月曜日になるといつも見るTV番組にNHK「家族に乾杯」がある。
今夜見ているとゲストが訪問した先が主人が焼物をやっているお宅で、主人が焼いた急須をゲストに持って帰っていいよ・・・と云うくだりがあった。それで自分も急須のことを思い出した次第。
自分が中学1年頃だったと思う。家族5人がバラバラで長男の自分がみててもおかしいと感じる時だったと思う。仲の良くない父と母の夫婦喧嘩の原因は父親の不倫騒動のこと。毎夜喧嘩する大きな罵声、茶碗の割れる音に布団の中でエビのように背を丸めて聞き耳を立てる日々が続いた。このことを妹に話しても当時小学校低学年であった妹には記憶がないらしい。また亡くなった弟もそのことは全く覚えがないと云ってた。しかし多感な年頃の自分には恐怖の出来事であった。そこで何とかして家族仲良くしたいと長男の自分は考えた。当時キャンプにハマっていた自分は、開発される前の奥道後渓流で飯盒炊爨、バーベキュ―を計画し5人でやったりしてなんとか仲良く5人の空気を作ろうと考えた。この家族に決定的に欠けているのは何か?、そうだ会話だ
と・・。そのためには円いちゃぶ台でいがみ合うことなくお茶を飲みながら他愛のない話ができる環境を作ろうではないか・・と。で、机の引き出しに貯めていた貯金箱の中を全部出して、陶器屋さんに行き一番大きく一番安い急須を買った記憶がある。なぜ?キュウス?
これで家族同士の話が弾み何杯もみんながお茶を飲めるようにと・・・なんだかいま思えばアホのようなことだが。家族の輪を求めるのに、まずは会話、それにはお茶が必須、とすれば5人分の大きい急須がいるなどと単純に発達途上にある青年は考えたんだろう。
・・と・・・するとうちの家族はそれほど仲が良い方ではなかったのかなぁ・・。
その後大きい急須はあまり使われなかったように記憶してる。使い勝手が悪い・・などと母親が言ってた。そして、ご飯食べてお茶を各自飲めば弟妹らはすぐに自分の机に座ってたから会話らしい会話はなかったのかもしれない。
ナツツバキ=沙羅双樹の花がたくさんついた。
平家物語の名文がある
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し
猛き人もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ
奢れる家族のほどにはない、かと言って猛き家族ではないものの自分の育った家族のことを想えば
「ただ春の夜の夢の如し」のように時が過ぎ去った感じはしている。
沙羅双樹は日本ではほとんど咲いていないそうだ。これに代っての夏椿だそうだ。
花言葉に「儚い美しさ」などがある。