確か3男が中3の時に校内の合唱コンクールがあって、その時に聞いた音楽に、♪ナイル川のカヌーに乗って~♬
と二部合唱で歌っていたことを思い出した。
カヌーは流れに沿って静かに下るのがいい。
介護疲れと呼ばれる事件が時々ニュースになる。振り返れば私も介護する側に立って何年になるんだろうかと指を折ってみた。弟が亡くなる昨年までは、母親も足が動いていたし少しは力を出すことができていたので、母親が中心となって私がサブに回り、私のサブに妻が回るような態勢であったものが、弟が亡くなる前年に母親が大腿骨を骨折し手術入院リハビリとなった。妻が母親の手術したその前年に交通事故入院手術リハビリをしていたことで、つまり私の周りで次々と入院生活を送ることになり、妹の手を借りながら私が中心となって、介護施設の直接介護支援を受けながらの対応となっている。そのような環境になる前までも弟については、1日おきの透析のために朝夕の病院送迎や買い物や話し相手をするくらいで自分自身の身体を使っての介護は少なかったが私自身の時間を大きく取られた。そして2年前からは妻の独り歩きができるよういつもそばに立っての見守り支援が必要になったのでこれまた自分の時間が削られた。
そして今月から奈良の義母にも対応することが必要になってきた。近くに義兄がいるものの、過大に頼りにするわけにもいかず、義母にとってみれば息子より遠く離れていても娘の方が何かと便利なものらしい。それは私にとっても母親が私に話しかける内容と私の妹に対する態度との違いがあることからもよくわかる。でも義母にとってみればわが娘は障害者となっている。にも関わらず要求は健常者と同じ質のもので、妻にもできることの半分くらいを目指してやればいいものの被介護者側からの要求は、低くはない。被介護者を介護する人がもともと被介護者の対象であり、介護者が適宜必要となる。その最終介護者が私となるような構図。被介護者も身体の自由を奪われている一方で介護者は身体は自由であるが時間が奪われることで不自由の身となる。
今夜は妻は下市口の病院に泊まりらしい。娘が食事介助をすれば完食、お薬も全部飲むんだとか、義母は看護師さんの言うことは聞かないらしい。
日常の難儀さが少しずつ厚みを増しているようだ。こんな時はゆったりと時間の流れに身を任せるほかないのかもしれない。
暇を持て余す近所のハラちゃんやシンちゃんが、用事をする私に容赦なく オ~イと声をかけてくる。つまり、あそぼ~と。で、いつものガゼボのなかで初老の3人のお喋りタイムとなった午後。話の内容はいつの間にか衣服のことに。
娘さんと同居するハラちゃんが話している。嫁と娘がうるさいのだそうだ。毎日着ているものすべて着替えることを要求されているんだとか。老臭がするから肌着からズボンやシャツすべて毎年新調したものを着るんだという。傍らにいるシンちゃんも言う。家内がスーパーの衣服売場に勤めているので、いつもバーゲン商品を買ってくるから着せ替え人形のように上から下まで新品を春夏秋冬穿いてるよ・・などと。で、疑問が残った。それでは前に着ていたものはどうするの?と。すると二人とも少しでもほころびが出たもの、色が褪せたものは即捨てるよ,との返事。そうかそうか捨てるのか・・・。我が身を振り返るとこの夏箪笥に入っていたシャツなど引き出しの中にあるの物の内9割は身に付けることなく秋冬物にかわった。2~3日着ては洗濯をする、そして1日で乾くからまたそれを着る穿く。となると2~3着もあればローテーションが回る。いちいち面倒くさくないか、着るものを考えるなんて・・と聞くと、だからお前さんはだらしない格好をしてるんだ・・などと云われる始末。自分はそれほどだらしない格好をしているつもりは全くない。しかし毎日シャツやズボンをトッカエひっかえ着替えることはまずなかった。汚れれば着替える程度。そこんとこ二人は汚れてなくとも毎日肌着は言うに及ばず、上下すべて着替えることに、エ~そうなのかとびっくり。そのびっくりしたというのは、着るものに注意をはらっていること自体にびっくりしたワケ。私の場合、外に出る仕事時のみが戦いの場となるからそれなりの格好をすれば十分であって、オフの時くらい薄汚れようが色があせていようが何を着ても気にならない性格につき、みんな年を重ねることの中にだらしない格好をしない・・などの不文律を守っていることに仰天レベルであった。そうかそうか自分も格好をきちんとしなければならないのか・・ア~アそれだけ考えなければならないことにストレスを抱えそうだ。
と二部合唱で歌っていたことを思い出した。
カヌーは流れに沿って静かに下るのがいい。
介護疲れと呼ばれる事件が時々ニュースになる。振り返れば私も介護する側に立って何年になるんだろうかと指を折ってみた。弟が亡くなる昨年までは、母親も足が動いていたし少しは力を出すことができていたので、母親が中心となって私がサブに回り、私のサブに妻が回るような態勢であったものが、弟が亡くなる前年に母親が大腿骨を骨折し手術入院リハビリとなった。妻が母親の手術したその前年に交通事故入院手術リハビリをしていたことで、つまり私の周りで次々と入院生活を送ることになり、妹の手を借りながら私が中心となって、介護施設の直接介護支援を受けながらの対応となっている。そのような環境になる前までも弟については、1日おきの透析のために朝夕の病院送迎や買い物や話し相手をするくらいで自分自身の身体を使っての介護は少なかったが私自身の時間を大きく取られた。そして2年前からは妻の独り歩きができるよういつもそばに立っての見守り支援が必要になったのでこれまた自分の時間が削られた。
そして今月から奈良の義母にも対応することが必要になってきた。近くに義兄がいるものの、過大に頼りにするわけにもいかず、義母にとってみれば息子より遠く離れていても娘の方が何かと便利なものらしい。それは私にとっても母親が私に話しかける内容と私の妹に対する態度との違いがあることからもよくわかる。でも義母にとってみればわが娘は障害者となっている。にも関わらず要求は健常者と同じ質のもので、妻にもできることの半分くらいを目指してやればいいものの被介護者側からの要求は、低くはない。被介護者を介護する人がもともと被介護者の対象であり、介護者が適宜必要となる。その最終介護者が私となるような構図。被介護者も身体の自由を奪われている一方で介護者は身体は自由であるが時間が奪われることで不自由の身となる。
今夜は妻は下市口の病院に泊まりらしい。娘が食事介助をすれば完食、お薬も全部飲むんだとか、義母は看護師さんの言うことは聞かないらしい。
日常の難儀さが少しずつ厚みを増しているようだ。こんな時はゆったりと時間の流れに身を任せるほかないのかもしれない。
暇を持て余す近所のハラちゃんやシンちゃんが、用事をする私に容赦なく オ~イと声をかけてくる。つまり、あそぼ~と。で、いつものガゼボのなかで初老の3人のお喋りタイムとなった午後。話の内容はいつの間にか衣服のことに。
娘さんと同居するハラちゃんが話している。嫁と娘がうるさいのだそうだ。毎日着ているものすべて着替えることを要求されているんだとか。老臭がするから肌着からズボンやシャツすべて毎年新調したものを着るんだという。傍らにいるシンちゃんも言う。家内がスーパーの衣服売場に勤めているので、いつもバーゲン商品を買ってくるから着せ替え人形のように上から下まで新品を春夏秋冬穿いてるよ・・などと。で、疑問が残った。それでは前に着ていたものはどうするの?と。すると二人とも少しでもほころびが出たもの、色が褪せたものは即捨てるよ,との返事。そうかそうか捨てるのか・・・。我が身を振り返るとこの夏箪笥に入っていたシャツなど引き出しの中にあるの物の内9割は身に付けることなく秋冬物にかわった。2~3日着ては洗濯をする、そして1日で乾くからまたそれを着る穿く。となると2~3着もあればローテーションが回る。いちいち面倒くさくないか、着るものを考えるなんて・・と聞くと、だからお前さんはだらしない格好をしてるんだ・・などと云われる始末。自分はそれほどだらしない格好をしているつもりは全くない。しかし毎日シャツやズボンをトッカエひっかえ着替えることはまずなかった。汚れれば着替える程度。そこんとこ二人は汚れてなくとも毎日肌着は言うに及ばず、上下すべて着替えることに、エ~そうなのかとびっくり。そのびっくりしたというのは、着るものに注意をはらっていること自体にびっくりしたワケ。私の場合、外に出る仕事時のみが戦いの場となるからそれなりの格好をすれば十分であって、オフの時くらい薄汚れようが色があせていようが何を着ても気にならない性格につき、みんな年を重ねることの中にだらしない格好をしない・・などの不文律を守っていることに仰天レベルであった。そうかそうか自分も格好をきちんとしなければならないのか・・ア~アそれだけ考えなければならないことにストレスを抱えそうだ。
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