年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

惜別

2006-03-31 00:00:00 | Weblog
2006/3/31 (Fri) 惜別

 好き嫌い ウマが合うあわないを別にしても慣れ親しんだ空気が変わるというのは好きではない。夕方には玄関でたくさんの去っていく人をお見送りをした。人が去るのはさびしいものですね、と隣りにいたS所長に話し掛けた。所長はやれやれといった表情である。若くて去る人も65歳で去る人もこれからの幸の多いことを心から祈らざるを得ない。今日は猛烈に寂しさがつのる。去っていく愛ワークのGさんIさんのお二方にも挨拶をするために町へ行く。自分にいっぱい笑顔を送ってくれた人が去っていく。


2006-03-30 00:00:00 | Weblog
2006/3/30 (Thu) 嵐

 春の嵐がある。7時半過ぎに家を出ようとすると雨嵐につき傘も吹き飛ばされそうである。このような雨風を予想に入れて16本の骨がある傘を買ったけれど,その骨も折れそう。案の定電車に乗り遅れる。遅刻した。仕事場では引継ぎ業務でバタバタとしている。自分の仕事の量も倍に増える。反対に賃金は下がる。合点がいかないなどと文句を云う気にもならないほど追い詰められている感じがする。たまには久しぶりに追い詰められるのもいいかなぁなどと妥協する自分がおる。
 この天気でもシュンンランが申し訳なさそうに7つ8つうつむいて白い花弁を見せていた。



花冷え

2006-03-29 00:00:00 | Weblog
2006/3/29 (Wed) 花冷え

 折角これから咲こうとしている桜の花もこの寒さではなかなか開きにくいのではないかと思う。出勤服装も真冬の格好である。夕方はECCの理事会があるとかで会場に急ぐがブラッと入った途中の本屋に立ち寄り立ち読みしているとついつい遅刻しそうになった。シュクシュクと議題に沿って会が進んだ。それでも終わると8時をとっくに過ぎている。Mさんに途中まで送ってもらって帰宅する。今日は何にもない日。

タオル

2006-03-28 00:00:00 | Weblog
2006/3/28 (Tue) タオル

 今日の職場は新年度の嘱託職員に応募する受験生が大勢こられていた。そのなかには我々のキャリコン仲間も数人おられて緊張した顔つきで面接の出番を待っておられた。かつて知った愛ワークのチーフカウンセラーのO嬢も面接をする側でこれまた疲れた顔でソファに座っておる。
 自分の仕事の島には7人いてそのうちお二人が東京と高知へ転出する,またお一人は辞職することになっているので残った4人が何か島としての送別会をやろうと提案した。しかし時間が取れないために,じゃ地元特産の品物を贈ろうということになった。何がこの地の特長といえるか,相談した結果今治特産タオルが愛媛を代表するであろうとなった。タオルをお別れに贈ろうと思っておる。


こぶしともくれん

2006-03-27 00:00:00 | Weblog
2006/3/27 (Mon) こぶしともくれん

 いたるところの庭に今が盛りと咲く花の中にこぶしやもくれんを見つけることが多くなった。なんだか優雅に咲いておるように見える。我が家にはそれらの木はないけれど冬にすっかり葉が落ちて細い枝ばかりの夏ツバキやエゴの木には,また山ぼうしの枝には小さな緑色した葉芽をたくさん見つけることが出来るようになった。毎年繰り返し巻き返し葉っぱが落ちてまた新芽が出てくるのを見ると,そして新芽が生れるごとに去年より成長している植物を眺めると全てのものはまだまだ捨てたものではないと思う。さらに新芽とともにあたらしい子株を見つけたりするとなんだか生命の伝承とも受け取れる。
 年度末につき人の動きがあわただしく映る。転勤する人は赴任地での打合せがあるとかで出払っておる。


閉篭る

2006-03-26 00:00:00 | Weblog
2006/3/26 (Sun) 閉篭る

 どこへも行かず家を出たのは50m以内の範囲内での二日間,家の中に閉じこもって過した。鋭気を養う日になったかどうかは疑わしいがこんなにゆっくりしたのは久しぶりの感じがする。TVにかじりついて高校野球や大相撲千秋楽を見るでもなくひたすら読書三昧の二日間になった。新しい知識を得るよりむしろ新しい考え方を得ることの大切さを学ぶ。
 下の子供が広島県でサッカーの遠征試合をしている。同市内に住む上の子供から試合会場はどこだと聞いてきたので現地に同行しているIさんにケータイで聞くと住まいの近くのグランドらしい。昨日勝ってきょうは決勝リーグだと言ってきた。


植える

2006-03-25 00:00:00 | Weblog
2006/3/25 (Sat) 植える

 気持ちの良い最高のお天気。叔父から、はまゆうの株分けを頂いた。まぎらわしいけれどハマナスの横にハマユウを植える。これで紅白の花が咲くだろうと思う。Sさんから電話あり。先日Sさん宅の庭木をたくさん剪定した際に出た枝を川端で燃やそうとなった。少し風は吹いているものの空気が乾いているので用心しながら水辺で燃やした。トロトロと燃える火をただぼんやりと何も考えずに見る。
 朝早く4番目の子供は広島県でサッカーの試合があるとかで5時半過ぎに出かけた。小学生のときはニコニコしながら遠征試合に行ってたものの中2の今日は何か面倒くさそうに家を出ていた。
 この2~3週間肩と腰が痛くてたまらない。ハリを打っているがまったく効いていないようだ。頭もジンジンしている。


二―ト・フリーター問題を考える会

2006-03-24 00:00:00 | Weblog
2006/3/24 (Fri) ニート・フリーター問題を考える会

 愛媛県労使就職支援機構主催の「ニート・フリーター問題を考えるフォーラム」に出席する。定刻の午後1時に入るとすでに予想に反して満員であった。少し驚いた。この問題の重要なことは、私たちが勘違いをしてはならないこととしてニート・フリーターとよばれる人たちは、本人の問題、例えば正社員としては働くことが嫌だ、時間に縛られるのが嫌だというような個人的な問題によって生み出されたものではなく 会社側企業側のつまり強者側の論理によって都合よく生み出されたものであることが多いという点に注意を払う必要がある。企業として生き残るためには人件費コストを下げていく。それには1番弱い社会的若者にターゲットをあてる、しわ寄せを集めやすいという点、合理的に誰から見ても納得が得られやすいように「今ごろの若い人は…」と大昔から何代にも渡って云われ続けてきた若者をスケープゴートにしていることに注意をしなければならないと思う。ニートやフリーターの人が問題ではなくそれを生み出そうしている社会、公器としての企業の問題であると思っている。無論心に病を背負っている人や(近頃増えているとデータに出ているもののなぜ増えるのかというと決定的な病気を除いて単に病院が増えたから、診察するドクターがとりあえず来院する患者に病名を付けなければならないために、ということも考えられる。こんなの2~3年大自然のなかでウロウロ遊ばせておくと改良することも幾分かあろうと思うがどうだろう…)夢をもめている人も確かにいようが、夢を追わねば生きるに値しないとしてきた社会、教育にこそ問題があるのではないか。夢は現実化するということももちろんある。しかし夢は所詮夢、やりたい仕事を彼岸側において我慢辛抱しながら此岸側のやるべき仕事を成就する。その過程で喜びを見つけることが出来る。その道が正道ではないかと思う。
 小杉礼子さんのデータに基づく味気ない話やトークセッションでは進行役のジョブカフェのコーディネーターが、壇上に並んでいる4人の話を引き出すよりも自分の話に多くの時間を割いている姿を見るにつけ怒りが込みあがってきた。しかし出席してよかったのは愛媛県経営者協会会長の関啓三さんに30数年ぶりにお会いし昔話が出来たこと。 


花咲く

2006-03-23 00:00:00 | Weblog
2006/3/23 (Fri) 花咲く

 穏やかな春の陽射しあり。出勤途中また,帰宅途中に見える家々の庭にはいろんな木に花が咲いている。なにかフッと安らぎを覚える瞬間あり。まもなく桜の花も満開になる。私が見た桜の花で感動したのは,島根の三刀屋町と木次町の境の川の土手に咲き繋がる桜・鳥取久松公園の桜・倉吉打吹公園の桜・岡山津山の鶴山公園の桜・熊本南阿蘇の一心行の桜など見ていずれも酔いしれた経験を思い出す。しかしなんと言っても覚えている最大の桜は自分が中高生の頃,我家の自分の机の脇にあるガラス窓に桜の木が覆いかさぶり満開の花で机上が曇っていた風景である。いつも一人ポツネンと椅子に座って壊れかけの古い窓のすぐ向こう側にある鮮やかな満開の花を独り占めするように眺めていた。


送別会

2006-03-22 00:00:00 | Weblog
2006/3/22 (Wed) 送別会

 出掛けには今にも雨が落ちてきそうな気配,でも今日は傘を持参せずに出勤する。たぶんそのうち雨はあがるだろうと楽観的観測。夕方は全日空ホテルにおいて職場の送別会がある。71人の職員に対し15人が辞職・定年退職・異動となり壇上に上がり花束を受けておられた。そのうち半分の人は辞職するようだ。これからの人生を考えて自分の進み行く道を方向転換するのであろうか。今まで穏やかに私と接していただいた彼らも心の中はいつも不安にさいなまれ時に爆発させ模索していたと聞くにつけ生きていくのは難行苦行だとつくづく思った。笑顔をいつも送ってくれた若い指導者の方,いつも心配そうに声をかけていただいた同僚に感謝。