年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

台風の中で

2012-09-30 17:05:31 | Weblog
 昨夜はご近所さんが集まっての懇親会“いもたき会”をした。その席上で明日は地区公民館周りの清掃があることを聞いた。エッ明朝は台風の盛りの時刻だから当然中止になるはずだ・・などと云っているのも聞いた。だから当然今朝7時から毎年恒例のお祭り前の道路清掃などは中止になるだろうとゆっくりしていた。外は強い雨も降っておるし風もあるからできっこないよ、隣の地区の公民館からは雨につき中止します・・と放送が聞こえてくる。やがてうちの公民館からも放送があった。やっぱり中止になってよかったよ・・と思っていたがあにはからんや放送の内容は、地区の掃除をやるから7時に集合せよ、来ない人からは違約金を没収する・・などと放送がある。エ~ウソやろなどとぶつぶつ文句を言いながら公園に集まると、オ~ッと全員集まっているではないか。通常1時間のところ30分で切り上げ終了。それでも合羽着ていたにもかかわらずビショビショに濡れた。
 地区のお祭りに向けて掃除をすることなどやっぱり昔の農業生活の慣習が抜け切れないなぁ、とため息。田んぼはお米が熟れている。収穫寸前である。この時期になるといつも金木犀の香りがしてくるが、今日は雨だからか香りが伝わってこない。

今日の研修

2012-09-29 00:00:00 | Weblog
 今年NPO法人となったECCAは月に1回のペースでキャリアコンサルタントたちが集まっての研究会をやっている。いろんな場所で活躍されている人がそれぞれ講師となり自分自身の体験や仕事上の事例発表とか疑問点など出し合い相互研修をやっている。で、今日は県内でも最も遠い街から参加された方もいたりして、午後1時から5時までやったのは職業訓練、特に委託訓練の事業所の発表である。国の助成金を使い求職者に対して何らかの職業訓練を行っている。ヘルパー2級資格取得ができるコースや販売実務コースなどの訓練をしている事業主である。聞いていて感じることは、熱意を持ってやっていること、しかも社会奉仕とかよりよい住みやすい社会を作るためになどの高潔な意思を持ってやっていられること。当然儲けなどと云う話ではなく赤字にならなければ何とかやっていける・・という損得をある程度度外視した話である。でも職業訓練の事業で赤字になり会社が存続できないような事態になるのはいかがなものか、いくら厚生労働省の助成金を利用するといったところですべて経費をまかなえるレベルの話ではない。存続出来て初めて社会貢献が可能であることなど各法人が抱える問題は大きい。
  強い台風17号が来ている。フェリーが出航するかどうか危ぶまれたが、4男は夜の小倉行関西汽船に明日福岡である駿台2次模擬試験を受けるために乗船することができた。 なお今夜は近所の人たち10数人が集まって“いもたき会”あり。今日の出席者の中に私より三つ年上の人がいて、出身地を問えば樺太生まれだとか、戦後しばらく経ってから北海道札幌に渡り住んで東京で結婚して、そして旦那さんの故郷があるこの地区に4年前に来ました、と。当時どさくさの中だったから戸籍簿の中で妹はロシア人です、と自己紹介されたご婦人がいた。

今日の講話

2012-09-28 00:00:00 | Weblog
 大学病院でかかりつけのK先生に喉を診てもらうことになっている母親を連れて予約時間に間に合うように10時に送ったあとすぐに今度は病院近くにある刑務所へ出勤する。今年度はここ松山刑務所の就労支援スタッフとして非常勤職員となり、毎週1日受刑者数人の面接をしたり、近く仮釈放される者に対して講話をすることになっているのだ。で、今日は講話の日にもかかわらず、朝からバタバタしていたために何も準備をしていなかった。どうしようか、何の話をしようか、と車の中で考えた。
  お~そうだ、今日の釈前寮にいる人は、出身が関西方面が多いではないか、と。それでは当然ふがいない今年の阪神タイガースの話を頭に持ってこようと考えた。何のことはない、先日引退宣言をしたアニキこと金本選手のインタビューから材料を選んだ。つまり金本選手が今までの選手生活を振り返って、楽しかったことは1割くらいしかなかった、後の9割はその楽しさを作るための辛いことの方が多かった・・・と云う話である。しかし私は毎回皆に言っていることに、自分は皆に道徳的なことをお話する立場にはないこと、生活を支えるための就職支援をすることが今の自分に与えられている仕事であること・・と言い切っている。が、ついついおしゃべり口を持つ自分は余計なことまでしゃべる悪い癖が治らない。だから、数十人を前にして、どうやって仕事にありつけるかより、今後どうやって生きていくのかを考えろや、どうせ私もそうだけどこの世にいられるのは、平均的に男80何歳としてみんな引き算して考えてくれ、その自分の存える命の時間全体の中の一部の職業生活をどうやって生きていくノンか、と云う風に考えてほしい・・などとつまらないことまで言ってしまった。   
                     次はあわててこころ塾へ。今日はB型就労支援を利用している人の作業がある日である。午後の利用者さんを連れて市内の西にあるアイテムへ行く。行ったついでに共同就職支援センターに立ち寄り旧知のIさんTさんKさんなどとまたまたおしゃべりタイムでお仕事の邪魔をしてしまう。


昨日の温泉

2012-09-27 21:50:16 | Weblog
 昨日は母親を連れて「さくら温泉」へ。毎日弟と狭い部屋で暮らしていると、気持ちもふさぎウツ気味だという。20年を超す透析により多くの透析患者にみられる背中が痒くなることで、いつも枕元の呼び鈴で呼ばれ、背中を掻くことが四六時中あることと食事時には箸を使うことが出来なくなった弟に幼児のようにしてスプーンで口元に運ぶことが仕事になっている母親は、気分転換に外の空気を吸いたいという。透析が週3日あり、その日は朝出かけると2時過ぎまでは病院から帰ってこない弟も透析のない日は、一日中ベッドに横になる方が楽だと云っている。そのためにいくら弟を外に連れ出そうにも二人で行っておいでよ、と云うばかり。だから昨日はお昼時に温泉へ行った。午後の温泉はチラホラ老人ばかり。サウナ室で話しかけてきたお客さんは、60を過ぎたくらいの人、その人が、行く所がないから温泉へ来た・・などと話してくれた。年を重ねるってことは身の置き所からして難しい。

ホモ・ルーデンス

2012-09-26 21:01:10 | Weblog
 この本を読んだのはいつ頃だったか、確かこの言葉が昔流行していたことがあった。オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガが遊びとしての人間文化を分析した著書『ホモ・ルーデンス (中公文庫)』(遊びの人)である。ホイジンガは人間の本質はあえて「遊び」にあると主張した。「遊び」とは、決められた時間と空間の中で行われる自発的な行為である。「遊び」には自分で決めた規則がある。さらに「遊び」の目的は、遊ぶという行為それ自体の中にある、とした。
 遊びは日常の利害得失に関係してはいけない。遊びをしていながら、いつのまにか仕事が完成している、などというのはまったくの邪道なのである。従って、本当の「遊び」の中には、緊張と喜びと楽しさが同居するのである。日常感覚から離れた「ウソの世界」が入り込んでもよい。むしろ普通の生活や仕事から乖離すればするほど、本質的な遊びが出現しやすいといってもよいだろう・・(以上どこかから引用)

 というわけで、遊びをせんとや生まれけむ・・(戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声きけば わが身さへこそゆるがるれ)(「梁塵秘抄」後白河法皇撰)などとほざきながら短い秋をどう謳歌しようか・・
 10月に中学校の同級会を神戸で開くことになった。友人のユタカちゃんが、行くからみんなに声をかけておいてくれ、と云ってきたのが8月、それで40人ほど集まって舞子のホテルでやることが決まった。われら団塊の世代の人数は多いが、それでも年々一人二人といなくなる。病死であったり自死であったりする。だから余計に絆をより一層強くしよう、という名目であるが、何のことはない、ただ遊びたいだけ、遊ぶ相手を探しているだけ。そして私にパンフを作ってくれと云ってきた。
 

近頃はやるもの

2012-09-25 00:00:00 | Weblog
 昼間はまだまだ陽射しも暑いが、それでも頬に当たる風は日増しに涼しさを増しているし、朝晩などは寒いくらいになった。だから寝る時などとうとう布団を出して寝るのにちょうどいい。けだし、この2~3ヶ月間暑さによく耐えたと思う。その耐えた方法はじっとすることであり、あまり歩き回らないことなどを注意しながら過ごした。だから涼しくなってくると体を動かしたい気分になってくる。身体を動かす何か、は、やはり山歩きになり、近所の山仲間とどっかに行こうかと相談している。多分渓谷を遡上することになると思う。
 で、今までじっとしていて近頃マイブームとしてはまったものがDVDである。妻は昔から自分の部屋で一人でビデオを見ることが唯一の楽しみであったが、それが自分にもうつったようだ。先日の休みから立て続けにTUTAYAで借りて観たものは、「はやぶさ」「カムイ伝」「陽光へ」「光の方へ」の4本。面白い作品もあったがそうでないものもある。例えば「はやぶさ」は宇宙探査機を擬人化してその頑張りに拍手を送るなど何かしら昔観た漫画のようだけど、同じ漫画として「カムイ伝」は白土三平原作・崔洋平監督だけに重みがある。士農工商に属さない最下層に位置する人々の視点から江戸時代の階級制度・生活・風習・歴史・農民の迫害等を描いた作品。いわば同和対策教本の一つになるんだろうか、唯物史観を学ぶという意味で私の学生時代に流行ったことを思い出す。
 それと読み物として「神去りなぁなぁ日常」三浦しをん・徳間書店を面白く読んでおる。このことを次男に話すと、林業関係に興味があり農を学ぶために大学をわざわざ北の大地を選んだだけあって、さすがにすでに読んでいた様子。
  我が家の柿の木に今年は実を8っつ付けていた。     山の会として11月頃別府峡に行こうとHさんから話があった。山の会もしばらく活動をしていないので、また再開しなければならない。
 明日の休みは、母親が温泉へ連れて行ってほしいと云う。

今日は酢豚の日

2012-09-24 19:34:56 | Weblog
 どうも体に切れがない、と思うようになってどれほど時間がたつのだろうか。休み明けの月曜日など習慣的に仕方なく家から出て職場に向かっている感覚である。しかも介護対象が二人もいたりすると特に月曜日など病院へ行かねばならない時があり、いつ何時どのようなことがあるやもしれないし、たとえば先日のように母親や弟の調子が悪くなると病院へ連れて行ったりすることがあったりして、月曜日に出勤日としているこころ塾の塾長もそこら辺りに気を使ってくれている。そこで少し就労時間を減らすほうがいいのではないか・・などのアドバイスもあり今週から月曜日を休むことにした。だから弟の所に顔を出す時間が少しは増えることになる。そして残りの時間は家のこと、妻のサポートに回ることに時間を使えばいいだろうと考えた。といってもついつい今日などはゴロゴロ日になってしまったが・・・
 しかし晩御飯作りはバッチリ。今夜は酢豚が食べたくなった。冷蔵庫の残り野菜を引っ張り出し、ナスにしいたけに玉ねぎに人参にシメジ、ピーマンは畑に生っている。しかしメインの豚肉がブロックではなくスライス肉である。どうしたものか・・・でも主夫は考えた。スライス豚肉をくるくると巻いて片栗粉をつけて焼くことにした。ウ~ン主夫としてはなかなかやるもんだ・・などと自画自賛。今夜、たぶん子供や妻は主夫の作品をうまいと言わされる宿命になるんだろう。


 今問題のオスプレイの飛行ルートは岩国基地を離陸して後我が家の上空を通過することになっている。怖いもんだ。

コスモスの咲き乱れる時に

2012-09-23 00:00:00 | Weblog
  
 一年の間にいろんな花を見る。その花がいつ頃から地上に咲いていたのかと、ふと思うことがある。起源は知らないが多くの先人たちも四季折々にたくさんの花を眺めては、季節を感じたりもの思いにふけったりしたのだろう。
 読み終えた「忘れられた日本人」宮本常一著・岩波文庫 は、私の生まれる8年前から日本全国を飛び歩いて辺境の地において文化を伝承してきた老人たちが何を思い何を考えて厳しい環境の中の辺境の地で黙々と生きてきたかを聞き語りで教えてくれるものである。山間部においては山の花が、里においては里の花が、海岸部においては海辺に咲く花がその時期時期に咲いている景色を背景に、食べ物をどのように確保するかなど苦しい生活を余儀なくされる中で一生を終えたのであろう。そこらあたりに自分たちの起源があるように思われた。

彼岸花

2012-09-22 00:00:00 | Weblog
  自然はよくしたものだ。自分が忘れていても花が教えてくれる。
 うっかりしていた。自分の頭の中が仏事方面に行ってなかった。お彼岸の日はまだ先だろう・・と思っていたが、ハテ今日の土曜日が旗日となっているので、今日は何の日かと家人に聞けばお彼岸の中日であると答えが返ってきた。アリャリャ・・と思ったのが午後。慌ててお墓に花を供える準備をする。自分ひとりじゃ心細い、妻は仕事だし、妹に連絡すると、じゃ行こうかと云ってくれた。で、二人で行くことにした。でも時間は遅く夕方近くになったが墓地の雑草をとり掃除をして水を上げ花を供えた。
 簡単ではあるが、無事に線香あげて終了。

アレレ

2012-09-21 17:50:01 | Weblog
 先日の火曜日に事務所からちょっと用事で自転車に乗りロープウェイ通りから城山下の角を左に曲がった所向こうからやはり自転車に乗ってこちらに向かってくる青年を見た。あれれ4男に少し似ておるなぁ・・などと思いながらすれ違うと・・ありゃトーさんと呼びかけられた。よく見るとやっぱり4男である。二人とも遠くがハッキリと見えないメガネをしているので、すれ違う時にやっとお互いわかるくらい。で、どうしたのかと聞くと高校の事務所に云って卒業証明書をもらってきた、と云う。近頃家の中で会うことも少なく話し合う時間がほとんどない日常につき、なんだか久し振りの親と子の会話の様子であった。
 今日は私の仕事も3時ころに終わって自宅に帰り昼飯を食って、一段落していると、その4男が珍しく4時ころ帰宅してきた。アレレどうしたのか、と問えば、今日は早く帰る日であり、たまに早く帰って普通の人の生活感覚を味わうことがまた明日からの発奮材料になる・・などと。こんな日は初めてである。