宅しそうもない様子である。

正と負の連鎖

2013-12-27 20:59:36 | Weblog
 今年のお正月の出来事を覚えている。つい先月のような感覚である。今年は今まで以上に早く時間が過ぎ去った。自分の願い事として、もちろん早く時間が過ぎ去って欲しいと願っていたことではあるが・・・ときが最大の薬であることを考えていたので、願い事が叶ったことにはなる。でも代償は大きかったが・・。


 赤十字病院では入浴後のリハ。歩く歩く。右足と左足がスッスーと出るよ~、などと若いPTさんとおしゃべりをしている。ご機嫌な様子である。

 松リハ病院では室内シューズが届いたので早速PTさんと検討。
 事故による手術の結果右足と左足に脚長差が生じた。それで補高シューズを注文。ちょっと派手なシューズ。でも福祉シューズは何で高価なんやろか。
 そしてリハ室を歩く歩く。

 年末に差しかかるとみんな正の動きになっているぞ。
 時が解決する。その時間は忍耐しかない、我慢するしかなかった。でもまだまだ耐える時間が継続している。

風邪引きの前触れ?

2013-12-26 17:23:59 | Weblog
 悪寒がする。ハンドル握ってもなんだか集中力が薄れているような・・・頼まれて松リハ持って行く薬と手鏡を入れた袋、それに明日の料理リハ、パエーリアのレシピといつものコーヒーと果物、事故後半年過ぎて未だ請求をしていないバイクや衣服関係の損保会社への請求書の4点を持って行くのに3回も足を運ぶとは・・・一度に済ませることもできない。物忘れが激しい。

 疲れている感覚がある。目が痛む・・・今日は南松山と赤十字を休むことにする。横になりたいだけ。

家に帰っても話し相手がいない。こんな時に思い出すのは尾崎放哉。
いつの年だったか寒い日に小豆島・土庄町に行った。目的は商工会の人に会うこと。そこから歩いて10分ほどの距離に西光寺あり、傍らに海が目の前に見える尾崎放哉の終焉の庵がある。狭い庭はきれいに箒の跡が見えた。そして放哉の碑がある。

咳をしても一人
いつしかついて来た犬と浜辺に居る
とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた

ビクともしない大松一本と残暑にはいる
障子あけて置く海も暮れ切る

足のうら洗へば白くなる
自分をなくしてしまつて探して居る

竹籔に夕陽吹きつけて居る
鳳仙花(ほうせんか)の実をはねさせて見ても淋しい
入れものが無い両手で受ける

雀が背のびして覗く俺だよ
月夜の葦が折れとる
墓のうらに廻る

あすは元日が来る仏とわたくし
夕空見てから夜食の箸とる
枯枝ほきほき折るによし
霜とけ鳥光る

お菓子のあき箱でおさい銭がたまつた
あついめしがたけた野茶屋
肉がやせてくる太い骨である
一つの湯呑を置いてむせている
白々あけて来る生きていた
これでもう外に動かないでも死なれる

尾崎放哉は就職に向いていない人。転職を反復したけれど社会には不適応であった人。でもいなくてはならない大事な人。




今日はご機嫌

2013-12-25 14:09:32 | Weblog
 今朝は石鎚が輝いておる。今月この山は日替わりで表情を変えている。天候により出たり出なかったり。笑ったり泣いたりすまし顔になったりしているが、今日はご機嫌の良い日である。

 今日の相談は長かった。30ちょっとの青年であった。初めて2時間近く席を立つことが出来なかった理由は、帰住地が決まらないこと。先日までは決まっていたけれど、受け入れ先が変更になったので新たな受け入れ先のことで、仮の帰住地変更プランでの支援となったからである。でも、本当は彼は不安な気持ちで満ちていることがわかる。社会に出ても働くことが出来得ようか、今のままだと再犯をする可能性がある・・などとほざいてきた。しかも生活保護受給についても考えているふしがある。セーフティネットとしての生保受給は年々難しくなっている。最後の最後の手段である。それより働くことを最優先する。各自治体は生保受給者に対しても就労には力を注いでいる。働いて賃金を得て、自分の生活を自分で守ることが出来るようにすることがもっとも大切なことである・・と。しかしそれを理解することが難しい表情をしている。IQにおいては普通、身体的な能力も普通、文身・玉入れ・断指・覚せい剤いずれもなし、精神的にも過去治療履歴なし、問題なし。全て消極的で引っ込み思案の性格の持ち主である。この青年を自分は就労できるよう採用通知が来るまで面倒を見ることになるが、当分苦労させられそう。
 
 冬の低い陽ざしは奥の部屋まで明るく照らす。奥まで明るくなると見えなかった埃が浮かび上がる。
 青年に問う。今日は何の日か?クリスマスですと答える。一昨年までのクリスマスの思い出は何かあるか?と訊ねる。青年は、昔一度だけチーズケーキを家族で食べた記憶があります・・と答えた。今はその家族は壊れてなくなった。クリスマスにみんなでケーキを食べることのできる自分の家族を作りたいかと問う。首を立てに振った。
  北の家族から私と妻にクリスマスプレゼントがくる。家族写真である。1歳になったばかりの孫の顔をじかに見たことがない、抱っこしたことがない。妻はこの体で抱っこ出来得ようかと不安に思っている様子。夕方南松山病院を経て赤十字病院では母親から愚痴られる。いつもベッドサイドに来て欲しいと、老いることへの不安なのだと思う。

 愚痴を聞かされた後急いで松リハへ行くと、独りで回廊を歩いておった。私も途中から一緒に歩く。自分も今日初めての散歩である。妻の場合不安を口にすることが減った分、自分は気楽。ひたいを大きく皮膚移植して5ヶ月になるが未だ癒えてはなかった一部が、やっと今日白いガーゼを外すことができるようになった。


クリスマスイブの昼と夜

2013-12-24 22:02:31 | Weblog
 夜の10時、シリウスが瞬いている。他の星たちより激しく瞬いておる。

 今日は疲れた。街中は午後から夜にかけて大渋滞。こちらは急いで動きたいにもかかわらず、車はいつもノロノロ状態。自宅10時半出発→松リハ→自宅→買い物→銀行→買い物→松リハ→がんセンター→南松山病院→赤十字病院→松リハ→自宅。帰宅は8時半。今日のご飯は朝と晩ごはんを少々。お昼は食事時間取れず。最近お昼ご飯をゆっくり食べることができない。もしかして血糖値が上がらないからいいかもしれない、とやけくそ半分。

 赤十字病院のO先生から説明あり。大腿骨の手術以外にも胆のう炎を患っていたので今抗菌の点滴をしている。先生の説明では、血液検査では日ごとに数字が低くなっているのでだいじょうぶでしょう、数値がマイナスになると点滴ではなく内服液に切り替えます・・・その後転院して頂きます、と云われた。南松山では、弟の耳が聞こえなくなってきているので会話にイライラする。松リハでは折り紙仲良しグループの人たちが次々と退院されており淋しそうにしておった。 がんセンターでは、知人の入院。最終ステージに入っており、痛みを取る治療のみで延命策を選択しないという人のお見舞い。今日は疲れました。

不安の中身

2013-12-23 21:31:30 | Weblog
 早朝にいつも番で仲良くモチの木の枝にとまり、クウウウ、グウウと鳴いていた野鳩の二羽が、いつのまにか1羽になっている。どうしたんだろうか、仲の良かった二羽が、けんか別れでもしたんだろうか、それとも何かしら事故に遭ったのか・・気にかかる。

 今朝は朝焼け。夕焼けが明日の良い天気を知らせてくれるのに反して、今日の朝焼けは天気の下り坂を知らせてくれる。よって、いつの時間から雨が降るのか、わからないので朝の洗濯物を干すのに裏の軒下へ干すことにした。

 不安の濃い霧に包まれる生活が続くとどうなるんだろう。不安を解消するために、つまり闇から脱出するように、考える、学ぶ、動いてみるが・・・先行きがまるで見えてこない夜などはやり切れぬ。不安の正体は何だろうと思う。きっと自らの安心感を確保するためなのか。
 生きることの欲求が強くなると不安が強くなる。生きることの欲望が薄れていくと不安も同時に弱くなる・・などと誰かが言っていたが。最近の自分の場合、確実に云えることは、自分の周りが自分に対していつも同じ景色を見せてくれることへの安心感がある。変化しないことが唯一の安らぎになるのかもしれない。周りの人や自分の良好な健康状態が変化しないこと、病院行脚をしながら思う。
 赤十字病院で二人部屋に入っている母親は、隣のベッドで入院している患者さんのご家族、特にお嫁さんが3人来られて入れ代わり立ち代わりのぞいている・・と私どもと比較して愚痴る。こちらはせいぜい私と妹の二人が入れ代わり来ているというのに・・回数が少ないのか、それとも一日中横の椅子に座っていて欲しいのか・・なにぶん1日に3か所を回らざるをえず、1時間くらいの滞在だから不満なのだろうか。生きる欲望に無論付き合いたいとは思うが、母親の不安に付き添いたいとは思うが、妻の不安の付き添いもある、弟の不安の付き添いもあるし・・・

クリスマス

2013-12-22 00:00:00 | Weblog

 クリスマス礼拝あり。牧師からご案内を頂きSさんといっしょに雪の中をかき分けて賛美にあずかる。 

 どうしてローソクが4本あるのかと、夜息子に聞く。クリスマス礼拝に合わせて4本目が今日来るようにと12月の第1週目から1本ずつ増えてくるのだそうだ。長男の家族が属する教会では孫のW君がローソクに点火する役だという。

 牧師はNPO松山自殺予防センターの理事長をしていられる。本人も心臓の病を持ち機能低下状態の中で礼拝を守っている。今日は受洗式あり、立ち会う幸運に恵まれた。今日受洗されたIさんは1年も前から今日のために準備をしていられた。教会の鐘をつく係の方である。その音色がどうして優しいのか、と思っていた人である。式の前の受洗動機をお聞きする。するとIさんは信仰告白でお話いたします・・・と私に云う。それでやっと、告白をお聞きしながら、つく鐘の音が優しい理由が理解できた。

 ご一緒したSさんは朗らかな方。愉快な方。よく笑う方である。まもなく幸運が向こうからやってくる予感のする方である。なぜなら、牧師の説教中にもウトウトと舟をこぐことのできる器量の持ち主だからである。そしてご飯を食べてもお皿を残さずきれいに食べることのできる健康的な人だからである。
 クリスマスって何よ・・その理由も牧師から説教を受けて知った。ケーキを食べて生誕のお祝いをするってことではなく、気づくことである・・・などと。
 久万高原町の山から道路が凍結する前に降りる。暗くなって病院に行くと妻は一人で回廊を歩いておった。私も加勢に加わり3周300mのお付き合い。いっしょに歩きながら今日Yさんにお見舞いに来ていただいた・・と感激した顔つきで私に報告あり。次の南松山病院では、暗くなった外に車椅子に弟を乗せて玄関を出て冷気にあたる。5分もすれば寒くなり慌てて病室に退散する。