年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

5月も過ぎて

2018-05-31 00:00:00 | Weblog

 時計草が咲いている。これが咲くと初夏の始まりとなる。時間が過ぎる、あっという間に。「無常」の言葉がよぎる。いっさいのものが生成消滅する。常住はない。無常の風が吹き荒んだ5月、が今日で終わった。
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誕生日

2018-05-28 00:00:00 | Weblog

 今日は奥さんの誕生日。ハッピーバースデーの歌を唄う元気がなくとも、とりあえず二人で食べる食べる。先日は母親の年金停止の手続きに社会保険事務所に行った。そのとき気になったもので私が没となれば奥さんにどれほどの遺族年金が入るのだろうかと計算してもらった。すると十分な暮らしはできないだろうが独り暮らしであれば何とかなる・・かも知れない・・ほど。奈良の母親を2年前に見送り、今回は義母を見送った奥さんの口癖は、周りに迷惑かけないようにさっさとスパッと逝きたい・・などと口癖のように云ってる。

 近頃以前と違うものでは、口に入れるものにソフトクリームがある。
 私と同じような仕事をしている人にSさんという人がいて、自分と同じSさんの父上は糖尿病を患っていられる。Sさんの目を盗むようにして父上はソフトクリームやアイスクリームを食べるのだそうだ。血糖値が上がるもとになるのかもしれない・・と父親といっしょに暮らすSさんは心配している。母親を数年前に見送っているだけに一人で奮闘していられる。でもなぜか自分も同じようで、暑さによるものではなく単にソフトクリームを舐めたい・・と。
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お腹いっぱい食べなさい

2018-05-27 00:00:00 | Weblog
 子どもの死─あなたの未来を失うこと
 配偶者の死─あなたの現在を失うこと
 親の死─あなたの過去を失うこと 
 友人の死─あなたの一部を失うこと


 私の出版社勤務現職時代のこと、いつも好好爺のように仰ぎ見ていた初代のN社長から会議で厳しい叱責と共に、部下に対する指導のことで印象に残っていることがある。一日の仕事でヘトヘトになる夕方、部下に注意を与えたり指導するときにはラーメンの一杯でも食べさせてお腹をいっぱいにさせてからやりなさいと云われていた。つまり腹が減っている時に若い人たちに叱責するのは若い社員には耳をもたない・・ということだろう。

 先日亡くなった母親からも四六時中耳にタコができるほど云われていたことに、子供にはお腹いっぱいになるまでご飯を食べさせなさい・・・であった。子供はいつもお腹を空かせているから他はなくともご飯だけはいっぱい食べさせなさい、と。このことは母親からだけではなく、自分が小さい時に二人の祖母からも、ばぁちゃんちに遊びに行くと必ずお腹すいてないかと・・聞かれてたほど。母方の祖母は当時新発売のラーメンを手際よく作ってくれネギやジャコテンを乗っけてその上に生卵を落してくれるのが自分には驚くほどであったし美味しかった。もう一方の父方の祖母は農家でもあり家の裏に鶏小屋があったので、遊びに行くといつも小屋の生みたての卵を取って来て食べなさい・・と云われてたのを思い出す。今のような全体が食生活が豊かでもない時のこと、レトルト食品があるでもなくまして冷蔵庫が各家庭に在るような時代でもない。
 子供は外を走り回り遊びまわるとお腹が空く、空いたら食べさせなさい。お腹を満たしておけばまっとうな考えも浮かぶだろうし成長もするだろう・・ということかもしれない。

 確かに、今の時代でも刑務所にいる受刑中の人たちと面接をしていると7才から12才までの小学生時、満足にご飯を食べさせてもらえなかった受刑者もいる。腹が減った→食べ物の窃盗もある。

 食生活は最も大事。我が家の子供たちにも妻がとにかくごはんをいっぱい食べさせようと努力をしていた。給料日の真っ先のお買物は、スーパーで安いお米の10kg袋を一月分6袋買ってきて床の間に積み上げることであった。



 母親を見送った後、現在部屋の片づけを毎日やっている。妹と奥さんが中心。とにかく家具や衣類のほか最近はヘルパーさんが利用していた鍋や食器類など弟と母親の二人の生活の痕跡を片付けている。業者に一任すれば何もかもやってくれることは知っている。後片付けを葬儀社からもすすめられたがこちらでやっている。とはいうものの・・あまりにも膨大。私は車の運転だけで片付けには役立たず。

 でも捨てるのは出来るだけやっておる。今日は金属類やガラスのゴミ収集日につきゴミステーションに持っていく。
すると

 私の幼少時に実家で使っていたものがビニール袋にあった。お腹を壊していた時に母親がコトコトとおかゆを作ってくれてた行平や夜食に作ってくれた鍋焼きうどん用の小さい鍋。涙が初めて出た。息を引き取る前も棺桶に入ったときにも斎場での骨上げでも自分は涙が出ることなく押え切ってたけれどうどんの鍋を捨てるごみ袋の中に見つけた時に涙が止まらなかった。母親はいつもお腹を満たすように自分たちに作ってくれてた。車の中で恥ずかしくも泣いてしまった。私や弟に妹に貧しく豊かではなかったがいつもお腹を満たしてくれた母親が利用していた鍋を投棄した。


 確かにE・グロールマンの言葉にあるように親の死は過去を失う。
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30年振りに

2018-05-27 00:00:00 | Weblog
 むかしむかし自分が30才時代の頃の現職時代・・勤務会社の事務員さんに山さんと谷さんがいて対照的な呼び名に強い印象を覚えている。高松市出身のお二人は飾ることもなく讃岐弁丸出しで話しかけてくるような女性であった。もちろん独身時代の頃のこと。その谷さんはご結婚されて新潟・魚津市に住み、またご主人の転勤に伴い、現在日野市に住んでいることは毎年の年賀状で知ってはいたがOB会で会うとか電話で近況のやり取りをすることもなかった。


その谷さんから突然電話があった。「お久しぶりです。谷です。」〈お~久しぶりやナァ。元気にやってるかい?〉「ハイ・・ところでNHKのドキュメント72時間を18日に見て、もしやと思いもう一度土曜日の11時40分再放送を見たんです。」「そして取材場所のことをグーグルマップで調べるとお家の近くだとわかって〇〇さんに間違いない。」〈そうや、取材を受けたけど自分は見てないから詳しくは分からない。〉「いやぁ〇〇さんもお元気な様子で・・・」そのような突然の電話を受けた。

やっぱりあれは全国に流れてたんやナァ…と思うと、やっぱり恥ずかしいワ

 一緒に取材を受けたタカシちゃんも癌の摘出手術後の経過も良好のようで今抗がん剤治療のために6月2日まで再入院をしているが暇を持て余しているのか、まいにち7,000歩の散歩を目標にやっているらしい。

 病院を抜け出し歩いて4~5分のいつものスーパー内100円コーヒーで会うことにした。肺を少し切除されている影響でしゃがれた声をしているものの前向きに明るく話しかけてくれるのがありがたい。

 身体は自由に動かないけれど今日も母親と弟の遺品整理でバタバタ。
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孫たちの運動会

2018-05-26 00:00:00 | Weblog
 今日は運動会日和、北海道と埼玉の小学校に通う孫の運動会があり、それぞれ写真が送られてきた。
 野幌森林公園の中の北海道百年記念塔近くの小学校に通うY君も緊張した顔でもなく、ニコニコとする顔でもなく

 かけっこしたり

 頑張っておる。お~成長してるなぁ・・・

 ジイやババもニコニコ。

 次は埼玉・和光市の小学校に通うW君の写真もやってきた。

 踊ったり、かけっこをしたり

 来年入学予定のM君も堂々と走ってる。

 子らの成長のスピードは早い、ジイやバァバが考える以上のスピードで大きくなっている。身も心も。
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仕事へ

2018-05-24 00:00:00 | Weblog
 GW明けの日から何だかんだとあり、食中毒でのたうちまわること2週間、その間に母親を見送った。そして母と弟が住んでた家の片づけが続いている。
 でも仕事も放ったらかすわけにもいかないし・・・で、今週は火曜日・木曜日・金曜日と職場へ行くことにしている。

 連日の全国ニュースで震撼させた、松山刑務所・大井造船作業場の脱獄犯も捕まり、一応平静になったと思うもそれは報道関係のみで、ウラガワではまだまだ上級機関からの問い合わせや会議が続いていて、職員も疲労困憊の顔をしている。


 今日は火曜日に引き続き、釈放前の身柄を引っ張って、事業主面接を行う。事業主さんは顔なじみのO副社長にO取締役さん。いくつかの質問をしながら、採用内定を得た。ヤレヤレ。今日の身柄は団塊の世代であり、有名国立大出身の元社長さん。大きな商売をしていた元社長さんは何もかもプライドを捨てて裸になった姿で面接を受けていたのが印象に残る。“生き切る”ことに余計な飾りは不要だとの印象。
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母親のこと

2018-05-22 00:00:00 | Weblog
いまから3~40年ほど前くらいであったろうか、テレビ映画を見ると、淀川長治さんが解説者として登場し、解説が終わり最後に「それでは次週をご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら...」のセリフが頭に残っている。特になぜだかヒッチコックの「鳥」の解説に「怖かったですね~」の言葉が自分の中にリフレインする。

決して否定的なことを話さなかった淀川さんは、映画の肯定的な側面を指摘していたので見る方聞く方も、たとえ映画が面白くなくとも、淀川さんの解説でホッとすることもあった。

その淀川さんは、マザコンと言ってもいいくらい母親を愛していた。と多くの人たちが活字にしていた。

 「淀川長治自伝」 で読んだものかどうかは忘れた。淀川さんの母親が亡くなって、淀川さんは母親の下着までタンスに残し面影をしのびつつ手にとり鼻にあてて匂いを嗅いでた・・ほどに母親を溺愛していた。

 自分はそれほどまでにはない。しかし生前中の母親は、自分でトイレに行くこともできず風呂に入ることもできなくなった容態になっても決して人の悪口を言ってるのを聞いたことがない。私の家族が過去嫌な目にあった出来事さえ ベッドに横になる母親の耳元で誘導するように話しかけても、96才になっても、人の悪口は言いなさんな、アンタの値打ちが下がるよ・・と母親からたしなまれておったほどであった。

 永六輔さんの母親の看取りも印象に残る。自分には出来ないだろうと思ったこと。永さんの母親が息を引き取るまで永さんが母親を抱っこしてソファに座り見送ったようなことは自分には出来ないだろうと・・・・
 自分の母親がまだ元気であって、母親に言われるがままあっち行けこっち行けと、よく温泉に連れて行ってた時は、弟も生きてたから5年ほど前だろうか、かたわらの母や弟を見ながら淀川長治さんや永六輔さんの本の中から、これを試金石として踏み絵とするほど自分対母、自分対弟での自分の愛情、度量が試されると考えていた・・・が自分は何もできず。病院のベッドで手を握る、顔を撫でる程度であったことは、自分は冷たい人間だろうと。。。。


 近所の人が、お米を借りに、お醤油を借りに、正月のお餅を借りに、少額のお金を借りに、ネーさんネーさんといわれるまま与えていた。うちは豊かではなかったにもかかわらず・・・返してもらうつもりはなく、ニコニコとあげてた。代わりに、ちょっと肩揉んでなどと云って相手に負担がかからないように気配りをしておった。そのような場面に出くわしたときには、私が肩や腰を揉んでもらっておったが・・・決して表面に出ることなく、自分の身を削るような仕種はローソクの如き「世の光」に在ったんだろうと・・思う。
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5月20日の案内状

2018-05-21 00:00:00 | Weblog


 あとから、どうして云ってくれなかったのか・・と親戚筋から出てくるかもしれないと思い、49の満中陰が来る前に連絡だけはしておこうと・・・。こんな文章を作って、父方の親戚筋、母の友達や知人に少しずつ送っている。お報せとして。息子から見て、最後まで誇り・尊厳を守って逝ったと思う。これも頭がはっきりしてた母の指示でもある。
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昨日テレビ見たよ・・といった。

2018-05-19 00:00:00 | Weblog

 私が毎日布団に入る時間は9時30分を目安にしている。よって9時からのTVニュースもほとんど見ることはない。近頃はテレビよりラジオを聴く方が多い。それでも土曜日の『ブラタモリ』と月曜日の『鶴瓶の家族に乾杯』だけはいつも見ている。

 で、朝スマホを見るとジョブカフェのYさんや久しぶりにKさんからもTV見たよ~元気そうヤネ~とメールが入ってた。こっぱずかしい・・・昨夜の10時45分からのNHK「ドキュメント72時間」に私が出てた・・らしい。

 アホズラ下げて画面に出るってことは耐えられん。3月末にNHK取材局から交渉を受けた時、あ~この番組は東京地方だけに流してるんだろうから、こちらでは流れないのでいいだろう・・の軽い気持であったが・・。
 おまけにご近所さんも何人も会うたびに見たよ~と言うではないか。そしてI大の教育学部のY教授に至っては、〇〇さん、エエこと云ってたね~などと揶揄してくる。エ~・ナニ喋ったんやろか・・自分は。そのうち妹が、ハイ・ニイチャンDVDにとったから見てみて・・などと云ってきた。全く自分は見る気がしなくなってきた。けど3男がスマホの動画を見せてくれるも、まったく見る気ゼロ。ワンカットだけ送ってきた。

 やっぱりバカずらが映っておる。

 自分が表に出て何かをやるってのは、自分らしくないことであると、自己理解をしておるワケ。ワシがワシがの如きたまにいるエゴ意識丸出しのような人を寄せ付けないように、自分の中のワシがワシがの姿勢をも拒否しておる。「地の塩・世の光」を見つけようといつも思ってる。
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苦戦する

2018-05-18 00:00:00 | Weblog
 「ローマは一日にしてならず」と教えられたローマ帝国の建国には500年の時間がかかった。ローマ帝国とはまったく違うが、母親と弟が暮らしていた団地では30年ほどになるだろうか。その間の生活の印を片づける作業に苦戦を強いられる。一日にしてこんなに「もの」にあふれるわけがない。二人の生活の必需品から趣味のものや嗜好品など
ため込んでおる。片づける作業は大仕事、何日かかるんだろうか・・・

 何せ自分は階段を上がる力がない。せいぜい車の運転が限度。車の運転にしたって右手はハンドルに副えるだけ左手一本の運転、それでさえ車に乗り込むのもひと仕事レベルだから危なっかしい。
 で、自分は運転手のみのこと。室内の片づけ作業は奥さんと妹に義弟とメイのなっちゃんや甥のゴー君に休み時の3男に・・

 すると・・・闘病の記録が出てきた、何冊も。腎臓病による透析生活が長かった弟の自己管理表・・・

 弟も闘っておった・・・
 みんな苦を真正面に捉えて凌いでいる年月のことが記されている。でも弟は先に逝ってしまった。病状悪化のおり母と一緒に黄泉に逝きたいと漏らしていた弟であったが、やっと合流出来たと思う。
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