近頃いろんな人の話を聴いていると、特に仕事の話のことを聞いていると、プロ志向の方だなぁ、と思う人が少ないことに気がつく。たしかに、多種多様な仕事の中で技術的にも高く、売り上げも高く上げる人、顧客満足度においてもサービス度がハイクォーリティであると呼ばれる人が多くいることには違いない。でもそのようなプロフェッショナルと呼ばれる人の話に違和感を覚えることがある。プロとは何ぞやアマチュアとの違いは何ぞや、という旧い設問もあることから昔から議論に上がっていることには違いない。
プロフェッショナルの語源は、“profess(宣誓する)”という言葉からきており、「神に誓いを立てなければならないほど厳しい職業である」という意味がある。特にプロフェッショナル第1号は、紀元前5世紀に古代ギリシアで活躍した、医学の父、ヒポクラテスを指す。
プロフェッショナルの定義は、神に誓いを立てなければならないほど厳しい職業、すなわち修道士、医師、弁護士等の職業であるという。これらの厳しい職業は独立して自分を律することができることを指す、さらに自分を律することができるのは意識の高貴さが常に望まれるものである。
神に誓いを立てること、自分を律することができること、意識の高貴さの言葉を読んでいくと、通常自分たちの耳に入ってくるような高い技術とか経済的自立とか金儲けとかの陳腐な説明ではないようだ。さらに読むと、結局プロとは神から選ばれし者になって来るんだろう。
大工のプロ、介護のプロ、営業のプロ、サービスのプロ、看護のプロ、作家のプロなどなど様々なプロを志向する仕事のあり方と同様にそれに向かう姿勢についてわが身を問う。
プロを装うアマ、精神的且つ経済的自立できないアマの群れが大手を振って市内を闊歩している。日がな一日時間を過ごし、一日これ足りる者の群れ。なんだか市民社会が幼稚化しているようで・・・。
この事件を覚えている。大きく新聞に取り上げられていたので。その時は、こんな人もいるんだなぁ・・の感覚であった。でも、である。今日の午前、受刑者となって私の前に座った本人は、猛烈に仕事をしていて、身も心も疲労困憊、ストレスを抱えたままそれを発散することができず、つい不眠症となり、日夜アルコールに依存するに至り、心療内科を受診すればうつ病と診断される、とある。なおも追いかけられる仕事の山に追い込まれてしまって、ついに我を忘れて事件を起こした。
本日の刑余者相談は難関大出身、業務歴28年、事務系等の仕事、仲間からプロと呼ばれていた人。自分を厳しく律することができなくなった人。IQ指数は高いが神から見放されし者。人様からの過大な評価を受けることを好む人。
今朝の石鎚
午後の石鎚