年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

叔母の家族がやって来た

2018-04-30 00:00:00 | Weblog

 兄弟姉妹っていうのは、“仲が悪い”関係よりも“仲が良い”関係をいつまでも持ってる方が自分の耳に入る時は心地よいものである。

 大阪から母親の妹が久しぶりにやって来た。老人ホームに暮らす母親の顔もいつもより上気加減で前日よりも生き生きとしておる。母にしてみればすでに兄と妹二人を先に見送っていて今は妹一人に弟一人となる。

 叔母にしてみれば久しぶりに見る姉が今までと違い身体が弱っていく降下曲線途中の様子に少し気弱になるのではないかと、仲の良い姉妹だけに叔母にとっては甥っ子にあたる自分が心配したりする。

 今年も1/3が過ぎる。あまりにも早すぎる。

叙勲のこと

2018-04-29 00:00:00 | Weblog
 アラブ首長国連邦Abu Dhabi の航空会社
 で帰ってきた妹が何やら向こうのお土産をもってやって来た。

 そして楽しそうに向こうの国の土産話をしてくれる。どうも危なっかしい英語で会話をしながら自分勝手にいろんな場所に行ってるようで、そりゃ危ないやろ~と注意をしてみるが、60をとっくに過ぎたおばさん相手に何か仕掛けてくるような人はいてないやろ・・などといっこうに心配を介しないように喋っておる。それはそれで困ったものである。

 水処理会社のT君からメールが入った。チカエさんとミナちゃんが地方自治に功績があったなどで瑞宝小綬章を受賞したと・・。そうかそうかあいつたち勲章もらったか・・よかったよかった。チカエさんの病気はその後どうなったか、それを一番心配しておる。でも勲章を受章されるってことは、長い間ご苦労さんでしたとその功績に対することだと思うと卒業をした後現役ではないことの証だと思うと・・・アレレ自分たちはそのような年齢になったかと、一方でがっかりもしておる。

 この時期緑がきれいに透き通ってる感じ。

一日中疼く

2018-04-28 00:00:00 | Weblog

 良い悪い気分の上下のことでは、右腕の疼きの強弱による。いつのまにか脊柱管狭窄症による左足の麻痺や痛みを凌駕する。

 でも考え方を少し変えてみようと・・・

 もし右手がダメであってもこのように左手一本でPCを打ってるし。左手が十分でないものの動いてくれるからありがたや・ありがたや・・などと。

 もしも何もなければ左手のありがたみが分からなかっただろうに。

見つかったもの

2018-04-27 00:00:00 | Weblog

 3男家族が住む実家は今リフォーム中である。昔からの箪笥や生活調度品も処分しないまま母親も数十年前に今は亡くなった弟と一緒に暮らすために実家を出た。父や母、弟に妹の5人家族での生活の痕跡を残したまま3男が移り住んだ。築後何年もたっていていろんな個所が傷んでいるために先月から業者さんが入り手を入れてもらっている。

 で、どこで見つけたのか昔懐かしいものが見つかったと云って3男が持ってきたものは、60年ほど前の文章。書いたのは中学校の教員してた叔母。当時のことを今もって覚えておる。なにせ風土記の宿題があったこと、なんじゃあ・・風土記って?で教員をしていた叔母に聞いたところ見本を書いてくれたものである。







 他にも質問したんだろう。



 長女であった母親の家族にとって母親の妹たち3人(叔母)と弟(叔父)から見れば初めて生まれた甥っ子が自分になる。ずいぶんと可愛がられたんだろうことは容易に想像ができる。この叔母も42歳で教員をやりながら癌で亡くなった。弟と同じくもっとも今会いたい・バカ話をしたいと思う一人である。

良かったと思う

2018-04-26 00:00:00 | Weblog

 全体主義のなかで個人の自由な振る舞いを封殺され、たとえ命の危険が迫る時においても命令を下す人が誤っていればどうなるか。個別の主体性、自立心を大切にするよりも全員一斉主義、訓練主義、型にはめる、教師からの注入教育中心のイメージをもつ学校は日本の学校。その学校の一つが石巻市立大川小学校。選択ミスを犯してしまったのは、2011.3.11の午後の悲劇のこと。
(2016.4の現地)

 校庭で待つことなく小学校のすぐ裏の山に逃げていれば・・・

 少なくとも争うことはなかったろう。

 仙台高裁の今日の2審での勝訴に胸をなでおろす。

 悲劇にあった小学校の跡地の静寂と喧騒を想う。静寂は鎮魂への祈り。喧噪は7年前のグランドから聞こえる学童のはしゃぐ声、それと以後の観光バスでやって来る観光客の大人のガヤガヤの音のこと。

楽しむ

2018-04-25 00:00:00 | Weblog

 カイロでピラミッドやスヒィンクスを見て堪能したのか思いついたように動画を送ってきた。エティハド航空機内の動画では成田に降りるのに北朝鮮上空を迂回して韓国側から日本に進入している動画である。

 サァどうなるのか、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩の会談ではどのような方向が示されるのか、気にかかる。

 札幌からの写真はコンサドーレとF・マリノスのゲーム。それぞれ楽しんでいる様子。

 で、私の方は不謹慎にも楽しんだのは
 刑余者の就労支援の担当者会のこと。不謹慎にも楽しむ理由は・・・皆私の味方に付いてくれてるようで・・・。

北洋建設の社長を聴く

2018-04-24 00:00:00 | Weblog

(やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君)
 与謝野晶子の「みだれ髪」。なんだか肉欲に挑発されているような感じがしないワケではないが道理をしゃべる傍の人の毅然とする屹立した峻厳さを想う。

 与謝野晶子の「みだれ髪」とは違う美空ひばりの「みだれ髪」の歌も聞こえてきた。

 作詞家の星野哲郎さんは私の実家の前に島影が見える周防大島出身の人。
この唄で気にかかること。
春から秋にかけての夏、帯が余るほどの胴体が痩せるのに何があったんだろうか・・のことに思いを寄せる。

 今日の講演は札幌から来られた協力雇用事業主さん。

 北洋建設の社長。脊髄小脳変性症を患い余命4年と診断されているとか。
 言葉が明瞭ではないものの生き様がすごい。受刑者の立ち直りのために心血を注いでいる・・そのような感想を受けた。

月曜日をも過ごした

2018-04-23 20:09:36 | Weblog

 ちょっと今更おかしいかもしれないが、・・・
 

 今日のメインイベントはジムでは手を使わないマシーンでの筋トレで汗を出すこと40分。それからプールに入り水中歩行のこと30分。たぶん汗が出てるんだろうが・・そしてプールを上がり隣接する風呂場に直行してサウナに入り汗を絞り出す。汗が引く頃合いを見て目の前の整形外科へ行き首を吊り電気をあててマッサージを受ける。これが14時半~18時までのスケジュール。ぼんやり頭の中の今日の予定はこれくらい。


 ここまでの行為はすごく身体的には健康的な時間の遣り過ごしだろうと思う。でも問題はメンタルの方。プール内の歩行中に話しかけられた。≪(相手方)アナタも熱心に通われてますね≫<(ワタシ)ハイ・なんとかやっておりますがそちらさんの方こそきれいにクロールで泳いでおられますね>≪イヤイヤ・・アナタは泳がれないんですか?≫<いやぁキツイですね。私の方が年がいってるでしょうから無理は禁物です>≪何年生まれですか?≫<ハイ〇〇年です>≪それでは私の方が5歳上ですね≫<エッ~>と絶句。
 老人会に入会されてるような方であっても、みなさんメンタル方面が前向きで若い。比べて自分の方は、自分より年上の人たちよりメンタル部分では病んでおる感じ。

 自分が数年前までアイゼンを付けスパッツを穿きヘルメットをかぶってピッケル片手に雪山を登ってる時、お金を払って身体を鍛えに行ってる人たちを上からの目線で見ておったが・・・そこまでしてまで体を鍛えるようなことを低次元レベルのことだと思っておったが・・

 自分も老人クラブ以下のレベルだったのかと

日曜日を過ごす

2018-04-22 00:00:00 | Weblog

 ほとんど毎日が日曜日の中の日曜日はカレンダーの中の日曜日でもある。

 土日はジムにも整形外科病院にも行かない日となり、キョウイクのこともない。
 少しは身体を動かそうとしても、足と腕の痛みからついついじっとしてることがここ最近多い。そこを奥さんは見計らったように自分のことに専心している。移動図書館から借りている本を手に取りソファに座り、見えにくい眼を活字にこすり付けるようになめ回すようにして読み、テーブルにはお伴のコーヒーを置いている。表紙を見ると葉室麟本  これも面白いらしい。

 痛みを抗して、20分だけ散歩行こうか…と声かけると、突然開けていた本を音が出るほどパタンと閉めて、行くという。
 20分の行程が、ついつい休みながら50分もかかってしまった。途中で見つけたのは、

 空き缶など廃品で作ったものらしい。


 午後見たメタセコイヤの坂道は下枝を切り払ったようで明るくなり枝には優しそうな柔らかな新芽が芽吹いていた。



 春爛漫。

降下曲線と水平線の間にて

2018-04-21 00:00:00 | Weblog

 命の降りて行く様子を見ていくのはきついことだと思う。

 25年前に病院の白いベッドに横になり強制する人工呼吸器をさるぐつわのようにして口に入れられながら人工呼吸をしていた父親が心臓の鼓動が停止しても器械だけは止まることもなく動いていた。モニターではY軸上下の曲線からX軸一直線になったにもかからず、心臓の鼓動はなくとも呼吸だけは器械によって強制している。たらまらず外してもらった記憶がある。

 4年前に弟も見送った。弟からは命の果てる3日前に、アニキのウソつき~と白いベッドから大きな声でなじられた。たった一つの楽しみであった♨に連れて行くことができなかったからである。弟は身をきれいにした後に浄土へ行こうとしたのかもしれない。でも病院の看護師さんによる清拭のみであった。透析患者に多い身体全体の痒みからの解放、ぽかぽかとした身体で旅出そうと考えたのだろうと思う。
 担当医は2~3年前から私を呼び出しては、数値のグラフを見せいつ心臓が止まっても不思議ではないことを告知してくれてた。このような経験は近親者にとっての“別れの覚悟”の時間を与えられる機会でもあったろうと思う。

 母親が暮らす有料老人ホームの担当医から現段階の母親の様子を医師から見た説明がある。

 体力は落ちておりますが食欲がある分、今の時点ではどうこうっていうことはないでしょうが・・先行きのこと、マンがいちの時の対応について、どう考えますか?の私の意見を聞いておきたい・・らしい。

 一応、突然の変化があった時には救急病院へ搬送してもらうこと、同時に私や妹にも施設から連絡してもらい我々も駆けつける・・・ようになるでしょう。そしたら医師が言うのに、何も問題もなく大往生ですね、枯れ木がそのまま逝ってしまうような・・などと云うではないか。
 医師として他人の・患者さんの命に向き合う姿勢としては薄っぺらさを感じてしまったがなぁ・・自分は。

 母親と会話をしてる。多くは母にとっての孫やひ孫の話が中心となる。それらも少しづつ時間が短くなっているのは喋るより寝る方が楽だと言う理由かもしれない。緩やかな下降を想う。
 タンポポの種がふんわりと飛んでいく前の静寂な時間が過ぎる。