朝ご飯を食べながらTVニュースを見ていると篠田桃紅さんの本のことが紹介された。先日篠田桃紅さんのドキュメント番組を見たばかりで強い印象を持っていた。
まだこの本を開いたことはないが・・・。
学生時代に読み耽った本のひとつにドストエフスキーやツルゲーネフなどのロシア古典文学などがある。その中でツルゲーネフの「父と子」は、青年時の自分に一つのヒントを与えてくれた。当時実家にいて、自立できないケツの青い自分と毎日辛そうに働いていた父親との間で内面的な葛藤や小競り合いがあったことを懐かしく思い出す。といっても普通の家庭にある親子対立の戦いであったろうが・・。旧世代の価値観やものの見方考え方と新しい世代の価値観やものの見方考え方の違いについてであったはずだが。父親のいつもの口癖であった、男は40も過ぎるとだんだんと人間が完成に近づく・・などと父親は自分自身を評価する姿に、なん言っとるんじゃ・・完成?・・何が?・・などと父親にたてついていたことがあった。根無し草、デラシネのような毎日を送っていた自分には、当時の父親が言う、完成された男・・などがうっとうしく思われた。人間死ぬまで迷いながらぼそぼそ歩くもんじゃないのか・・などとわかったようなませたことを言う私であったがために・・。
で、この本の表題、「一〇三歳になってわかったこと」で紹介されていること。「生きてる限り人生は未完成」と言い切った篠田桃紅さんの言葉に、大昔の自分と父とのことを思い出した次第。でも、その前のキャッチコピー「『いつ死んでもいい』なんて嘘」は本当?っての疑問は残る。
本日の刑余者相談室にやってきた人は、5年以上の刑期を経て満期にて近々釈放される。仮釈放と違い帰住先や身柄を引き受ける人を指定されない。然し就労支援をするにあたり就労場所を申告してもらう必要がある。連絡先を聞くと、返ってきたのは関東にあるキリスト教教会の所在地であった。そこに行くのかと尋ねると、いや身寄りが全くないから、娑婆で思いつくのは以前数回行ったことのある教会だけだと云った。
父親は40代の頃、私が二十歳過ぎの頃、米海軍の佐世保エンタープライズ入港阻止として抗議行動に佐世保に行ったことがあったが、その父が亡くなって21年が過ぎる。若いころ局員さんと不倫などを経験し家庭内を暴風雨に巻き込んだ父親も50を過ぎたころからパーキンソン病と診断されて以来、昼夜逆転の生活を送った。福祉ベッドの脇で支えていた母や、たまの気晴らしにと父親をドライブに連れて行くのに車の後部座席を横になることができるようにして介護をしていた弟であった。その弟は昨秋亡くなり、父弟の二人とも居なくなった母親は、寂しい寂しいと言う毎日。篠田桃紅さんは、100歳を過ぎても、常がない毎日は新鮮であり新しいものにチャレンジできるので寂しいことはないという。
今日は夕方から雨の予報。雨が落ちる前にいつもの運動公園で散歩する。途中喉が渇いたのでヤマモモの赤い実を口に頬張る。雨の中、夕方仕事帰りの3男が、母親にタブレットの使い方を教えにやって来た。
まだこの本を開いたことはないが・・・。
学生時代に読み耽った本のひとつにドストエフスキーやツルゲーネフなどのロシア古典文学などがある。その中でツルゲーネフの「父と子」は、青年時の自分に一つのヒントを与えてくれた。当時実家にいて、自立できないケツの青い自分と毎日辛そうに働いていた父親との間で内面的な葛藤や小競り合いがあったことを懐かしく思い出す。といっても普通の家庭にある親子対立の戦いであったろうが・・。旧世代の価値観やものの見方考え方と新しい世代の価値観やものの見方考え方の違いについてであったはずだが。父親のいつもの口癖であった、男は40も過ぎるとだんだんと人間が完成に近づく・・などと父親は自分自身を評価する姿に、なん言っとるんじゃ・・完成?・・何が?・・などと父親にたてついていたことがあった。根無し草、デラシネのような毎日を送っていた自分には、当時の父親が言う、完成された男・・などがうっとうしく思われた。人間死ぬまで迷いながらぼそぼそ歩くもんじゃないのか・・などとわかったようなませたことを言う私であったがために・・。
で、この本の表題、「一〇三歳になってわかったこと」で紹介されていること。「生きてる限り人生は未完成」と言い切った篠田桃紅さんの言葉に、大昔の自分と父とのことを思い出した次第。でも、その前のキャッチコピー「『いつ死んでもいい』なんて嘘」は本当?っての疑問は残る。
本日の刑余者相談室にやってきた人は、5年以上の刑期を経て満期にて近々釈放される。仮釈放と違い帰住先や身柄を引き受ける人を指定されない。然し就労支援をするにあたり就労場所を申告してもらう必要がある。連絡先を聞くと、返ってきたのは関東にあるキリスト教教会の所在地であった。そこに行くのかと尋ねると、いや身寄りが全くないから、娑婆で思いつくのは以前数回行ったことのある教会だけだと云った。
父親は40代の頃、私が二十歳過ぎの頃、米海軍の佐世保エンタープライズ入港阻止として抗議行動に佐世保に行ったことがあったが、その父が亡くなって21年が過ぎる。若いころ局員さんと不倫などを経験し家庭内を暴風雨に巻き込んだ父親も50を過ぎたころからパーキンソン病と診断されて以来、昼夜逆転の生活を送った。福祉ベッドの脇で支えていた母や、たまの気晴らしにと父親をドライブに連れて行くのに車の後部座席を横になることができるようにして介護をしていた弟であった。その弟は昨秋亡くなり、父弟の二人とも居なくなった母親は、寂しい寂しいと言う毎日。篠田桃紅さんは、100歳を過ぎても、常がない毎日は新鮮であり新しいものにチャレンジできるので寂しいことはないという。
今日は夕方から雨の予報。雨が落ちる前にいつもの運動公園で散歩する。途中喉が渇いたのでヤマモモの赤い実を口に頬張る。雨の中、夕方仕事帰りの3男が、母親にタブレットの使い方を教えにやって来た。