年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

除夜の鐘をきく

2012-12-31 00:00:00 | Weblog
 最近コタツに入り横になると眠ってしまうことが多い。今朝も妻が仕事に出かける9時前に洗濯物を干して、さむいね~今日は、などと話しかけながら妻を見送ったあとコタツで寝てしまった。というのも自分は朝早く4時半に起きて温泉に入りお湯につかっているのでついつい気持ちよく眠ったのだろう。久米の湯は早朝にもかかわらず客はいっぱいであった。駐車場にも空きスペースを探すのが一苦労。お湯の中にも客がいっぱいである。こんなにも眠れない人が多いのか・・年齢的には私と同じ世代の方が多い。
 朝寝をしっかりとったために、夜はしっかり目が開いておる。で、恒例のNHK紅白歌合戦を見る。台所では夕方から妻がおせちを作っているので食欲をそそるいい匂いが部屋中に満ちておる。スーパーでおせちなど買ってくれば便利だと思うけれど、昔からすべて手作りを基本としている。たとえば数の子も塩っ気を抜いてから自分の味にしてしているし、栗きんとんもサツマイモから作っておる。鰤の焼き物、鶏のから揚げ、筑前煮、大きな有頭海老、紅白の蒲鉾、〆昆布、芽のあるクワイなど次々と作っている。
 9時過ぎに3男からメールが入る。市駅にバスが着くから迎えに来て欲しい、と。この時間帯は国道も車の数が極端に少ない。街中にも渋滞する箇所がない。1番町から2番町に向かう勝山通りを走っているときにちょうど車のラジオから五木ひろしの2番町の歌が流れてきた。偶然にも。オゥ、そういえば同級生がやっていた2番町の店・いたどり・はどうなってるんかなぁ・・
 家に帰ったころ、今度は美輪明宏の・ヨイトマケ・の歌が流れてきた。圧巻である。
 そして今年も終わった。除夜の鐘が聞こえてきた。近くのお寺からである。ゴ~ンゴ~ンと聞こえる鐘の音を聞きながら走り過ぎた1年を振り返り来る年を思う。除夜の鐘の鳴り響く音をただただ聴く、除夜の鐘の音を通してわが身を訊く、除夜の鐘の音が寒い夜空の中にある。鐘の音はきっとこころ豊かな、何事にも恐れない、皆がお互い助け合い、励まし合い、慰め合い、笑顔がたくさん見える、そのようなことにきっと鐘の音は効くと・・・
                           

お餅つき

2012-12-30 19:58:21 | Weblog
 お正月になると何でお餅なんやろか・・などと疑問に思いつつ、今日は妻と二人でお餅つきをすることにした。つくのは面倒くさいし手間がかかるために、お餅は買う方が便利である、となって久しい。つまり自分達の生活習慣の中が変化しているものの中で年末に見られなくなった風物の代表だろうと思う。で、面倒くさいにもかかわらず、なぜか毎年年の瀬に餅つき機を出してやっている。近年母親と二人ですることが続いていた。ところが今回母親が動くことが出来ないので今日は妻と二人で母親と弟が住む家でやることになった。なにぶん妻は、このような行事ごとは経験が少なく、経験をつませたいと思うが、何から手を付ければよいかわからず右往左往していて手順に戸惑っている様子である。それで、母親を椅子に座らせて口先参加の指示を受けながらやることにした。今のところ何もすることができない母親も、足を動かすたびに痛いなどと言う。先日は妹と妹の旦那さんが、再び整形外科に母親を診察に連れて行った際、もう一度レントゲンを撮れば恥骨にごくわずかヒビがあることがわかり、その痛みが無くなるのがあと1ヶ月位かかるだろうと診察された。その痛みのわけがわかったので気分も少しは落ち着いた様子。だから口と手先だけは動くために一緒にやってもらうのも母親の精神衛生上良いようである。 蒸したりこねたり丸めたりの作業。10時から始めて3時までかかってしまった。

 外は雨。年末に珍しい強い雨が降る一日。札幌の次男からは、雪が降り続いていると連絡がある。埼玉の長男ちではW君とみんなでカルタをやっていると、3男は長崎に着いたと、4男は8時半からテストがあると出かけた。
 明日で今年が終わる。1年を振り返るとみんなどのような感想を持つんだろうか・・・
                                         

いやいやまだまだ

2012-12-29 18:36:42 | Weblog
 今日からのんびり出来そう・・お仕事も終わって・・などとのんきに構えることなど甘かった。早速今日は、先日割り当てられた家の掃除関係がある。どうしようか・・
 大昔っから掃除・片付けなどは面倒くさいしやりたくないことの筆頭にある。身辺を清潔にきれいに美しくして過すことが、大切な日常生活の最上位にある人であれば、家の中が汚くなるときれいに掃除をするのだろうが、自分の場合、汚さに慣れる、整理整頓された場所が自分の居場所ではない、少々風呂に入らなくとも顔を洗わなくとも服など着替えなくとも何日も大丈夫である・・の自信を持っている。家人から人様が嫌がるよ、と忠告を受けようと、じゃ人様に会わないようにすればよい・などと天邪鬼化する。なかなか面倒な性格である。
 そのようであるが、今日割り当てられた作業は、台所の油ギトギト換気扇の掃除である。1年ぶりにブレードを外すもすでに手のひらは油まみれ。これをお湯につけ洗浄液を入れて、さぁ試合開始となる。ガラス窓などは3男が割り当てられておる。3男は明日から長崎の大浦天主堂・浦上天主堂など宗教関係の建築物を見るためにお出かけするのだそうだ。
        
  だから今日しかお手伝いが出来ないから・・などと云いながらせっせと照明器具やらガラス窓を180センチの身長を活かしてやっておる。私は換気扇の周りだけですでに1時間以上やっているが、一向にきれいにはなっていない。一応茶色に変色した箇所は元の色になったものの、それでも油ギトギト感が抜け切らない。で、もう一度たっぷりのお湯を使い、油除去の洗剤を使いごしごし換気扇周りをきれいにする。12時を過ぎた。もう限界である。腰が痛くてたまらない・・そうして出来上がった換気扇と換気扇周りはきれいに美しくなった。ほんに気持ちよい・・と思った瞬間、オ~そうだ、自分もきれいに美しくなると気持ちが良くなるもんだと新しい発見をした思いである。それにしても慣れないことはやるもんではない・・中腰で長時間いたせか、腰がうずいている。

望年会です

2012-12-28 00:00:00 | Weblog
            (お茶の木の花は冬の花)
 忘年会ではなく「こころ塾」の望年会の日である。忘れることより望むことを選択しているみなさんは、投薬治療中であり暗闇の中を今も過ごしているし、また抜け出そうとしているかに見える方々である。その11人の利用者さんと6人のスタッフが集まって、おむすびやサンドイッチを好きな具材で作り、ニコニコと美味しそうにほうばり、そして各自が持ち寄ったプレゼントの交換会ではヤッタ~などと声を上げる人もいたり、メインイベントの豪華賞品ゲットの大じゃんけん大会などで大いに盛り上がる午前。これを12時に終えた。次は、来年春に出所するであろう人、不安にかられ、出て行っても仕事にありつけるんだろうか、生きてゆけるんだろうかと自ら闇夜にいて思い悩む人の面接と講話がある。13時の約束である。急いで市内中心部から東温市まで冷たい雨の中、車で移動。今日は御用納めの日につきあいさつ回りなどで出かけているんだろうか、至る所で車が渋滞している。
 つまり、私も同じように、気分障害で病んでいる人と罪を犯し懲役刑にある人、異なる二つのグループの場所へ顔を出すために出かけている。                      
                         
 ヨハネ1-5・6 「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」
 いくら深い暗闇の中にいようと、不安の真っただ中にあって、怖いくらいの断崖の淵に立っていようとも自分たちは、希望があればいくらかでも不安感に怖れおののく時間が減ってくるんだろう、また恐怖感が薄らいでゆくんだろう。希望が満ち溢れる真っただ中にいて、そして前を向き歩いてゆけるんだろう。でもいつも希望がないと云っている。話を聴いているといつも決まって希望なんかありませんと答える。では、希望ってなんなんだろう。あなたの希望とは何をもって希望というのか。もしかして、ここの矯正施設を出ると、誰かが希望を与えてくれるとでも思っているのだろうか。静かに静かに湧き上がってくるもの、たとえば今から○○をしよう、明日から○○を始めよう、来年はこんなことをする・・・など小さな希望。でも訊かれる希望などの抽象的な言葉に惑わされることなく具体的に○○が好きとか、こんなことやあんなことをやりたかったとか、こんなことをするのはちょっと恥ずかしいけれど自分はこれをやると落ち着くとか、そのようなことなど具体的な○○を自分の先っぽにおいてみる、そのような積み重ねの向こうにもしかしてあなたの希望があるのかもしれない・・・
 そのようなお話をしながら今年の仕事を終了。
 で、刑務所の職員があわただしく動いている。年末に何かあったのかと・・すると受刑者が急に病状が悪化して、いつ息を引き取るかわからない情況にあるという。遠方から引受人に来てもらっているとか。
 受刑者が刑務所内で亡くなっても近親者が引き取るケースは少ないという。葬式を出し焼いて骨にしてやっと引き取りに来るのだそうだ。その費用だけでもバカにならない予算だとか。しかし、きっちりとご遺体を引き取りに来るのは決まって組関係者だと聞いた。

ウ~ン頭が重い

2012-12-27 00:00:00 | Weblog
 カレンダーを眺めると、アリャリャ今年もあと数日しか残っていないではないか、いくらなんでもこの1年は短すぎるのではないか・・。
  (寒くともガンバル蜘蛛)    
 3男が身体の調子が悪そうで勤務先の上司から強制的に大学病院で検査を受けるように、そしてはっきりするまでは出社に及ばず、と厳命されたそうな。伊予市の実家に住んでいて先日来下痢が止まらず少し嘔吐感があるとか、熱はないとか、体がだるいなどの症状らしい。勤務先の人から疑われたのは、つまりノロウィルス。それで昨日家に帰り、今日病院で検査を受けるようだ。本人はもう下痢も少し治まったから大丈夫、とはいうものの、もし陽性であれば私も妻もそして勤務先に至るまでご迷惑をかけることになる。恐る恐る3男が病院に行き検査を受けに行った。昼前にメールをすると、今隔離室に入った・・などと云うではないか、エッ菌が出たのか?と聞くと、今検査中だと、返信あり。正午を過ぎたのち、メールがあり、陰性であったと知らされた。ヤレヤレ。

 昨夜は10時に終了したから遅くはなかったけれど、いっしょに飲んだ仲間はそれほど気を使う人ではなかった分、最も楽しかった・・・で、みんなから飲んではいけない、と注意を受けつつ用心しながらやっぱり飲んだ、少しだけ。だから、今日は一日中頭が重かった。眠かった。

楽しい仲間が集まった

2012-12-26 00:00:00 | Weblog
 (Mさんの撮ったルミナリエ)
 今年最後の忘年会?は昔の仲間・県就職支援センターの当時の人たちが集まってのワイワイガヤガヤの会である。ハローワークプラザからYさん、ジョブカフェからはKさんとOさん、そして市内の病院看護士のNさんと私の5人。なんだかみんな好きなことをしゃべりながらあっという間に10時も過ぎてしまった。電車に遅れる~と言いながら解散するまで今年1年のそれぞれ過ごしたお話を聴くことになる。なにぶんみなさんキャリアであったり心理であったりメンタルであったりのカウンセラーだから聞き上手な人ばかり。でも平均年齢が60歳近くにもなると思うけれど、よくお喋りをする人達でもある。ご不幸があったり、介護に追われたり。ご主人が単身赴任中につき一人住まいを余儀なくされている人であったり、ご家族が病気中のひとであったり、この年齢になると皆さんそれぞれ何らかの頸木があるけれど、それにへこたれることなく前を向いて生きていられる・・・そのような感想。

 「こころ塾」の利用者さんと一緒に軽作業をする。場所が離れているために送迎のお手伝いである。ウツ病やパニック障害で苦しんでいられる人達もこの1年間通してみるとそれぞれに変化を感じる。閉じ篭り先行き不透明の日常から解放されて、より明るい快活な方向に歩んでいられる・・そのような変化を利用者さんお一人お一人に感じるのは、スタッフの中で私だけであろうか。やっぱり闇は光に負けることをまじかに観ることができるのは限りない幸福である。
 午後雇用保険受給条件にある求職活動を県地域共同就職支援センターにて行いAさんにサインしていただいた。つまり私は失業中である。

ちょっと寄ってと云う

2012-12-25 22:07:52 | Weblog
 仕事中である。県外からの電話相談である。大学に入ってから一人息子が部屋に閉じこもって、大学に行くことが出来なくなった、病院で診察を受けると、ウツ病だと診断された。希死念慮あり、リスカは何度も経験しているし先日は鴨居にロープを結んでいるのを見つけた。あわてて110番に電話して警察に来てもらった。警察官の勧めもあり一昨日精神病院に入院させた。このままでは卒業できないし、いい会社にも就職できない。主人も祖父も一流の大学を出ていて1部上場企業に入社し祖父は管理職で定年した。息子もせめて主人のように仕事をしてもらいたい・・
 黙って聞いていると、むかついてきた。共感でも限度がある・・で、一つお聞きしていいですか、と質問させてもらった。ハッ、息子さんから今まで相談されたことがありますか?ありますよ。息子さんは続いて相談しますか?あんまりないですね、黙ってしまいます。私とは話したがらないようです。
 とうとう能力のない自分がキレてしまった。あかぁさんは息子さんの話を今まで聞いたことがないようですね、息子さんに自分の意見を押し付けるばかりのように聞こえますが・・ご主人さんはいかがですか?息子は主人とでしたらよく話しております。どのような対応ですか?フンフンとだけしか云ってないです・・・主人は私にしばらく実家に帰っておきなさい・・といいますが、私は息子のことが心配で心配で・・・
 私は人間が未熟なんだろうけれど、エエカゲンにせ~や・・と怒・・
             
 次にかかってきたケータイ電話は、母親から。ちょっと来て欲しいが、今仕事中か?ウン。
 で、7時過ぎに再び電話アリ。ご飯の用意ができない・・・それじゃ今から行くよ。まだ立って歩くことができない。弟と母親がコタツに足を突っ込んでしょざいなげに黙り込んで椅子に座っている。ヘルパーさんがこしらえているご飯を電子レンジでそれぞれチンしてお盆にのせて、さぁ食べてよ・・そして朝の準備をして・・オ~そうだ自分ちのご飯を作らねば・・早く帰らねば・・9時もとっくに過ぎているし・・でも自宅に帰れば誰も帰ってはいなかった。さぁ何つくろうかな!

師走を乗り切る

2012-12-24 20:57:17 | Weblog
 今月はやらねばならないことが多く、どうすれば乗り切ることが出来るか・・などと月初に思案したけれど、行事ごともあと一つ、水曜日の県就職支援センターの仲間が集まっての恒例の忘年会で終わりそう。ホッとするもまたまたそのあとに山の仲間の忘年会もやろうではないかと先日相談があったばかり。ウ~ンどないしょ。年が明けてからしようか、ECCAの忘年会も新年会に切り替えたことだし。
 朝、妻が出かける前の私に対する用事がメモ書きされている。①車の内外の掃除 ②庭の草取り ③家の周りの掃除 ④換気扇の掃除 と書いてある。ウ~ンどないしょ。外は気温が下がり寒いし、かといって何もしないわけにもいかず・・結局外の溝掃除のみ。ついでに本棚を整理しようと取り掛かる。すると年賀状の当選番号を書いた紙が出てきた。アッチャ~今年の年賀状の番号をチェックしていないではないか、今から調べてももう遅すぎるワ・・
 宮本常一著「家郷の訓」(かきょうのおしえ)が面白い。ふるさとの生活の中から紡ぎだされた子供のしつけであったり、人とのかかわり方であったり。一度読むべし。

説教「あなたには救われて欲しい」

2012-12-23 21:46:18 | Weblog
 クリスマスケーキが食べたくなった。昔はバタークリームギトギトのケーキが多かったように思うけれど今は店頭に見受けられない。代わりにチーズケーキであったり生クリームであったりする。で、食べたくなったのは生クリームのケーキ。
  たまにはいいだろうと、ついつい洋菓子のお店ラ・ブランシェ・ド・ラ・エへ。お店の中の向こうの作業場では白いコックコートを着たパティシエがガラス越しに10人ほど忙しそうに作っているのが見える。なんだかみなさん楽しそうに作業をしている風景が映っている。で、3男がちょうど帰っているので3人で15年振りに ♪聖しこの夜・・・♪ の合唱。
                        でも可愛い店員さんに最もカロリーの低いケーキを所望し、選んでもらったかいがあってか、甘さを落とした生クリームの美味しさだけが浮かぶケーキであった。マンゾクマンゾク。
 今日の礼拝 H牧師は自殺予防センターの理事をしていられる。今日の説教の冒頭に話をされたのはつい先日の、自死による葬儀でのお話であった。ご遺族の方から、(故人に対して)「わかっていたんだけれど、どうすることもできなかった・・・」と聞かされたお話である。人の孤独感への歩み寄りを隣人としてどうあればよいか、など。今日はクリスマス礼拝である。ルカ:2-8~20 羊飼いたちの絶望感は、社会的にも底辺にいる羊飼いたちの孤独感は、いかばかりであったのであろうか・・・    讃美歌262番・264番・92番・258番をみんなで賛美。

今日のお出かけ先

2012-12-22 20:00:51 | Weblog
 今日奈良にいる義母が来られる予定であった。そして88箇所参りの結願までにあとわずかに残っているお寺を数箇所お参りして満願を果たしたい、今年中に。というのが予定であった。ところが昨夜からあいにくの雨、これでは冷たい雨に濡れながらのお参りは、ちと足元がおぼつかない年齢だからきついであろう。ということでせっかく楽しみにしていた来松ができなくなった。
   一方私の方の母親はいまだに歩くことはできないが、立つことが出来るようになったといってほっとしている。でも一日中コタツに入り込んで座ったり横になったりの繰り返しのようで、トイレに行くのにも這いずりながら行っておる状態。しかし本人は日に日に痛みが薄れている、2~3日すれば歩くことが出来よう、などと動かない足をさすっておった。
                                       
 私は巳午の仏事ごとのために従兄弟の家へ。ミンマはこちらの地方に伝わる仏事ごと。他の地方では見受けられない。今年亡くなった人のお正月だとか。だからお墓に行き供えた鏡餅を焚き火で焼いて包丁に突き刺し、突き刺したお餅を後ろ向きに肩越しにもらって食べる・・また山草も裏シロの反対で緑のほうを表にしているし祭壇に供えるのも香料ではなくお年玉、そのような珍しい風習がある。このような風習はどうなのかと思うが、なにぶんお年寄りたちは、このような伝統行事をやらなければ気がすまないようだ。田舎に住んでいると、亡くなってもその後の行事ごとが多く、風習に振り回される。