年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

ドラッカー

2011-10-31 00:00:00 | Weblog
 
 時々街に出たとき覗く本屋さん、前から気になっている本がある。平台にて山積みされている長ったらしい名前の本、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」ダイヤモンド社、である。昨年から目についている。私の場合、本を購入するパターンとして、希少価値ある良い作品は古本屋で探す、あるいはamazonで探すことが多いために書店で買う機会は少ない。特にベストセラー本は、そのうち大量に古本市場に流れてくるので待てば必ず安く手に入る。だから書店で買うのは、好きな作家が最近出しているもの、と新しい面白い作家が出している本の発見に努めるくらいか。本屋さんの探索でもう一つ楽しみに私が見ていることに、傾向として、どのような題名が本につけられているか、がある。時代の流れを読むカギが隠されていると感じるからである。読者=マーケットが要求するものは何かという風に考えると、供給する側の版元がつけるタイトルは、この数十年、ノウハウもの、難しいものを簡単に理解できる?手っ取り早い本の題名が多い。このことは私達が経験したかつてのバブル経済の異常行動に似ていることである。本質探求より効率探求を優先する。それに版元の傾向がある。それぞれ得意とする分野が出版社にあり、学術的なものであれ、ミーハ―的なものであれ、文学的なものであれ、写真集であれそれぞれ社によって得意なジャンルがある。しかし、この数年前からペーパー本が売れなくなってきた。特に本質方向へ向かう小難しいものは読者が付いていかなくなってきた。その代わりになるもの、電子本とか、また本を映像化したものとか、の簡単お手軽が目につくようになった。それらでなんとなく作者作品の意図を理解しているつもりであろう。
 で、ダイヤモンド社は私にとってのイメージは経済経営関係をセンセーショナルに斬っていく本であり、図書館で大人しく読むというイメージはない。寝転んで読むイメージである。それとダイヤモンドの本は分厚くて高い。だから買うことが少ないのだ。それで「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の値段を見ると1600円+税とある。書店に行けば必ず気になる本ではあるが、高価なために手に持ってレジカウンターに行く決断をすることはなかった。しかし、大量に積まれている本は必ず古本市場に流れるの鉄則通り、きょうブックオフで時間待ちをしていると、立て架けた1冊が目についた。裏を見ると800円と表示されている。半値になった、即レジへ運ぶ。
 珍しく9時半に帰ってきた4男が、笑いながら、食卓机に置いてあった本を見て、アレ~オト-サンも「もしドラ」を読んでるんやなぁ・・・などと素っ頓狂に言う。この長ったらしい題名の本を、若い人たちは「もしドラ」と読んでいることがわかった。
 作者は今をときめくAKB48のプロデューサー、いわば仕掛け人である。書き方は上手い。軽くて漫画的で私に合っておる。たぶん一気読みの部類だろう。しかもダイヤモンド社の商売上手さが目についた感じもする内容である。ドラッカーの理論を教えているとは到底思えぬが、ドラッカーの名前を売った功績が残る。若い人たちにマネジメント経営について考える切り口を導いた感じはする。

誕生会をする

2011-10-30 20:55:41 | Weblog
 昨日から小さな雨が降り続いている。隣近所に移動する距離であれば傘なしで行こうとするも、やっぱり濡れた跡がシャツに残る。そのような小糠雨が降り続いている。
 誰でも同じくらいだろうと思うけれど、休みの日に課せられる用事が一つや二つではないことが足かせになり自分の思うやりたいことが出来ない。例えば島へ渡って小山に登ること、例えば庭木の伸びきった樫の木の剪定、例えば畑に置いているブルーベリーの剪定、またそろそろ収穫を迎えるだろうサツマイモの試し掘り・・・などなど。でも頭にはあるけれど、何も出来ない休日である。
 妻が、今月初めから提案していることに、私の弟の誕生日のお祝いをしよう・・がある。10月14日に62歳になった。弟が透析をするために腕に動脈から静脈にバイパス手術をして、つまり、シャントの手術をして週3回、1回につき約5時間の透析を始めて20年が過ぎた。初めの頃は透析しながら仕事をしていたけれど、それもままならず、今は付き添いなしで歩くことすら出来ない。家と病院の往復が生きている業となった。だからどこにも行かない、美味しいものも食べることが出来ないし、珍しいものを見ることも出来ない。家にいてもベッドに横たわる生活である。それで、妻が気分転換をするためにケンちゃんのお誕生会をしようと提案した。弟にどこに行きたいかと聞くと、いんやどこにも行きたくない、しんどいからの返事あり。
 しかし昨夜、弟から電話があり、すまないけれど、兄さん、散髪に連れて行ってもらえないだろうか、1000円散髪を、と言った。ウン、じゃ散髪した後、母親と4人で食事しようと、決めた。母親と弟の食事は柔らかいものが良いだろうと、和食方面中華方面など探した結果、弟がウンといったのはお好み焼き屋さん。あそこの店であれば散髪の帰り道だからちょうどいい、と仕事中の妻にも連絡して合流した。4人で食べきれないかもしれない、と思うほど、注文し鉄板の上で焼く。妻が、ホレ、ケンちゃんこれも焼こう、あれも焼こうと注文しても、焼く作業は当然私の役目。温かくておいしいなぁ・・・と言いつつ、こんなにも食べきれんよ・・・などと言い回しつつ、4人で8枚も食べると、弟も満足した顔付きになっている。腕を抱え車に乗り込んだ弟は、ア~美味かった、おなかいっぱいになったヨ・・・ありがとさん、などと言った。

失業者から無業者へ

2011-10-29 22:59:52 | Weblog
 夕方、サポステのフォーラムから自宅に帰ると郵便受けに従弟のYっちゃんから飛騨高山の合掌作りを模した絵葉書が届いていた。

 色々とたいへんお世話になり、ありがとうございました。10月1日に引っ越しました。新住所は岐阜県下呂市・・・北アルプスの登山口まで近いです・・・などとしたためられている。とうとうYっちゃんは,長年住んだ奈良市から引越し移住してしまったんだとわかった。そのYっちゃんは30歳まではコンピューターのシステム会社で働いていたが、リストラの波にあい、その後、親の介護などもあって,50歳を越える今まで就労したことは無い。この間20数年,本人の働きたいという意思のあった時期は、周りからの叱咤激励もあり積極的に就活もし、面接にも行っていたようだけれど、次々と不採用通知が続くとその気持ちも段々失せてきて自信も無くなったようだ。そしてこの数年は自宅に引きこもるなどで積極的に働きたいなどの気持ちを聴くことは無かった。キャリアカウンセラーから見れば、最初は失業者になるけれど、働こうなどと積極的に考えなくなれば,むろん無業者というカテゴリーに属することになる。縁あって人里はなれた場所に移り住むYっちゃんは、今後働く意思が芽生えるかどうかはわからない。しかし就労する場所はほとんど無いであろうこと,又年齢を考えると,今後は無業者として生きることになるのかもしれない。
 午後から開かれた今年の若者サポートステーションの、略してサポステのフォーラムは、就職につまずく若者たちに対しての現状と支援のあり方、などがテーマであった。若者はすぐ会社を辞めるとか、一つの正しい答えを求める傾向であるとか、やりたいことがわからないとか、自分自身で意思決定できないとか・・・
 正直に私の意見を言う。発表する講師や,それらの周りの人や,そのような団体で飯を食っている人たちが、いくら若者の傾向や動きをデータに取ってみたところで、いくら若者に対して提案してみたところで,所詮それはこちら側の飯の種にしか過ぎないのではないか。キャリアコンサルタントなどがいくら自己理解がどうだとか云ってみても、所詮それらのことはこちら側の仕事である。自己理解の結果、次に進んでみたところで、「無常」のこと。それよりも若者がおかしくなったから,何とかしなければならない・・・など不遜にも考えることなど,振り返ってみれば,人類が始まってからの年寄りの嘆きの部類にしかならないのではないか。若ものに正社員雇用の人数を増やすことが解決への道になるんだろうか?なんだか付け焼刃行政の手先で動いている感じがしないでもない。安定した飯を食っている側の人たちが,不安定な日常を送っている人に向けての,強者から弱者に向けての話が、耳に穴が開くほど聞かされていることにうんざり。育つ時は自分で勝手に育ってゆくのがこの世の習い。自分で転んだり起き上がったりの繰り返しが人を成長へと導いてゆくものなんだろう。再び別の言葉で言うと、私の職業体験から学んだことは、多くの凄い人は自ら学んで自ら他に教えを請い、そして這い上がって行ったのではなかったか、しかも失敗や挫折を経験しながら。
 働きたいのに働くことが出来ない原因に,本人からのアプローチと社会からのアプローチから探っていくと,今までの講師たちが壇上で喋ることのほとんどは,本人に理由を求めるものが多い。何とかしなくては、ナントカ・・・などと。
 人が成長していく,つまり年をとって行くってことは、単に年齢が増えることだけではなくメンタリティ及びフィジカルの個体差が人それぞれお互いに広がることである。社会が成長していくことは、つまり豊かな社会になるってことは、単に目に入る物質的なものが多くなるだけではなく、様々な人多種多様な考え方や生き方が包括されてしかも容認されることでもある。そのようなことを考えると従弟のYっちゃんにも彼の生き方がある。最も相応しい生き方がある。ただただ、私が考えたいのはその無業者になったYっチャンを面倒臭いお荷物になることを避けようとするがあまり無視することではなく、遠くにいて常に見守ることが大切なことではないかなどと思う。インドのカルカッタにおいて死にゆく人の家に社会から見捨てられた、多くの無視された路上の人を招き入れたマザーテレサが日本講演のおり、話されたことに愛情の反対は、憎悪ではなく無視することです、とあった。

裏の幹事

2011-10-28 00:00:00 | Weblog
 先日開いた中学校同級会の写真が出来上がった。これを送らなければならない用事を引き受けた。しかし,私の請け負ったのは送付先の住所氏名の入ったシールを作ることと,会計報告書作りそして代表幹事のお礼状などの草案つくりまでである。実際に封筒に入れる作業は幹事さんがやることになっている。封筒に入れて勤務先の郵便局に持っていけばそれで終了となる。問題は、私のPCのプリンターである。購入したエプソンプリンターは箱に入ったままで開けていない。明日あさっての休みに全て終了したいと考えておる。で、長年使ったキャノンピクサスの蓋を再度開けて調べていると、なんと紙が詰まったままになっている。原因はこれかヨ・・ゆっくり外すと動き始めたのだ。アッチャ~・・・しかし印刷かけてみると黒色がまったく出ていないではないか。黒色がなくなっている、すかさずすっ飛んで文具屋さんに走りインクジェットを購入し、再度印刷かけることにした。アレレ、でもヤッパリ黒色が出てこないのだ・・・クッソ―もったいないことを続けてやってしまった。
 新品のエプソンプリンターは調子よく動いてくれる。やっとこれで用事が整う環境になり、さっそく会計報告など印刷ができたヨカッタヨカッタ。。

O君がやって来た

2011-10-27 00:00:00 | Weblog
 私が30年勤めた前職の出版社に今も勤務するO君が当地に出張でやって来た。50歳を越えたにもかかわらずN社にまだ勤めている。というのも、ほとんどの社員が50才以前に退社するような会社である。だから50歳を越えるまで社員として残るのは珍しい。力を発揮できない人は早く辞める、また、よく言えば起業家精神の旺盛な人も辞めるのが早く、中には私の先輩では、同じ出版業で「幻冬社」を起こした社長さんなどが代表される。俳優の大和田伸也さん・獏さんの3人兄弟のお兄さんも私と同様な仕事をして、研修のさいにお会いしていたけれど、さっさと辞めて名古屋で書店を開業したりして、60歳定年を迎えた人は私の知る限り1人しかいない。また、能力主義に貫かれ、能力のない人は、さっさと辞めていく社風があり、私も同じように能力の無さから55歳の年に辞めた。能力とは、モノを作り出す能力と、それを売り上げる能力である。

 O君と飲みながら最近の会社の様子を聞く。すると驚くことばかりである。人事方面で見ると、能力の良し悪しよりもオーナーの顔色をうかがうのに機敏な社員が役員として残っていること、出版物も点数が減少して、書店で平積みする本もあまり見かけなくなったこと、給料もめちゃくちゃ少なくなったこと、物が売れなくなったこと・・・などボヤキの話が多かった。そして、大昔私が呼び入れたK君も幹部になり、東京、名古屋と転勤し家庭を顧みる時間が取れなくなった頃奥様が、2年前に39歳で亡くなったことなどつくづく「無常」を思わざるを得ない話をたくさん聞く。帰りの最終電車が出た時間帯ラーメンをすすりながら、私はO君に、早く辞めろよ、と、広島時代に仕事を私と一緒にやっていたO君に言った。辞めないと出発が出来ないよ・・・などと。区切りをつける、ことは大変難しい。

ウ~寒い

2011-10-26 00:00:00 | Weblog
 急に気温が下がってきた。寒い。ご飯を作りながらラジオニュースを聞いていると、近畿地方も関東地方も木枯らし第1号がやって来たと聞こえてくる。9時にバイクをすっ飛ばして帰ってきた妻が、玄関ドアを開けてすぐ、サムイ~と叫んだ。風呂に少し熱めの湯を張っているので、先に入れヨ、と促すと、先にご飯だと言う。今夜はカレーを作った。久し振りのこくまるカレー。ジャガイモは握りこぶし大を二つに切ったくらいの大きさ、玉葱も1個を八つ切りの大きさで、人参も1本を三つに切り分ける大きさ、牛肉は、すき焼き用の大きさのまま。これらを十分に炒めて鍋の中にトマトジュースを入れた水でグツグツ、特にジャガイモがくずれないよう煮る、途中これまた生姜を大量に擂りいれて煮る。そして火を止めてこくまるカレールーを入れた。入れ終わったのが妻が帰る5分前。どうや、美味いやろ~と脅迫しつつ私も口に入れると、まぁなんとジャガイモがホクホクでもなく滑らかな口ざわりに仕上がっているではないか!サラニコリャ美味い、と脅迫して妻の返事を待つ・・・すると、まぁまぁかな~の返事あり。布団の中で寝入る頃、下の玄関ドアから、4男が、チョー寒い~と叫びながらドアを開く音がしていた。

 埼玉の孫のW君も電話でおしゃべりができるようになった。ジイジと呼びかけてくれる。何を食べたの?と聞くとトマト、おむすび、チーズなどと可愛い声が聞こえる。また歌も歌ってくれる。バアバに代わるとバァバは一段と声を張り上げてお話をしている。札幌の孫のY君も電気釜に入って遊んでいる写真が届いた。ジイもバアもニヤニヤしながら見ておる。

今の仕事

2011-10-25 00:00:00 | Weblog
 今やっている仕事は何なんだろう・・と思う。カウンセラーなどと今流行りのカタカナ仕事などのように呼ばれるのは、おかしい。お仕事のアドバイザーなどと呼ばれるのも、なんだかおかしく面映い。相談業務などと漢字混じりの呼び方に変えたところで相談相手になれるわけがない。いったい何なんだろう。
 将棋の打ち方に10面打ち?があってそれぞれ一人で多数の人相手に異なる将棋盤に次々と打っていくやり方と同じかなぁ・・・と一人笑いした昼下がりである。
 まづ、17歳の少女を連れてきた両親がやってきた。何かわけありそうで、別室に案内し4人で話す。昨日少年鑑別所を出てきた、と言った。就職の相談である。その途中、今度は40歳台の刑務所を出所してきたばかりの人が私を尋ねてきているがどうすればよいか、と受付嬢が別室のミーティングルームでの相談中にやって来た。待ってもらうように言付けた。そうこうしていると、予約している早期再就職支援の求職者が来られる時間になる。悪いことは更に重なり、4人目は保護観察中の人が私に面会にやってきた。○○組を脱退していわゆる堅気になったものの小指が短くなってきれいな刺青も垣間見えるけれど、一般人として仕事をしたいと、先月から私と一緒になり就職を目指している求職者である。あわせて4人同時に相談を進行することとなった。もちろん、座る机はバラバラである。どうするか・・・待つのが嫌いな自分だから、相手にも待たすことはしたくない。一人は求職票に記入してもらう作業、私の机の前に座る人は、さっそく求職条件を入れながら求人票を選択する作業、もう一人は求人検索機で自分で探してもらう作業、最後の人は、手早く準備しておいた求人票10枚から応募する事業所を選択してもらうことにする。しかし私の付けた条件は、一つ一つナゼそこを選ぶのか、つまり応募したい動機を5つずつ言ってくれ・・・と問題を出しているのでなかなか終わりっこない。またまた少女が待つミーティングルームへ行き、今後の生き方、高校へ行くのか、職業訓練をやりたいのか、正社員として仕事をしたいのか、取あえずのアルバイトか、などを本人から聞く。両親も交えて就職活動の方法を話す。親の返事より本人の返事を聞きたい・・と言いつつ、10分あとに又来るからその時答えてくれと、話しておいて、今度は求人検索機に回り、使い方、上手な探し方を隣の人に迷惑がかからないないよう小声で教える。検索機利用の人には20分は見ておいてくれとお願いし、またまた自分の机に戻り対応中の人と先の話の続きをやる、問題を出して、考えてもらう時間にまたまた、別の人へ・・・
                            
 カウンセラーではないし、なりたくもない。アドバイザーなどと何もアドバイスもどきすらやりたくない、相談員などと、私が答えるものでもない。私はみんなに、ただただ質問をしているだけ、答える人は、私の前に座る人。

プリンター

2011-10-24 00:00:00 | Weblog
 昨夜のこと。晩ご飯を食べながら3男がしみじみと、やっぱりお母さんの作ったご飯の方が手が込んでるなぁ・・・などと感嘆符を付けながら食べている。私の作品を称して、3男がお父さんの作るご飯は、キャンプで作るご飯とおんなじ・・などと評しておる。確かに考えてみれば、ザッとしていると思わないでもない。焼くか煮るか蒸すか炒めるかの中で、一番多いのは炒める作業で次いで煮る作業、3番目が焼き物が入り、一番手軽なはずの蒸す作業をしたくとも蒸し器を取り出すのが面倒臭いためにめったにしないけれど、野菜など切って蒸し器に放り込むだけだから簡単ではある。
で、今夜の食材はまたまた秋刀魚、私ならば前回は焼いたから今回は煮て食べることを選択したはずである。ところが妻は刺身を選んだ。それで3男が油の乗った秋刀魚の刺身を口に入れながら、感嘆符をつけて、私と妻の比較をしたようである。
              
 10年近く使ったプリンターが動かなくなった。ガーガーと言うばかりで動かないのだ。それでプリンターを買いに量販店に行き3台目となるプリンターにエプソンを選んだ。キャノンを長い間使っていたけれど、今度はちょっと違うものにした。

今日は秋刀魚

2011-10-23 21:45:56 | Weblog
佐藤春夫  秋刀魚の歌 

あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝〔なれ〕こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。


よく読むと、この詩は、やっぱり寂しい詩ですね。

強い雨が降る

2011-10-22 00:00:00 | Weblog
 土日は雨が降ると天気予報で言ってたとおり、今日はぐずついた空模様である。朝は少しは陽射あったけれど、後曇り、夕方は土砂降りの雨。その雨の中、ゆたかちゃんがやってきた。前の土曜日に開いた同級会の写真や会計報告などを持ってやって来た。で、おまえさんがこれをまとめてそれぞれ封書で出す手配をしろ、と云うわけである。またまた仕事を増やされた。でも私の鉄則辞典にもあるように、ものを頼むには忙しい人に頼むべし、の逆になっただけだから、と引き受ける。
 ついでに近所に住む同級生であるハラちゃんの奥さんのSちゃんにも声をかけて、またまた3人で、今度は我家での小学校のクラス会となった。Sちゃんは先週私用があり同級会に出席できなかった。3人ともに小学生の時は同じクラスの梅組、しかもゆたかちゃんとSちゃんは昔自宅が近所同士であったにもかかわらず、15才で別れて以来久し振りのご対面である。ヨ~変わってないなぁ・・などとお互いに素っ頓狂な声をあげて、この前の同級会のことで話が盛り上がる。酒なしコーヒーのみで盛り上がること3時間。ゆたかちゃんは、次々と亡くなる同級生のことで嘆いている。ガンで亡くなり、自死で亡くなり、病気で亡くなる友人の亡くなる前にそれぞれ必ず枕元に出向いて、生きてくれよ・・と常に励ましている。そういえば中学時の同級生が白血病で亡くなったとき、式の間じゅう、大泣きしていたのは一人だけ、ゆたかちゃんであったことを思い出した。