年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

風邪?

2011-11-30 00:00:00 | Weblog
 昼過ぎからクシャミが出始めるとともに身体がゾクゾクし始めた。もしかしたら風邪を引いたのかもしれない。喉も渇いている。こりゃやばいゾ。月末月初は休むわけにはいかない。やることがワンサカとある。今日の月末締めの準備をゾクゾク身体のままやっていると、突然今から相談したいことがあるので、20分後にそちらに向かうが、よろしいか、と電話が入った。電話の声はケンケイホンブ、ボウリョクダンタイサクシツノダレダレです・・・と聞こえきた。またまた面倒臭い相談になるなぁ・・とばかり、面倒臭い相談事は職員に任せようと、電話を回すも、結局ボウリョクダンと聞くと皆さん尻込みしてしまう。しかたなく断る理由もなく、んじゃ私の所にどうぞ、と案内することになった。やがてケンケイの担当者がやってきて、相談に入った。私にはいかなる人であろうと就労支援を断る理由がない限りは、引き受けることにしている。どのように支援をスベキか、ない頭をまたまた使わざるを得ないと思う。

 夕方帰宅中に、咳が止まらない。帰ってすぐ寝ることにした。風邪を引くといつもやっているうがい、しかも鼻からのうがいを数回繰り返し、葛根湯を飲んで7時半に布団に入る。

夢ってか

2011-11-29 21:10:22 | Weblog
 夢を持つことの大切さを多くの人からいつもいつも聞かされている。本を開いても夢を持ちなさい、と書かれているし、テレビを見ていても若い人に向けてのメッセージになると、夢を持ちなさいと話し掛けている。しかし、夢を持って前を向いて突き進みなさいなどと話されると、自分は突然に天邪鬼になって、なぜか、またかよ・・の感想が湧いてくる。例えば壇上で喋る講演者が、聴衆者に向かい、あんた達夢を持っているか、などと話し掛けてくると、私はすぐさま、そんなことを話し掛けられるより、むしろそちらの夢を楽しく聞きたい・・・と思う。あなたの夢の中身を具体的に聞きたい、と思うからである。あんたの夢の中身はいったいなんなのか、などと。
 で、今日の昼休みの同僚から聞いた夢は、やはり年末ジャンボであった。中ったら何しようか、と他愛もない話。毎回3万円投資をする人、1万円の人、3千円投資の人など皆さんそれぞれ毎年購入しているようだ。今まであたった最高金額は10万円の人いれば、300円でも必ず取りに行くとか、行かないとかそのような話になった。話を聞いていると夢の行き着くところは物のようであった。私としては、日本の将来の夢のような内容のほうが夢らしく見えてくるけれど・・・ 夢と希望と欲望と願望とがゴチャゴチャになっているように私には見える。
 夢を持つことをすすめられるより、それよりあなたのワクワクするような夢の中身を伝えて欲しい。
                  
 私が好きな夢は、あのキング牧師の演説。


I say to you today, my friends so even though we face the difficulties
  友よ、私は今日皆さんに 申し上げたい。 今日も 明日も いろいろな 困難や挫折に
of today and tomorrow, I still have a dream. It is a dream deeply rooted
 直面しているが それでもなお 私には夢がある。 それは アメリカの夢に深く

in the American dream. I have a dream that one day this nation will rise
根ざした夢なのである。 私には夢がある。 いつの日か この国が 立ち上がり、わが国の

up and live out the true meaning of it's creed, "We hold these truths to
 信条の次の言葉の真の意味を貫くようになるだろう。  『私たちはこれらの真理を自明の

be self-evident, that all men are created equal". I have a dream that one
ことと考える。すなわち、全ての人間は平等に造られている』。私には夢がある。いつの日か

day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons
ジョージア州の赤土の丘の上で、 かつての奴隷の子孫たちと かつての

of former slaveowners will be able to sit down together at table of the
奴隷主の子孫たちとが、 共に兄弟愛のテーブルに着くことができるようになるだろう。

brotherhood. I have a dream that one day even the State of Mississippi,
私には夢がある。 いつの日か このミシシッピ州も、 このような不正義の

a state sweltering with the heat of injustice, sweltering with the heat
暑さにうだっており、 このような抑圧の暑さにうだっている この地域でさえも

of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice.
いつの日か 自由と正義のオアシスに変えられることであろう。

I have a dream that my four little children will one day live in a nation
私には夢がある。いつの日か私の幼い四人の子どもたちが、彼らの肌の色によって評価される

where they will not judged by the color of there skin but the content of
のではなく 彼らの人格の深さによって 評価される国に住めるようになることであろう。

their character. I have a dream today! I have a dream that one day down
私には今日、夢がある。私には夢がある。いつの日かこのアラバマでも、

in Alabama with vicious racists, with its Governor having his lips dripping
目下のところ悪意に満ちた民族主義者に牛耳られており、連邦の決定に対して 知事の口から

with the word of interposition and nullification.One day right there in
「干渉」とか「取消し」という言葉しか出てこない このアラバマ州においても、

Alabama, little black boys and black girls will be able to join hands with
いつの日か幼い黒人の少年たち・少女たちが、幼い白人の少年たち・少女たちと手をつなぎ、

little white boys and white girls as sisters and brothers. I have a dream
兄弟姉妹として歩けるようになることであろう。     今日、私には夢がある。

today! I have a dream that one day "every valley shall be exalted, every
    私には夢がある。 いつの日か 谷はすべて身を起こし、

hills and mountains shall be made low, the rough places will be made plain,
山と丘は身を低くせよ。 険しい道は平らに、

and the crooked places will be made straight, and the glory of the Lord
狭い道は広い谷となれ。    主の栄光がこうして現れるのを、

shall be revealed, and all flesh shall see it together."
肉なる者は共に見る。(イザヤ書40:4-5)

This is our hope. This is the faith that I go back to the South with.
これが私たちの希望なのである。 こういう信仰を持って、私は南部に帰る。

With this faith that we will be able to hew out of the mountain of despair
こういう信仰があれば、 私たちは絶望の山から 希望の石を切り出すことが出来る。

a stone of hope. With this faith we will be able to transform the jangling
こういう信仰があれば、私たちはこの国の 騒々しい不協和音を、

discords of our nation into a beautiful symphony of brotherhood. With this
兄弟愛の美しいシンフォニーに 変えることが出来る。 こういう

faith we will be able to work together, to pray together, to struggle
信仰があれば、 私たちは共に働くことができる。共に祈ることができる。 共に闘う

together, to go to jail together, to stand up for freedom together, knowing
ことができる。共に監獄へ行くことができる。共に自由のために立ち上がることができる。

that we will be free one day!
いつかは自由になると信じることができるのだ。

This will be the day... This will be the day when all of God's children
その日こそ、 神のすべての子どもたちが、あの歌を新しい意味を込めて歌う

will be able to sing with new meaning, "My country, 'tis of thee, Sweet
ことができる日となるであろう。 わが国、それは汝のもの、麗しき

land of liberty, Of thee I sing: Land where my fathers died, Land of the
自由の国。 われは汝を讃える。 わが父祖たちの死せる国、 巡礼父祖の

pilgrims' pride, From every mountainside, Let freedom ring." And if America
誇れる国、 すべての山腹から自由の鐘を鳴り響かせよもしアメリカが偉大な国に

is to be a great nation, this must become true.
なるべきなのであれば、このことが実現しなければならない。


So let freedom ring from the prodigious hilltops of New Hampshire. Let
だから、自由の鐘を鳴らそう ニュー・ハンプシャーの大きな丘の上から。

freedom ring from the mighty mountains of New York. Let freedom ring from
自由の鐘を鳴らそう、ニューヨークのそびえ立つ山々から。 自由の鐘を鳴らそう!

the heightening Alleghenies of Pennsylvania! Let freedom ring from the
ペンシルヴァニアのひときわ高いアレゲニー山脈から! 自由の鐘を鳴らそう!

snow-capped Rockies of Colorado! Let freedom ring from the curvaceous
コロラドの雪を頂くロッキー山脈から! 自由の鐘を鳴らそう!カリフォルニアの曲がりくね

slopes of California! Not only that. Let freedom ring from Stone Mountain
った坂道から!それだけではない。自由の鐘を鳴らそう!ジョージアのストーン・マウンテン

of Georgia! Let freedom ring from Lookout Mountain of Tennessee! Let freedom
から!自由の鐘を鳴らそう!テネシーのルックアウトマウンテンから!自由の鐘を鳴らそう!

ring from every hills and molehills of Mississippi, and from every
自由の鐘を鳴らそう!ミシシッピのすべての丘やモグラ塚からも! 山腹のいたるところで

mountainside! Let freedom ring and when this happens. When we allow freedom
自由の鐘を鳴らそうではないか! 私たちが自由の鐘を鳴らせば、

to ring, when we let it ring from every village and every hamlet, from
その時にはすべての村という村で、すべての集落という集落で、 すべての

every state and every city, we will able to speed up that day when all
州という州、街という街において、 神の子どもたちとなったすべての者らが、

of God's children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants
黒人も白人も、 ユダヤ人も異邦人も、 プロテスタントも

and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the
カトリックも、 すべての者らが手に手を取って、あの古い黒人霊歌を口ずさむようになること

old Negro spiritual, "Free at last! Free at last! Thank God Almighty, we
であろう。 「自由だ!自由だ! 全能の神に感謝すべきかな。 私たちは

are free at last!"
ついに自由になった!

(1963.8.28.『ワシントン大行進』の際のスピーチ)



もうすぐ12月

2011-11-28 00:00:00 | Weblog
 
 11月のこの時期は、いつも求職者の群れがまばらになってきてあわただしい雰囲気から遠ざかる。求職者が雇用保険の手続きに来られるのもポツンポツンの状態で、私達も自分の抱える本来の仕事に埋没することができる。私もこのときとばかり、今までなし得なかった溜まっている用事を片付けることにした。しかし、別室でPCを使っていると、すぐさま受付嬢が私を呼びに来た。あんた指名の人が訊ねて来たがどうするか・・・相談を受けるか・・・と聞いてきた。私には断る理由がないので私の席で待っていただくようにお願いする。
 私の席で待っていられた方は、50歳の半ばくらいか、話を聞くと、自分の希望する仕事がない、どうすればよいのか、履歴書を何度送っても突き返されるばかりで面接まで進むことが出来ない・・どうすればいいのか・・・と私に話し掛けてきた。
 自分の今まで蓄えた職業能力と事業所からの今とこれから求められる仕事能力を考えてもらう時間を持つことにした。求人市場の理解より、いつものことながら自分の希望や欲望を優先するのみで、例えば今の生活水準を確保するのに最低○○万円が必要だという話になってくる。このパターンになると今まで何度もやってくる求職者を思い出す。賃金のみで動いて、やがてその仕事のおもしろさがわかる前に退職し、またまた別のところに転職し、解雇されそしてまたまた・・・の繰り返し。共通しているのは、家族を守りたい気持ちが伝わることは美しいとして、その家族の未来がなんだかぼやけてくる感じを受けることが共通している。家族を守るために主人の最大のなすべきことは、最低○○万円なのか、たったそれだけなのか、それ以外には考えられないのか・・・などと思う。

職業訓練

2011-11-27 00:00:00 | Weblog
 山仲間のIさんはN高等技術専門校の校長さんである。そのIさんのN専門校と同じように今治市に県立今治高技専がある。今日はその今治高技専でバザーがあり、一緒に行くことになった。Iさんところでは既にバザーが終わったらしく、校長同士のお付き合い関係もあり、一緒に同行させてもらうことになった。

 訓練校内は既に多くの市民が来ていて、訓練生が作ったもの、例えば地元特産であるタオル生産に関しては繊維科の訓練生が、また機械などの溶接コースの訓練生は、焼肉鉄板や炭焼き用のコンロなど作り展示していて、驚くほどの低価格で販売しており、ほとんどの製作品に売約済みの紙が貼られていた。食べ物のテントにはたくさんの家族連れが座り込んでうどん・焼きそば・フライドポテト・鶏のから揚げなど食べている光景がある。講堂内は地元の楽団が音楽を演奏していたり、なかなかの賑わいを見せてくれている。Iさんも、コレはうちより来客が多いですね・・・などと話していた。

 訓練生は、今失業中の人たちである。これらの職業訓練を経て新しい職場に向かうことになる。求職者の希望に沿い様々なコースで半年、1年学んだ後就職につくことになる。良い就職をしていただきたいと切に思う。
 昼前に高技専を出て次なるところは、大三島へ渡りF君ちでのミカンを採りである。手伝う約束をしていた。
既に昨日から応援隊が3人ほど来られていて慣れた手つきで次々とたわわになっているミカンの木を丸裸にしていた。負けじとIさんと私も加わってミカン採りをする。種類は20号だといった。手ヤスミにミカンの皮をむいで口に入れると甘いジュースが口の中に広がった。今日は一日中風のない穏やかな日よりである。気持ちの良い空気に触れた1日。

ヤスミが休みでなく

2011-11-26 00:00:00 | Weblog
 当面しなければならないことに、畑に植えっぱなしにしているベニアズマのサツマイモを掘らなければならないことがある。そしてその後に何か植えなければならない、例えば晩生の玉葱とかエンドウ豆類など植えたいと思っている。しかし、その時間がなかなか取れない。今朝、その仕事をやろうと思い、朝早く外が真っ暗の5時に目が覚めたのを幸いに畑に出る時、妻が大量の書類を処分して欲しいと先週云われていたのを思い出した。大量の書類をシュレッダーにかける手間を省くより焼却して欲しいと車に積み込んで自宅に持って帰った書類である。とりあえずそれから取り掛かることにする。畑の横の川原で燃やすことにした。しかし、ファイルに入った紙を数枚ずつ取り出しながらの作業に尽きいっぺんにバサッと燃やすわけにはいかない。だから時間がかかる。5時半から燃やし始めて、持ち帰った書類の半分を燃やし終わったところで時計を見ると、すっかり明るくなり陽が昇った8時半も過ぎていた。まだまだ半分しか焼却していない、こまったこまったなどと思いながらも今日は10時に「こころ塾」に行かなければならない約束をしている。書類を焼却するのを途中で止めて、行くことにする。今朝、10時に塾長と事務局長と1月から請け負った仕事、未就職者のキャリア支援の中のメンタル支援について我々の仲間のSさんに来ていただいて打合せをすることになっておる。それで10時半から始まる「誰ステ」まで4人で打合せをすることになった。それが終わると今度は、すぐさま母親を連れて病院へ行かねばならない・・・時間がないジカンが・・・

ECC忘年会

2011-11-25 00:00:00 | Weblog
 今夜の集まりは、キャリコン仲間の忘年会である。JALシティホテルに集まったのは12人の男女。取あえずの乾杯をしたあとは、飲めや歌えではなく、食えよ飲めよ喋れよの類いである。キャリコンとはいえ傾聴する前に、皆さんよく喋る人が多い。中でも私が一番よく喋っていたのかもしれない。次月傾聴の学習会をすることになっているものの、主催者の人の話を聞くと、傾聴をしてもらう相手を見つけて、自分の話を聞かす・・・などにも見えてきて、アレレの感じがしてくる。
 今年はできる限り忘年会は欠席したいと考えている。昨年は1週間に2回のペースでやって、体がきつかったことを覚えているからである。今年はせめて回数を半分にして不義理になるものと、楽しいものと、良い話が聞けるものだけに絞って忘年会に出るつもりである。

NPO法人被害者こころの支援センターえひめ

2011-11-23 22:29:24 | Weblog
 なんだか私はいろんなところに顔を突っ込んでいて、それらの矛盾を、これから先、止揚出来なくなってくるのではないか・・・などと思う。例えば加害者側の支援を就職支援という形でやる一方で、反対側では同時にその被害者側をもメンタル面から支援する・・・性的犯罪者の就職支援をしたそのあとで、今度はその被害者の話を聞くというような・・・
 T事務局長さんから、今日の講演会に手伝いに来て欲しいと言われたのが先月である。今日行われる支援センターの講演会は、実名でレイプされたことを自ら公表した小林美佳さんに来松頂き「性犯罪被害にあうということ」と題しての会を開いた。11月25日~12月1日の間が犯罪被害者週間となっていて、そのメインイベントである。交通事故により子供を亡くされたご家族、殺人により子供を亡くされたご家族の方々など、ある日突然に被害に遭った人たちへの経済的な支援は既にあり、それ以外の心的な支援をしよう、ケアをしていこうと警察側と連携を取りながら、例えば裁判所に付き添って行くなどの支援をしている。
 小林さんから、犯罪に遭うことでの被害は、加害者からだけでなく、警察からも、また家族からも精神的ダメージを受けたことなど幾重にも被害を受けた実体験をお聞きするにつけ、被害者の周りの人たちの被害者への関わり方が、今後自分達が学習をしなければならないことになる、と考えさせられたお話の内容であった。大切なことは被害者の気持ちの「理解」に尽きる、ということ。小林さんの著書は朝日新聞から出版されている。「性犯罪被害にあうということ」「性犯罪被害とたたかうということ」
 怖かっただろう、恐ろしかっただろう、辛かっただろう、悲しかっただろう、悔しかっただろう・・・の感想である。

つながることと孤立すること

2011-11-22 00:00:00 | Weblog
 群れず・慣れず・頼らず、と言ったのは日本画家・堀文子さん。徹底して孤塁を守る、という事ではなく一人の人間とし自立・確立することの信念を伝えてもらっているものと思う。一方で、一人でなく、みんなと繋がっていこう、という潮流もある。TwitterやFacebookなどを利用して多くの不特定多数の人たちとつながる安心さと楽しさを通して連携し群れる、そのような潮流がある。もちろんいろんな意見をお互いが出し合い意見し合うことの重要性もあるのかもしれない。

 3男が、町を活性化するための方策を模索しているようで、ある方とFacebook上で知り合い刺激になった・・などと楽しそうに話してくれた。トーサンもやってみればいいと息子にすすめられたものの、考えてみればこれ以上PCに費やす時間を増やすことに気持ちが逡巡してしまう。所詮PC上でのつながりは、実際に相手と向き合う実物を前にするお付き合いではなくバーチャル化されたものと感じる理由かもしれない。相手の呼吸が見える距離でのお付き合いのほうが大切だと思っている・・・というより本音のところは、たくさんの人と交流を持つことの煩わしさから逃避しているだけかもしれない。
 

恋するフェルメール

2011-11-21 22:19:56 | Weblog
 
 やっぱりええわ、フェルメールは。
 よく比較されるのが、レオナルド・ダ・ビンチの「モナリザの微笑み」

どちらも自分を見つめてくれてはいるが、違うのは目の輝き。「真珠の耳飾の少女」の飾らない眼。有吉玉青著「恋するフェルメール」を楽しく読書中。
 

H君の証を聴く

2011-11-20 22:38:02 | Weblog
 
 青年がこれからの人生を再構築しようと決意している。今日はその証しの立会人に成りうる機会を与えられた。過去を悔い改め、真っさらの人生を明日から刻み歩んでいくH君に贈る晴れがましい言葉など何もない代わりに、私からアドバイスできることがあるとすればそれは、本日説教にあった「自由」についてである。みずから・よしむ、と書いての自由の意味をどう捉えるかによって、選択肢が決まるんだろうと思う。神の御言葉は聖書の中にある。自らの考えや思いは、自分の生まれ育った環境から作ってきたし作られてきた。それでは、みずからよしむのよしむべく対象を何にしようか。自由とはいったい何なんだろうか・・・
決意するときは、静かに行うのが良い。
 久万高原教会の日曜礼拝に出席する。久し振りに弁護士の草薙先生にお会いした。といっても、つい先日テレビでお目にかかっているので久し振りの感じではない。草薙先生は伊方原発反対の訴訟を起こす弁護士グループを結成している。そのテレビニュースが先日報じられたばかり。で、先生と礼拝後は原発の話になった。原告団が最初50人も集まれば御の字だと思っていたのに、加わった人は弁護士を含めて100人を越したことに驚いていられた。原発問題は、福島事故以来感情的に反対する人が多い。しかし上関原発でもあるように原発推進派の町長が当選しているのは、利権が絡んでいるからである。今回の訴訟について原告側として、原発を反対することについては、感情的なやり取りではなく、利権と安全との問題を裁判所で論理的に進めていきたいから訴訟に踏みきった・・・などと話していただき、10年裁判になるからあなたも原告団に入るならば気を長くしないといけないよ・・・などとアドバイスをしていただいた。先生の原発問題もさることながら、私にとっては数年前、草薙先生の奥様が、自らの闘病生活の体験談を教会で話されたことが、強烈に印象に残っている。その「光は闇に勝つ、闇は光に負ける」お話を昨日のように思い出される。