年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

刻石流水

2018-11-30 00:00:00 | Weblog
 こんな果実初めて見た。枝にからまる実が生るのを初めて見た。

 ブラジル原産の果実だと・・ジャボチカバ


 80才もとっくに過ぎたであろう古老と話をする。そして話しかけられた。「かけた情けは、水に流せ。受けた恩は石に刻め。」その云われを仏教から出てくること、そしてアンタはどうなんだとキツイ質問があった。あたかも古老の私に向ける眼は、受けた恩はすぐに忘れ去り、かけた人への情けだけはいつまでも覚えているのと違うか・・・と云うようなまなざしであった。ビクッとした。

 今日で11月終了。明日から平成30年12月という最後の元号月を迎える。


 それでは最後のサムライ月の最終日、ジムで筋トレと水中ウォークをしようと仕事帰りにジムに寄る。アッチャ~~今日は月末で休館日やったワイ。そうなんや、サムライ月は30日しかなかった・・うっかり。

 明日は奈良の義母の3回忌。奥さんの見送りに港まで。すると船舶が大きくなるために乗場が変更してた。

 私は明日は広島へ行く。近頃JRでもなくバスでもなくフェリーの移動が多い。

成長を促す

2018-11-29 00:00:00 | Weblog

 四季の移ろい度ごとに木々を眺めていると、この時期葉っぱが落ちると次の芽が備えられているのを見つけることができる。毎年繰り返し繰り返し芽が膨らみ、そして大きくなり花が咲き実を結ぶ。

 誰かが命令するわけでもなく樹木は自然の移ろいを定期的に守っている。これを当たり前だと自分たちは思い込んでいる。ふしぎ感が一層深まってくる。当たり前だと思う自分の感覚と樹木自身の変化する力のふしぎ感のこと。

 命のことを考えたいのは、その様な時でもある。変化を繰り返しながら樹木は育つ。命を継承しながら樹木は大きくなる。途中での緑の新芽や花を愛でる瞬時は、自分たちに感動を覚え与える。そしてこれらが成長していることが確認できる。

 自分たちの「人」は成長を考える時、どのような姿勢で臨むことが大切なんだろうかと考えてしまう。

 刑務所の門衛さんから「〇〇さん、歩き方が前に比べると、だいぶまともになってますね・・」と朝一の褒め言葉あり。ちょっとばかしハイ気分になって事務机に座り出所者の就労定着のための資料を作る。今、自分に要求されているのは釈放者がすぐに仕事を辞めないための資料作りを要求されている。果たして継続することだけが成長といえるのか、はたまた、自分の成長の標とするキャリアップを図るのに全体構図の中でいかに定着のことや転職のことを考えるべきか・・などと。もちろん、私より一回りも若い矯正施設の役職の方々には転職を反復しながらのキャリアを形成するなどと云うことは悪であると決めていられる。成長とは根付くことであると決めていられる。

お付き合い

2018-11-28 00:00:00 | Weblog

 埼玉にいる長男が「川越ハーフマラソン2018」を走ったそうな。走ることを趣味にしている長男の愛用シューズは、 サンダル。これで来年の愛媛マラソンにも走るらしい。


 今夕は地区公民館の体レク部会がある・・ってことは2日前までは覚えていた。最後のお役目だから出席しなければ。

 で、昼間の用事は、渋々出かけた医療生協小野支部の役員さんが秋の行事ごととして毎年企画している一日日帰り旅行。お付き合いだと、云われるがまま参加することにした。まぁ・・1時間くらいの距離にあるホテルでご飯を食べる行事だから、まぁ行ってこようかと。

 参加者は20数人。顔見知りの人は数人。

 テーブルの端っこに座り込み食べる食べる。

 お腹も満腹、やれやれと4時頃帰宅する。お~そうだ腹ごなしにジムに行こうと・・
 水中歩行と1年振りに10mほど平泳ぎ。痛みがあるものの肩が少しだけ回るようになったではないか・・で気分よく帰った・・・けれど、すっかり忘れてた。スポレク部会があることを。あっちゃ~・・と気が付いたのはコタツに入り込んでホクホクしていたころ。あ~自分も物忘れど忘れが多くなっておる。

キリンの子

2018-11-27 00:00:00 | Weblog

 以前から気になっていた歌集がある。鳥居歌集という。


 やっぱり枕元ように注文した、そして詠んだ。
 圧倒的な息苦しさである活字の並びから、なぜか透明感が浮き上がってくるから不思議。
・入水後に助けてくれた人たちは「寒い」と話す 夜の浜辺で
 ・駅前で眠る老人すぐ横にマクドナルドの温かいごみ
・灰色の空見上げればゆらゆらと死んだ眼に似た十二月の雪
 ・大きく手を振れば大きく振り返す母が見えなくなる曲がり角
・味噌汁の湯気やわらかくどの朝も母はわれより先に起きていて
 ・壊されてから知る 私を抱く母をしずかに家が抱いていたこと
・日曜日パパが絵本を読んでいる子供のとなり我も聴き入る
 ・響くのはひとつの鼓動 乖離する私がわたしのなかに眠らぬ


 ある情報がこちらと向こうの人が共有されることが相手に正しく伝わる、ことがコミュニケーション成立になるんだろう。このことは自分たちのような狭い社会で生活をしているものからすれば、前提として相手もわかってくれてるだろう、常識で分かっているんだろう、あなたと私は同じ・・であることを前提としていることから齟齬や違和感がうまれるんだろうと思っている。そこでコミュニケーションのことで言えば、狭い空間で生活していても、あなたと私は全く違う存在である、ことを理解してないが故のことでコミュニケーション能力不足との評価が生まれるのかもしれない、つまり自分とあなたとは同じようなもの食っても同じような遊びをしても同じような空気を吸っていても、私とあなたとはまったく違うことを理解しているかどうか。その全く違う者同士でやりとりされたうえでお互いに共有されることで情報が相手に正しく伝わった、ということになるんだろう。
で、今の自分たちの能力が低くなっていると思うものに、言葉を口に乗せて表すことばかりのコミュニケーションがある。感情も知覚も考え方も言葉で表現せざるを得ない、でも匂いや覇気、目力など表現するのが難しいこともある。

 鳥居歌集を詠みながら、紡いでいる活字の向こう側を必死に追っていくと凄絶な生き様の中で渇いた喉を潤す清水を飲む思いがする。

 今日は2番亥の子の日。

 夕方、地区の子供会がやってきた。そして子どもたちに大きな声で亥の子の唄を歌って祝ってもらう。鳥居歌集には登場しないような大勢の明るい屈託のない顔で玄関前で唄ってもらった。

 本日は、九州地区から協力雇用事業主さんに来所いただき受刑者の採用面接会を開く。即採用となる。

ビワの花さく

2018-11-26 20:25:57 | Weblog
 「温和」「治癒」「あなたに打ち明ける」「内気」「ひそかな告白」「静かな思い」・・の花言葉を持つのがビワの花。散歩中に見つけた。


 自宅の白い塀にからまるオオイタビ(大崖石榴)。この実は食べられるんですか?とよく聞かれる。でも食べたことはない。


 柘榴の実が割れた。甘酸っぱい味がする。ご近所さんが集まって畑のへりに腰かけてほとんど種が占めるこの実を食べ食べ、ペッペッと口から種を吹き飛ばす。種を飛ばしながら他愛のない話を繰り広げる時間は穏やかな時が流れる。

400本の玉ねぎを植える

2018-11-25 00:00:00 | Weblog
 自分のことより誰かに喜んでもらおうとする行為からは、強い希望が生まれるのかもしれない・・自分にとって。
 先日サツマイモをすべて掘った。まぁまぁの出来栄えではなかったろうか。作業は奥さんで、自分は口先だけの作業参加だから、トーサンは向こうに行っててよ・・などと云われる始末。そして次何植えようか?のことでは当然玉ねぎやろ、ということで400本の苗を買ってきた。そして今朝植えようと・・

 奥さんの今の日常生活の楽しみの一つには、孫たちに食べてもらおうと収穫を楽しみに野菜を植えることもあるみたい。北海道にはジャガイモの美味い産地もあるのになぁ・・九州には美味いサツマイモもあるのになぁ・・などと思うもそれらの産地でできるものと競争しているようで少しおかしくもある。そしてついでに、柿は生らないが花柚子は今年もいっぱい実がついているので、それで柚子ジャムを作っている。また、久万高原へ上がる坂道の銀杏の木の下にいっぱい落ちてた銀杏を送る準備もしておる。

 今日の久万カントリーチャペルは、Iさんの証がある。Iさんは口唇口蓋裂で長年苦しんでいた人である。明瞭な言葉で発音ができないために人との接触を断った経験を待つ。今ではそれが嘘のような快活で明るい人である。Iさんが壇上に立ち訥々と話し始める。
 Iさんは普通に人と話ができることを当たり前だと思ってないか・・と自分たち9人に突き付けてくる。


 長年苦しんだ人の軌跡を聴くと、まだまだ自分はやれるんじゃないかと励まされもする。
ロマ:5章より
患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。
 Iさんは快活にそのように話してくれた。

自然のドラマが一番

2018-11-24 00:00:00 | Weblog
 早朝の景色

 雲一つない

 一日の陽が落ちる夕刻

 雲がない

 紅葉の景色もいいけれど、空の移り変わる景観もすごい


 10日前に自分が指宿にいた時、叔父から慌ただしい声で連絡を受けたのは脳梗塞により救急病院に搬送されたオバのことであった。今日その入院中のオバさんを見舞いに行ったのは、市内西にある済生会病院である。その病院は数年前に夜になると悪くなった時の弟や母親を連れて行ってた病院。今日のオバさんはHCUにいて言葉を発することができない状態。あまり深いお付き合いはないが声をかけて10分で退室する。

予定

2018-11-23 00:00:00 | Weblog
 今日はアレしてコレしてそれから病院お見舞いに行って、帰り道にあそこに寄って…と考えていたものの、結局夕方になり思い返せば、アレしただけのようなことでイヤハヤ。

 3週間ほど前にユタカさんとタカシちゃんの3人でお茶をした時のこと。来年の同級会について話題が出た。幹事長はもちろんユタカさんに決まっておる。そのユタカさんが参加者に渡すお土産のことで平成天皇の国体開会式来松のおり、タカシちゃんの知人で新聞社の報道員が撮った天皇皇后両陛下の写真(タカシちゃんのスマホに知人から送られた穏やかで優しい表情、今まで自分も見たことがないようなお二人の写真であった。)を額縁に入れてお土産にしようとした幹事長の考えに異論をはさんだタカシちゃんに対して別れ際大きな声でユタカさんが、もう俺はやらん・幹事長から手を引く・・と口げんかをした。その場にいなかった自分はあとで知ったことであるが・・。以後タカシちゃんも気が気でない毎日だったんだろう。私にユタカさんに電話したか・・などと私に間に入って取りまとめてくれ・・のことだったんだろうのような話を何度か聞いてきた。
 何事も冷却期間がいる。そう慌てなさんな・・と自分はタカシちゃんに諭すが、喧嘩を仕掛けたタカシちゃんの方が気になるんだろう。

 天気もいいし、じゃ私も3週間ぶりにユタカさんの声を聴こうかと、連絡すると・・アララ、今俺は徳島に来てる・・と云うではないか。早朝に自宅を出て徳島について喫茶店で珈琲を飲んでるところ・・とあっけらかんに話しておる。そして、次に、悪いけどよっちゃんからタカシちゃんに、この前はすまんかった、悪かったと、云ってくれないか、あの時は急に腹が立って大声でタカシちゃんに言うてしもうたワイ・・。
 で即刻タカシちゃんに連絡する。オマエさんの方からユタカさんに電話する方がエエよ・・。お互いもう恨みっこなしよ・・にしようかと。
 やっかいな問題を即刻解決することはむつかしい。特に人と人とのわだかまりは。全て時がいる。

 今日の予定の一番最初のアレは、公園での散歩のこと。いつもの公園のいつものベンチでグランドを眺めるとビブスを着けた中学生の4組が楽しそうにボールを蹴っていた。このアレだけで本日の予定終了。

悩む

2018-11-22 00:00:00 | Weblog
 矯正施設内において自分のような就労スタイルは非正規雇用の上に自由がないようでも結構自由にやらせてもらってると思う。環境は悪くはないだろう。しかし仕事を通して成長をしなさい・・などと自分のことを棚に上げて受刑者に話しかけてる今の自分の姿に現実と乖離している感が強い。自分は果たして仕事を通して成長のことなぞ考えてるんだろうかと・・というようなこと。
  うつ病支援の「こころ塾」もこの一年顔を出すことができなかったし、市人権教育推進協議会にも出席が叶わなかった。東奔西走できる身体的能力がなかった理由に因る。いわば何もかも中途半端なことで失礼な状態が続いている。今年5月に亡くなった母親は、亡くなる寸前まで、私これからどうしたらエエんかね~、と私に話しかけていた。それは息子である自分に相談するようなことより、むしろ母親自分自身の先行きの不安と進路のことでついつい口から出てくる嘆息のように自分は受け止めていた。

 先日電話連絡があったのは、来年から週2~3日で手伝ってくれないか、すでにあなたの名前での仕事として予算をつけたから・・と協力雇用事業主機構のNさんからである。定年がとっくに過ぎている自分にはありがたいことであると思う。でも自分の能力に対する自己評価は高くはない。低い。振り返ればただただ気合だけでゆらゆら揺れる橋を渡っているような感覚。自分は、きっと報酬のことでは就くことの条件にあげてなく、大義だけで自分は仕事を選んできていることを長年のつきあいのあるNさんは知っているからであろうか。手伝って欲しいと云われる仕事の内容は、出所者がせっかく仕事に就いているのに早期離職する現実を継続するための“寄り沿い”のこと。

 自分の人生のこと、就労生活も第4コーナーを過ぎゴールがすぐ目の前に見えてる。足がもつれてゴール前で転ぶかもしれない。どのような走り方をすればゴールラインまで到達でき得ようか、と。順位は問題外、最後尾でOK。人様より前に進むなぞ考えたこともない。ただただ完走することだと。そして母親の嘆息と同じように、これからどうしようか・・と悩む。

改善

2018-11-21 00:00:00 | Weblog

 朝の6時過ぎ、石鎚の向こうの黒いカーテンが上がると今日の幕が開いた。

 2ヶ月に1回糖尿病検診に通院して25年は過ぎる。当初は1ヶ月ごとに数値を管理していたものが、毎月ともなると面倒くさく経費もかかることから2ヶ月ごとにしておる。6種類のお薬が切れる日が病院に行く日だと決めておる。で、昨日薬が切れたのを機会に病院へ行く。すると・・・

 前回は9月19日の検査が、すばらしく改良されておるではないか。

 Hba1cが7.5から6.9に、従って血糖の方も約半分の155となっておる。やっぱりちょっと意識して運動すればよくなることを再認識。