年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

意思が通じるってこと

2017-01-31 20:53:43 | Weblog
 様々な息苦しさを覚えていく途中の遣り過ごし方は人様々。苦悩の真っただ中にいての処し方は、その人の生き方そのもの。



 受刑者と相談する日や講演をする日に刑務所の中に入る時は、携帯電話など一切持って入ることは出来ないルールである。よって、いっさい私的な電話連絡を受けることは出来ない。たとえ休憩時間であろうとも。着信があったことは仕事が終わり、塀の外に出てから分かることになる。

 先日から幾度となく着信履歴があったのは高校同級生のY君から。また一緒にアソぼーの連絡かなぁ・・と思いきや、そうではなかった。時間軸を横に振った内容ではなく縦に遡るような話である。昨年秋の同窓会で50年ぶりに会った当時付き合ってた女性としんみり話すことができて良かったとか。その人は九州・熊本にいて医者になってるとか、お互いの家族の話をしたり今までのことなど夜遅くまで何人かで話し合ったそうだ。うれしかったと云った。そのY君は長男さんを20年近く前に亡くしている。いわば逆縁。よく今まで耐えたなぁと・・、時々子供の夢を見るんだと・・笑いながら話してくれた。今までどうやって生きてきたんだろうか・・亡くなった当時の2~3年は何をやってたか覚えていないそうだ。ただ、銀行マンであり一心不乱に業務に埋没することで瞬時忘れるように処していたのかもしれない。「念ずれば花開く」の仏教詩人・坂村真民先生の庵にもよく通った・・と。邂逅するのはお付き合いをしていた同級生の話より、よく聴いていると、二十歳前の彼自身に遭い長男さんを突然亡くされた当時の彼本人に会っていることに気付かされた。そして、
 Y君が勤務していた銀行は同級生が社長になっており、昨年など8000人がエントリーし、100人ほどが採用になるんだとか、今だったら自分は採用にはならんだろうと・・笑って話しておった。

 Y君は私も同じようではあるが9時には寝て4時半に目が覚める生活だそうだ。今三日月のすぐ近くに明けの明星が接近してきれいよ~と教えてくれた。そして石鎚を見上げて勇気を振るった銀行時代を思い出す・・などと云う。
 人智ではどうにもできない時間の中での吐く息は自然や宇宙の中にしか向かうことはないのかもしれない。
 人の命の終わりを観ること、大学受験の失敗もあった、中高大の同級生にも出世コースにおいては後れを取ったと・・考えることもできるが・・・Y君はいとも簡潔にそれらすべてを笑い飛ばす。

 午後3時の石鎚






 午後5時の石鎚






 そうだった、C型肝炎がよくなったY君も自然の中に永久の時間の流れを見つけているのかもしれない・・などと思った。
 今日の塀の中の業務・・3人面接をして二人を近々協力雇用事業主に来ていただき、釈放前の事業主面接を行うことにした。

さて・・・と

2017-01-30 00:00:00 | Weblog
 お~寅さん所の柴又のお土産か・・高木屋のおせんべい・・また妹が遊びに行ってたんやな!寅さんがいつも旅から帰りおいちゃんおばちゃんのお店、草団子のお店にちょいと草鞋を脱いでくつろいでいた場所、モデルとなった高木屋。

 それにしても方々に遊びまわる妹の癖は、学生時代から続いておる。甥や姪も手のかかる時期は過ぎたとはいえ、家庭を放り出して飛び回っておる。



 玄関前のモチノキの赤い実を啄むヒヨはいつの間にか木全体の実を食べつくしているのはいいとしても、そのフンが落ちてくるのに閉口しておる。



 ・・・、で今日は一日中コタツに入り込んで冬眠。

晴れのち雨のち曇り

2017-01-29 00:00:00 | Weblog
 公園に行く前に母親の部屋に行ってみようと・・持参するのは小豆たっぷりのたい焼き。お昼ご飯の前だというのに食べておる。そして、いつもごめんね世話やかして・・などと嫁に云ってる。



 近頃の世相として嫁姑の昔からある確執の難儀話を聴くことが少なくなった。嫁が強くなり、姑が身体的能力が比べて落ちることで口を封じられる傾向があるのかもしれない。資産を保有する姑であればまたその姿勢も居丈高となるんだろうがそうもいかない一般庶民。我が家の場合嫁姑ともに障害者となっているだけに、施設に入っている母親と奥さんはいつも頑張ろうエールを互いに送りあってるようで・・



 公園では小さなお子さん連れのご家族が増えている。ついこの前のサムイときには人っ子一人いなかったのに・・これからこの公園も賑やかになる。





 子供さんの甲高い笑い声と同時に



 自衛隊のヘリコプター離着陸訓練の音は喧しい。



 さくらの蕾はまだまだ固いけれどやがて膨らみもうすぐ咲く季節が来る。・・・でも、


 メダカの水槽には氷が張り、

 ゴルフ場にも雪が残る。

 午後の久万高原。昨日発熱状態で「NPO法人松山自殺防止センター」理事長の学習会での挨拶をすることができなかった牧師は、今日はマスクをつけておった。
  


今日のスタディ

2017-01-28 21:01:56 | Weblog
1月1日の日の出の時間から15分も陽の上がる時間が早くなっている。今7時半、


 立春まであとわずか、今朝の石鎚を眺めてると春の兆しを感じる。

 先日までのキンキンするような空気ではない。

 モヤがかかっている。

 水鳥も群れておる。もうすぐ春。

 
 午後、久万高原教会の牧師が理事長を務める松山自殺防止センターの研修会あり。
 


 アレレ、牧師が出席されていないではないか・・おかしいナァと、N事務局長に訊ねると、熱が出て休んでいられるとか。あわてて電話すると布団の中でお休み中だった。

  今日の講師はT精神科医。発達障害についての勉強会である。

 最近の流れとして、市民地域社会や職場あるいはグループにおいてうまく適合しない人に何らかの病名やら障害名をつける、レッテル貼りの流れが気にかかる。市民全員に何らかのラべリングの洪水の様相を想う。自分自身は正常で少しでも違和感のある周りの人に対してラベルを貼ることについておかしいとは思わないのだろうか、疑問を持つ人はいないのだろうか。息苦しさを感じる人に対して何らかの名称をつけて安心してることに・・。

近頃流行るもの

2017-01-27 00:00:00 | Weblog
 一時、葉室麟だ山崎豊子だ・・の本の話題が食卓やコタツの中で繰り広げられていたが、隔週でやって来る移動図書館から借り受けられる本も作家著作の大方の本も読んでしまったようで奥さんからあまりそれらの話題を振ってくることがなくなった。代りに最近ハマっているのは、先日も奈良行の船中、電車の中で読み耽っていたのは、
 この漫画。45巻もあるそうな。図書館に申込みをしたのは昨年の8月。借りたい人がずいぶん多いようで図書館の担当者から連絡があったのは今年に入ってから。だから半年も待たされたことになる。45巻のうちの5巻を借り、重たくなるにもかかわらず5巻をリュックサックに入れ込んで痛む目を我慢し、目薬をいれながら読んでおった。読むのは早く待たされる時間は長い。次の予約も早くしておかないと次に手に入るのが夏になったしまいそうである。なんでも、中国の春秋戦国時代を舞台にした話で、始皇帝となる秦国の王・政の活躍を中心にした、戦乱の世の中を描いたマンガらしい。三国志にも似てるようで、面白い読み物の続編があることが嬉しいとのこと。
 そして、奥さんが云ってる…この人は素晴らしい・・と絶賛する「新渡戸稲造」本。

 昨年伺った花巻市・新渡戸稲造記念館の職員さんから説明を受けた新渡戸家の家系図は40何代もさかのぼるほどの旧家であり名家である。「I wish to be a bridge across the Pacific.(願わくは、われ太平洋の橋とならん)」と新渡戸稲造が云った有名な言葉にはその礎となる土台があった・・と自分には感じられたが・・。

 毎日PCの職業訓練を受け、奥さんが、先生早すぎる・・もっとゆっくり説明してよ~と意見を云うと、隣に座る青年からポンとキーをたたかれ問題を解決することはあるもののそのワケ、背景に理解苦しむにつき、さらにその青年に説明を求めると、青年が「ボクの説明の仕方が悪いからオバさんは解らないんやろ、ボクはコミュニケーション力がない・・などと青年が落ち込み、さらにボクはやっぱりダメな人間や・・」とまで考えが行きつくそうで、それはそれで可哀そうではある・・らしい。せっかく教えてもらっても教える方が教え方に悩むスタイルのこととなるとちと考えざるを得ない・・などと奥さんが云ってる。何せこの教室はすべて障害者であり、身体、精神、発達など多岐にわたる方々が学んでいる。

 今夕は「〘こころ塾〙サポーター会」と称して塾の周囲で応援してくれている人たちが集まっての新年会あるもパスする。

 夜就寝前に4男からメール。CTBの試験合格したとか。やっと病院実習ができるらしい。さらに医学生は何時間勉強しても苦にならないような人間でないと、モタナイだろうとも

今日も生きててよかったと思うこと

2017-01-26 21:04:37 | Weblog

 朝の石鎚は仕事始めの前に

 昼過ぎの石鎚は青空の中に




 夕方の石鎚は夕陽に照らされ

 カラスも飛びこんで












 一日中見てる。幸せな時間、率直に生きててよかったと思う。この風景を観たく30数年前に引っ越してきたので。

 今日の面接者二人。帰住地が関西地方の身柄。二人ともIQが100以上。基礎学力、社会常識もそれ相応に身に付いている。刑務作業も平均以上に素早くソツなくミスなく遣り過ごす能力あり。社会復帰適応力がありやなしや。

 夕方も散歩




 今日も一日日が暮れた。

まったりの午後

2017-01-25 18:40:50 | Weblog

 冬の陽射しを雲間に受ける石鎚を見つけた。ホームコタツに入り冬眠中の自分もついつい見惚れて、・・ちょっとひとりで散歩しようと・・。

 日差しは温かく感じるも空気は冷たい。

正午前の時間。な~んも考えることなく頭空っぽにして東を眺めておる。南側の皿にも目を移す。この山、ゴロゴロ石の中央ルンぜの急坂はふわふわの雪で覆い尽くされてるんだろう。

光りが弱くなった夕方の散歩中にも

一日中眺めておる。


 妻は毎日職業訓練PC教室に通っておる。話し相手のいない昼中につき石鎚は格好の話し相手となっておるようで・・。

 夕方帰宅すると晩ごはん作り、今晩のメニューは豚カツを注文する。それを口にほうばりながらの話題は、トランプ新大統領の功績は何か?についての話合い。結果は、「やっぱり選挙は行かなければならない、ということを教えてくれたんじゃないの。誰がなっても世の中変わらん、おんなじやろ・・の発想が崩れることを教えてくれたのではないか。これで日本の有権者も覚醒されることになればトランプさんもいいことをした・・と云うことになりはしないか。」の話が一つ。もう一つの話題は、横綱「稀勢の里」の伝達式口上の言葉。身の丈に合わない四字熟語ではなくシンプルに気持ちが伝わるそのままの言葉だけに飾りがない分好感が持てる・・のこと。

本日与えられたワーク

2017-01-24 21:07:26 | Weblog
 「塀のない刑務所」造船所構内にある寮での相談。対象者は2名。うち一人は関東地区に帰住が予定され、仕事についてもある会社から採用内定通知書が送られている受刑者。もう一人は受刑中に資格をたくさん持つことができたものの、それをどのような仕事に生かすべきか、どのような会社に就職可能であるか・・・などの相談事。

 前者は仕事を長く続けるためにはどうすればよいか・・?のコマッタ質問。刑期の極端に長い受刑者につき、社会での仕事より一番長くやっている作業は刑務作業だから。矯正施設にいれば継続できることでもいったん自由が得られれば途中で嫌になって来るんだろうか。

 フ~ンフンと聞いてればいいものの、哲学的命題につき私がアドバイスできるものでもなく、というのも人生を縦に上がりたい、アップせねばならないなどの欲求が弱いようであり、彼が出す答えを待つばかり。

 二人目は保有する資格が自動車普通免許を含めて8つほど持っている。これを活かしたいと云ってる。で、アンタ何をしたいの・・のことを聞くも、ワカラン、迷ってると云ってた。仕切り板をはさんで相対する私も、ワカランと云って・・・。

 カメさんがチェンソーで木を伐ってた。夏にはクマ蝉がよくとまってた木である。

誘蛾灯のようで

2017-01-23 00:00:00 | Weblog

 義母はひとりで生活をし、昨年は入院生活のあとは介護施設に入っていた。施設にいてしょっちゅう娘にケータイ電話で朝に夕に連絡をしていた。「いつ来るの?」のおいでおいでの催促であった。月1出向き顔を見せ、帰る段になると次はいつ来るの?のことであった。寂しさのことはよくわかる。

 わが母親はさらにストレートに私に言い放つ。お母さんは寂しい・・・早く父や弟に迎えに来てもらいたい・・と云う。老齢化するとみんな同じように寂しい寂しいという。そしてその魔法の言葉をかけて子供たちを集める。なんだか誘蛾灯のようであり、不謹慎かもしれないが、その言葉で子らは束縛される。

 終い支度のことは難しい。

 今まで生きてきた自己評価となるんだろうか。イヤ、母親や義母のことではない。自分のこと。自分の年齢からすれば、そのゾーンに入っている。

49日法要の大淀も冷える

2017-01-22 00:00:00 | Weblog
 一度はサイクリングコースを廻ってみようと思っていた。日本の初代天皇・神武天皇をまつる橿原神宮から,例えば石舞台古墳は数年前に従兄弟のヤッちゃんの車に乗せてもらって見物したものの飛鳥寺、高松塚古墳、香具山は遠望するのみ、壺坂霊験記の壺坂寺など、一度は尋ねてみようと近鉄吉野沿線の車窓から眺めながらいつも思っていた。下市口駅では百名山の一つ大峰山の最寄駅でもあり、今日も天気ワルイに関わらずザックを背負う10数人の登山客に出会った。義母のいる間に廻ってみようと思っていたが・・・

 1400年前の飛鳥時代、女性が日本をリードした時代の数々の歴史遺産をゆっくりと見ておきたいと。

 義父義母が住んでいた当時はうちの子供も小学生、時々休みともなると妻も実家に里帰りをしていた。その家は今住人がいないが仏壇はある。

 下市口の隣駅の大阿太駅を見つけるといつも思い出す。大阿太高原の梨を義母から送ってもらっていたこと、美味しかったこと、冷蔵庫に入れて冷やしていた梨を学校帰りの子供たちがいつもかぶりついていたこと。

今、住む人がいない家の庭に咲くロウバイも色あせ、

ウサギも寒そうにする。

冷えるグランドを眺めても、今日はさすがに、ここで散歩しよか。。のお誘いを奥さんが云うことはなかった・・

 精進落としは橿原市八木のお店で

 美味しく頂くことに


 先月義母が亡くなって以来7日ごとにお坊さんが来られていたと聞いた。この間七日ごとに閻魔大王による裁きが行なわれ、極楽浄土に行けるかどうかの判定が下されるのが本日の49日目。別名「満中陰」、この日が忌明けとされるのが仏教の習い。義母は苦労しながらも朗らかな性格であったし極楽で楽しくやってるに違いない。
 親しい人が亡くなることについて思うことは、いくら話しかけても故人から一切聞こえてくる返事がないこと。蓋し返事は向こうからわが胸に響くことはある。