年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

花束

2008-03-31 22:33:39 | Weblog
 年度末につき明日から移動される人が落ち着きなく次々とあいさつ回りに行く姿を今日はたくさん見た。概してニコニコと廻っている人は案外少ないようだ。明日からの職場移動や退職後のことをあれこれ考えての上でニコニコされる人は少ないのだろう。また、夕方には事務所で大きな花束を胸に抱えて挨拶している人も見たし、帰りの電車内では数人の人が花束抱えて乗車している人も見かけた。いろんな思いをもって花束をもっているに違いない。私も5年前に同じようなことをした。ただ、大きな花束を自宅に持って帰るのがちと恥ずかしく大阪伊丹空港からの航空機内で置き場所に困り、客室乗務員の女性に、これ上げるよ、と言ったところ年配の方から記念の花束ですからご家族の方にお持ち帰りください、と優しく言われたことを思い出す。早速着陸空港まで迎えに来てもらった妻にプレゼントしたけれど・・・花はいかなる花であれ自分たちの心とセットになっている。

メンター

2008-03-29 22:53:18 | Weblog
 腰の痛みを持ちながら朝から市公民館報を配る。戸数247戸分。10時に配り終える。10時半には約束のジョブカフェへ。22歳のニートHさんと待ち合わせ。2回目の今日のテーマは、私って何が出来る人?何をしたい人なの?何をする時がやる気が出る人?を私に話してもらうこと、次にキャリアインサイトでの仕事の特定を図る。などなどの作業。50分の計画がいつもの私のだらだら進め方により30分もオーバーしてしまった。若い人を前にしてお話を聞きながら、常に、自分はこの人に何が出来るのだろうかと思う。とえあえず、腹が減った、腰もうずいておるし早く家に帰って横になりたい、
 もう20年以上になる姫りんごの木、この花は清潔に咲きそしてゆっくりひらひら散ってゆく。そしてその後ちいさなかわいい真っ赤なりんごを付けてくれる。

イタタ

2008-03-28 00:00:00 | Weblog
 猛烈に腰が痛い。寝返りを打つことさえ飛び起きるほどの痛みあり。夕方近所の鍼灸院に行き背中にたくさんの針を刺してもらった・ついでに夜中足が引きつることが良くある。と話したとたん、今度は両足にぷすぷすと遠慮なく針の雨が降る。健康状態が良い時なれば多少痛さも感じるのだろうが、本日の自分の肉体的状態はまったく針の傷みはない、気持ちよさもなし。先生は私の背中をチエックしながら背骨の両側の筋肉が右と左が違うなぁ・・・などとおきらくにしゃべてくれた。この鍼灸師の奥様が亡くなられて2年がくる。うつぶせになっている私に向かって、来月の3回忌が終われば妻への思いをひと区切りをつけようと思います、と弱々しく言った。私は、長年連れ添い、よいこともつらかった時も、悪いことも楽しかった頃も常にいっしょにいた奥様への思いを区切ることなどできないでしょう、と顔の見えない相手に向かい強く言い返した。
 針を打ってもまだまだ痛い、こんなの初めての痛さ・・・・・イテ~ヨ
 帰り道の途中市内電車の横書きに書いてありました。「きみのはやさで歩(ゆ)けばいい」

なにが

2008-03-27 21:44:19 | Weblog
 どこにいても、どこに行こうとしてもスクランブル交差点がある。何差路にもなっている気がする。我慢してみる・みない、堪えてみる・みない、吼えてみる・みない、じっと耐え忍ぶ・ない、買いたい欲求・欲しい欲しい欲・・・自分の本当のところはどこにあるのか、我慢する自分がほんまの自分か、それとも自分の主張を通すことが自分なのか、はたまた自分のどこが自分なのか、いったい自分と他人の差はどこにあるのか、などなど。追い込まれた自分が自分であるために何が最も自分らしいのか、などなど。自分の最も自分らしいのは、屹立した瞬間にスパッと身を引く鮮やかさ、欲望からサッと逃げる勇気などなど。
 結局お墓参りには掃除に行ったのみ。前にはじめて明日香の石舞台を見た時の写真。

桜の定点観測

2008-03-25 00:00:00 | Weblog
 何かをする時に大切にしたいことは、どのような結果に落ち着いたかということでは決してない。例えば下の子供がテストの結果を報告するにおいても、成績の順番がどうであったかの数字のことではない。どのような気持ちで試験に臨んだのか、そしてどのような気持ちで結果を私に報告したのかということを大事にしたいと思う。例えば上の子供が病院にて患者さんと毎日顔を会わせるにおいて、病気がどのように治癒されたかなどの医学的プロセスよりも、どのような気持ちで一人一人の患者さんに向き合っているか、の方を大切にしたいと思う。例えば北の大地にて地下の水分移動を研究している二番目の子供にとって、研究論文が高い報酬として評価されるよりも、金銭の大小よりも、どのような気持ちで研究職の日々と向き合っているか、の方を大切にしたいと思う。また、来月に初めて社会人としてスタートする3番目の子供にとって大切にしたいことは、普通に出世する自分を夢見ることではなく、どのような気持ちで仕事に臨むのか・・・しかし、いずれも正解はなさそう。自分で考えることが自分だけの答え。
 毎年満開に咲く桜を、今年はどのような気持ちで眺めることが出来ようか。満開の桜を見て、きれいだと心から酔いしれたのは自分にとって何回あっただろうか。いつも見事な桜花群が強烈に覆い被さって自分を射る感じ。満開の桜花に自分が見られている感じ。どうだ、どんなもんだい、ところでおまえさんはどうだ、といわんばかりに桜が自分を見下ろしている。心に十分な余裕がある年には、ス~と入ってくるが今年はどうだろう。今年の満開に咲く桜を今年はどのような気持ちでながめるのだろうか。見事な満開の桜に自分は拮抗しうるか、迫力のある満開の桜は自分の心を遠慮なく押し測ってくれる。

輪廻転生

2008-03-23 00:00:00 | Weblog
 8時40分に南港着、難波を経由して近鉄奈良線にて西大寺へ行く。早速お寺で一周忌の法要が始まる。近頃、どこの儀式に出席してもお坊さんの仏式スタイルが変わったと思う、先日のお通夜でのお坊さんも今日の奈良・西の京でのお坊さんのスタイルもまず参加者みんなに仏典?の冊子を配り意味合いを教え、お坊さんと一緒に読経を唱えましょうと呼びかけられて出席者参加型のスタイルになった。キリスト教会では従来からあるスタイルだと思うが・・・在りし日の叔父を思い起こしながら法事も無事終わる。とりあえず出席者14人が西の京駅前薬師寺門前の店で食事をしながら、私はしゃべる、しゃべる。結局私が一番癒された法要であったのかもしれない。
 従兄弟がぼやくことしきりである。自身が道路の信号機の制御装置の会社をしており中国での生産に頭をかしげている。ラインごと現地従業員に独立されて同じ製品を海外に売られている・・・餃子事件などは氷山の一角に過ぎない、大手の会社も中国政府にプレッシャーかけない程度に徐々にシフトを中国からベトナムに移している、と話しておった。従兄弟のK君も早々にベトナムに行かねばならないなどとうんざりして話していた。パイロットの道から経営者に転じた彼も疲れている様子。また、入社面接では先日、関関同立よりも偏差値の高い国立大の学生がπを計算するのに3.14ではなく3で計算している試験を目の当たりにして、日本の数学レベルの低さにどうしようもない苛立ちを法事の席上でぶちまけておった。
 帰途は京都に出て5年振りにのぞみに乗車する。汚れた車両が前のこだまの汚さを思い出した。のぞみも年月が経ち老朽化している、反面岡山駅がきれいになっていたので、ウロウロしていると目当てにしていたみよしのの弁当を買う時間もなかったのが残念。新しいものは年月が老朽化させ旧くなり、また新しいものが生まれゆく。

ダイヤモンドフェリー船室にて

2008-03-22 00:00:00 | Weblog
 葬儀出席のために奈良・吉野からきた義母と入れ替わりに私は、叔父の一周忌法要のために奈良へ行く。5年振りになるダイヤモンドフェリー乗船は土曜日のためか満室。指定された2段ベッドの下側に陣取ると、アレ~懐かしいよこのベッド、5年前毎週金曜日に乗船してた時のベッドであった。前職を辞めて大阪天神橋筋にあるK大天六校舎において数ヶ月間毎週メンタルケアの講習を受けに行っていた当時を思い出した。前職において、ひと月に3~400枚の名刺を消化しながら初めて会う中小企業の経営者からさまざまな苦労話をお聞きしていた際に、結局、人は話を聴く側に立つ方がしゃべる側よりきついけれど、聴くことによりしゃべる側の方の人の気持ちがどんどん整理されてすっきりしていられた状態を見るにつけ、更にこのことについて学ぼうと思い受講した。講師には小此木啓吾さんや養老猛司さん、テレビ金八先生において上戸綾が演じた性同一障害問題の実例を脚本家小山内美江さんに提供した大島先生などがいたりした。内容は、精神科医と患者の間に立ち傾聴することにより医師への受診前に癒される人が多くなる、というものであった。いかに今まで自分が自分のことだけを他人に伝えることだけで人様の気持ちに共鳴・共感できていなかったかを思い知らされた・・・いまでも変わらないけど。

ヒガン桜

2008-03-21 00:00:00 | Weblog
 お彼岸の日に向けて毎年忘れずにきっちりと咲いてくれるこの花は、律儀な花である。彼岸桜よりも悲願桜と表したい木の名前である。今朝電車を待つホームで近所のKさんの奥さんが娘さんと連れ立って私に近づき、晴れやかに、今日は高校入学の説明会に行きます、とニコニコしながら話しかけてきた。難しいH高校に合格したのである。うれしさを隠し切れない様子である。ふと思う。人は良い報告においては進んで話したがるが、一方悪い報告は自分の胸にしまいこむ習性についてはどのように考えればよいか、である。ひとそれぞれと思うが・・・悪い結果を、自分にとって嫌な結果を思いの丈誰かに話すことにより本人に次の希望が見出せる、そちらの方が健全ではないかと考えて、うちの子供達には悪い報告から私に知らすように言い聞かせていた。いいことあれば顔の表情で推測できるが、わるいことあれば、早く吐き出させないと、と考えて。でも聞かされるほうは、心の休まる時がない。良い報告に先んじて悪い報告から出来るようになれば自分達は進歩が出来る。そう思う。
 夕方ワイワイ会あり。日ごろマナー教育や企業の啓発的教育をやっている講師、カウンセラー仲間など14~5人が月1回集まりストレスを発散すべく飲めや歌えやの宴あり。夜遅く帰宅すれば奈良から義母が来て好物の柿の葉すしをお土産に私を待ってくれていた。

スイーツ

2008-03-20 23:07:49 | Weblog
 どうして休みの日になるとバタバタと用事があるのだろうか?朝一番には親戚の人からお通夜の時間を知らせてきた。その直後今度は奈良の従兄弟から法事の日時を知らせてきた。自分の年齢からして訃報関係の知らせが多いことは当然であるが・・・
 午後はキャリアコンサルタント研究会の年度末の理事会あり。9人の理事者が集まり今年の反省やら来年度の計画やら人事のことなどが話し合われた。この手の会においていつも思うことは、司会者がしっかりと会を回さないと時間ばかりが経過するということ。特に経験豊富な人や高齢者が話題を広げる傾向があり、彼らの独壇場的自慢話に流れ込むことが多くなりがちである。お年よりはいったんしゃべりだすと止まらない。でも自分のことかも知れぬ。その後はスウィーツに向かう。今日はこれが一番。